第164話 英雄達の〝原典〟10

 アリナとクロウが恋仲となったという話は、半月もしない内に国中に広まった。

 エレクトゥルム男爵家とカランブルク公爵家、両家の当主の決定で正式な婚約者になったことでさらに二人の祝福を祝う者が増えていった。

 もちろん婚約の身ということで婚前交渉は一切禁止されているが、逢引きの時は健全に抱き合ったり口づけを交わすくらいはしている。


 魔法のおかげで彼が作業場としても使っている別荘にも赴き、時に一緒に森を散策したり、魔法の新しい使い方を探したりと充実な時間を過ごしていた。

 この日も鍛冶場に篭もりっきりの婚約者クロウの様子を見に来たアリナは、居間でイアンから出されたリンゴの果汁水を堪能していた。


「このリンゴ、すごく濃厚ね。それに家のものより甘いわ」

「別荘付近に果樹園があるんです。王都でも人気の果物をたくさん作っていると有名でして、以前クロウがそこの者達の道具を直したお礼としてたくさんくれました。まだあるのでよかったら持って行ってください」

「ありがとう、イアン」


 コップに新しく果汁水を注ぐ彼の顔には、包帯が巻かれていない。時間をかけて心の傷を癒したおかげか、以前なら頑なに解こうとしなかった包帯を外した。

 左頬に刻まれた悪魔の翼を模した刺青。誰もが醜いと疎んだそれはイアンの端正な顔と似合っていて、クロウと同じ真紅色の瞳も今まで濁っていたように見えていたが、今では湖畔のように澄んでいる。


 彼の刺青も視点を変えれば格好良く見え、一部の令息の間ではその刺青をわざわざ腕や背中など見えないところに彫っている者もいる。

 刺青を彫った令息の婚約者からは「以前より男前に見える」と評判で、その効果もあったのかイアンは自分の顔に刻まれた刺青を昔より気にしてはいない。


「そういえばクロウは何作ってるの? 二ヶ月も経ってるわよね?」

「そう……ですね。ですが、クロウが作っているのは恐らくあなたの武器でしょうね」

「武器……」


 その言葉にアリナは果汁水を一口飲んだ。

 魔導具が開発されて以降、クロウの元から魔導具の依頼が殺到した。もちろん彼一人では回らないこともあり、見習いだった頃にお世話になった鍛冶屋『三槌の女神』の力も借りて、軍部や観賞目的でコレクションしたい貴族からの依頼をこなしていた。

 以前は『三槌の女神』以外の鍛冶屋にも頼んだが、何度かその技術を盗もうとした不届き者が捕獲されて以降は『三槌の女神』にしか仕事を頼まなくなった。


 アリナが魔法を国中に広めてからは、魔法の知識を盗もうとする密偵や魔法に対して嫌悪感を抱く者が年々増え続け、身分問わず適性のある魔導士を迫害する事件が多発していた。

 兵士に捕縛されて「魔法は悪魔の業だ!」「魔導士は駆逐すべき化け物なんだ!」と叫ぶ者達を見るたびに、胸が締め付ける思いを何度も味わった。未知の存在に畏れや恐怖を抱くのは至極当然の反応だと割り切っても、やはり同じ場面に出くわすたびに心を痛める。


