第165話 英雄達の〝原典〟11
その日は、濃灰色の雲が空を埋め尽くしていた。
遠くからゴロゴロと雷の音を鳴るのを聴きながら、アリナ達は背後に甲冑姿の騎士達と数台の幌馬車を連れながら馬を走らせていた。誰もが焦燥感に駆られており、馬が鼻飛沫をあげながらも脚を遅めることはない。
手綱を握る手がじわりと汗で滲むも、ぎゅっと握り直す。あの報告が嘘であると信じたいと思いながら。
いつもみたいに朝食を済ませたアリナの耳に報告が来たのは、数日前のことだ。
王国から三日ほど距離がある村で、魔法の非人道的実験が行われている可能性が高いという報告を聞かされ、急いで宮殿に集まり馬を走らせた。
二年近く前まで冬の極寒に耐えきれない村をいくつも解体することはあったが、魔法によって冬でも飢饉を逃れるようになって村の解体はなくなった。
けれど、ここ半年で解体された村が一気に増えたことにローゼンが気づいた。
どの村も全て燃やされた形跡があり、村人も病気持ちらしき若人と老人がほとんど殺された状態だった。心身共に健康な若人と子供がいないのを考えるに、恐らく人身売買目的で山賊が襲ったのではないかと考えたが、近隣にある山賊を捕縛し拷問にかけても、彼らは村を襲っていないと口を揃えて証言した。
行方不明になった村人の捜索を国外ギリギリまで広げてしばらく経った頃、あの情報が耳に飛び込んできたのだ。
最初は誰も信じられなかった。魔法の研究は確かに宮殿の地下や使わなくなった屋敷などで行われているが、生きている人間を使った非人道的な研究は四大魔導士と国王の取り決めによって完全に禁止されている。
もしこの情報が真実ならば、自分達は新たな取り決めと決断をしなくてはならない。
心の中で嘘であって欲しいと願いながら、アリナ達は目的地にたどり着いた。
そこは、雑草が生い茂る洋館だった。
窓ガラスは割れ放題で壁は大きな亀裂を走らせ、中も埃だらけで腐った葉や土が床中に広がっている。外の厩舎の残骸や外に残った足跡を見るに、明らかに人の出入りがあったことが伺える。
室内をくまなく捜索する中、厨房の前の扉の近くに鍵がかけられた扉があった。
クロウが持参のナイフを鍵穴に差し込ませると、魔法で形を変えさせる。鍵の形になったナイフを持ったまま捻ると、ガチャッと音がした。
ゆっくりと扉を開けると、僅かに腐った肉の匂いがして誰もが顔を顰める。
嫌な予感がしひしひと伝わりながらも、ランタンを片手に階段を降りた。
細い階段を一段一段ゆっくりと降りていき、階段の先にある扉を開けて中に入った瞬間、誰もが絶望に染まった。
獣を入れる檻の中で炭化された死体、部屋の隅に積まれた白い骨の山、血がこびりついた診察台と医療器具。
誰もが言葉を失う中、青白い顔をしたアリナが目の前の机に向かってゆっくりと歩み寄る。
数冊の本が山みたいに積み重なり、羊皮紙にはここで行われたおぞましい実験の経過が綴られている。これももちろん重要だけど、アリナにとっては信じがたいものを見つけた。
この机の上にある魔法について記述された書物。
それは、四大魔導士とその補佐のみが管理と保有が許可された魔法ばかりが記された書物だった。
「今日を持って、補佐にも管理を任していた魔法も自分達で管理するべきだ」
連れてきた兵士に用意された天幕で、ベネディクトは開口一番に言い放った。
その言葉に誰もが口を噤み、無言を貫く。沈黙は肯定と同義、つまり彼らの考えもベネディクトと同じということだ。
あのおぞましい部屋の中にあった書物を調べたところ、アリナ達が管理しようと決めた魔法が一言一句漏らさず記されていた。
中でも実験として使われていたのは、魔物という魔的生命体を使役する召喚魔法だ。
