第182話 前代未聞の修復作業と謝罪

「……………………………」

「……………えーと、これマジで言ってます?」


 突然アレックスにドナドナされた樹と心菜は、ノエルから渡された書類を読んで信じられない表情を浮かべ、心菜に至ってはあまりにも常識外れの内容を前にして絶句している。

 口元を思いっきり引きつらせるも、提案してきたノエルとアレックスの目に冗談の色がない。


「マジのマジだ。まさか俺もこんなでたらめな修復方法を遂行できるとは思ってもいなかったぞ」

「でもでも、イツキは俺と同じ精霊眼持ちだし、ココナは生魔法が得意なんでしょ? だったから確率で言うなら成功するんじゃない?」

「いや確かにそうかもしれねぇけど! だからって……」


 何故こんな方法を提示しておいて平然としている目の前の二人が理解できず、樹はようやく喉の中でつっかえていた言葉を吐き出した。


「――魔法の解呪に加えて魔核マギアの完全修復とかそんな前代未聞なこと簡単にできるかっ!!」


 ――そう。ノエルがアレックスに見せた書類に書かれていたのは、まさに樹が言った通りの内容だ。

 魔核マギアの完全修復。

 本来なら魔核マギアが破壊されるという事態は絶対に起こらない。そもそも魔核マギアそのものが誰の手にも触れることのできない不可侵で不可視の魔の宝玉。それが破壊・消失するということ自体ありえないのだ。


 だが、日向と無魔法とカロンの『魔核破壊マギア・エクシティウム』という例外が生まれてしまった以上、魔導士は魔導士の命である魔核マギアを永遠に失う可能性がある。

 ノエルは日向の前世であるアリナが生み出した無魔法について、ジークから聞いた話を元に魔核マギアの修復方法を数百年もかけて編み出した。


 正直に言うと、樹だってノエルの並々ならぬ努力も非常識な修復方法を編み出したことは素直に賞賛できる。

 樹とアレックスの精霊眼を使うことも、生魔法が得意な心菜とノエルが共同で修復作業するのも全部納得がいく。

 だが、歴史上誰もが試みたことのない作業に対して恐怖を覚えてしまう。


 魔核マギアは、一度破壊されたら永遠にも戻らない。

 選民思想の魔導士ならば、魔核マギアを失えばこの世全てに絶望し、命を絶つことさえ厭わない行動に走るほどの大切な宝玉。

 成功する確率も失敗する確率も五分五分、だけど樹の中では失敗の確率が九割も占めている。


(これは俺達にしかできないことだって頭では分かってんだ。でも……もし失敗して、この人の魔核マギアが永遠に失ったらどう責任をとればいい?)


 樹は『レベリス』の長であるジークに世間のような忌避感を抱いてはいない。

 むしろ日向から聞かされたジークの姿は、あのカロンという男に利用され、全てを奪い返すも失敗し、数百年もの年月をかけて今日まで生きてきた愚かなほど真っ直ぐな男そのものだ。