 アリナの屋敷に忍び込む、もしくは襲撃しようとした者も増え、それに危機感を抱いたクロウが自分のために武器を作るのは婚約者としては当たり前なのだろう。

 現状を考えると上手くいっていた最初が奇跡だったのだと無理矢理納得しながら果汁水を飲んでいると、扉の向こうからドタバタと荒々しい足音が聴こえてきた。


「お、もう来てたのか」


 簡素なシャツとズボン姿で入ってきたクロウは、顔と腕に煤を付けたままだ。

 白い肌も薄黒くなっていて、その恰好を見たイアンが慌てて彼の背中を押した。


「クロウ、お前一回風呂入って着替えてこい! 煤がすごいうえに煙臭い!」

「うわっ、なんだよいつものことだろ」

「いつもだろうが今は婚約者が目の前にいるんだぞ、身なりくらい自分で整えられない男は嫌われるって相場が決まったんだ! ほら早く行け!」


 ぐいぐいと背中を押されて浴室に放り込まれる婚約者の姿を見送ると、疲れた顔をしたイアンが戻ってきた。


「……すみません、お見苦しいものを見せてしまって」

「大丈夫よ。それよりほら、一緒に果汁水を飲みましょう。疲れた時こそ甘い物よ」

「……いただきます」


 気を遣われて別のコップに果汁水を注がれたのを見て、イアンは深く頭を下げながらコップを受け取った。

 クロウの身支度を終えるまでのんびり待っていると、煤だらけの煙臭い体から清潔な石鹸の匂いがする体に変わったクロウが入ってきた。


「すまない、変なところを見せたな」

「平気よ。それより今日は何か用事でもあるの?」

「ああ、実はお前とジークに渡したいものがあるんだ」

「私と……ジークに?」


 クロウの言葉に首を傾げていると、使用人の男二人が布に包まれた棒のような物を持って入ってきた。

 ごとりと重たい音を立てて置かれたそれを見て、アリナは慎重な手つきで布を取る。


 布に包まれていたのは、二振りの剣。

 一振りは白銀に輝く剣、もう一振りは漆黒に輝く剣。

 鍔の中心には六芒星に象られた琥珀と青と紫と色を変える灰簾石はいれんせきが埋め込まれている。


「これ、素敵な剣ね……」

「だろ? 俺の鍛冶の技術と干渉魔法を使った最高傑作だ。普通の剣より耐久性もあって、重量も性別に合わせてるから男女の差を気にしなくても振るえる。さらに魔導士の体の一部を混ぜ込むと魔導具よりも魔法を使いやすくなるって以前証明されたこともあって、この剣はアリナとジークにしか使えないようになっているんだ」

「あ、だから前に私とジークの血が欲しいって言ったのね」


 魔導具に魔導士の体の一部――主に髪や血を混ぜ込むと、その一部を取り込んだ魔導具が提供した魔導士にのみ通常の威力よりも上をいく効果があると立証された。

 ただし、体の一部を取り込んだ魔導具を作るとなると、他の魔導具より時間がかかるため、量産には向かないということで国からの製造を依頼されることはない。


「作ってくれたのは嬉しいけど……あなたの分は?」

「俺はこれがあるから平気だ」


 そう言ってクロウは自身の右手首にしてある黒い腕輪を見せた。

 中心に四角い物体がついたそれに真紅色の光を纏うと、形を変えて二振りに片手剣に変わった。


「もしかして干渉魔法で作った物なの? でも、普通は消えるんじゃ……」

「普通はな。俺、この魔法ばっかり使ってたせいなのか、魔法を使っていない時はこうして装飾品みたいに装備できるようになったんだ」

「魔法が馴染んたってことなのかな? それともクロウの魔力が高まったからとか……」

「近い近い近い!? お前、魔法のことになると気になりだす癖、そろそろ直せ!」


 至近距離で腕輪を見て呟き始める婚約者アリナをなるべく遠ざけながら、自然な流れで彼女の頭を撫でた。

 未だにぶつぶつと何か呟いていたが、魔法のことになると夢中になってしまう彼女の悪癖は長年付き合っていると慣れてしまう。

 そこも彼女の可愛いところだと内心照れながら話を戻す。


「とにかく、この剣を二人に贈ろうと思って作ったんだ。よければ受け取ってくれ」

「ありがとう。でも、どうして私達のを作ろうと思ったの?」

「ん? あー……いや、なんとなくな。言葉にはできないけど、二人のために作りたいと思ったんだ」


 いつもより歯切れの悪い口調にアリナは首を傾げた。

 クロウが武器を作るのは、決まって国や貴族からの依頼だけだ。もちろん試作品として自分で作ることもあるが、それはあくまで試作品。

 自分が納得した代物ものしか売らず、失敗作は捨てずにとっておく。この別荘の物置部屋には、鍛冶とひたむきに接した職人としての矜持が詰まった武器が置かれている。


「あいつがお前を裏切るとか、そんなの天地がひっくり返ってもないって信じてる。でも……絆なんて誰の目には見えないだろ? そんなものよりも形あるもので証明させた方がいいかなって。あー、こんなことお前に失礼だな」

