第163話 英雄達の〝原典〟9
社交界デビューする一六歳の令嬢は純白のドレス、令息は黒い礼服を着るしきたりだ。
令嬢は白の羽や花の髪飾りを身に付け、白い手袋に持っているブーケも白。清楚ながらも美しい姿をした令嬢達の姿に年頃の令息が隠れながら鼻の下を伸ばす中、一際目立つ令嬢が現れる。
アリナ・エレクトゥルム男爵令嬢。
真っ白なドレスと白薔薇の花飾り、手には白薔薇のブーケを持ったその姿はどの令嬢よりも美しい。琥珀色の髪がより白を映えさせ、彼女の神秘さをより引き出している。
謁見の間で国王陛下夫妻への挨拶の時にしたお辞儀姿さえ可憐で、誰もが彼女の姿に息を呑んだ。
全ての令嬢と令息、そして多くの王侯貴族が用意された大広間で、アリナは魔法について語った。
自分がどうやって魔法を得たのか、魔法にはどんな力を秘めているのか、そして――アリナ達のように使える者もいることも全て。
この社交界デビューが公的に魔法の存在を知らしめる場として使われることは、独自の情報網を持っている王侯貴族達はすでに知っていた。
もちろん魔法についてもこれからの国の発展を考えると必要不可欠で、もし自分の家の人間の誰かがこの力を使えるのならば存分に利用しようと考えるのは自然だ。
だけど、アリナが見せた魔法は、彼らが予想していた物よりも強力で美しかった。
七色の光が無邪気に戯れ、薔薇の葉が鉄製のお盆をバターみたいに切り裂き、切り裂かれたお盆がぐにゃりと歪むと花びらに変わる。
誰もがこの幻想的な光景に息を呑み、思い知らされた。国王が何故、あの小娘に必要以上に支援をするのか。それは、魔法がこの国だけでなく世界にも知らしめたる存在であると最初から気づいていたからだ。
古代より、〝神〟によって『奇跡』を与えられた人間は少なかったが存在していたという記述がある。
その者達は千里の場所まで矢を飛ばしたり、海を二つに分かち道を作ったと言い伝えられている。その全ての『奇跡』が魔法の元であるということも、人の手に渡ったことで魔法は全ての人類に使えることが、この日証明された。
「――皆様、魔法は素晴らしいものです。この力を世界中の人々が共有し、発展させていくべきです。その始まりとして、この国をよりよい未来へと導きましょう」
アリナの言葉に、誰もが喝采を上げた。
歓声と拍手が宮殿中に響く中、カロンは彼女の今日までの功績を讃えて、白銀に輝くティアラが贈呈された。
中央に六芒星を琥珀が神々しく輝き、誰もが彼女に視線を奪われたことを、この場にいる者達は一生忘れられない思い出となった。
この日、アリナを含める四人に国王から二つ名が賜れた。
魔法を発見した【起源の魔導士】アリナ・エレクトゥルム。
魔法を知識として残した【記述の魔導士】ベネディクト・エレクトゥルム。
魔法を使える者を『魔導士』と名付けた【定命の魔導士】ローゼン・アルマンディン。
魔法を宿した道具・魔導具を生み出した【創作の魔導士】クロウ・カランブルク。
後の世に名を遺す魔導士の始祖・四大魔導士の誕生の瞬間だった。
「――お嬢様、またお見合いの手紙が来ましたよ」
「ええ……またぁ?」
書斎に入ってきたジークが持ってきた手紙の束を見て、アリナはげんなりとした表情を浮かべる。
あの社交界デビュー以来、アリナへの求婚の申し込みは後を絶たなかった。申し込みの手紙でも一杯なのに、全然興味のない高価なドレスや装飾品、さらに日持ちしない菓子が山ほど贈られた。
ドレスと装飾品はもったいないため、魔法の発表などで開かれる舞踏会などで身に付けるようにしている。それで時々勘違いした令息もいるが、そこはジークの巧みな話術によって何度も危機を逃れている。
アリナはもう一六歳、すでに婚姻適齢期である彼女にはそろそろ婚約者が必要だ。
「そろそろ婚約者くらい見つけたらいいのでは? クロウのこと、好きなんでしょう?」
「うぅ……!?」
従者に痛いところを突かれ、思わず呻き声を上げた。
