第162話 英雄達の〝原典〟8

「きゃああああっ!?」


 ボフンッ! と郊外にある屋敷から爆発音が響く。

 部屋の一角から黒煙が立ち込め、窓から顔中煤だらけのアリナが現れてけほけほと咳き込んでいた。

 その部屋はアリナが普段書斎として使っている部屋で、時々実験として様々な器具が置かれている。どれも国王の支援によって集めたもので、アリナは買い出しや気分転換の時以外はこの部屋に篭もりっぱなしだ。


 窓を開けても煙が充満し未だに咳き込んでいると、後ろの扉が開く音がして振り返った。

 扉の先には黒いリボンで特徴的な純白の髪を一つに束ねた、仕立てのいい執事姿のジークが呆れた顔をしていた。


「お嬢様、今度は一体なんの実験をしたんです?」

「ジーク……えっと、暖炉とか厨房のかまど代わりになる火の魔法の実験を……」

「失敗したんですね?」

「ゔっ」


 痛いところ突かれて気まずい顔を浮かべるアリナを見て、ジークはため息を吐きながら片手をかざす。


「『浄化の風ミヌス・ヴェントゥス』」


 ジークが起こした風の魔法によって、室内やアリナの顔とドレスにこびりついた煤ごと黒煙を一点に集中させ、それらが白い風と共に窓の外へと飛んでいく。

 白い風と共に払われた黒煙も煤も、時間と共に消えていくだろう。

 まだ魔法を教わって半年しか経っていないのに、その腕はアリナさえ舌を巻くほどだ。


「相変わらず魔法が上手ね、ジークは」

「お嬢様の教育の賜物ですよ。それよりほら、ドレスと御髪おぐしが少し煙臭いですよ。一度お風呂に入りましょう」

「そ、そうね……ジーク、あなたはお風呂を用意して。ティラにはドレスを用意させてもらってね」

「かしこまりました」


 パタパタと足音を鳴らしながら部屋を片付ける主人を見て、ジークは苦笑を浮かべながらお風呂の用意をするべく浴室へと向かった。

 その後ろ姿を見送りながら、爆風でぼさぼさになった髪を手櫛で直しながら今日までの生活を振り返った。


 半年前、やや強引に主従関係を結んだジークとティレーネと共にこの屋敷に引っ越した。

 屋敷は実家より一回り小さかったか、三人で暮らすには充分な広さを有していた。裏には白大理石でできた薔薇園があり、わざわざ園芸の勉強をしたジークが毎日手入れをしてくれるおかげで薔薇は今日も綺麗に咲き誇っている。


 書斎にはアリナとベネディクトがこれまで調べた魔法についての本が全ての書架に収まっていて、そろそろどこかの一室を書庫にする話まで出ているほどだ。

 食事も一人では寂しいからと三人で一緒に食べて、日付を決めて全員で集まり魔法の研究する日々は、アリナにとって幸せな時間だ。


 今年で一五になるアリナは、あと一年経てば社交界入りする。一六歳になれば貴族令嬢と令息は社交界入りし、正式な貴族として認められる。

 その時に魔法を大々的に披露し、信頼できる者達からの援助と研究所のような建物を要求する予定だ。


 もちろん社交界だけでなく、国中でも魔法の話はもちきりだ。

 アリナ達のことは国王であるカロンに計らいで内密にされているが、あの大嵐の件でアリナが主導で広めているという話はすでに広がっている。

 魔法について無知な者達は「〝神〟から授けた神秘の業」とか「悪魔の取引で得た悪しき業」とか好き勝手に言っているが、その時はどっちも的を得ていると思った。


 魔法は使い方で佳きものにも悪しきものにもなる。

 民がそんな不安を抱いてもおかしくはないが、魔法がそんなものにならないようにするのがアリナ達の仕事だ。気を引き締めるために意気込むアリナの耳に、ジークがお風呂の準備ができたと呼ぶ声が聞こえた。