「……ううん、なんとなく分かるわ。何かを形に残したいというのは、人間だからこそ持ち得る感情なのよ、きっと」


 アリナも今まで学んだ魔法の全てをヤハウェとの絆として残した。

 絆や友情、愛という不可視な物を視えるようにするには、物で残すという行為そのものが古来より人間が行われてきたまじないなのだろう。


「ありがとう、屋敷に戻ったら彼にも渡しておくわ」

「ああ。そうしてくれ」


 付き添いの御者に頼んで一緒に剣を馬車まで運んだアリナは、手を振るクロウの姿が見えなくなるまで手を振り続けた。



(……静かだな)


 主人がいない屋敷というのは、こうも静かになるものなのかとジークは屋敷の裏で薪を割りながら思った。

 ティレーネは買い出しでここにいる騎士と二人で出かけてしまい、残るは自分ともう一人の騎士だけ。その一人もつい先ほど近隣住民との諍いを止めるべく連れていかれたため、実質ジーク一人だ。


 秋や冬になると、薪はいくら拾っても足りない。

 薪というのは井戸や川の水を加熱殺菌させて飲むようにさせたり、暖炉の火の元となる。木を切り過ぎても来年の分の薪がなくなるし、切り過ぎなくても他の木の成長を妨げる。薪も年々値が上がっていたが、アリナ達の魔法のおかげで好きなだけ薪を入手する方法を手に入れた。


 もちろんいきなり大量の薪を売っても値が暴落してしまうため、そこは木こりと上手く相談しながら商売している。

 魔法のおかげで今まで高くて薪を買えなかった貧民街の人間も、凍えず冬を乗り切ることができる。それは喜ばしいことなのに、魔法を悪として見る者が後を絶たない。


(私も魔法の全てを知っているわけではない。でも、あんな風に悪とは決めつけたくはない)


 経緯はどうであれ、アリナ達の努力を無駄にするような行いだけはしたくない。

 そう思いながら魔法で割った薪を薪小屋に運ばせていると、玄関のほうで「きゃうっ!?」と変な悲鳴が聞こえた。

 一瞬首を傾げるも、聞き覚えのある声に反応して玄関の方へ行くと、ちょうどアリナが馬車の扉に髪を挟ませていた。


 彼女の髪は絹糸のように指の間からするすると通り抜けるほど艶やかだが、その分木の枝とかに引っ掛かりやすい。

 まあ、扉に挟ませたことは初めてだが。


「お嬢様、綺麗な御髪が台無しになりますよ。あなたは髪だけは素敵なんですから」

「それ、もしかして髪しか魅力がないって嫌味?」


 ジークの言葉にぷうっと頬を膨らませる主人を横目に、そのまま扉を開けた。

 御者は布に包まれた物を二つ持っており、これを置いて助けるか戸惑っていたようで、ジークが助けるとほっと息を吐いた。


「それより今日はクロウの屋敷に行ったのでしょう? 何かもらったんですか?」

「あ、そうだったわ! ジーク、すぐに書斎に来て。渡したいものがあるの」


 アリナは御者から荷物をひったくると、そのまま駆け足で屋敷の中に入っていく。

 階段を上がって書斎に入ると、彼女の手には黒い鞘に収められた黒い剣を持っていた。


「それは……?」

「これをあげる。私の剣の片割れ、きっとあなたに相応しいと思うから」


 アリナのそばには白銀の剣が立てられており、デザインは手にあるそれとそっくりだ。

 それを見て、ジークは後ずさって首を横に振る。


「そんな……私のような者が受け取るにはあまりにも分不相応な物です。どうかご再考を、他の相応しい相手を見つけてください」

「そんなことないよ。あなただからこそ、私はこの剣を与えたいと思ったの。この剣は、あなたが持つからこそ相応しいの。お願い、受け取って。この剣の片割れを」


 まっすぐと見つめるアリナの瞳。その目を逸らすことができない。

 ああ、なんて綺麗な瞳だ。自分を魅了して離さないそれを向けられ、ジークの体は自然と跪いて恭しく両手を差し出す。

 

