第181話 『新世界』を目指す者、立ち向かう者
分厚い曇り空から、雷鳴が轟く。
現れたかつての盟友二人に嬉しさで頬が綻びかけるも、床に這いつくばるフィリエの背中を、陽が容赦なく踏んづけたところでそれが消えた。
「うぐ……っ!」
「相変わらず裏切りが十八番なんやなぁ? 一体何度裏切れば気が済むんや?」
「う、ふふ……気が済むか、ですって? そんなの死ぬまでよ。私はカロン様の目的が達成するのなら、この世全ての人間を利用するわ。あなた達の甘い理想よりも、裏切りだらけの現実を手に入れる。それが私の――【狐の魔女】の生き方よ!」
高らかに、耳障りな哄笑を上げるフィリエ。
前世で見た時と比べ、彼女は随分と女性らしい丸みを帯びながらも妖艶に育った。ティレーネもフィリエほどではないとしても、メイドの姉妹は誰もが見惚れる美女と成長した。
だが、二人の道は完全に別れた。ティレーネは善の道、フィリエは悪の道。見た目以外は正反対な二人が歩んだ道もまた、正反対なんて笑えない話だ。
今も哄笑を上げるフィリエを、陽が憎悪で歪んだ憤怒の表情を浮かべると、再び彼女の背中を叩きつける。
血反吐を吐きながら零れる呻き声に、カロンは芝居かかった仕草で首を横に振った。
「ああ、ベネディクト。君は今世ではそんなに粗野な男になってしまったなんて、私は悲しい。以前の君はもっと知性的で温厚だったのに」
「生憎と、
かつてのベネディクトは、カロンの言う通りの人物だった。
人格者で物腰柔らかで、妻帯者であったのにも関わらず、未婚の令嬢からの支持があった。今世でも親しい者にだけ見せる顔は前世と同じだけど、敵を前にするとそれらが一気に分厚い鍍金に覆われる。
普段の人格を押し殺した冷徹な精神を、兄はここ数年の間に身に付けてしまった。それが悪いかどうか問われれば、肯定も否定もできない。
陽がフィリエから足を退けた瞬間、異常な俊足でカロンとの距離を一気に詰めた。
心臓狙いの突きを繰り出すも、何故かサンデスがカロンと陽の間に入って攻撃を防ぐ。カァーンッと澄んだ音が響くも、陽は理解できない表情を浮かべながらサンデスを睨みつける。
「なんでお前が入るんや? まさか、今さら家族愛が芽生えたとか言わへんよな?」
「う、うう、うるさい!」
顔を真っ青にしているにも関わらず、陽と同じように槍術を使って撃退を試みるサンデス。何をやっても二流の腕しかない彼の攻撃は、陽にとっては簡単に弾き防げるものばかりだ。
だが自棄で攻撃を繰り返していく内に、彼の体から鎖の形をした黒い靄が見え始める。その鎖はカロンの右手にぎっちりと握られていて、握る力が強くなるたびに靄がどんどん濃くなっていく。
「まさか……それは私があいつにかけた呪いか……!?」
「おや、やはりお前には分かるか。これが」
カロンがじゃらじゃらと呪いの鎖を揺らすたび、押され気味で緩慢な動きになり始めたサンデスの顔色がさらに青くなる。
PTSDに遭ったかのようにガタガタと顔を青ざめ、乱暴に槍を振るう彼の姿がまるでマリオネットに見えていく。
「カロン、お前一体何をしたんだ!?」
「何、簡単なことだよ。干渉魔法は他の系統魔法と違い、物理法則等に直接アクセスし行使する魔法だ。……なら、
「ま、まさか……!」
「この魔法の名は、『
カロンが酷薄な笑みを浮かべながら、魔法で奪った呪いの鎖を再び鳴らした。
かつてジークによって縛られた呪いが、自身を見捨てたカロンに握られたサンデスは、目を血走らせながらも顔は死まで一歩手前の人間が浮かべる表情そのものだ。
死にたくない一心で武器を振るう彼をさすがに哀れに思ったのか、ギルベルトが素早い動きでサンデスの背後に回ると、鱗に覆われた右手の指先をうなじに軽く当てた。
刹那、バチィッ!! と激しい音と共にサンデスの全身に金色の電撃が迸る。
口から黒煙を吐き出しながら白目を向いて倒れると、サンデスを縛っていた呪いの鎖が輪郭を失って消えていく。どうやら、カロンの魔法は彼が意識を失っているとその効力を発揮しないらしい。
すかさずギルベルトが雷を放つも、カロンは彼と同じガーネット色の魔力を可視化させながら半透明の盾で攻撃を防ぐ。
「……ふむ、これでは私の目的を達成するには些か厳しい状況だな。仕方ない、せめて一つだけでも達成させるか」
コンクリートでさえビスケットみたいに砕いたギルベルトの雷を防ぐと、カロンは再び転移を使う動作を出す。
彼の言う目的が日向も入っている以上、達成のために必要な要素を狙うのは必然。すぐさま悠護と怜哉が彼女の前後に立った瞬間。
――
「なっ――!?」
「――『
聞いたことのない詠唱を唱えた直後、ガーネット色の魔力を纏ったカロンの右手がジークの左胸を貫いた。
左胸から血を出さないも、貫いた箇所がカロンの魔力に浸食されていく。ずぶずぶと音を立てながら右手が手首まで埋まっていく様を、誰もが恐怖のあまり絶句する。直接カロンの魔法を受けているジークは、声にならぬ絶叫を出し続ける。
ぐちゃぐちゃと内側を掻き回す音がぴたりと止んだ。
何かを掴んだのか口角をさらに吊り上げるカロンの顔を見て、ようやく彼が達成しようとしていることについて気づいた日向が制止をかけようとするも、時はすでに遅し。
バキン――!
