第180話 『悪』は目覚める
「ふふ……そんな目で見つめられると、私とて照れる。少々その熱い眼差しは抑えてはくれないか?」
カロンがくすくすと笑う。
熱い眼差しどころか敵意と殺意の眼差しを向けているにも関わらず、相手は涼しい態度だ。まるでこちらの感情などどこ吹く風のように。
そう思えてしまうほど、今のカロンは余裕綽々だ。
「さっきの姿……国王、あんたの今世が烏羽志紀だったのか」
「……知り合いなの?」
「知り合いも何も、烏羽家は桃瀬家に変わる都内入りした黒宮家分家だよ。まさか三回連続で黒宮家絡みとか……君、不運に愛されてない?」
「んな傍迷惑な愛され要素あって堪るか!」
怜哉のからかいに、悠護が本気で嫌そうな顔で否定した。
だが悠護の言う通り、カロンがもし今世に生まれ変わるなら名前が違う『誰か』になっている。それは、今の自分達がいい例だ。
だけど、姿が変わる前のあの姿は理由が分からない。現に日向達は、今世生まれ変わっても前世と変わらぬ容姿をしているのに。
「ああ、あの姿は私の魔法で見せた認識阻害だ。生まれた時からこの容姿だ」
「なら、なんであんな姿になっていた?」
「単純な話だ。私の母親が当主の愛人だったからだ」
あっさりと、それこそ今日の夕飯について話すような口調でカロンは己の出自を暴露した。
彼の母親は父親である烏羽家当主・
本来ならば魔導医療はどんな怪我も万病も完治できるが、生殖機能及び生殖器は扱いが難しいらしく、加減を間違えると最悪の場合、機能そのものが壊死する可能性が高い。
烏羽家紀重もそういった事情があったせいで魔導医療を施せなかったが、彼自身も愛人の女の間に子供ができたことは予想外だったらしい。
「だが、父のそんな行いによる天罰なのか……私は烏羽家の身体的特徴を受けつがなかった」
魔導士は基本生まれた両親の身体的特徴を濃く受け継ぐ特性があり、理由は不明だが七色家とそれに連なる家系はその特性が強かった。
烏羽家も例外に漏れず、今まで生まれてきた子供のほとんどが烏羽色の髪と青藍色の瞳を受け継いでいたが、カロン――烏羽志紀は家とは真反対の髪と瞳の色を得た。
日本人ではあまり見ない金色の髪と、鮮やかなガーネット色の瞳。
顔立ちも父とも母とも似ていなかった彼は、例の認識阻害の魔法を覚えるまでの間はずっと屋敷に軟禁されていた。
魔導具で容姿を誤魔化して学校に通うも、家にいる間は外から鍵をかけられる部屋から一歩も出さない。家族からは冷遇され、家柄目当ての上辺の友達しかいなかった彼は、何故自分の容姿が違うのかずっと疑問に思いながら日々を過ごしていた。
「聖天学園を卒業してから数ヶ月後、私は運悪く事故に遭ってしまった。愛人の子とはいえ、表向きは烏羽家を継ぐ者。さすがの父も私を見殺すような真似はしなかった」
愛人の間に生まれたとはいえ、志紀は烏羽家が待ち望んだ後継者。
家を継ぐ者としての利用価値がある志紀の治療には、湯水の如く金を使ったらしい。その甲斐あって彼の怪我は完治し、後遺症がないまま退院できた。
……ある一点を除いて。
「その時だ、私がかつての前世を思い出したのは」
前世を思い出した時、彼はまさに死の淵に立つ寸前だった。
意識が朦朧とする中、志紀は己の前世をまるで映画を見るように思い出した。
かつての自分が一国を治めた王であること、カロン・アルマンディンという名であったこと、そして……ほの暗く歪んだ劣情を抱いた女欲しさに暗躍し、その女から二七歳までしか生きられない永遠の短命を背負ったことも。
最初は信じられなかった。
前世なんてものは眉唾物で、いくら生死を彷徨っていたからといって信じる方に無理があった。
だけど、それを証明するかのように体調に異変が訪れた。
年を取るにつれて動悸や息切れがし始め、貧血も起きるようになった。
咳き込む度に血が混じった唾が一緒に吐き出され、一度熱を出すと一週間も引かないことが多くなった。
何度病院で診てもらっても、魔導医療を施しても、彼の身に巣食う謎の病気は完治の兆しを一向に見せなかった。
「まさか……」
「そう、お前があの日かけた〝罰〟は、誰もが治せぬ病となって私を蝕んだ」
『
だがそれは、今世のカロン――志紀にとっては、前世の記憶が本物であると裏付けるには充分な証拠となった。
「いくら前世が原因だろうとも、私のしたことはもう許されていいはずだ。そうは思わないか?」