 今日は三人が来る日、念入りに綺麗にしなくてはと思いながらアリナは書斎を後にした。



 屋敷の薔薇園は、赤や白、桃色や橙色と色ごとに植えられている場所が決まっている。

 東屋の円卓には魔法について記した羊皮紙と本が広げられていて、果汁水が注がれたコップが人数分ある。

 その下にはすでにほぼ全員が揃っていて、フィリエがつまらなそうな顔をしているがこれはいつも通りなので気にしない。


「うーん……やっぱり兄さんが考案した『魔法陣』のおかげで、魔法の効果範囲が増えたよね。描く手間と一回限りしか使えないのが難点だけど」

「だが、六芒星を使ったことに関しては良いと思うぞ。古来より六芒星は魔除けとしての意味も使われている。もちろん五芒星も魔法と相性がいいが、安定性を考えるとこっちの方が相応しい」

「そうだな。魔法の種類・威力分けも無事にすんだし、後は今クロウが作ってる物が完成すれば――って、寝てる!?」


 さっきから会話に入っていないクロウの方を見ると、彼は机に頬をつけた状態で爆睡していた。

 口の端に涎を流れさせており、低い寝息も立てている。気になった顔を覗いてみると、彼の目元には深いくまができていた。


「あー……そういえば、試作品がどれも失敗ばかりで連日改良していたな。少し寝かせてくれ」

「私達の中で武器の知識が多いのクロウだけだものね……ティラ、毛布持ってきて」

「はい、ただいま」


 毛布をティレーネに持ってこさせている間、ジークは東屋の外に置かれた木箱を見た。

 箱の中身はどれも鞘に収められた剣ばかりで、抜いてみると鍔と剣身の間に魔法陣が刻まれている。鉄を熱した状態で魔方陣を刻むのは難しく、腕の速さが重要とされている。

 しかしどの魔法陣も微妙に歪んでいるのを見るに、上手くいっていないのだろう。


「それ、クロウの試作品?」

「そのようです。やはり剣身に直接というのは難しいのでしょうね」

「私には鍛冶の技術がないからなぁ……」


 うーんとアリナが腕を組んで悩んでいると、ジークはそれを見て黙り込むと、おもむろに机の上にある数枚の羊皮紙を読むと、白紙の羊皮紙に何かを書き始めた。

 カリカリと羽ペンが動く音を響く中、その音に反応したのか毛布を掛けられたクロウが机から顔を上げる。


「んん……? 何やってんだ、お前ら……」

「ああ、ちょうどよかったです。あなたの武器製造過程を少し修正したので、これなら問題ないと思います」

「あ……?」


 ジークの言葉に眉をぴくりと動かすと、彼の持っていた羊皮紙を奪うように取った。

 羊皮紙に書かれているそれをほとんど距離がない状態で読み、ぶつぶつと呟き始める。すると今度はコップの中の果汁水を一気に飲み干すと、そのまま席を立って東屋を出る。


「ありがとな、ジーク! これならできそうだ!」

「そうですか。お力になってよかったです」

「さっそく帰ってやってみるわ! またな!」


 そう言うや否やクロウは門に向かって走り去る。

 さっきまでの熟睡ぶりが嘘のような動きに、アリナだけでなくベネディクトさえ呆然としていた。ローゼンに至ってはお腹を抱えた状態で笑いを堪えている。


「ジーク、一体どんな改善策を考えたの?」

「簡単なことですよ。剣身が未完成の状態に魔方陣を刻むんじゃなくて、剣身に鍔を装着する前に魔方陣を刻むという方法をお教えしただけです」

「……なるほど、全身だけでなく一部分だけにすれば、歪み具合も直せるというわけだな」


 ジークの言葉にその場にいた全員が納得した。

 編み物でも模様を入れる時、完璧に仕上がった状態ではなく、途中毛糸の色を変えて編む。ガラス細工も途中で模様を入れたりもするが、別の色ガラスを付ける時は原形が保った状態の物に追加するような形でつけられる。


