第183話 幸せへの一歩

 ティレーネと肩を並びながら、アイリスの部屋へと向かう。

 本当なら彼女の後ろについていたかったが、それはダメだとティレーネに拒否された。でもまさか『時計塔の聖翼せいよく』を統べる最高責任者である彼女を、一魔導士候補生の自分が後ろに引き連れるのは、さすがに世間的にアウトだ。


 そこで自分達は対等な関係であると伝えるため、並んで歩くことを選んだ。そのおかげなのか、途中ですれ違ったメイドや侍従からは驚きの目を向けられるも、それ以上は詮索してこなかった。

 ……まあ、ティレーネが通りすがりに『詮索するな』と鋭い視線を向けていたのも一因なのだが。


「それで結局、アイリスはどういう処遇が下ったの?」

「いくら誤解があったとはいえ、彼女はかなり違う薄くてもアリナ様の血縁であることは違いありません。なので、クビにした臣下達の入れ替えで入ってくる方々のどなたかの養女として引き取ってもらう予定です」

「臣下……それだと爵位持ちの魔導士家系だよね。ちなみにティラは?」

「わたくしは『落陽の血戦』と『時計塔の聖翼』の功績によって、数代前の国王陛下から侯爵を戴きました。ですが、公爵の方々と同等の権力は持っています」


 イギリスでは爵位による階級制度がまだ馬車と同じようにしぶとく生き残っている。

 その中でも『落陽の血戦』後にイギリス王室に忠誠を誓った五つの公爵家が率先とし、侯爵からはIMFやイギリス政府の重鎮、もしくは一臣下として国に仕えている。

 アイリスを処分しようと目論んだその臣下達は、どれも侯爵や伯爵とかなり高い地位にいた者ばかりだ。


 ティレーネは爵位では侯爵になっているが、本来なら公爵を戴いてもおかしくない。だが、ティレーネが一生忠誠を誓うと決めたのはアリナ――すなわち日向だけだ。

 そのため過去に王室と交わした契約とこれまでの経歴によって、爵位は侯爵のままでも公爵同等の権力を得ることができたと、本人は軽い口調で語った。


「新しく臣下となるターラント伯爵家の当主様は既婚者なのですが、奥様が流産をした際に子宮ごと摘出してしまったせいで子宝に恵まれなくなったのです。アイリスの事情を聞いて受け入れ、今後は娘のように可愛がると仰いました」

「そっか……ま、そっちは完璧に当人同士の問題だから口を挟まないよ」


 実の母親に捨てられたアイリスと、流産によって子が恵まれなくなったターラント伯爵家。

 色々と複雑な事情を持っているが、そこから先の関係がどうなるかは日向の知るものではない。

 偽善ではあるが、両者が良好な関係を築けるように心の中で応援はしておく。


「さ、着きましたよ。どうぞお入りください」

「……ありがとう」


 目的地にたどり着くと、ティレーネがいそいそと嬉しそうにアイリスの部屋の扉を開ける。

 メイドスイッチが入ってしまったティレーネの様子に苦笑しながらも、日向はお礼を言いながら部屋に入る。

 アイリスの部屋はピンクと白を基調とした可愛らしい内装で、サイドテーブルに置かれたランプのガラスやシャンデリアは花びらに象られ、調度品も内装に合わせて落ち着いたもので統一されている。


 室内には部屋の中心に置かれた白い丸テーブルの椅子に座ったアイリス、その背後にはヴィルヘルムとアイリス付きのメイドのメリッサがおり、二人は【紅天使】と名高い魔導士であるティレーネがメイドのように日向に対し頭を垂れていることに驚きを隠せず目を瞠っている。

 暖炉の近くには悠護がおり、日向とティレーネの顔を見て小さく微笑みながらも会釈した。


 すでに人払いを済ませているのか、アイリスの部屋周辺には誰も近寄ってはいなかった。

 だが、それは賢明な判断だ。いくらアイリスがいるとはいえ、第二王子であるヴィルヘルムが国賓とはいえ日本人に頭を下げるのだ。

 周囲にとっては無様に見えるその姿を見せないようにするには、それくらいの配慮をして当然だ。


「……まさかティレーネ様が父上や私達以外に頭を垂れる姿を見るとは思わなかった」

「あら、彼女に対して頭を垂れるのは当然ですわ。この方はわたくしが再会を待ち望んだ方なのですから」


 ティレーネのその発言が、日向がアリナの生まれ変わりだと決定づけたのか、ヴィルヘルムは酷く悔やんだ顔を浮かべ、アイリスがぎゅっと唇を噛むと、二人は角度が九〇度あるんじゃないかと思うほど綺麗な姿勢で頭を下げた。