「許されていい……? よくも、そんな口が叩けるね。あなたのせいで、あたしは……!」
カロンの主張に、日向の怒りのパラメータが少しずつ上昇するのを感じた。
日向自身も『
その後もカロンの生まれ変わりだった者達が、一体どんな風に死んでいったのか分からなかった。
彼の言うことが本当ならば、今までのカロンの生まれ変わり達が、二七歳で死ぬ病気によってこの世を去ったのだろう。
だが、その話が彼の魂に刻まれた〝罰〟から解放してもいいとは限らない。
少しばかり後ろめたい気持ちがあるとはいえ、後悔自体はしていない。そうしなければたとえ生まれ変わりだろうとも、『落陽の血戦』のような事態を引き起こす予感がゼロではなかった。
その予感は見事に当たり、カロンは『烏羽志紀』として生まれ変わった。
一目見ただけで感じるおぞましさは健在で、心なしか血臭も漂っている。
この中で一番血と死に関わってきた怜哉も、カロンから漂うそれに敏感に察した。
「しおらしく言っている割には、君からすごい血の匂いがするよ? 一体、何人殺したの?」
「…………さあ、忘れた」
怜哉の質問に、カロンは特に否定も肯定もせずくすくすと笑うだけ。
高級感溢れるムスクと共に漂う血臭は、今のカロンをより一層不気味に感じさせる。誰もが動けない状態の中、一つの影が真っ先に動いた。
ジークだ。
いつの間にか怜哉に預けていた《デスペラト》を持ち、袈裟懸けで斬りかかろうとした。
《デスペラト》の刃がカロンの体を切り裂く前に、萌黄色に輝く透明な盾によって防がれる。
身に覚えのある魔力の色に、ジークは舌打ちをしながら北塔の屋根に向かって睨みつける。
「――フォクス! お前、寝返ったな!」
屋根の上で器用に腰掛けているのは、着物ドレスを着た金髪の美女――『フォクス』と名乗った、かつて仕えてくれていたメイドの少女、フィリエ・クリスティア。
年を立つにつれて昔より妖艶に育った彼女は、扇子を口元に添えながらくすくす笑う。
「あらあらジーク、何を言っているのかしら?
前世からずっと貴族の愛人となって贅沢をしたいと豪語していたティレーネの妹は、今世でも変わらずカロンのために裏切りに尽くしている。
再び自分達を裏切ろうとするフィリエは、日向達からの鋭い睨みを受けても涼しい顔だ。
「ともあれ、私達は目的を果たした。お前が大事に大事にしていた
「まさか……っ!」
ひゅっとジークが息を呑む。
顔色を真っ青にして、《デスペラト》の柄を強く握りしめるもカタカタと小さく震えている彼の姿が愉快に見えたのか。
カロンは三日月のように口元が裂いた笑みを浮かべながら言った。
「――ああ、お前が数百年もかけて作り上げた『
「――『
タワーブリッジに向かう途中、アングイス――ノエルの口から出た言葉に、樹は首を傾げた。
「ジークとイアン――そこにいるラルムが作り上げた巨大魔導具だ。『
「だけど、主が『
「因果整合性って、どんなものなんですか?」
「簡単に言うと物語にある『起承転結』よ」
ルキア――ヘレンが心菜と並ぶように走りながら補足説明する。
「どんな物語にも始まりがあれば終わりがある。試しに病弱の少年の『魂の情報』を因果整合性に則って干渉したら、今までの病気が嘘のように治って、今も元気に走り回る結果を得たわ」
「つまり、それさえ則れば『
ノエルがフォクスと名乗ったあの魔女が裏切ったと知った後、樹と心菜はなし崩し的に彼らと共に行動するようになった。
最初は内部分裂かと思っていたが、『
その時に『
何故、『レベリス』が執拗に日向を狙っていたのか。
それは全て、前世で日向を狙った国王の、歪んで狂った劣情と『
今まで樹達が抱いていた『レベリス』への悪感情が、その目的を聞いただけで全て消え去った。
(それに……)
ちら、と『レベリス』の三人を一瞥する。
数百年も主であるジークのわがままに付き従ったのは、もちろん彼への畏怖や忠誠心だけでなく個人の理由もあったのだろう。
それでも、こうして共通の目的を阻止するために動いている以上。今までのように無碍にすることも、無視することもできない。
(俺達だって、日向達のことが大事だ。それは嘘じゃない)
一年以上を共に過ごしてきた仲間を、友を、見捨てることなど樹にはできない。
少なくとも情に厚い魔導士の特性云々を抜きにしても、どんな戦地だろうと助けに行く気概は樹にも心菜にもある。
(頼むから、俺達が着くまで無事でいろよ……!)