硬質な宝石が砕かる音が周囲に響くと、ジークの絶叫が止む。
掠れた声を漏らし、仰向けのまま倒れる彼のタンザナイトの瞳は真っ白な瞼で固く閉じられる。同時に彼から感じる魔力が少しずつ消えていくのを見て、陽はギッとカロンを睨みつけながら叫んだ。
「何をしたんや!?」
「決まっている。こいつがいてた後々面倒だからな、
「
恐ろしいことを事もなげに言い放つカロンを見て、悠護がやや青ざめた表情を浮かべる。
通常、
だが、誰もが為し得ない業をカロンは為し得た。
「理由は不明だが、どうやら前世で『
「……そんなことってありえるの?」
「事実、私はオリジナルの魔法を見せてやった。それが全ての答えだ」
いつもの無表情で問いかける怜哉の額には、汗の粒がじわりと浮かんでいた。
聡い彼は理解したのだろう。カロンの魔法構築技術の恐ろしさを。その技術さえあれば、今の魔導士が太刀打ちできないことも。
腹部を血で汚したフィリエが、巨大な魔法陣生み出す。カロンとサンデスがその上に乗ると、魔法陣の光が強まって彼らの姿も足元から消えていく。
「ジーク、貴様が大事にしていた『
これからは私達――『ノヴァエ・テッラエ』が、この世界を手に入れる!」
高らかに宣言したカロンが、体の半分以上消えた姿のまま日向に向かって微笑んだ。
「世界を手に入れるその時まで、しばしの自由を楽しむがいい。日向」
「―――!」
日向が口を開こうとした瞬間、カロン達の姿は消えた。
タワーブリッジに戦いの爪痕と信じ難い真実、そして気を失ったジークと絶句する日向達を残したまま――――。
☆★☆★☆
外ではIMF本部の魔導士が、魔法を使いながら傷ついた建物や舗道を直す。
未だ店の内装が修復されていないところは、店外販売をすることでその日の銭を稼ぎ、まだ学校が休みである学生達はすでに整備が終わった電車やバスに乗って軽い遠出に出かけている。
誰もがシェルターの上で起きた激しい戦闘のことなど忘れたかのように、一日を謳歌する。
パタン、と書庫から持ち出した魔法関連の蔵書の一冊を閉じた日向は、円卓の上に散らばる数枚の用紙を見つめながら、右手に持っているシャーペンをくるくると回す。
「あれからもう三日か……」
ふぅ、とため息を吐きながら、蔵書の山の隣に置かれた新聞の束を見下ろす。
前世の知識で難なく読める英語で書かれた新聞には、別々の会社が発行しているはずの新聞にはどれも『叛逆の礼拝』について書かれていた。
『叛逆の礼拝』は、長年姿を現さなかった『レベリス』の長の死亡により、事態は収束した――というのが、世間で大々的に公表された嘘の情報だ。
『レベリス』の長であるジークは、カロンによって
事件の後処理として、IMF本部の職員総動員でロンドンの復興作業に勤しむ中、日向達は今回の件について厳しい事情聴取という名の尋問をされた。
『レベリス』については嘘だと気づかれないように全容を話し、カロンが率いる組織である『ノヴァエ・テッラエ』については『レベリス』の長を殺した張本人であり、これから特一級魔導犯罪組織かそれ以上の危険要素として見るべきことを提示した。
IMF本部は実際に日向達の記憶を覗き、カロンが生み出した魔法を見て考えを改めたのか『ノヴァエ・テッラエ』を他の魔導犯罪組織より要注意することを決めた。
この時に記憶を覗かれれば日向達の嘘がバレるはずなのだが、そこは陽が事前に記憶を一時的に誤認させる魔法をかけてくれたおかげで難を逃れた。
さらに、アイリスを戦地に送り出した臣下達は、魔導士家系の中で
もちろん日向達もしばらく休養として自室での療養を余儀なくされ、誰もが『叛逆の礼拝』による疲れで寝込む中、ノエルだけは不眠不休でジークの面倒を見ていた。
「ジークもノエルも大丈夫かな……」
二人は数百年も時を共にした友人。しかも『落陽の血戦』後では、瀕死のジークの面倒を見てくれたのもノエルだ。
