第166話 英雄達の〝原典〟12

「兄上! ジークの処刑を取り消してくれッ!」


 謁見の間の玉座に腰掛けるカロンは、自分に向かって対峙する弟を見つめる。

 高価な服を切り傷や泥だらけにして、顔も汗と砂がへばりついていてせっかくの男前が台無しになっている。だが、自分を見つめる柘榴石の瞳は真摯に向けている。

 同じ父と母の血を引くと思えないほど、この弟は常に真っ直ぐだと思う。


「無理だ。あやつが首謀者ではないという証拠がない限り、処刑を取り消すことはできない」

「それなら、尚更あいつが首謀者という証拠はない! 兄上が見つけた証拠はどれもアリナもジークも知らないものだった! なのに何故、彼が首謀者だと言い切れる!?」


 ローゼンの反論にカロンは内心舌打ちした。

 確かに裏でジークが犯人だと思えるような証拠を捏造したが、国王である自分の一言さえあれば誰もが全て真実だと受け止める。

 だが、この三男坊は昔からこの兄よりも聡明だ。彼なりに証拠を集めているが、軍事力拡大と強化のための例の実験に関わった者は全てこの手で排除している。


 証拠など、自分が作り上げた物以外は永遠に見つからない。


「……それよりもローゼン、貴様は罪人のことよりも国民のことを考えたらどうだ。あの事件で反魔法勢力が拡大し、昼夜問わず諍いが絶えない。エレクトゥルム男爵令嬢の屋敷も度重なる襲撃のせいで、本家に戻ったと聞いたぞ?」

「それはっ……ですが……!」

「とにかく、貴様は王族の一人として国に牙を向く愚か者どもを鎮圧しろ。それが役目だろ?」


 もっともらしい発言をすると、ローゼンはぐっと歯を食いしばり、「……失礼します」と悔しげな声で謁見の間を出て行く。

 宮殿の窓から外を眺めると、細い黒煙がいくつも上がり、魔法を使う燃料である魔力の煌めきがあちこちで発生する。


 反魔法勢力の中にはあの事件で生まれた犠牲者になるのではないかという不安から、魔導士でありながら四大魔導士とその勢力に牙を向いている者もいる。

 武器を必要としない魔法と強力な魔導具による戦いは、日が経つにつれて過激さを増している。だが、これも全てカロンの計算通りだ。


「もうすぐだ……もうすぐあの女の全てが私のものになる……!」


 宮殿には腕すぐりの魔導士達がいるが、彼らは宮殿を守るという名目で待機してもらっており、今の暴動を鎮圧しているのは教室に通っていた生徒と四大魔導士、そしてその補佐達だ。

 もし、アリナが国お抱えの魔導士を要求すれば、魔導士の出動を条件に彼女の身を全て捧げると言い出せば、あの聖女は逡巡するも国のためだと考えて頷くはずだ。


 その時点で、カロンの目的は完遂する。

 たった一人の女のために生み出した、この作り上げた悲劇も役目を終える。


「ふ、ふふっ……あははははっ!」


 カロンの感情を抑えきれない笑い声が寝室に響く。

 歓喜と欲望で歪んだその顔は、まるで欲しかったものを得られた子供そのものだった。



 宮殿地下の牢屋は劣化した煉瓦の壁で囲まれ、壁と同じ煉瓦で埋め尽くされた床も土臭い。

 中には木でできた簡素な寝台には羊皮紙みたいに薄い布団とボロボロの毛布しかなく、半分腐った木の仕切り板の向こうには、排泄用の壺が一個置かれていた。

 右の足首にかけられている枷は、反対の壁に埋め込まれた杭と繋がっている。つけられている枷を見つめながら、ジークはもう数えるのも億劫なほどのため息を吐く。


(あれからもう一ヶ月か……)