召喚魔法についてはアリナ達でも解明できない部分があり、国が求める軍事力としては利用できないと判断し献上しなかった。
だが、洋館で行われていたのは肉体の一部を〝楔〟とし、魔物を生み出すに必要な物を用意することで召喚を成功させるという実験だった。
唯一成功例がいたらしいが、その成功例はアリナ達が着いた時にはすでに消息を絶っていた。ただ『ヘレン・グレイス』という名の少女というだけで、それ以外は何も分からない。
「そうだな……こうなった以上、我らのみで魔法を管理するしかない。それでいいか? お前達」
「……はい」
「異存はありません」
「俺もそれで構わない。むしろ……そっちの方がいい」
補佐としてついて来たイアンとフィリエが無言で黙り込んでいる横で、ジークとティレーネ、ノエルが了承する。
もちろん補佐である彼らが管理していた魔法を流した可能性は五分五分だ。確証なんてものはないが、それでもこうなってしまった以上補佐に管理を任せるのは危険だ。
「……ごめんなさい。あなた達を疑っているわけじゃないの」
「お嬢様、ベネディクト様の言い分はもっともです。そう気に病まないでください」
「ありがとう……少し、風に当たってきます」
断りを入れて天幕を出たアリナの後をクロウが追う。
ジークも続いて二人の後を追うと、茂みの奥でアリナが両目から涙を流していた。ジークがいる距離では聴こえないが、口ではクロウに向かって何かを言いながら胸板を叩き、クロウはそんな彼女の言葉を黙って聞きながら小さい拳を受け止める。
やがて彼の胸板を叩いていたアリナの足が崩れそうになると、クロウは両腕で抱きしめた。頭を何度も撫でながら呟くクロウの姿を見て、ジークは胸の疼痛が強まるのを感じてそのまま足音を立てずに去る。
天幕に戻りながら、ジークはぐしゃぐしゃと自分の髪を掻き回した。
(なんで気づかなかった……この件を一番悲しんでいるのはアリナだ。それを私は気づけなかった……)
魔法を佳きものにしようと、日々奮闘していた主人の姿を知っている。
魔法のことを悪く言う口さがない者の声に落ち込んで、自分達の前では笑みを浮かべて平気な様子を見せていた。
部屋に戻ると一人で泣いていたことくらい、彼女のそばにいたはずの自分は知っているはずだ。
自分のできることは、翌朝に彼女の好きなものを朝食に出して励ますだけ。
あんな風に彼女の怒りと悲しみを全身で受け止め、細い体を抱きしめて髪を梳くことはできない。
彼女に触れる。それができるのは――家族以外では、婚約者として選ばれたクロウだけ。
「……っ! クソ、余計なことを考えるな……」
今はこの事件の首謀者を見つけるのが先決だ。余計な思考は捜査の妨げになる。
主人の涙をこれ以上見ないように、手掛かりを見つけて事件を解決するのが従者として正しいことだ。
――だから、考えるな。彼女に触れられるクロウのことが羨ましい、などと。
☆★☆★☆
事件が発覚してから数週間、進展は何もなかった。
首謀者は未だ特定できず、あの洋館の実験に関与していたと思われる研究員や人攫いはあちこちで死体として発見された。
そのどれもが武器ではなく魔法による死因で、聞いていたアリナがショックで気絶してしまった。
しかも箝口令を敷かれていたはずの事件が、ほんの一部とはいえ王都に広がっていた。
その影響で反魔法勢力の活動が日に日に強くなり、小さな諍いが重症者を出す事件にまで発展した。アリナ達は連日寝食の時間を削って犯人を捜すも、一向に尻尾が出てこない。
誰もが肉体的にも精神的にも追い詰められていた。
「……お嬢様、マシュマロウのお茶を入れました。お飲みください」
「ありがとう……」
湯気の立つカップを持って入ってきたジークは、こほこほと席をしながら寝台から起き上がるアリナに手渡す。
