第115話 【叛逆王】と【宝石の創王】
鉄の匂いが充満している廊下を、少年は革のジャケットを羽織った男と共に歩いていた。
天井と壁を鉄で覆われ、年季が経っているせいで所々が錆びてしまっている廊下には、均等に格子窓がついた扉や鉄格子が設置されている。これを一目見て分かる者がいれば、ここは牢獄なのだと断言するだろう。
少年がいるのは、腕すぐりの誘拐屋達が攫ってきた者を買った人買いが経営する市場なのだ。
いかつい顔をした男はともかく、隣を歩く少年は中学校に通っていてもおかしくない年齢だ。外側に跳ねた癖のある赤茶色の髪と水色の瞳をした彼は、幼いながらも利発で将来は美少年として名を馳せるだろう容姿をしている。
他と違う点があるとすれば、少年も本来ならば聖天学園に入学し魔法の腕を磨く魔導士の卵であることだ。
日本よりも人口の多い海外では、聖天学園の試験に落ちて魔導士崩れになる子供が多い。だが少年の場合、事情は彼らより少し違う。
少年は、魔導士として生まれたせいで実の両親に売られたのだ。
魔法の神秘を明かそうとする研究者の中には、非人道的実験も惜しまない輩が多く存在する。彼らは貴重なサンプルとして魔導士の子供を人買いから買っている。
人買いに売られた魔導士の子供は貧民街では口減らし、魔導士家系では跡目争いを避けるための口実としてが大半だ。
少年もその例には漏れず、貧民街で生まれた彼は親によって人買いに売られ、流れ流れてとある魔導犯罪組織の主の部下になった。
世間一般で言った『部下』ならば子供にしては中々の待遇だが、現実は違う。
裏切らないように特殊な魔法を付与された首輪をかけられ、命を人質に取られた部下という名の奴隷。
たとえ窮屈で不自由な身になろうとも、少なくとも今までいた場所と比べたら天国だ。
とある研究所では違法な薬を打たれて、薬が抜けるまで幻覚を見続けたこともあった。
とある組織では下っ端の仕事ばかりさせられて、囮として見捨てられたこともあった。
とある屋敷では男娼として買われ、脂ぎった中年親父を相手に当番制で夜の相手をされたこともあった。
ロクでもない記憶ばかりを思い出して、少年はぶるぶると首を横に振る。
こんな辛気臭い場所にいるから余計なことを考えているのだと、自分の中で言い聞かせながら平静さを取り戻していく。
「着いたぞ」
案内役である誘拐屋は、市場の中では一番奥に存在する鉄格子の前で立ち止まった。
この市場では少年のような境遇の者もいれば、魔導犯罪組織の構成員を誘拐屋に頼んで攫ってくることがある。主に後者はその組織と対立している者が依頼で情報を持っていそうな人物を攫い、その構成員を拷問目的のために高い金を払って買ってくるのだ。
わざわざ敵組織の人間を攫って買うなんて神経は少年には理解できないが、今日ここに訪れたのは彼らと同じ目的なため何も言えなくなる。
少年は持っていたランタンをかざしながら、鉄格子の方へ光を当てる。
「これが……例の?」
「ああ。こいつが今、巷を騒がしている特一級魔導犯罪組織『レベリス』、そのボスだ」
鉄格子の中には拘束具で縛られて座られている一人の男がいた。
上は黒いシャツワンピース、下は黒いスラックス。首には鮮やかな紅のリボンタイを結び、靴は踵の高い黒いブーツ。腰には細いチェーンが巻かれており、均等な並びで表面に細やかな紋章が刻まれたロケットが七つついている。
ほぼ黒一色の恰好なのに目を引くのは、ひとえに彼の雪のように綺麗な純白の髪だろう。
魔導士だけでなく世間一般から見ても珍しいその髪色は、売ればいくらになるのだろうと場違いにも考えてしまった。
「約束の報酬だ。受け取ってくれ」
少年は羽織っている黒いパーカーのポケットから、主人から渡された小さい麻袋を誘拐屋に渡す。
誘拐屋はそれを受け取ると、紐を引っ張って中を確認する。袋の中に入っているのは、サイズも色も違う光り輝く十粒の宝石。店で売れば多額の金になるそれを見て、誘拐屋は小さく舌打ちする。
「三倍もらっても割りに合わんぜ」
誘拐屋はそう呟きながら鉄格子の鍵を開けて、行った道を戻る。