 突然現れた騎士によってこの牢屋に放り込まれてから、一ヶ月は経った。

 週に三日尋問が行われ、少しでも反抗の意思を見せると問答無用で鞭打ち。食事も一日一食のうえにコップ一杯の水と日が経って固くなったパン一個で、普通の罪人なら半月で心身共に追い詰められて自白するだろう。


 だが不幸中の幸いというべきか、ジークはアリナに拾われる前は奴隷だった。

 食事すら抜かれたことは何度もあったし、鞭打ちだけでなく殴られたり蹴られたりもしたことがある。飢えと痛みに対する耐性ならば、貧民街の人間でも負けないという謎の自信がある。


 それでも、この状況を続くにも限度があるのも事実だ。


(私が一向に自白しないことをじれて、上の連中はすぐにでも処刑を実行させるはずだ。……だが、それでお嬢様達の怒りを買ってしまったら元の子もないぞ)


 四大魔導士は、すでに国にとって英雄として拝められている。

 もし彼らの怒りを買えば、痛い目を見るのは四大魔導士の信用を裏切った国だ。もちろんあの優しい者達がそんな真似をしないと思わないが、最悪魔法に関する書物を全て燃やして消息を絶つ方法を取るだろう。


 そうなってしまえば国は英雄を失い、フランス王国によって侵略される。一歩間違えれば国の滅亡に繋がるような真似をする愚か者など、この国にはいないはずだ。

 色々と思考を巡らせていると、地上と繋がる扉が耳障りな音を立てて開かれた。


 食事の時間かと思い寝台から起き上がるが、柵の向こうにいたのは第二王子のサンデス・アルマンディン本人だ。

 母親である王妃譲りの容姿をした彼は、宮殿とは違う衛生の悪い牢屋を見て顔を歪めていた。


「うえぇぇ、きったな。罪人には相応しい場所だけど予想よりひどいな」

「サンデス様、そんな嫌味を仰るためにわざわざこんなところまで足を運んだのですか? 随分とお暇なのですね」

「口を慎め罪人が。ただでさえ国を滅茶苦茶にした叛逆者のくせに、よくもそんな口が叩けるな」

「私は無実だ」


 はっきりと告げると、サンデスははっと鼻で笑う。


「どうだかな。お前みたいな奴は口ではそう言えるんだ」

「そうですか。……それよりも、あなたは何故こんなところに? 魔導士の才能はあるのですから、ローゼン様と一緒に鎮圧に向かれたはずでは?」

「……生憎と俺の魔法はあいつと比べて弱いからな、宮殿の警備の任を任されたんだ」


 忌々しそうに呟くサンデスを見て、ジークはローゼンの魔法を思い出す。

 彼の魔法は伝承や伝説に出てくる幻獣げんじゅうを『概念』として干渉し、その身に『概念』を宿すことができる魔法だ。とてつもなく強力だが、一歩間違えると人型を保てないという弱点があるため、彼専用の魔導具で意識を保つようにしてある。


 それに比べ、サンデスはある程度の魔法をそつなくこなすが全ては二流止まりだ。

 頭の良さも魔法の強さも弟に負けていると思うと、劣等感が強くなるのは当然だろう。


「宮殿にいるということは……例の事件の発展はあったのですか?」

「は、はあ? なんでお前みたいな罪人に教えなきゃいけないんだ。そもそも、お前が首謀者だろうが」


 ジークの発言に、サンデスの顔色が変わる。

 忙しなく目を動かす様は何かを隠している者の特徴の一つで、王族でありながらも分かりやすいこの王子には感謝する。


「――答えろ」


 パチンッと指を鳴らした瞬間、サンデスの足元から太い蔓が現れ全身を絡みつく。

 骨を折ることすら厭わない締め付けにサンデスは呻き声を上げるも、ジークは冷たい目で見上げる。


「それ以上動かない方がいいぞ。骨の一本が折れるぞ」

「ゔぅ、ふぐぅぅぅぅ!?」

「安心しろ、殺しはしない。ただお前には知っていることを全て吐いてもらうだけだ。内容によっては、お前はいい駒として使えるだろう」


 いくら平々凡々な第二王子でも、国にとって世継ぎを残す存在は必要不可欠だ。

 カロンにはまだ王妃がいないし、ローゼンも婚約者はいるがこのご時世のせいで結婚していない。もし二人の身に何かあれば、まだ婚約者もいないサンデスが世継ぎを残すために国王になる可能性がある限り、国は彼を見捨てないだろう。