「この度は、私の身勝手な思い込みと嫉妬心によってあなた達をひどく中傷し、さらにこちらの不祥事に巻き込んでしまったこと……誠に申し訳なかった」

「わたしも……色々と迷惑をかけて、ごめんなさい……」


 深く頭を下げるヴィルヘルムとアイリスの謝罪は、本当に心の底から反省した声色をしていた。

 アイリスは周囲によって【起源の魔導士】の生まれ変わりとして持て囃され、ヴィルヘルムもやり方は間違えどアイリスを守るために一生懸命だった。

 二人のこれまでの所業は見方次第では頭を下げるだけでは済まないかもしれないが、それを決めるのは当事者である日向と悠護だ。


 完全に傍観者を貫くティレーネは無言のままで、ちらっと悠護の方を一瞥する。

 パートナーは何も言わず真顔で頭を下げる二人を見るも、すぐに視線を日向に向ける。真紅色の瞳が『お前が決めろ』とアイコンタクトを送っており、それを見て日向はゆっくり頷いた。


「…………まあ、元はといえばあたし達が前世の記憶を忘れたまま転生したせいもあるし、別にあなた達に原因はあるとは思ってないよ。むしろ色んな目に遭って同情してる」

「…………」

「でも、ヴィルヘルム様は上に立つ者としてはあるまじき振る舞いを、アイリスに至ってはそれこそ周囲から糾弾されてもおかしくない態度を取った。そのことについては自分でちゃんと反省するまで許さないつもりだよ」

「……ああ、心得ている」

「…………」


 日向の正論にヴィルヘルムは意気消沈したまま答え、アイリスは無言のままだ。

 互いに違う反応を見せるもきちんと反省している二人に、日向は肺の中で溜まっていた空気を口から吐き出した。


「でも、二人の誠意に報いてこれ以上の謝罪はいらないし、顔を見合わせるたびに強要するつもりはない。そのことだけは覚えておいて」

「ああ、感謝し――」

「だけど。その前に、一つだけお願いがあるんだ」


 安堵のあまり頭を上げようとするヴィルヘルムの言葉を遮って、日向は気分を変えるために深呼吸をする。

 そして、すっと目を眇め、手の指の関節をバキバキと物騒に鳴らしながら言った。


「――殴らせて」



 アイリスとヴィルヘムルからの謝罪。

 突然部屋にやってきたヴィルヘルムから聞いた瞬間、悠護は嫌そうに顔を顰めた。

 あまり良い関係とは言い難い二人の謝罪は、正直に言うとこれ以上関わると面倒だから受け取りたくなかった。だが、ヴィルヘルムが必死に頼み込む様子を見て、さすがに無碍にすることができなかった悠護は、結局その謝罪を受け入れるためにアイリスの部屋に赴いた。


 部屋に入った途端、アイリスが悠護の顔を見ると気まずそうに顔を逸らした。

 自分が彼女にとっての『理想の王子様』かもしれないが、【起源の魔導士】の生まれ変わりという特例が失った上に、汚い大人の思惑によって『叛逆の礼拝』の現場に放り出され、最後に自分がキツい言葉をかけたせいか、これまでの覇気が今の彼女にはなかった。


 アイリス付きのメイドから着席するよう言われたが、生憎とそこまで世話になるつもりがなかった悠護はそれを丁重に断った。

 それから数分後、率先して扉を開けたティレーネとそこから入った日向を見て、二人はちゃんと再会したのだと察し、視線が合うと声をかけずに会釈した。


 その後はヴィルヘルムとアイリスが綺麗な姿勢で頭を下げ、謝罪を伝えると日向は困ったような表情でこちらに視線をやる。

 自分には言いたいことはないし、むしろ一番被害を受けたのは日向の方だ。そう思って目線で伝えると、彼女は意味を汲み取ってそのまま思ったことを口にする。


(ま、これならすぐ終わるだろ。そろそろあいつと話さないと思ってたし……)


 ズボンのポケットの中でチャリッと軽い音を立てるプレゼントの感触を確かめながら呑気に待っていたが。


「――殴らせて」


(――――えっ?)