クロウに片想いをしていることは、ジークだけでなく誰もが知っている。それなのに六年もなんの進展がないのは、ひとえに二人が恋愛初心者だからだ。
貧民街出身のクロウはともかく、アリナは兄のように父によって決められた婚約者と結婚するのだと思っていた。だが、魔法の発見や魔導具の開発によって、文通だけは続いたが逢引きらしいことは一度もしていない。
「クロウの方もものすごい数の求婚の手紙が来てるらしいですよ? いいんですか? どっかの令嬢に奪われても」
「~~~~っよくない! 全っ然よくない!!」
ついに我慢の限界がきたアリナが涙目で叫びだすと、ジークはやっと素直になった主人の様子を見て肩を竦めた。
このお嬢様は一度意地悪を言わなければ、中々わがままを言わない面倒な性格の持ち主だ。こうやってジークやティレーネがわざと意地悪を言わなければ、彼女は一生素直な気持ちを吐き出せない。
最初はなんて面倒なのだろうと思ったが、今ではすっかりいたずら甲斐がある。
「……それで、これからどうする気なのですか?」
「それは……いつも通り、文通をして……」
「もしや、今度こそ恋文を書くのですか?」
「こっ……!? 恋文なんて、書き方分からない……」
「ほとんどの恋文なんて、恋愛小説の文章を引用したものですよ。誰もがあんなキザな文章なんて書けるわけじゃないですから」
「夢のないこと言わないで! というか、そんなこと知りたくなかった!」
恋文への憧れさえ遠慮なく砕いたジークに向かって叫びながら、手渡された手紙の宛名を確認するとそれらをぽいぽいとゴミ箱に向けて投げる。
どの宛名も名前しか知らないものばかりで、中身は全部同じようなものばかりなので読む気すらない。
慣れた手つきでゴミ箱に入れていると、最後の一通を見てその手をピタッと止めた。琥珀色の瞳が輝きだしたのを見て、ジークは横から宛名を読んで納得した。
『クロウ・カランブルク公爵令息』と男らしくも綺麗な文字で綴られたそれを、アリナは近くにあったペーパーナイフで封を切り、三つに折りたたまれた便箋を開いた。
『親愛なるアリナ・エレクトゥルム男爵令嬢様
私がこの名を口にする度、一体どんな気持ちになっているのかあなたはご存知でしょうか。朝日を浴びている時、熱篭もる鍛冶場で槌を振るう時、夜空に浮かぶ月を見つめる時、私はいつでもあなたの姿を思い出しては想いを募らせています。
庭に咲く橙色の薔薇を見るたびに、私はあなたの蜂蜜のように甘い髪と瞳を思い浮かべ、声が聞きたくて、顔が見たくて堪らなくなる。
そう思えるのはきっと、私があなたに一人の女性として恋心を抱いているからでしょう。
あなたは、私のことを一体どうお思いなのでしょうか? 知りたいという好奇心と、知りたくないという不安がありながらも、私はあなたにそう問いかけずにいられない。
私の想いが砂粒一つ分でも伝わりましたら、どうかお答えください。
あなたの返事を、待っています。
クロウ・カランブルク公爵令息』
クロウからの初めての恋文は、アリナだけでなく男のジークさえ恥ずかしくなるものだった。
今まで読んできたどの恋文よりもたどたどしくも真摯な気持ちが伝わる文章は、恋愛小説の文章を引用して書かれた恋文よりも素敵なものだ。
受け取った本人も目をとろんと潤ませ、頬を薔薇色に染めながら何度も読み返している。その姿は主人の嬉しさが伝わると同時にジークの胸に小さな疼痛を走らせた。
「お返事用の便箋、用意しましょうか?」
「…………お願いします」
胸の疼痛を誤魔化すように意地の悪い笑みを浮かべると、アリナは耳まで真っ赤にしながら便箋に顔を埋めた状態で言った。
あまりにも初々しい反応を見て、ジークは愛用の羽ペンをいつも以上に綺麗にしようと考えながら書斎を出た。
☆★☆★☆
『親愛なるクロウ・カランブルク公爵令息様
私があなたとお会いした時のことを覚えているでしょうか? 私はつまらない交流会を抜け出して、薔薇の花冠を作って遊んでいましたね。初めてお会いした時、あなたの夜空色の髪が白い薔薇に合うのではないかという私の思いつきであの花冠をあげました。