「……さて、ここじゃなんだ。場所を変えてゆっくりと話をしよう。ああ、もちろん虚偽は絶対に許されない。虚偽が一つでも口に出た瞬間、その時は……どうなるか分かるな?」


 足枷を溶かし、柵を歪めて牢屋を出る純白の男。

 年は近いはずなのに、自分を見つめる目はどんな氷よりも冷たく、恐ろしい。

 今まで自分が化け物だと嘲笑った者達とは次元が違うその迫力に、虚勢ばかりを張る小心者なサンデスはみっともなく涙を流しながら頷くほか選択がなかった。


 その数時間後、見張りの看守によってジーク・ヴェスペルムの脱獄と第二王子サンデス・アルマンディンの誘拐が宮殿中を騒がせた。



☆★☆★☆



「ジークが脱獄したうえにサンデス様を誘拐した、だと……?」

「信じられないが、事実だ。アリナにはこのことを話していない。……というより、話せるわけがない」


 エレクトゥルム男爵家にある一室で、ベネディクトの言葉にノエルは無言で頷く。

 ジークの捕縛以降、度重なる襲撃を危惧しアリナ達を本家に連れ戻した。久しぶりの領地に戻った彼女はそれなりに元気を取り戻すも、やはり王都で起きている暴動を止めるために駆り出されている。


 日に日に精神を疲弊させる妹の姿を見ていられなかったベネディクトは、休養として屋敷に半ば閉じ込める選択をした。

 一見強引に見えるだろうが、今のアリナの状態を考えるに少しでも休ませたほうがいい。領地の民はアリナのしたことを咎める者はおらず、逆に昔より明るさを失った彼女を心配して滋養にいい食材を山ほど与えてくれている。


「それで、俺があいつを探すということか?」

「できればそうしてほしい。……でも、あいつがいそうな場所なんてあるか?」

「確かに……そもそもジークは、アリナ様の従者になってからはずっと付き添っていた。逆にあいつの行く場所など無に等しいはずだ」

「やはりそうなるか……。ノエル、頼めるか?」

「時間はかかるが……なんとかしよう」


 国に見つかる前にジークとサンデスを見つけ出す。目の前の聡明な男が言いたいことなど、ノエルにはお見通しだ。

 本当ならば彼自身が探し出したいが、この家には両親だけでなく妻と四歳になった双子の兄妹がいる。守るべき者がいる彼のために裏で動くことこそが、補佐として選ばれた者達の役目だ。


(……ジーク、一体どこに行ったんだ?)


 ノエルだってジークが首謀者だなんて信じていない。

 あの人体実験そのものが、四大魔導士に対する宣戦布告だという可能性も捨てきれない。

 もし真の首謀者がいるならば、ノエルだけでなく国全てに敵を回すことになる。


 脱獄をしたジークの無事を祈りながら、ノエルは捜索のために足を進めた。



 イングランド王国とフランス王国の国境付近。領土争いの跡が色濃く残り、白骨化した死体や馬の死骸が転がっている。刃毀れした剣に二つに折られた矢、血がこびりついた鎧や土で汚れた国旗が散乱する戦場からそう遠くない位置に、ジークは身を潜めていた。