 パートナーのトチ狂った発言で、一瞬で悠護の意識が現実に戻る。

 誰もがぽかんとするも、現在進行形で指をバキバキ鳴らしながら二人に近づいている様子の日向の目は、冗談でもなく本気そのもの。

 そう気づいた瞬間、慌てて悠護が彼女を羽交い締めにした。


「待て待て待て待て!! 落ち着け、早まるんじゃねぇ!!」

「離して悠護! この二人には一発顔面殴らないと気が済まないの!」

「この二人はもう謝罪したし、色々突きつけられてもう心ん中がどん底にいるんだよ! これ以上はオーバーキルだ!」

「ごめんで済んだらIMFも警察もいらないんだよ!! そもそもアイリスはあなたのこと物扱いして、あろうことかあたしに向かって『ちょうだい』発言したんだよ? ふざけんなって話だよ!!」

「ああ。それと彼女、『継承の儀』終了後にあなたを自分の伴侶にするようわたくしにお願いしましたわよ? ふざけた内容だったので協力する気ゼロでしたが」

「ちょっと待てそれは俺初耳だが!?」

「あたしもティラの話が初耳なんだけど!?」


 半ば混沌カオス状態になった部屋で明かされる、隠されたアイリスの所業。

 当の本人は顔色を真っ青にしながら目を泳ぎ、「アイリス、それは本当か!?」と最初から眼中になかったことを改めて思い知らされたヴィルヘルムからの問いに答えない。

 興奮冷めやらぬ日向をなんとか宥め、荷物のようにティレーネに渡す。しっかりと日向を抱きしめて捕縛の任を果たしているティレーネを横目に、悠護は頭を掻きながらアイリスを軽く睨みつける。


「……お前、随分と勝手な真似してたんだな」

「っ……」

「『ちょうだい』だぁ? ふざけんなよ、俺はお前の所有物になった覚えはねぇ。それどころかあの夜、俺言ったよな? 『お前みたいな過剰妄想女、こっちから願い下げだ』って。こっちの気持ち無視して自分が幸せになろうなんて、都合が良すぎるだろ。少しは俺達のことを考えろよ!」

「ユウゴ! それ以上は――」

「黙ってろ! こいつにははっきり言わなきゃ分からねぇんだよ!」


 ヴィルヘルムの制止を遮り、悠護はバンッ! と丸テーブルを叩きつけると涙目になっているアイリスに向かって叫ぶ。


「いいか、俺達はお前が幸せになるために用意された都合のいいキャラクターじゃねぇんだ! 自分の頭で好きな相手を、幸せを考える一人の人間だ! 幸せっつーのはテメェで手に入れるものであって、他人から奪うものじゃねぇ。お前がしたことは一人の人間としても、幸せを望む女としても最低な行為だ!

 この際だからはっきり言ってやるよ。お前の自己満足のためだけに、これから先の人間の幸せを壊そうとするな。もしまた同じことを繰り返したら……その時は、俺はお前を一生恨んでやるよ。『永遠に幸せになるな』って呪詛を吐きながらな、分かったか!?」

「ご、……ごめ、んな、さ……っ! ごめん、なさぁい……!」


 悠護の凄まじい剣幕は、アイリスには恐怖の対象でしかなく、嗚咽を漏らしながら謝罪していた。

 これ以上は何も言う気が失せてしまい、悠護は深いため息を吐くとそのままティレーネに抱きしめられている日向の方へ向かう。

 彼女はこちらの意図を察したのか、日向を解放するとその手を取って扉の方へ向かう。


「……俺達から言うことは何もない。だから、もう二度とそんな真似はするな」


 最後に吐き捨てるように言って、悠護は困惑した表情を浮かべる日向を連れてアイリスの部屋を出た。



☆★☆★☆



 二人が出て行き、室内はアイリスの嗚咽しか聞こえなくなった。

 メリッサが気遣うように背中を撫でてくれるが、さすがに擁護できないのか無言を貫いていた。

 ヴィルヘルムも声をかけないまま口を動かすだけで何も言わない中、ティレーネは肩を竦めながら言った。


「では、わたくしもお暇しますわ」

「……この状況で見捨てるのか、お前は」

「あら、見捨てるなんて人聞きの悪い。痴情のもつれに第三者が出しゃばる方が無粋では?」


 平然と答えるティレーネの言葉に、ヴィルヘルムはぐっと黙り込む。

 そもそもティレーネはメリッサと同じで第三者の立場で、こちらの事情に口を突っ込む権利はない。

 そう頭では分かってはいても、気持ちが追い付かない。


「……とりあえず、あなた達はきちんと話し合ってくださいな。わたくしにできるのは部屋を出ることだけですから」


 そう言って部屋を出ようとするティレーネはメリッサに視線を向けると、彼女も小さく頷いて彼女の後を追うように退室した。

 ガチャンと扉が閉まり、二人になると気まずい沈黙が下りる。

 外から修復作業を行う重機の駆動音や鳥の鳴き声が聞こえる中、最初に口を開いたのはアイリスだ。


「…………わたし、本当にバカだよね……」

「アイリス……」

「自分が不幸なのが認められなくて、誰かが幸せになるのが見るのが嫌で、だから全部ぶち壊したくなって……だから、幸せな人が大切にしているものを奪ってても手に入れたくなる。意地悪する子達ができるのは当然だよね」