 つまり、同じ用法で剣身と鍔を装着させる前に、その部分だけ熱して魔方陣を刻めば鍛造の時に歪んでしまう心配がなくなるということだ。

 アリナにはもったいない従者の出来の良さに感心していると、クロウの補佐を務めているはずの少年のことを思い出す。


「そういえばジーク、クロウの補佐の子はまた来てないの?」

「ああ、彼ですか……彼は人前に出るのは嫌っているんです。以前、一度顔合わせに来ましたが、左の頬を隠すように顔が包帯で覆われていました」

「怪我とか?」

「いえ……その、上の兄の命令で醜い刺青を入れられたみたいで、それを疎んでいるようです」


 ジークの話を聞いて、アリナは自分の失言に後悔した。

 跡目争いで上と下問わず子供が誘拐されたり、人前に出ることさえ憚れるほどの傷を負ったりする事件は少なくない。

 アリナの家はすでにベネディクトが継ぐことが決まっているし、親戚筋は誰も国の中で一番端にある領地を誰も治めたくはないため、跡目争いで揉めたことはない。


 だけど、王都やその周辺に暮らす貴族の間ではそういったことは当たり前だ。クロウがどうやってその少年を見つけたかは不明だが、ひとまず上手く付き合っているようだ。

 気を紛らわすように果汁水を飲んでいると、後ろからぽんぽんと頭を優しく叩かれた。

 振り返るとそこにいるのは、兄が補佐として連れてきた医者見習いのノエル・ヴァーノンだ。灰色の色味が強い青紫色の髪と柔らかい黄緑色の瞳が特徴的で、日の光を浴びて髪がほのかに銀色に輝いている。


「そう気に病まないでください。向こうだって同情されたら、それこそ余計に惨めな気分になりますよ?」

「そうですよ。アリナ様はいっつも同情ばかりして、そんなんだから陰で偽善者って言われるのですよ」

「フィリエ! あなた口を慎みなさい!」


 フィリエの発言にティレーネが叱咤を飛ばすも、本人が素知らぬ顔をしているせいでさらにティレーネの説教が長くなる。ガミガミと叱るティレーネをアリナが宥めている横で、ジークはふと薔薇園の向こうにある生け垣に目をやる。

 ジークの手入れのおかげで長方形に整えられているそこが、風も吹いてもいないのにガサリ、と小さく動いたのを純白の従者は見逃さなかった。



☆★☆★☆



 遠くで梟の鳴き声が響く夜、夜空に星々が煌めくも新月ということもあって周囲は真っ暗だ。

 屋敷の周囲を警備する騎士の松明しか光源がない中、足音を鳴らさず何かが通り過ぎる。

 黒い衣装を身に包んだ数人の若い男だ。彼らの腰には頑丈そうな鎖、質素ながらも高価なナイフが収まった鞘が下げられていた。


 男達は、フランス王国に仕える手練れの密偵だ。

 国王と国に害なす存在の情報を入手、もしくは排除する汚れ仕事を担っている。今回、男に下された命令は『アリナ・エレクトゥルム男爵令嬢の誘拐および魔法の入手』だ。

 アリナを主導とした者達による魔法の研究についての噂は、フランス王国でも様々なデタラメを混じっているも伝わっている。


 もしイングランド王国がその力を手にしてしまったら、長年領土を奪い合っているフランス王国に勝ち目がない。

 そうなる前にアリナの身柄を確保し、魔法の知識をフランス王国の物にするというのが国王の判断だ。


 ここにいる者達は最初、魔法なんてものは信じなかった。

 けれど、仲間の一人が宮殿に忍びこんでアリナが魔法を見せた時は幻覚でも見てるんじゃないかと疑った。光の矢で普通の弓では絶対に届かない距離の的を射抜いた少女の姿を見て、これがようやく現実だと受け入れた。