黄色味が強いお茶をちびちびと飲む彼女を、ジークは心配そうに見つめた。
ここ連日の捜査で心労が重なり、三日目に書斎で倒れた。
心労による発熱、咳によって
それもそのはずだ。アリナが愛する魔法がこんな最悪な形で利用されたのだ、一番傷ついていないわけがない。
「ごめんなさい……ジーク、こんなことになってしまって」
「謝らないでください。あなたは何も悪くない。この件は私達を含む全員の責任です、あなただけ背負い込まないでください」
「……そうよね、ごめんなさい」
申し訳なさそうに微笑むアリナを見て、胸の疼痛が別の意味で痛む。
その痛みを顔に出さないまま「もう少しお休みください」と言って、主人を布団に寝かす。敷布団の上で軽く叩いて眠らせると物音を立てないように扉を閉めた。
そのまま屋敷の外に出ると、周囲を軽く見渡してから指を鳴らす。
鳴らした瞬間、目の前の景色がぐにゃりと歪んだ。
景色が歪んだと同時に現れたのは、傷だらけで倒れている男達。手には鍬や草刈り用鎌などの農具を持っていて、各々声音が違う呻き声を上げていた。
「……さて、そろそろ懲りたか?」
ジークの言葉に辛うじて意識のある男が強く睨むも、冷たい目でそれを見下ろした。
近頃彼女の身を狙う不届き者が増え、この光景を見させないように目の前の景色と音を誤魔化す魔法をかけて追い払っていた。
だがあの事件の機に回数が増えて、二日に一回は襲撃するようになった。
「あの女を殺さなければ、世界が終わる……何故それ分からないんだ!」
「どっかの
ジークが再び指を鳴らすと、唾をまき散らしながら罵声を浴びせる男の目の前に氷の刃を落とす。
ざしゅ、と音を立てて前髪を切れるのを見て悲鳴を上げると、ジークは低い声で言った。
「――
誰もが息を呑むと、そのまま悲鳴を上げて走り去る。
地面に置かれた農具を魔法で消しながら、ふぅっと息を吐く。そろそろ事件を解決しなければ、国民の怒りの矛先が本気でアリナに向かってくる。
そうなる前に解決したいのに、証拠が何一つ見つからない。
「クソっ……!」
自身の非力さ、魔法を横流しにした首謀者に怒りを覚えながら、ジークは屋敷に戻った。
あれから数日経ち、アリナの体調も良くなった。
ベネディクト達の顔が疲れ切ったものから安堵のものに変わり、それを見て再び捜査に加わった。
魔法による犯行は他の事件と違って証拠を消せるが、魔法を使った時の残滓のようなものがある。
ここ数年の研究で判明したが、魔導士には精神力を魔力と呼ばれるエネルギーに変換する不可視の機関があり、その魔力の残滓は個々によって違う。
ベネディクトが生み出した特殊な紙で魔法の残滓を調べたが、現在教室で魔法を教わる者達と合致しなかった。つまり、教室を介さず独自で魔法を学んでいる者の犯行であると判明した。
国中の魔導士として才能のある者の自宅を捜索すると、洋館で見つかった同じ内容の書物がいくつも所持している家が数件発見された。
だが、その内容はアリナ達以外の者にとっては難解らしく、ほとんどが蒐集品と扱われていた。購入先を問いかけると、彼らは貧民街にある裏市場で入手したと証言した。
その裏市場で書物を扱った店の店主を捕まえると、彼もこの書物は匿名で仕入れた物で商人は毎回性別も体格も髪と瞳の色が違うと言っていた。
四大魔導士である彼らのみの管理を決めてからは書物の仕入れは途切れ、結局商人も見つかっていない。
屋敷に戻ると、アリナは普段は見ない苛立った様子で栗を割っていた。
魔法でバキバキと殻を割る様は彼女自身の怒りを体現しているようで、分別された殻と実は小さい山を作っている。
「お嬢様、それ以上はいりませんよ。あなたは栗パーティーでも始める気ですか?」