彼の言う通り、今渡した報酬は誘拐屋が提示した金額より三倍上乗せしてもらったものだ。だが自分の口でそう交渉したはずなのに、あんな言葉を呟いたのはそれだけ危険性のある仕事だったのだと理解できた。
少年はごくりと唾を呑みながら、男に近づく。
鉄格子の向こうから近寄ってきた少年を見て、男は興味深そうにその顔を見た。
「君は誰だ?」
静かに問いかける男の声は、不思議と頭の中まで響いてくる。
見た目だけでなく雰囲気さえも神秘的に見える男を見つめながら、少年はやや緊張した面立ちで言った。
「俺は、あんたを誘拐するよう依頼した奴の部下だ。あんたにはついて来て欲しい場所がある」
☆★☆★☆
イングランド南西部のデヴォン州にある港湾都市・プリマス。
イギリス海軍の重要な軍港がある湾岸都市は、ヨーロッパ大陸へのフェリーの運航が盛んで、シーズンになると観光客で賑わう都市だ。
そのプリマスから北へ数百キロ離れた場所に、少年が使えている現在の主人が暮らす屋敷が存在している。
「ようこそ、我が屋敷へ。歓迎しよう、【叛逆王】よ」
少年が案内した男を出迎えたのは、隣にいる小さい部下の命を握り、奴隷とした張本人である屋敷の主人。
主人の名は、ユリウス・エーデルハイム。前部が胸部までの長さしかない特徴的な燕尾服を華麗に着こなす伊達男だ。
首半ばまで切り揃えられたプラチナ色の髪、蛇のように鋭い目つきをしており、オリーブ色の瞳は獰猛に輝くその男は、わざわざ金を払ってまで誘拐し買い取った男と対面する。
「わざわざこんなところまで来ていただきすまない。外は寒かったろう? グリューワインがあるから、これで体を温かくしてくれたまえ」
表面上は親しげに接してくる主人を横目に、少年は室内を目だけで見渡す。
高価な調度品に囲まれた部屋の中央には、木目が美しい円卓と金泥の猫脚を持った椅子が置かれている。
円卓の上には湯気が立つグリューワインが入ったマグカップが二人分置かれており、誰がそれを飲むのかは明白だ。
ユリウスに案内されて席についた男は、無言のままグリューワインを一口飲む。ユリウスも反対側の椅子に座って相変わらず美味しい味をしたグリューワインに舌鼓を打つ。
王道であるシナモンを入れたそれを飲んでほっと一息を吐いた男は、ゆっくりとマグカップを円卓の上に置いた。
「……ところで、その【叛逆王】というのはなんだ?」
「ああ、本当なら君の名前を呼ぼうとしたのだが、如何せん情報が少なくてね。愛称として呼ばせてもらった」
「なるほど」
ユリウスの言葉に納得した様子を見せながら、男――【叛逆王】は顔を動かしながら周囲を見渡した。
金がかかった豪華な調度品と内装、街並みを一望することができる半楕円形の窓、そして給仕服を身に包んだ柄の悪い男達。
順番に眺めた【叛逆王】は、何かを考えるような素振りを見せながら再びユリウスと向き合う。
「それで? わざわざ私を攫い、金で買った理由をそろそろ教えてくれ」
「なぁに理由は単純だよ、兄弟。――私と手を組まないか?」
元々細い目をさらに細くし、口角は骨ごと裂けているのではないかと思うほど三日月型に歪んだ。
【叛逆王】は前髪で隠された顔を変えないまま、静かに少年の主人を見つめる。
特に反応のない男に少し苛立たしく顔を歪めるが、ユリウスはすぐににこやかな笑みを浮かべた。
「自慢ではないが、私には裏でさえ手に入らない情報を手に入れるほどの財力を有している。国外には数ヶ所の別荘を持ち、デイトレードだけで稼いだ金は月三〇〇〇万ドル。さらに誰もが羨む数百を超える宝石と腕すぐりの五〇人の私設部隊を所有している。そんな素晴らしい私と君が組めば、世界なんて簡単に手に入るだろう」
「……なるほど、つまりお前は世界征服のために私と協力したいと?」
「世界征服? まさか、そんな子供っぽい夢が目的じゃない」
【叛逆王】の言葉にユリウスが鼻で笑って一蹴すると、まるで秘密を話す友人のような顔で告げる。
「私の目的は、国際魔導士連盟を手に入れることだ」
その言葉に、【叛逆王】はぴくりと肩を揺らした。
ここに来て初めて見せた反応にユリウスは満足気な表情を浮かべながら話を続ける。
