第184話 成就する想いと珍騒動
日向の手を掴んだままアイリスの部屋を出た悠護が向かった先は、王宮の一画にぽつんと存在する薔薇園。
白大理石の東屋に囲まれた薔薇は水やりをしたばっかりなのか花弁に水滴がついたままで、日差しの強い真夏日である今日にとっては光の反射でキラキラと輝く。
先ほど耳にしたアイリスの所業に対する怒りも、薔薇園の甘い香りが刺々しい感情を宥めてくれるおかげでいくらか落ち着いたところで、そのまま東屋の椅子に手を掴んだままの日向と一緒に並んで座る。
「…………悪かった、無理矢理連れ出して」
「いいよ。あたしもティラの話は初耳だったし、その前の話をしてなかったこっちの責任もあるから」
「いや、むしろ話してくれなくてよかった。事前に聞いてたら俺があの女をぶん殴りに行ってた」
「冗談に聞こえないからそれだけはやめてね……」
日向は向こうから手を出した時だけ倍返しタイプだが、悠護は家のこともあり今まで喧嘩の類をしていなかったせいで喧嘩の範疇の線引きというのが曖昧だ。
彼が本気で怒れば、それこそ男女問わず殴りにかかるだろう。
「あ゛ー、思い出したらまた腹立ってきた。あの時止めなきゃよかった」
「まあ、さすがに今ので反省したでしょ。そんなに気にしないで」
「……ならいいけどな」
ひとまずアイリスの真の改心を信じて話を打ち切ると、二人の間に静寂が下りる。
前世を思い出した以上、話したいことは山ほどある。だが、離れ離れになっていた年月があまりにも長く、話したくても口の中が一気に乾いてしまう。
伝えたい想いも決意もあるのに、変に湧き出た緊張がそれを拒む。それがなんともどかしいことか。
なんだが気まずい雰囲気になり、日向が髪の先を弄っているとおもむろに悠護が距離を詰めてきた。
一気に距離が縮まってひゅっと息を呑むと、悠護の手が首の後ろへ回る。
その時、チャリッと日向の首から白く輝く十字架が胸元に落ちた。細身のチェーンで通されたペンダントトップの中心には琥珀の石が埋め込まれており、モチーフは描かれていないけど、日向好みのシンプルなデザインだ。
「これって……」
「前に手紙以外に贈りたいって言ってくれただろ? でも、お前には色々と助けられてもらってるから、せめて何か贈りたくて作ったんだ」
「作ったって……この琥珀もっ?」
「ああ、言ってなかったな。一番得意のが金属干渉魔法ってだけで、物体干渉魔法ならある程度使えるんだ」
軽い口調で話しながら、悠護はネックレスの留め具を嵌める。
首筋から感じる金属の感触に、日向の指先がゆっくりとチェーンからトップに触れた。すでにさげている黒い十字架のネックレスを見せると、お揃いだと知りぎゅっと握りしめる。
「……なあ、お前も前世のことは思い出したんだろ?」
「うん…………悠護が、クロウ……なんだよね?」
「……ああ。そして、お前がアリナだ」
互いに前世の名を呼ぶと、二人は肯定の意味を込めて目だけを向ける。
二人の目に宿るのは恋情の熱。真夏の暑ささえ敵わないその熱量に、じわりと滲み出た汗が頬を伝う。
「……日向」
「……何?」
「俺――お前のことが、好きだ」
甘く、囁くような声色で想いを告げられる。
思わず顔を上げると、いつもとは違う優しい眼差しが日向を見つめる。
その眼差しが熱っぽく、それでいて純粋な想いを伝えてくるせいで頬が紅潮していくのを感じた。
「好きになったのは前世を思い出すよりも前だ。前世を思い出して、この気持ちが俺のじゃなくてクロウのものだって何度も考えた。……でも、やっぱりこの気持ちは俺の――黒宮悠護のものなんだって分かった。それは、前世を思い出しても得た確信だ」
聖天学園で出逢って、パートナーになって、様々な事件に巻き込まれ、そして生き別れてしまった前世を思い出した。
かつてのクロウが愛した女性はアリナだった。だけど、今の悠護が愛しているのは日向という少女だ。
たとえアリナの生まれ変わりだろうと、その気持ちに嘘偽りはない。
「……お前は? 俺のこと、どう思ってるんだ? 日向」