 樹だって、できることなら彼を救いたい。

 だが、失敗に対する恐れのせいで小刻みに動いていた指先の震えは、伝染病のように腕にまで浸食する。

 冷房が効いている部屋の中なのに、冷や汗を流す樹の手が、優しいぬくもりで包まれる。


「心菜……」

「樹くん」


 何度も握り、触れたことのあるぬくもりの持ち主の名を呼ぶと、心菜は自分の名を呼びながらふわりと優しい笑みを浮かべた。


「大丈夫。私は、あなたがそばにいればどんなことでも頑張れるよ」


 その言葉に、樹の全身を支配していた震えが消え去った。

 心菜の顔は微笑んでいるけれど、微かに怯えが整った美しい顔を彩っていた。その表情だけで、彼女自身もこの修復作業に恐怖を抱いているのだとはっきりと伝わってくる。

 パートナーの表情を見て、樹は自分の不甲斐なさにようやく気付いた。


 表情には出さないが、ノエルもアレックスも自分と同じで誰もがやったことのない修復作業に恐怖を抱いていないわけがない。

 誰もが同じ気持ちであるはずなのに、樹は自分のことしか考えていなかったことをひどく恥じた。

 自身の情けなさを叱責するように、パァンッ!! と高い音を出しながら樹は自分の両頬を叩いた。


「い、樹くん!?」

「……悪い、ちょっとビビってた。でももう大丈夫だ」


 予想より結構痛く叩いたせいで若干涙目になる樹だが、彼のサファイアブルー色の瞳から迷いと怯えが消えた。あるのは男としての立派な覚悟だけだ。

 ノエルはふっと口元を緩ませると、空気を入れ替えるためにパンパンと手を二回叩く。


「――いいだろう。ならさっそく行動を移すぞ」



 天蓋ベッドの上で眠るジークの顔色は青白く、じっとりとした脂汗が額からとめどなく流れている。

 それだけなら高熱に魘されていると思うだろうが、樹とアレックスの持つ精霊眼で見たら一八〇度違う。

 数種類の色付きの鎖が彼の全身を縛り、心臓の上では砕かれた純白の宝玉が鎖によって絡みついている。しかも鎖の一本が淡く発光するだけで、ジークの顔色がさらに悪化にした。


「肉体的攻撃でも精神的攻撃でもねぇな……、もしかしてこれ魔核マギアに直接攻撃してるのか?」

「多分ねー。魔核マギアって『魔導士の第二の命』って言われてるし、あのカロンがかけた魔法は『魔導士の第二の命』を壊すだけじゃなくて半永続的に傷つける効果もあるのかも」

「どっち道、趣味がいいとは言えねぇな」


 ペンキで塗り潰したような鎖は、ジークの魔核マギアを痛めつけることで、肉体的負荷をかけて相手を苦しめるだけの悪趣味な拷問器具。

 こんな魔法モノを生み出したカロンという男に、樹は苛立ちを隠せない。

 カロンが前世でした所業について、樹も心菜も陽から聞かされた。アリナを手に入れるがために目の前の男に罪を着せ、『落陽の血戦』を起こさせて、最後は『蒼球記憶装置アカシックレコード』によって、何度生まれ変わっても二七歳までしか生きられない運命に縛れた。


 正直に言うと、そうなったのはカロンの自業自得だし、本来なら復讐なんて選択肢は存在しない。

 なのに、自分の目論見を潰されたからと言って、『世界を手に入れる』などふざけた目的のために友を奪おうとしている。


(――そんなの絶対許さない)


 今まで色んな事件に巻き込まれて、傷つきながらも立ち向かった友の姿を見続けた。

 本当なら前世の因縁なんて忘れて幸せになってほしい。だが、周囲がそうさせないと言わんばかりに邪魔をする。その事実が本当に腹立たしい。

 カロンはジークの力が最大の障害と認識しているからこそ、こんな悪趣味な魔法をかけた。なら、ここで全て元に戻せば少なくともカロンへの嫌がらせになる。


「――それじゃ、手順を教えるぞ」


 ノエルが重々しい口調で樹達の意識を集中させる。

 まるで大掛かりな手術を前にする医師のような面差しで、ノエルは心菜と一緒にベッドの前に出る。


「まず最初に、この魔法の解呪だ。解呪は一本一本丁寧にし、解放された魔核マギアを一点に集めさせ修復する。だが、私達は精霊眼持ちではない。そのためには精霊眼持ちの二人の視覚を共有する」

「共有って……解呪と修復で手一杯なのにどうやって……?」

「はいはーい! それならこれがあれば大丈夫!」


 心菜の心配の声を出すと、横からアレックスが明るい声を出すと同時に一枚レンズタイプのサングラスを四人分取り出した。

 その内の二つは弦の部分が赤で、もう二つは青だ。


「これは五感共有の魔法が付与された魔導具だよ! 赤の方が視覚情報を送信して、青の方は赤の視覚情報を受信するんだ。本当なら普通の視覚情報しか共有できないけど、今回のためにちょっと改造したんだ。赤を俺らがかけて、青をそっちの二人がかける。そうすれば、精霊眼の視覚を共有できるでしょ!」


 五感共有の魔導具はあまり需要がなく一般販売はされてないが、魔法研究者の実験用として重宝されている。

 入手だけでも難しいのに、それを精錬眼持ちの自分達のために改造するなど普通の腕ではない。


(こいつ、能天気な顔をして腕がいいのか……)