今回のような目に遭ったジークと面倒を見ているノエルの体調に一抹の不安を抱きながらも、日向にできることはあまりない。
何もできない自分の境遇に歯痒さを感じながらも、鬱屈な気分を入れ替えるために浴室へ向かった。
「ねえ、そろそろ休みなよ。倒れるよ?」
監視役として引き受けたアレックスが呼びかけるも、ノエルは頑なに首を横に振る。その様子にさすがの彼もため息を吐いた。
このやりとりは既に何十回も繰り返している。答えは無言のままだけど態度で示すし、必要なものがある時はちゃんと会話もする。
だが、こうして地蔵のようにずっとジークに付き添っている。
無理もない。友人であるジークがこんな目に遭ったのだ。アレックスももし家族の誰かやベロニカが同じ目に遭ったら、同じようなことをしているだろう。
(でもなぁ……このままじゃあの人倒れそうだし、どうしようかな~。…………ん?)
ふとジークの方へ目を向けると、彼の体から赤や青など色んな色がぐちゃぐちゃに混ざった靄がどくろを巻いてた。
どれかの色が濃くなるたびに、瞼を固く閉ざしたジークの顔色が悪くなる。まるで靄が何かを吸い上げているような――。
「――ちょっと見せてっ!」
急いでノエルの肩を押してジークの前に来ると、持ち前の精霊眼を全開にする。
靄は精霊眼を使った効果によって形が変わっていく。靄の正体は鎖だ。数色の鎖が糸のように絡み合い、その鎖が純白に輝く宝石を縛っている。宝石が光を発するたびに鎖も同じように発光し、ジークの額から脂汗が滲む。
目の前の光景を見て、その鎖と宝石の正体が、アレックスにはすぐ分かった。
「そうか分かった! この鎖が壊された
「なんだと?」
「しかもこれ、解呪しても
ノエルがアレックスの言葉に目を見開くも、すぐにぶつぶつと呟き始める。
するとはっと息を呑むと、亜空間から一〇枚の紙をクリップで止めたものが現れる。
「おい、これを読んでみろ」
「ん? これは――」
ノエルから書類を受け取ると、アレックスは細かく記されたそれに目を通す。
次第に彼の目が驚愕によって徐々に開かれると、瞬きひとつもしないで貪るように読みふける。
体感時間では二時間、現実の時間では五分も満たない沈黙が下りる。だが目をこれでもかと輝かせるアレックスが興奮したままノエルに詰め寄った。
「すごい、すごいよ! いつの間にこんなの生み出したの!? こんな修復方法、学会に出したら絶対金賞だよ! というか、なんでこれを公表しないの!? もったいないじゃん!」
「発表云々の前に、俺は世間では魔導犯罪者だ。それにこんな規格外の内容、論文として金賞をもらえても実践できなければ意味がない」
「あー、そっか。うーんでもこれなら……うん、いけるんじゃないかな?」
ノエルの言う通り、書かれている内容を行うのは普通では難しい。
そもそも、今のような異常事態を想定して書いたのだから、もし一部の学者が読めば机上の空論だと鼻で笑われる代物だ。
だが誰よりも魔法の研究に力を入れていたアレックスは、ノエルの考えた修復方法を読んでも嘲笑どころか尊敬を抱いた視線を向けられた。今まで向けられたことのない視線の精で、ノエルの背筋がむず痒くなるを感じた。
「でもこれ、俺だけじゃちょっと力不足かもよ?」
「安心しろ。戦力についてはすでに目星がついている」
「あー、なるほどね。じゃあ俺呼んでくるね!」
ノエルの言葉に一瞬考え込むも、アレックスはすぐに察してばたばたと足音を鳴らしながら部屋を出た。
通りかかったメイドの短い悲鳴を聞きながら、ノエルは浅い呼吸を繰り返すジークを見下ろしながら拳を強く握りしめた。
「待っていろ、ジーク。あの日向が選んだ連中はカロンの魔法如きなど大した障害でもないことを証明してやる」
もうすぐ来るだろう赤髪の少年と亜麻色の髪の少女の到着を待ちながら、ノエルは亜空間から必要な修復道具を取り出した。
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