その後にあなたからの手紙が来た時、私は心の底から驚いたのです。まさか花冠をあげた少年から手紙が来るなんて思っていなくて、驚いたのと同時に嬉しくありました。それから何度も手紙を交わす内にあなたのことが少しずつ気になりだしました。
出会った時はそこまで会話しなかったら一体どんな声をしているのか、どんなお顔なのか、毎日そう考えて思い浮かべていました。ですが魔法の件で言葉を交わしていく内に、私もあなたに対して抱く感情が友愛ではないということに気づいてしまったのです。
クロウ、私はきっとあなたのことが好きです。初めてお会いした時から今日まで、私はあなたのことを考えなかった日は一日もありません。
こんな形でお伝えしてしまったこと、本当に申し訳なく思っています。あなたの声で、あなたの言葉で、想いを告げたいと思っていたはずなのに。
もしよろしければこの手紙が届いた三日後、王都のはずれにあるジャスミン教会に来てください。
そこで、あなたからの想いを聞きたいです。
アリナ・エレクトゥルム男爵令嬢』
自分で読み返しても恥ずかしい恋文を贈った一週間後、想い人からの返事を読んであまりにも動揺し、部屋の絨毯で足を滑らせて激しく頭を打った。
思いのほか音が響いていたのか慌ただしい足音と共にイアンが様子を見に来たには、クロウは後頭部を押さえつけて蹲るという無様な恰好になっていたらしい。
未だたんこぶが残る後頭部を優しく撫でながら、クロウは教会の祭壇の前に立っていた。
王国の郊外にあるジャスミン教会は、中央の絨毯を挟むように設置された長椅子が合わせて一〇脚しかないこぢんまりとしたもので、色んな色ガラスを合わせたステンドグラスがその前にある大きな十字架と一緒に日の光を浴びている。
この教会は飢饉で喘ぐ者達に無償で食事と寝床を提供したシスター・ジャスミンの功績によって建造されたが、老朽化によって来月に取り壊される予定がされているせいで人の出入りは少ない。
ここの管理を任されている神父も足腰が悪く、特別な催事がない限り提供された部屋で日がな一日休んでいる状態だ。
ほぼ無人状態の教会の中に立ち尽くしていると、目の前の扉が開かれる。
入ってきたのは、町娘の恰好をしたアリナ。普段から外に出かけることが多い彼女は、町娘の恰好の上に長いローブを羽織るのが通常になっている。あの特徴的な髪を隠した姿なのに、クロウの目にはいつもの通り美しい彼女しか映らない。
「ごめんなさい、待ったかしら?」
「いいや。俺もちょうど来たところ」
嘘だ。本当は一時間も前からここに来ていた。
それほどまでに、自分はいつも以上に緊張しているのだと思い知らされる。
ローブのフードを外し、あの琥珀の髪を晒した少女を見つめながらクロウは覚悟を決めた。
「アリナ――いや、アリナ・エレクトゥルム男爵令嬢」
社交界での彼女の名を呼びながら、クロウは上着の懐から一輪の薔薇を取り出す。
その薔薇はただの薔薇ではない。魔法で作り出した銀の薔薇だ。
「俺は……クロウ・カランブルク公爵令息という男は、お前のことを愛している。出自のせいで周囲から反対されるかもしれない、他の家の男がお前を奪おうとするかもしれない。それでも俺は、お前のことを手放すことはできない。一生お前を愛することを今日、この場で誓う。もし……お前も俺と同じ気持ちなら、この薔薇を受け取ってくれ……!」
あの時くれた花冠より立派なものではない。魔法という裏技で作った、ちょっと卑怯な真心込めた贈り物。
今はまだこれしかあげられないけれど、これから先の未来を幸せに満ちたものにする約束はあげられる。
それだけは絶対だ。
僅かに震える手を見つめていたアリナが、優しく微笑みながら薔薇を受け取る。
両手で包むように持ち、花弁に軽く唇を触れさせながら、アリナは言った。