 魔導具技師志望である樹は、一から作ることは得意だが元あるものを根本から改造することは不得意だ。魔導具の機能というのは製作者によって癖や手法が違い、樹のできる改造は精々出力の上限を伸ばすことくらいだ。

 それをアレックスは上手く魔導具の機能を根本から改造している。しかも使用者の負担もなく、さらに従来のものより高性能になっている。


 本人は魔法の研究を得意としているが、こうも常識外れの改造を見せつけられると対抗心がメラメラと燃え上がる。

 だけど今は修復作業が最優先だ。赤い弦のサングラス型魔導具をかると、続いて心菜が青い弦のサングラス型魔導具をかける。彼女はジークの方へ目を向けると「わっ」と驚いた声を上げる。


「すごい……この人にかけられてる魔法がこんな形で見られるなんて……」

「なるほど、これが精霊眼持ちの視点か。確かにこれなら魔法解析も苦ではないな」


 同じように青い弦のサングラス型魔導具をかけたノエルが、納得した表情で呟く。

 ベッドの右側にノエルと心菜、左側に樹とアレックスが立つのを確認すると、ノエルは神妙な顔立ちで三人の顔を見た。


「これから魔核マギア修復作業に入る。通常の修復作業と違い、これは最大限の集中力と技術力が求められる。……過酷な作業になると思うが、気を引き締めていけ」

「「「――はい!」」」


 それを合図に、世界初の魔核マギア修復作業が始まった。



☆★☆★☆



 お風呂から上がり、一目惚れしたサマーワンピースを着た日向はわしゃわしゃとタオルで髪を拭く。

 だが徐々に面倒臭くなったのか、火魔法と風魔法を利用した複合魔法――通称『ドライヤー魔法』で髪を乾かした。前世の頃はドライヤーなんて代物はなく、髪は吸水性の高い布で髪が乾くまで根気強く待ったものだ。


(昔試しでドライヤー魔法を使おうとして、何度か髪を焦がしたんだよね。ティラだけじゃなくてジークにもすごく怒られたんだよね……)