そしてそれは、日向だって同じだ。
カロンの手によって引き裂かれ、永遠に会えないと思っていた前世の想い人。それが悠護だと知ってもなお、日向が世界で一番愛する人は悠護という少年だ。
自分が持つ全ての〝愛〟を捧げても構わないと思える相手は、彼しかいない。
彼しか一生を添い遂げたくないし、家族になって幸せに満ちた日々を送りたくない。
目頭が熱くなる。想いが堰を切ったように溢れ、涙という形になって零れ落ちる。
ぽろぽろと真珠の如く落ちるそれを、悠護が指先で優しく拭うも、そのぬくもりでさらに溢れ出る。
「…………あたし、も……」
唇からか細い声が漏れる。
愛しい人への想いに答える言葉を出すために。
もう二度と離さない。離したくない。離れたくない。
生き別れるのは二度もごめんだ。幸せを奪われるのも嫌だ。必ず守り抜いてみせる。
好き。大好き。愛している。
ずっとずっと、永遠にそばにいたい。
「あたしも……好き……、悠護のことが……。前世なんて関係ない、あたしは……黒宮悠護のことを……愛してる」
ようやく伝えられた想いを聞いた悠護が、嬉しそうに幸せそうに微笑む。
二人の顔がどちらともなく近づき、唇を重ね合う。
あの寒空の下で交わした塩辛いキスではない、幸せに満ちた甘いキス。
軽く触れたそれが名残惜しそうに離れるも、目元を赤らめた悠護がもう一度唇を重ねた。
「んっ……ふぅ……」
遠慮がちに舌が唇を割って差し入れ、ゆっくりと舌同士を絡ませた。互いの唾液がくちゅりと卑猥な音を立てるも、深くなる口付けに無意識に甘い声が漏れる。
自分の口から出たとは思えないその声に羞恥で顔をさらに赤くするも、離れたくなくて手を彼の背中に回す。
ぎゅっと服の裾を掴むと、目の前の悠護が小さく笑った気配がした。
己の中の恋情に耐え切れず、悠護は何度も唇を吸う。触れ合う唇の甘さに酔いしれ、日向の目がとろんと蕩けていく。
今までも前世でも見たことのない表情を前に、悠護の背筋に快感がゾクリと走る。
本当なら今すぐにでも押し倒して、この柔らかい感触を堪能した衝動に駆られるも、やっと想いが通じ合ったのに無理強いをして嫌われたくはない。
なけなしの理性の奥で隠れていた正気を取り戻し、何度味わったか分からない唇を離す。互いの口から銀色に輝く透明な糸が繋がるも、すぐにプツンと切れる。
乱れた息を整える日向がどこか恨めしげな目で睨みつけるも、悠護は小さく笑いながら額同士をくっつける。こつんと当たったそれに彼女の目つきが少し鋭くなるも、すぐに緩ませて同じように笑みを零す。
薔薇園に二人の笑い声がくすくすと響く。
数百年の時を経て再び出逢い、想いを告げ、成就した恋人達の幸せな笑い声は、日が少し高くなる頃まで零し続けた。
「ああ……本当によかった」
薔薇園を見下ろせる階で、ティレーネが安堵した声を漏らす。
ちょうど東屋の屋根で先ほど見送った少年少女が一体何をしているか知らないけれど、微かに聞こえてくる笑い声を聞いて、それだけでようやくあるべき姿に戻ったのだと知らせるには充分だった。
敬愛するお嬢様が死に、失意と絶望のどん底に落ちたティレーネは、抗争後はエレクトゥルム男爵家の部屋に引きこもってしまった。食事は当時お世話になった先輩メイドの方々に部屋まで運んでもらい、食事と身を清めること以外の時はずっとベッドに寝たきりだった。
何かをすることもできず、目の前の風景すら色褪せ、何度自分の手でこの命を終わらせようかと考えた。
『まず最初に、あなたにはこれから先の未来もこの国を守護する任を与えます』
『私達人類が生きている限り、この星は永遠に生き続けます。つまり、あなたには世界が滅びるその瞬間まで、この国を守るために生き続けなければいけない』
『もちろん、これが過酷なのは承知の上です。ですが、私にはそれしかあなたに与える罰を思いつかなかった』
脳裏にアリナのあの言葉達が浮かんでしまう。
もちろんあの時に下した罰の内容が、半分は意地悪で言ったのだとずっとそばで仕えていたティレーネは察していた。