「クロウ……私も、あなたのことを愛してる。私もあなたのことを一生愛することを誓うわ」
アリナの返事を聞いた瞬間、クロウは彼女の細く柔らかい体を抱きしめた。
いつもは煙と鉄の匂いだけの自分とは違い、彼女は甘い薔薇の匂いしかしない。出会った時と変わらない、クロウの大好きな匂いだ。
胸元に顔を埋めていたアリナがこちらを向く。その顔は幸せに満ち溢れ、つられて笑みを浮かべる。
やがて、二人の顔が自然と近づき、互いの唇が触れ合う。
柔らかくどこか甘い感触を味わいながら、二人はステンドグラスから漏れる色とりどりの光を浴びる。
遠くで鐘の音が鳴るまで、二人の距離は一度も離れなかった。
ウェストミンスター宮殿にある国王の寝室。
カロンが国王になってからは、父の服も装飾品は全て捨てて、自分の持ち物全てをこの部屋に移動させた。調度品の父の悪趣味のものから自分好みのものに変えて、あの忌々しい男の残滓を消した。あの時の高揚感は今も忘れていない。
カロンにとって、国王であった父は人生の汚点そのものだった。
王としての責務を果たしながらも片っ端から女を貪り、母であった王妃と側室をまるで人形のように愛でた男。それが父の愛し方と言われればそれまでだが、カロンはその愛し方がこの世で一番おぞましく、気持ち悪く感じた。
父が病気で崩御した後、父が抱えていた母も側室も全員故郷や別荘に住まわせ、父が愛用していたものを全て排除した。そうしなければ父の残滓が残って、一生自分を苦しめるのだと思っていたから。
父の痕跡が残る宮殿を全て排除し、宮殿はカロンの物となって最初に行ったのは側室達を集めていた一画を魔導士の勉強教室にしたことだ。
魔導士の才能ある者に魔法を学ばせるために宮殿の一画を開放したのは初めての試みだったが、そのおかげでカロンは意中の相手と会って話すことができた。
その相手こそが、アリナ・エレクトゥルムだ。
【起源の魔導士】という二つ名を賜り、国中の男達を魅了する少女。国王であるカロンもその一人になったと気づいた時は、自分の女の見る目はいいのだと思い知らされた。
あの少女ならば、地方の領地を治める男爵令嬢だろうと自分の妃になっても相応しい。『神に愛された者』として、自分に多くの幸福を運んでくれるに違いないと信じていた。
――あの日、中庭で見つめ合うアリナとクロウの姿を見るまでは。
その日は、ちょうど魔法の勉強方針についての話し合いがあった。
カロンもその場に同席し、実技を交えた特訓を加えることが決まり、全員で昼食を摂った時だった。アリナがちょうど中庭にいて、彼女のことに妃になる件を話そうと近づいた瞬間、見てしまったのだ。
向かいに立つクロウに今まで見たことがない幸せな笑みを浮かべるアリナの姿に。
最初は何かの勘違いだと思った。アリナはまだ婚約者がいるという話は聞いていないし、今ならば自分にもチャンスがあると思っていた。
だけど、クロウを見つめるアリナの目とアリナを見つめるクロウの目が恋人同士特有のものだと気づいた瞬間、カロンはその場を早足で立ち去った。
自室に戻り、カロンは低い笑い声を上げた。
妃にしたい女が、よりにもよって貧民街出身の男に奪われるなんて滑稽だ。
あの二人は互いに愛しあっている。父と母にはなかった感情、それを持っている。
(――羨ましい)
羨ましい、羨ましい、羨ましい!!
自分さえ持っていないものを持っているあの男が、クロウが羨ましい!
国王である自分の方が彼女の伴侶に相応しいはず!!
(――ああ、欲しい)
欲しい、欲しい、欲しい!!
あの琥珀色の髪を梳きたい、あの瞳を自分だけしか映さないようにしたい、あの桜色の唇を貪りたい!
彼女の全てを、自分の物にしたい。
「渡すものか……絶対に、この手で奪い返してやる……!!」
恋に狂った王の柘榴石の瞳が、憎悪と恋情の色で混ざり合う。
それが、悲劇への合図となった。
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