「え? ……あ、あれ、私こんなに割ってたの?」
まさかの無自覚ぶりを見せる主人に、ジークはため息を吐きながら頭を撫でた。
「事件が中々解決しなくて苛つくのは分かりますが、少し落ち着かないと。今日はこの栗をペーストにしましょう。パンに塗って食べるの好きでしょう?」
「……そうね、ちょっと頭に血が上り過ぎてたみたい。ありがとうジーク」
「いいえ」
剥かれた栗が入った籠を持って厨房に運ぼうした瞬間、玄関が慌ただしい足音が聴こえてきた。
ティレーネの制止を聞かないまま扉が開かれると、入ってきたのは甲冑姿の騎士だ。あまりにも重々しい雰囲気にアリナだけでなくジークも息を呑んだ。
「あなた達は宮殿の……随分と手荒な訪問ですね」
「ご無礼を、エレクトゥルム男爵令嬢様。ですが我々は仕事で赴きました」
「仕事……?」
よからぬ空気を感じ取ったアリナが呟くと、戦闘に立つ騎士がジークを指さしながら言った。
「――ジーク・ヴェスペルム! 郊外で起きた魔法の非人道的実験の首謀者として捕縛する!」
「なっ……!?」
騎士の告げた宣告に誰もが息を呑むと、騎士の一人がジークの腹部に拳を入れた。
抵抗していない人間に対してはあまりにも遠慮のない打撃に、ジークの口から血が混じった唾が吐き出される。痛みに悶える間もなく両脇を二人の騎士に抱えられて連れて行かれようとする従者の姿に、アリナは切羽詰まった表情で叫ぶ。
「待って! ジークがそんなことをするわけがないわ! 何の間違いよ、一体誰の命令でこんな真似を!?」
「エレクトゥルム男爵令嬢様、これは国王陛下のご命令です。いくらあなたでもそれ以上の介入は叛逆罪として罪に問われますよ」
「国王陛下が……そんなことを……!?」
国王であるカロンがこの事件で心を痛めていたのは知っていたし、あの方が独自で調査をしている可能性もあった。
だけど、ジークがそんなことをするなんて信じられない。いいや、信じない。
今まで自分に尽くしてきた彼が、そんな真似をするはずがない。
「なら国王陛下に事情を説明します! だから、ジークを連れて行かないで!」
「……残念ですが、あの者の捕縛は国王陛下を含む臣下数名の名の元に行われています。あの者の処刑の日まで二度と会えないと思ってください」
「処、刑ですって……? そんな、そんな……!」
自分とかけ離れた場所で行われる出来事に頭が追い付かない。
ジークが首謀者? 処刑? そんなバカなことが起きていいわけがない。
目の前の騎士を押しのけて、アリナは走った。殴られてぐったりしているジークは、二人の騎士の手によって頑丈な鉄製の馬車に放り込まれる。その馬車が罪人を運ぶ馬車であることくらい嫌でも知っている。
急いで階段を降りるが、玄関の左隣に植えられた木の枝が髪にひっかかる。
髪に気を取られて階段を踏み外し、そのまま滑り落ちながら地面に倒れた。
馬車は無情にも動き出し、顔を土で汚したアリナが走ろうとするも血相を変えたティレーネに抱きしめられて動きを止めた。
馬に跨る騎士と共に去る馬車を見つめながら、アリナの胸の中にどす黒い炎が生まれる。
大切な従者に罪をなすりつけた首謀者、そして自分からジークを奪った国王陛下への強い怒りと憎しみが、炎となって胸の中で燃える。
「取り戻す……必ず取り戻す! 何をしてでも、どんな手を使っても、絶対にッ!!」
アリナの痛切な叫びは、屋敷全体に響く。
初めて聞いた怒りと憎しみを込めたその声は、意識が朦朧としているジークにも届いた。
青と紫に変わる瞳から涙を流し、大声で泣き叫ぶ主人の声を聞きながらジークは嗚咽を押し殺すように漏らし続けた。
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