あの時の自分は残酷と思える罰を欲していた。自身の監督不行き届きで妹が国王と共謀し、アリナは愛する伴侶となる恋人を失った。だからこそ、我が主はあんなことを言ったのだと。
アリナ自身も、ティレーネが自分の言う通りのことをするとは思っていなかったはずだ。
でも、死よりも辛く長い永遠の生を過ごすことこそが、ティレーネに相応しい罰だと思えた。
そうして、ティレーネ・アンジュ・クリスティアは、不老不死になる道を選んだ。
魔導士は生魔法で肉体の老化を抑えれば一〇〇歳以上は生きられるが、完璧な不老不死を実現することはできない。
主から下された罰を受けるため、ティレーネは干渉魔法を使って己の寿命を
時間干渉魔法は現実世界の時間だけでなく、術者本人の肉体に訪れる寿命という名の『時間』に干渉することで生魔法では為し得ない長寿を可能とする。
もちろん寿命を大幅に延ばしたことで、肉体にかかる負荷は大きく、ティレーネの肉体は負荷から壮絶な苦痛から解放された時にはすでに成長……老化すらも止まってしまった。
『落陽の血戦』から一〇年後、当時二八歳のある秋の日だった。
普通の魔導士より長生きになったティレーネは、イギリスのために王室に仕える道を選び、時々訪れた惨事を阻止続けた。
一個人では抱えきれない案件ではティレーネが選別した魔導士を育て、一個師団を編成。後に『時計塔の聖翼』と呼ばれる組織の誕生のきっかけになる。
アリナとジークから直接魔法の手ほどきを教わったティレーネは、王室お抱えの魔導士達に魔法を押して、さらに国が国税を使って設立した魔法研究所で魔法発展のため、国の審査によって開発を許可された魔法や魔導具の製作に協力もした。
現代まで残した経歴は、ティレーネが叙爵された爵位の枠を超えた権力を手に入れ、自身の住居となる塔も建設。そして、今より僅か一〇〇年近く前、ティレーネは式典や無視できない有事がない時は一日中塔で優雅な暮らしをするようになった。
この時にはすでにティレーネの手を借りなくても解決する問題も増え、時折運んでくる書類仕事をこなすことが多くなった。必然的に自分の時間が作れるようになり、今まで興味があってもできなかったことをするようになった。
昔から嗜んでいた手芸やお菓子作り、絵描きやチェス、ヨガや日本の文化である生け花など物珍しいものにも手を出して、それなりに充実した日々を送れた。
それからまた長くも短くもない時間が流れ――ティレーネは、ようやく敬愛する我が主との再会を果たした。
あの時と同じ姿をした主は、性格や口調に多少の齟齬がありながらも、あの優しい心根はそのままだった。
同じように生まれ変わった愛しい人と再び結ばれ、今目の前で幸福な笑い声が聞こえる。
(とはいえ、ずっとこのままとはいかない)
同じように生まれ変わったカロンもそうだけど、あの二人が生き別れる原因の一つとなった愚妹もいる。
『落陽の血戦』後は周囲がドタバタしていたせいで逃したが、再び姿を現したのなら、実の血の引く姉として、そして一魔導士として見過ごすことはできない。
「……さて、これからのことも国王陛下と共に話し合わないといけませんね。この国の未来のため、そして……あの方の幸せのためにも」
愛すべき国と主。
二つの大切すべき存在が自分の手元にあるのだと再認識しながら、【紅天使】は王宮の絨毯を踏みしめた。
☆★☆★☆
薔薇園から離れた日向と悠護は、気恥ずかしさで互いの顔を見ることができなかった。
よくよく考えたら、二人の恋愛は健全を地で行くもの――それこそド健全と言っても過言ではないものだった。前世では婚前交渉は汚らわしい行為とみなされ、金を稼ぐために身を売る娼婦を貴族連中は『穢れた女』と侮蔑していた。
アリナはともかく元貧民街出身のクロウも貴族の常識に従わせざるを得なくなり、観衆の目の前で抱きしめ合うこともしなければ口付けもしない。
現代では本当に