 戦場付近の山は、狩人が使っていると思しき小屋がいくつもあり、ジークが入った小屋もその一つだ。


 熊の毛皮を絨毯として敷かれた床には魔法で編み出した鎖で捕らえられたサンデスがおり、目の前の椅子に座っているジークと一切目を合わせずガタガタと震えている。

 茶色いローブを羽織るジークの瞳は暖炉の炎に合わせてゆらゆらと動き、体からは純白に輝く魔力を放出する。


「なるほど…………つまり、あの事件は国王陛下が裏で動かしたもので、魔法の横流しはフィリエの協力があったから実現できた、と」

「そ、そうだ……お、おお俺の知ってることは全部話した! 頼む、解放してくれ!!」

「……そうだな。もし首謀者が国王陛下でなければ、私はお前を解放していた」


 パチンッ、と指を鳴らした瞬間、サンデスの身を縛っていた鎖が強く発光した。

 鎖は徐々に色を失い、すぅっと彼の体に溶け込む。突然の出来事にはくはくと口を開閉するサンデスは、怯えて目つきでジークを見た。


「な……何をした!?」

「国王が首謀者だと分かった以上、私のやることは一つだ。――あの悪魔を殺す」


 まるで睦言のように呟いたジークに、サンデスの背筋が急速に凍えた。

 この美しい純白の男の言葉は、冗談でも強がりでもなく本気なのだと充分に伝わってしまう。


「そのために、お前には裏切り者になってもらう。先ほどの鎖は捕縛目的の物ではない、あの鎖で縛られた対象の命を握る呪いだ」

「なっ……」

「つまり、お前の命は私の気分次第で失われるということだ」


 全身の震えが止まらない。目の前の男が恐ろしい。

 国王である兄とは違う畏怖が、サンデスの全身に降り注がれる。

 今までアリナ達を化け物だと心の中で蔑んでいたことを〝神〟に裁かれてもいいから、一刻も早くこの男から解放されたいと心の底から思えた。


「――これで、お前と私は共犯だ。共に〝叛逆者〟としての道を歩んでもらうぞ、サンデス」


 その日、第二王子の命を握った無情な純白の叛逆者が誕生した。

 己を陥れ、大切な者を奪おうとする国王への叛逆と復讐の道を歩み始めた――。



☆★☆★☆



 無数の星々と惑星が浮かぶ宇宙、そのに〝神〟ヤハウェはいた。

 藍色に近い黒い空には青白く光輝く星々が煌めき、地面には色鮮やかな花が地平線の向こうまで咲き誇る。甘く実った果実が生る木々が生い茂り、透明な水が流れる川のせせらぎは涼しげで、数年前までいた国から持ってきた小屋は昔と変わらず水車を回している。


 ここは、ヤハウェが生まれた場所であり世界を創った場所。

 自分以外しか足を踏み入れられない領域、一切の不浄を消し去った永劫の美が支配する空間。

 最初の頃は特に感じなかったが、何もないせいでつまらなく感じてしまう。


 世界中探してもここまで美しい場所はないというのに、自分はなんて贅沢なのだろうか。

 時々空を青空に変えたり、曇り空にして雨を浴びたりと気候を変えて子供みたいにはしゃいだあの頃が懐かしい。


 ふと、ヤハウェの足が川の方へ向かう。

 水晶のように透明な水は、ヤハウェの陶器のように白い指先が触れると波紋を生み出し、徐々に色を得る。

 水面に揺らめく色が形作り、ヤハウェの望む形へと変わる。


 波紋の向こうに見えるのは、叛逆と復讐を決めた純白の男の姿。

 ここに戻ってくる前に出会ったあの少女によって救われ、従者として生を歩むはずだった人間。

 幸せになるはずの男が、嘆きと悲しみ、復讐と罪に塗れた道を歩み始めてしまった姿に、ヤハウェの瞳が憐憫で彩られる。


「……もう、僕にできることはない。ただこうして見守ることしか、僕はできない」


 なんて歯痒いのだろう。仮にもこの世界を創った〝神〟なのに、自分は何もできない。

 せめて彼らの歩み物語が幸せな結末になれるよう祈ることしかできない。

 独りぼっちの〝神〟は、深い悲しみと後悔に苛まれながら、波紋の向こうの世界を見つめ続けた。

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