 しかもそのジークから改善点を上げられ悔しい思いをしたし、呼び方も『ドライヤー魔法』ではなく『髪乾かし魔法』だった。

 前世での楽しかった思い出が次々と現れて、嬉しさで口元を緩ませた時だった。

 コンコン、と扉をノックされる。不思議に思いゆっくりと扉を開けると、


「――アリナ様……!」


 ふわり、と薔薇の香りと共に柔らかな感触に包まれる。

 視界の横で広がる豊かな金髪と耳朶を打つ声に、日向は優しくその背中を撫でた。


「…………ただいま、ティラ。また会えるなんて夢にも思わなかった」

「わたくしもです! わたくしも……あなたと再び出会う日を、ずっとずっとお待ちしておりました……!」


 すでに魅力的な女性へと成熟したティレーネは、かつての涙を流しながら懺悔をした少女ではなくなった。

 それでも、彼女の声と顔は数百年も経っても変わらない。ぽんぽんと労うように叩くと、ティレーネはようやく日向から離れる。


「ティラ、今のあたしは豊崎日向だよ。もうアリナじゃない。それと様付けも敬語も禁止、世間じゃあなたの方が偉いんだから」

「ええ、もちろんそのことは重々承知しております。……ですが、わたくしにとってあなた様はずっとお仕えすると決めたお方です。そんな方を呼び捨てになんて……」

「うーん、困ったなぁ」


 ティレーネの自分に対する忠誠心は、数百年経った今でも変わっていない。

 そもそも自らの意思で不老長寿になったことは、日向自身も予想外だった。確かに『国を頼む』と言ったが、単純にティレーネが生きている間を意味していた。

 もしかしたら本人の事情で不老長寿になったかもしれないが、それでも【紅天使】の二つ名を持つティレーネと魔導士候補生である日向とでは身分の差がありすぎる。


「……じゃあ、二人の時とか悠護達がいる時だけなら? ほら、みんななら事情知ってるから大丈夫だと思うんだけど」

「………………仕方ありませんね、それで妥協しましょう」


 悠護だけでなく樹達も前世のことは既に話している。

 ティレーネの関係もその時に話しているし、向こうは理解してくれた。ティレーネもそのことには納得したが、拗ねたような表情を浮かべている。

 昔と変わらないそれを見て、思わず笑ってしまった。


「ところで日向様、お風呂に入ったのですか?」

「うん、気分転換にね。暇つぶしで魔法の解析とかやってたの」

「そうですか。……ああ、そうだ。久しぶりに髪を結っても構いませんか? あの頃みたいに」

「……いいよ。お願いしようかな」


 文字と魔法陣で埋め尽くされた紙と蔵書の山で埋め尽くされた円卓を前に、日向はさっきまで座っていた椅子にもう一度座り直す。

 ティレーネは日向が持参してきたブラシで優しく髪を梳く。ほどよい力加減で、優しく、丁寧に。髪の毛一本一本に艶を出すように。

 毎朝こうして髪を梳いてくれたことを思い出し、気分がよくなって上機嫌に足を揺らす。


「相変わらず上手だね」

「ええ、ブラッシングの腕は今も落ちていません。日向様の髪はあの頃と同じ美しさです」

「褒めても何も出ないよ~」


 他愛のない会話をする二人の間には、ゆったりとした穏やかな空気が流れる。

 赤いマニキュアがされた指先で器用に三つ編みにしていく。こみかみから後頭部まで編み込まれた三つ編みは、中心まで来ると持参していた白いリボンで留め、残った髪はそのまま背中に流れる。

 前世よりも腕が上がったその神業に、彼女から渡された手鏡で確認した日向は感嘆の息を漏らす。


「はぁ~……相変わらず器用だね」

「ふふ、お褒め頂きありがとうございます。今日のお召し物に合うようにしました」


 ティレーネに指摘され、ふと自身の恰好を改めて見る。

 日向が着ているのは、腰の部分に黒いリボンベルトのある白いワンピースだ。ボタンも襟もパフスリーブの袖口の色も黒だけど、襟の部分は薔薇の刺繍が施されている。膝丈のスカートの裾を一周するように黒の薔薇と茨と葉が刺繍されている。別に意識して買ったわけではないのだが、確かに少し派手なワンピートと今の髪型の組み合わせは、ちょうどいいバランスだ。


「そういえば、ティラは何か用があって来たんじゃないの?」

「あ、そうでした。わたくしとしたことが再会の嬉しさのあまり、つい忘れるところでした」

「忘れるな忘れるな」


 再会と久方ぶりのお世話ができてすっかり有頂天になり、大事な用をうっかり忘れている元メイドの少女に危機感を抱く日向。

 今はかなりの地位にいるし、前世での仕事ぶりを考えれば目立った失敗はしていないはずだから大丈夫だが、自分と顔を合わせるたびに忘れっぽくなるなら少し困る。


「アイリスとヴィルヘルム様が、此度の件について日向様と悠護様に謝罪したいと申し出されたのでお呼びしたのです」

「アイリスとヴィルヘルム様が……」

「ええ。どうやら向こうも深く反省しているようでしたし、悠護様の方は直接ヴィルヘルム様がお呼びにしています。アイリスのお部屋に来てほしいとのことです」


 ティレーネの言葉に日向は無言になる。

 確かに今回の件で一番迷惑をかけたのはアイリスとヴィルヘルムだ。ヴィルヘルムは日向がアイリスに危害を加える偽者扱いして邪険にし、アイリスに至っては悠護を物扱いした挙句にちょうだい発言をした。

『叛逆の礼拝』でかなりお灸を据えられたらしい二人は、事件後に日向を見ると気まずそうな顔をして逃げるように立ち去った。


 そんな二人がわざわざ謝罪するとティレーネに伝えたところ見るに、どうやら本気で反省しているのだろう。


(それに……あたしもあの二人に言いたいことがあるんだよね)


 散々こちらを自分達の都合で引っ掻き回したのだ。

 落とし前をつけるという意味では、二人に会わなければならない。


「……わかった。ティラ、アイリスの部屋に案内してちょうだい」


 かつてのような口調で告げると、ティレーネは嬉しそうに微笑むと、スカートの裾を軽く摘まみながら、懐かしくも淑女然としたお辞儀を見せる。


「――かしこまりました。日向様」

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