 自嘲の笑みを浮かべながら、アイリスは今までの自分の人生を思い返した。

 アイリスだって、普通の女の子のように幸せになりたかった。

 近くで幸せになっている人が羨ましくて、妬ましくて。その幸せを手に入れたくて、色んな方法でその人から幸せを奪った。


 アイリスに意地悪した女子は、そんな自分の腐った性根を見抜いたから誰も関わらなかった。

 他者から幸せを奪い大好きな妄想に浸る自分の姿が、彼女達から見れば一種の化け物に見えたのだ。だから近づかなかった、そう考えるとしっくりくる。


 あの薔薇園で見た仲睦まじい日向と悠護の姿は、まさにアイリスが思い描く幸せそのものだった。

 悠護が自分好みの男の子だったのもあるけど、その隣にいる日向に嫉妬が混じり合った羨望を抱いたのは事実だ。自分より可愛くて、どこか他とは違う雰囲気を纏った彼女の持つ幸せが、あまりにも眩しくて恋焦がれていたものだったから。

 だから、取り返しのつかないことをしてしまった。


「……アイリス」


 ヴィルヘルムがそっとアイリスの手を取り、優しく握りしめる。

 その仕草は壊れ物を扱うようで、そうしてもらう資格すらないのに、アイリスは戸惑いながらヴィルヘムルを見つめる。


「私は……非魔導士だ。兄やアレンのように魔法の才がなく、陰で王家の血筋以外利用価値のない王子だと蔑まれてきた。だからなのか……今まで会ってきた令嬢とは違うお前に惹かれた」

「それは……全部偽物だよ。わたしは、あなたのことを男の人として好きになったことは一度もない」

「ああ、それは痛いほど分かっている。だが、私は王家の人間だ。たとえ非魔導士であっても、この血が流れている以上、いずれ宛がわれるだろう婚約者を拒む権利はない。それでも……私にとって、一生添い遂げたいと思える相手は――アイリス、お前だけなんだ」


 手を取ったままヴィルヘルムが騎士のように恭しく跪く。

 そして、アイリスの手の甲に口づけを落とした。今まで社交辞令として許した、本心では気持ち悪くて仕方がなかったものとは違う、あまりにも優しい口づけだ。


 でも。

 何故だろう、その優しさが嬉しくて、無意識に涙が零れ落ちる。


「ヴィル……わたしは……本当に、ひどい女なんだよ……?」

「ああ」

「ヴィルのこと、いっぱい迷惑かけたし……っ、それに……わたしはまだ、あなたのことが好きじゃない……!」

「ああ。だが、それでも私の伴侶となる女性はお前しかいないんだ」


 たくさん迷惑かけて、たくさん傷つけて、本当なら見捨ててもおかしくない自分に愚直な愛を向ける第二王子。

 彼の優しさが、想いが、今までアイリスが感じられなかった幸せを与えてくれる。

 ここまで真摯な気持ちを向けてくれる彼を、これ以上無碍にすることはできなかった。


『それに、あなたにはあなたのことを大切にしてくれる人がいるはず。何故その人には目を向けないで、悠護の方に目移りするの? あなた、本当にその人のことを見ているの?』


 あの日、日向が言ったことがやっと理解できた。

 自分はヴィルヘルム・フォン・アルマンディンという少年のことを、ちゃんと見ていなかった。彼は今まで自分を守ってくれた都合のいい男の子ではなく、ただ真摯に自分を大切にしてくれている。

 その事実が認められなくて、ずっと見ないふりをしていた。


 こうなるまで彼を傷つけてようやく気付くなんて、自分は本当に最低な女だ。

 だけど。

 だからこそ、もう見て見ぬふりはできなかった。


「……じゃあ、待ってくれる? わたしがあなたのことを好きになる、その日まで」


 怯えながら問いかけるアイリスの言葉に、ヴィルヘルムはきょとんとした顔を浮かべるも、すぐに破顔一笑し言った。


「――ああ、いくらでも待ってやろう。お前の口から告げる想いに答える日まで」

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