「……分かりました。あなたのお望み通り、この剣を受け取ります。そして誓います。この剣を持つに恥じない者になることも」

「ありがとう、あなたならそう言ってくれると思ってた」


 アリナから受け取った剣は、ひどく重い。

 まるで自分の使命を思い出させているような、自分が密かに抱く想いを責めているような。

 今まで握った剣より重いそれを持つと、アリナは嬉しそうに微笑む。


「――大好きよ、ジーク。これからもずっとそばにいてね」


 その言葉が主人としての物くらい、分かっている。

 アリナは婚約者がいる男爵令嬢、ジークは平民育ちの従者。身分の差なんて天と地ほどある。

 それでも、この笑みが自分にだけに向けられているという事実は、泣きたいくらい嬉しかった。

 たとえこの想いが一生報われなくても、この忠誠心だけは本物だと言い聞かせながら。


「はい、お嬢様。私、ジーク・ヴェスペルムはあなたへの一生の忠誠を誓います」



☆★☆★☆



 ウェストミンスター宮殿内の国王の寝室。

 広々とした寝台の上で、二人の男女が絡み合っていた。

 様々な快楽が混ざり合う女の嬌声が分厚い扉から漏れ、男は享楽に身を委ねながら貪る。

 ようやく互いが満足し、部屋が汗と甘い麝香じゃこうの匂いが漂う中、寝台に座りながら葡萄酒を呷る男は着替えを始める女に向けて言った。


「研究は進んでいるか?」

「ええ、ですがそろそろローゼン様の捜索範囲内に入りそうです」

「構わん。そのまま見つけさせろ」

「あら、もしこのことを知ったらアリナ様はお怒りになりますわよ? カロン様」


 男――カロンは葡萄酒の入ったグラスを軽く揺らしながら、小さい薄ら笑いを浮かべる。


「もちろん、首謀者が私ならばな。あの女には目障りな虫がいただろう? そいつに罪を被せればいい」

「まあ、お人が悪い」

「あのような代物を軍事として使わないなど愚の骨頂。これを機に、彼女にも思い知らせるのさ。……世界がどれほど甘くないかを」


 カロンの脳裏に、怒りと悲しみで顔を歪ませるアリナの姿が浮かぶ。

 あの琥珀色の瞳が憤怒と憎悪でぐちゃぐちゃになって、自分に向けられると思うと背筋が震えて仕方がない。


「……そういうわけだ。お前の働き次第では、側室にしてやらんことはない」

「嬉しいことを仰いますわね。では、そうなれるように私は陛下の御心のままに従いますわ」

「ああ。……期待しているぞ、フィリエ」


 女――フィリエは、宮殿の侍女の服に着替え終えると艶やかな笑みを浮かべながら部屋を出る。

 手燭を手に立ち去るフィリエの姿を、背後の曲がり角に身を潜めていたサンデスが忌々しげに顔を歪ませる。


「あの売女……兄様にあんな汚らわしい行為をさせやがって」


 女好きであった前国王の影響で、正妃でもない女が王とまぐわうのは汚らわしいものだと思っていた。なのに、自分と同じで父を嫌うはずの兄がそんな真似をしているなんて、信じたくなかった。


「それもこれも、あの化け物女のせいだ。あの女が兄様をおかしくした」


 琥珀色の髪と瞳をした、【起源の魔導士】と呼ばれる少女。

 誰もが英雄と崇め奉る彼女を、サンデスは化け物としか見えなかった。

 いいや、彼女だけでない。彼女の周囲にいる者も、実の弟であるローゼンさえも平々凡々なサンデスにとってはみな等しく化け物だ。


「ローゼンも、化け物女も、俺の人生を狂わせた。絶対に殺してやる……」


 幸い、自分にも魔導士としての素養がある。

 今は無理でもいつか必ず、自分の人生を狂わせた者に裁きを下そう。そう思いながらサンデスは苛立ちを乗せた足音を響かせながらその場を去った。

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