「知っての通り、IMFの力は政府機関と同じく強大化している。世界中にいる魔導士、魔導士候補生、魔導士崩れの情報を持ち、カルケレムの魔導犯罪者さえ彼らの一言さえあれば駒として使うことができる。……だが、それだけの代物をたった一組織が持つのはおかしいとは思わないか?」
国際魔導士連盟は、第二次世界大戦後からその力を世界へと浸透させていった。
非魔導士と魔導士との共存、魔導犯罪者の鎮圧、聖天学園の管理……人と魔導士が入り混じる世界を調和し続ける彼らの力は、もはや一個人がどれだけ策を練っても手に入らないほど盤石なものだ。
「私ならば彼らの力を有効活用できる。そのためには私の財力だけでなく、君の力が必要なのだよ」
ユリウスはこつこつと靴音を鳴らしながら、【叛逆王】の横に立つとまた囁いた。
「どうだい? 君にとっても悪くない話だろう?」
薄ら寒い笑みを浮かべる己の主人を見て、少年は冷や汗を流しながら成り行きを見守る。
ユリウスの交渉は脅迫と同義だ。彼があることをすれば、誰もが許しを乞うが如くなんでも要求を呑む。
それを知っているからこそ、少年は結末を知りながらも固唾を呑む。
「――ははっ」
だが、【叛逆王】から出たのは小さく笑う声だった。
小さく肩を震わせる様子に、さすがのユリウスも目つきが変わる。
「……何がおかしい」
「いや、まさかそれだけのためにこの私を捕まえ、あまつさえ高い金で買ったと思うと笑わずにはいられない」
一通り笑った【叛逆王】の姿に、少年だけでなくこの場にいる男達は困惑する。
主人の恐ろしさを知る彼らにとって、この男が取った反応はあまりにも予想外だった。
「結論から言おう、私は君と組まない」
「理由は?」
「理由がいるほどか? そうだな……強いて言ったなら、君の目的があまりにも小さすぎる。手を貸す価値すら値しないほどにな」
直後、瞳孔を開いたユリウスはグリューワインが入ったマグカップを【叛逆王】の頭に叩き落とした。衝撃でマグカップが割れ、白い陶器が大理石の床に散らばる。
中身は時間が経って冷めているため火傷はしなかったが、彼の純白の髪がまだらな赤褐色に彩られていく。
砕かれ、唯一原形が残っている取っ手だけを持ったユリウスは、心底失望した目でワインまみれになった【叛逆王】を見下ろした。
「……少々がっかりだ、【叛逆王】。いいだろう、状況を理解させよう」
ユリウスが不敵な笑みを浮かべると、パチンと指を鳴らした。
指の音が室内に響くと近くにいた男が首を両手で抑えながら呻き出し、目を全開に開かせる。
すると男がしていた首輪の中央についている宝石が透明から紫色に変わったと思うと、足元から徐々に紫色の水晶で浸食し始め、たった数分もしない内に全身を覆った。
突然の現象――しかし少年らにとっては最も恐れる所業を見て慄く中、【叛逆王】はあまりにも冷静な声で呟いた。
「宝石干渉魔法か」
「その通り! 魔法で作った宝石を埋め込んだ首輪をつけた人間を宝石に変える魔法だ。体だけでなく内臓、骨、血管さえも、私の指先一つで宝石に変わる。ここで保管している宝石は全て、私に歯向かった者や使えなくなった者によって生み出したものだ。まあ、宝石の種類によっては硬度があるから割ったりカットするのは少々大変だがな?」
つまり、この男は人間を宝石にし、あまつさえそれを砕いて普通の宝石として売りさばいているのだ。
元は人間だった宝石が、ユリウスの手によって市場に回り、どこかの宝飾店のアクセサリーとして何も知らない人間によって買われる――想像するだけでひどい吐き気と嫌悪感に襲われた。
つい先ほどアメジストになった元同僚は、これから彼が専属で雇っている職人によって普通の宝石として加工されるだろう。
誰もが恐れ慄き、恐怖する光景を少年は何度も見た。
過去にこの光景を見た者は恐怖の涙を流したり、口をパクパク動かした後に失神したり、自身がつけていた宝石がついたアクセサリーを狂ったように外した。
そして最後は自分の魂でさえ売り払った者の結末も、この光景と共に何度見ただろう。
これが、【宝石の