『灰雪の聖夜』でした時は不思議とそこまで考えられなかったが、よくよく思い返すとあれは単純に傷の舐め合いに近い行為だった。
そんなわけで、前世を思い出した影響で貞操観念が昔に戻った二人は気まずい雰囲気を出しながらジークの部屋に向かっていた。
ジークの部屋は王族の誰かが病気を患った際に隔離として移動される部屋があり、弱っているところを狙う外敵の攻撃から守るための結界が施されている。
表向きは『レベリス』の長であるジークは死んだことになっているため、『叛逆の礼拝』で原因不明の呪いを受けた『時計塔の聖翼』の魔導士として部屋をあてがわれた。
「……ジーク、大丈夫かな」
「心配するなよ。あいつのしぶとさ結構スゲーこと知ってるだろ? それにノエルがいるから多分大丈夫だ」
思わず呟いた日向の独り言を、悠護は嫌な顔一つせず答える。
今の二人にとって、ジークは憎むべき敵ではなく大切な盟友だ。それに加え、彼を襲った呪いをかけたのは真に憎むべき相手であるカロンだ。
真実を知った今、ジークの身を心配するのは自然の流れだ。
「…………?」
「日向? どうした?」
ジークの部屋に近づくにつれて、部屋の周囲に感じる魔力を察して首を傾げた。
隔離用病室がある棟は、掃除以外ではメイドも侍従もあまり近づかない場所だ。それなのにジークとノエルだけでなく、覚えのある魔力があるのはおかしい。
他の魔力を察知していない悠護が声をかけるも、なんとなく嫌な予感がして、早足でジークがいる部屋の扉をノックもせず思いっきり開く。
「なっ……!?」
「これは……!?」
部屋の中を見て、日向だけでなく後を追いかけた悠護も息を呑む。
白い紗のカーテンと赤いビロード生地のカーテンが重ね合った天蓋ベッドの上では、シーツよりも白い髪を広げたジークが安定した寝息を立てている。
だがそのベッドの周辺には、ノエルだけでなく樹と心菜、それにアレックスがうつ伏せで倒れている。惨状を見て呆然とするも慌てて室内に入り、倒れている親友の元へ駆け寄る。
「心菜! 心菜、しっかりして!」
「ん……、ぅん……」
日向の呼びかけに心菜が呻き声を上げながら反応するも、真っ白な瞼は閉ざされたままだった。
何故彼女達がここにいるのか知らないが、もしかしたらカロンの呪いの余波を受けた可能性がある以上、放っておくことができなかった。
「おい樹、どうした! 一体何があった!?」
「う……悠護、か……?」
肩を揺さぶられて意識を取り戻した樹が、瞼を震わせながらサファイアブルー色の瞳を開ける。
だがその瞳もどこか朦朧としており、微かながらも上下に震える右手をゆっくりと伸ばす。
「しっかりしろ! 何があったんだ、俺にできることはあるか?」
「あ…………ああ……、ある………」
「なんだ、言ってみろ」
掠れた声で呟きながら右手を伸ばす樹の姿に、只事ではないと察し息を呑む二人。
しばしの沈黙の後、樹の乾いた唇から漏れたのは――
「は…………………腹が、減っ……た………………」
ぐううううううううううううう、ぐぎゅるるるるるるるるるる~、ぐごー。
「「………………………………………へっ??」」
予想より真反対かつ盛大な腹の虫四重奏に、日向と悠護は間抜けな顔を浮かべながらこれまた間抜けな声を出す。
だけど、樹のおかげで二人はこの状況の原因が全て理解した。
ここにいる行き倒れ四人組は、魔力の過剰消費による空腹症状に陥っただけだ。
魔力の元となる生命エネルギーが適度な休息と十分な食事によって回復すると立証されている現代において、魔導士が行き倒れるなんて展開は間抜けそのもの。
色々と心配した二人はとんでもない肩透かしを食らい、安堵よりも怒りが湧いてきた。
日向と悠護はぷるぷると肩を震わせ、こめかみに青筋を浮かべ、
「「紛らわしいことをするな―――――――――ッ!!」」
あまりにも人騒がせな騒動を起こした四人に向けた絶叫は、棟を超えてバッキンガム宮殿中に響き渡った――。
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