 あの力が敵国の手にあると考えると、我が国に勝ち目はない。そう判断した密偵の頭領は、今夜の作戦を決行することにした。

 幸いこの屋敷には侍女と従者の二人と騎士が二人、そして標的を入れた五人しかいない。対してこちらは一〇人、万全の準備を整えているため遅れることはない。

 そう思って頭領が合図しようとした瞬間、重たい物が倒れる音がした。


「なっ……!?」


 頭領が振り返ると、そこには自分を除く仲間が全員倒れていた。

 しかも上下に胸を動いている様子と寝息が聞こえる様子を見るに、全員眠っているが自分以外が眠るという状況はおかしい。


「――こんな夜分に訪問とは、フランス王国の人間は意外と非常識だな」

「!?」


 背後から聞こえた声に反応してナイフを構えて振り返ると、純白の髪をした従者が立っていた。

 黒い執事服が似合うその従者は、頭領達を見て冷たい薄ら笑いを浮かべる。


「ああ、そいつらの命は奪ってない。魔法で眠らせただけだ」

「魔法……そうか、それが。やはり我が国にとって危険な代物だということは理解できた」

「で、お前達の目的はお嬢様か?」

「はっ、当然だ! あの女さえ手に入れば、我らの国は永遠の安泰と繁栄を約束される! それに……国王ももう正妃と側室達のには飽きたらしいからな、お前の主人ならばしばらく退屈はしないだろう」

「……そうか」


 下卑た笑みを浮かべる頭領を見て、ジークの目が眇められる。

 彼の白い指が鳴ると、頭領の視界がぐらりと揺れる。二日酔いを何倍にも凝縮したかのような酩酊感と不快さが全身を襲い、手に持っていたナイフが地面に落ちる。


「がっ、あ……!? お前、一体何を……!?」

「魔法だ。私はどうやら詠唱なしで魔法が使るみたいでな、こんな動作一つであっという間に発動できる」

「な、んだと……? 化け物め……!」

「化け物、か……。いいや、違う」


 頭領の視界が黒く染まる。か細い糸のように保っていた意識が消えた瞬間、ジークは呟いた。


「――私達は、魔導士だ」



 カランブルク公爵家所有の別荘、クロウが暮らす住居だ。

 王都に近い本家は催事の時しか立ち寄らず、身辺報告は手紙で済ませている。そもそもこの別荘はすでに空き家状態で、クロウがここに住むと決める前までは壊す予定だったらしい。

 屋敷の近くには養父に頼んで造ってもらった鍛冶場があり、今日もそこで作業していた。


 夏よりも高い熱を放つ竈、黒い跡が残る金床、床に掛けられている道具も長く使えるように手入れされている。

 火箸に掴まれている剣身に刻まれた魔法陣を確認する。今までの魔法陣は歪んだり一部消えたりしているが、ジークの助言を得て作った物は今までと比べていい出来だ。


「……クロウ、いるか?」

「イアンか? どうした」


 作業場に入ってきた赤髪の少年――イアンを見て、クロウは出来上がったそれを金床に置いた。イアンは左側の頬に包帯を巻いており、仕立てのいい服を着ているのに包帯のせいで台無しだ。

 イアンはターラント伯爵家の三男坊だが、上の二人より優秀ということで跡目争いのせいで左頬に醜い刺青を入れられた。そのせいで跡目争いの敗者となり、屋敷に引きこもっていた。


 だが、イアンは手先が器用で自分だけでオルゴールや装飾品を直せるほどだ。それを見込んだクロウが彼を勧誘し、別荘を暮らすのを条件に補佐となっている。

 魔法についてもクロウができる範囲で学ばせており、腕もクロウといい勝負だ。

 そういった事情もあり、ここに移り住んでからは養父が手配した侍女とも世間話をできる程度に回復できた。


「エレクトゥルム男爵令嬢所有の屋敷にフランス王国の密偵が忍び込んだのを知ってるか?」

「ああ、今朝聞いた。……何か分かったのか?」

「そうだ。……国が尋問したら、相手の目的はエレクトゥルム男爵令嬢を国王の側室にし、魔法を入手することだったらしい」

「……やっぱり、そうだよな」


 密偵が現れたという話を聞いた時点で、それくらいは予想できていた。

 アリナのことに対して恋慕の情を抱く令息は多く、自分と文通している間にも求婚の申し出の手紙が毎日のように来たらしい。

 魔法の件で顔を見て話すようになったが、今まで以上の関係を望めていない。これからのことを考えると、そろそろ覚悟を決めなければならない。


「……告白、するのか?」

「ん? ああ……そうだな、もうこのあやふやな関係を仕舞いにしないとな」

「ふぅん、頑張れよ。一応応援しておく」

「ははっ、ありがとな」


 イアンの投げやりの応援を受けながら、クロウはできあがった剣身を撫でながら小さく笑った。

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