魔導犯罪者の中でも上位を争う残忍性を持つ男を前にして一切動じないどころか、まるでテレビを見るようになんの反応を示さない【叛逆王】に、少年は畏れと恐怖――そして羨望を抱いた。
ユリウスはまったく動じない【叛逆王】にさらに怒りを抱きながら、大きく舌打ちし、上着の内ポケットから何かを取り出し円卓の上に放った。
その正体は、黒味のある鉄製の首輪。中央に透明な宝石が埋め込まれており、その宝石に色がついた直後に宝石になる運命が決定される世にも恐ろしい魔導具。
「一日だけ時間をやろう。それまでに飼い殺しの生活か宝石になるか選んでおくんだな」
吐き捨てるように言い放ったユリウスは、宝石になった者を運ぶ部下と共に部屋を出て行った。
重々しい音を立てて閉じられる扉を見ないまま、【叛逆王】はずっと視線を首輪に向いていた。
ユリウスが出て行き、残された【叛逆王】は相変わらず椅子に座ったまま動かない。
少年は他の部下からタオルを渡されると、そのまま【叛逆王】の髪を拭いた。突然で驚いたのか、彼はピクリと頭を震わせる。
「諦めなよ、あんた。誰もユリウスには勝てない。ここにいる連中は俺を含めてみんなあいつの金で買われたヤツばかりだ。
あれを見てしまったら、どんな強者だろうと自分の意思で奴隷に成り下がる……ここに来た以上、そういう運命になるのが決まってるんだ」
「運命……?」
「ああそうだ。俺が親に売られてどっかの研究所で薬漬けになったのも、入った組織で囮として捨てられたのも、どっかの屋敷のショタコン変態野郎のために足を開いたのも……それ含めて全部、運命で決まってたんだ」
「そうか……っくしゅん」
少年の言葉を重々しそうに聞いていたが、最後に出たくしゃみのせいで締まらなくなる。
ずずっと鼻を啜って恥ずかしそうに顔を背ける【叛逆王】を見て、少年は思わず笑ってしまう。
「なはは! そうしてるとあんたも俺達と同じ人間だなって感じるよ。最初見た時から亡霊みたいだと思ってたからさ」
「亡霊……そうだな、私は亡霊だ。死を経験しても、こうして未練たらしく生きている」
自虐を含む言葉に少年は意味が分からず首を傾げるが、吹き終わったタオルを髪から離れるとふわりと軽く浮いた。
拍子に前髪も浮いたが、一瞬視界が白く霞んだ。
「……?」
眩暈か? と思って目を擦る少年に、【叛逆王】はくすりと笑う。
「ああ、すまない。私は自分に認識阻害の魔法をかけているんだ。こういう身の上なんでね、顔を知られるのは少々マズいんだ」
【叛逆王】の説明を聞いて、少年は納得する。
後ろめたい人間は自分の正体を誰かにバラされるのを厭う。認識阻害の魔法をかけて顔を別物にしたり、見えなくさせるのは裏の世界では常套手段だ。
「でも俺、あんたの顔が気になるなぁ。なあ、いつか見せてくれよ。それが冥途の土産でも構わないからさ」
「……気が向いたらな」
そんなことを言ったのは、きっとこんな場所に囚われる自分への同情心かもしれない。
それでもわずかに羨望を抱いた男の言葉がこんなにも嬉しくなったのは初めてだ。
「でもあんた、有名な犯罪組織のボスなんだろ? さっきの話は学のない俺でも魅力的に思えた。どうしてユリウスの提案を断ったんだ?」
少年は一番気になっていた質問をしてみると、【叛逆王】は無言で黙り込んでしまう。
しちゃダメだったか? と内心慌てながら話を変えようとするも、【叛逆王】はゆっくりと笑みを浮かべながら口を開いた。
「――私には、永遠に忘れることができない女がいる。その女を私以外の男に手折れるのを見るのが嫌なんだ。あの男と手を組めばそうなる未来が必ず訪れる。だから断った、それだけだ」
愛おしそうに、狂おしそうに語る【叛逆王】が、少年の目には一瞬永遠に叶わない恋に身を焦がすただの男に見えた。
その姿は思わず男の自分でさえ見惚れてしまうものだった。
「……そっか。あんたみたいな男に気に入られてるなんて、その女も大変だな」
吐き出せた言葉はそんな可愛げのないものだったが、【叛逆王】は苦笑を浮かべ、まるで他人事のように言った。
「――ああ、本当にな」
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