心の中で必死に無事を祈りながら、樹達はタワーブリッジに向けてさらに加速した。
☆★☆★☆
『
初めて聞く言葉に日向達が首を傾げると、カロンは妖しい笑みを浮かべるだけ。
だけど、その姿が一瞬で消えたかと思うと、すぐ背後で嫌な気配がした。
「『
「なっ……!?」
白い指先が日向に向かって伸ばされる。
昔ならばそこまで感じなかったはずのそれが、前世を全て思い出した今の日向にとってはおぞましいものに変わりない。
カロンの手が首筋に向かおうとするも、すぐに腕を掴まれ後ろへ引っ張られる。
引っ張った犯人は、悠護だった。
彼は長剣にした《ノクティス》で突きを放つも、カロンは平然とした顔で躱し、再び姿を消すと元の場所に戻る。
転移だ。カロンは魔法を使ったのだ。
「前世では私には必要ないと思って学ばなかったが……なるほど、これは便利だ。もっと前にちゃんと勉強しておけばいいと思ったよ」
ほんのちょっぴり後悔した顔を見せるも、その背後で跳躍したジークが再び斬り込む。
カロンはすぐさま振り返り、光魔法で生み出した剣で攻撃を防ぐ。シャリリリリンッ! と澄んだ音と風が起きる。
だが風に混じって、花と薬草を混ぜ合わせた匂いが鼻腔をくすぐった。
北塔の屋根で、フィリエが金色に輝く振り香炉を持っていた。
左右にゆらゆらと揺れ、匂いが周囲に漂い始める。それと同時に橋から黒くドロドロとした人型が現れる。
誰もが甲冑を身に纏い、身に覚えのある剣を握っている。この人型の正体に気づいた日向と悠護がひゅっと息を呑んだ。
「これって……!」
「ああ、間違いない。あの女、『落陽の血戦』で死んだ連中を呼びやがった!」
『落陽の血戦』では、多くの兵士も
だけど、それらが全てあの抗争によって無に帰した。
もっと生きたかった、まだ死にたくなかった者達の眠れる魂が、ただの武器として、ただの都合のいい駒として利用されている。日向達の神経を逆撫でする行為を、フォクスは――フィリエは被虐的で恍惚な笑みを浮かべながらやってのけた。
「クソったれがぁ!!」
普段言わないスラングを吐きながら、日向は怜哉に預けられていた《スペラレ》を手に走る。
泥の兵士は本物の剣を持って振り下ろそうとするも、すぐに態勢を低くして下袈裟懸けを繰り出して、相手の胴体を泣き別れさせる。
今まで剣なんて扱ったことはないのに、前世で培った知識と技術がデメリットを無くした。
剣を振るう。
脳漿も血を流さない頭部を叩きつけて、半身を捻りながら背後の敵の首を刎ねた。
剣を振るう。
武器を持つ腕を斬り落とし、甲冑と兜の間に刃を突き刺した。
剣を振るう。
背後から回って袈裟懸けし、勢いを殺さないまま心臓を貫いた。
剣を振るう。剣を振るう。剣を振るう。
昔みたいに敵を倒す。昔みたいに敵を切り捨てる。
ぞわぞわと蠢きながら現れる敵は、まるで悪夢のようで。一刻も早く消さなければという焦燥感に駆られる。
倒さないと、この悪夢が終わらない。
倒さないと、みんなが死んでしまう。
倒さないと、何もかも失ってしまう。
早く、早く、早く。
倒さないと、斃さないと、
「――――日向ッ!!」
声がした。
目の前の敵を斬りかかろうとしたら、泥の兵士は真っ二つに裂かれる。
その向こうから現れたのは、黒髪と真紅色の瞳をした、愛しい人。
前世で生き別れ、偶然にも今世で出会った人。
彼は――悠護は、日向の頭ごと抱え込むようにして、胸に顔を埋めさせながら抱きしめる。
いつの間にか震えていた全身を落ち着かせるように、暴れないようにしないようにと強く掻き抱く。
「しっかりしろ! 今のお前はフィリエの魔法で気がおかしくなってるんだ! これ以上は正気に戻れなくなるぞ!」
「あ……ああ、あたしは……!」
彼の言う通り、もう半分くらい正気じゃなかった。
目の前の敵を倒すことに眼中になくて、早く殺さないと何もかも失うと思った。
でも、このぬくもりは本物だ。泥の兵士は脳漿も血も流さないけど、顔にかかる泥の冷たさは氷そのものだ。でも、今はこのぬくもりがある。悠護の、大切な人の体温と心臓の音が、日向の意識を現実へと引き戻す。
バクバクと動く心臓が収まり始めた時だった。
空中に無数の魔法陣が展開する。赤紫色に輝くそこから、魔法陣と同じ無数の矢が頭上から降り注ぐ。
ドガガガガガガッ!! と轟音と共に泥の兵士が貫かれていく中、フィリエは背後から羽音と共に感じる気配と察知しすぐさま飛び降りる。飛び降りたと同時に何かが当たる音が響き、すぐに背中から鋭い痛みが走る。
軽く呻き声を上げながら、背中からお腹を貫いた物が強引に引き抜かれる。
口から赤黒い血を吐きながら、着地のために風魔法を発動させる。なんとか落下死を免れたフィリエは、軽い足音と共に地面に降り立った相手を見て大きく舌を打つ。
カロンもフィリエを刺した相手を見て、くすりと笑みを浮かべる。
「――ずいぶんと懐かしい顔ぶれが揃っとるなぁ」
「――そうだな。殺すに値する相手がな」
現れたのは、前世で共に魔法を広めた盟友。
【記述の魔導士】ベネディクト・エレクトゥルムの生まれ変わり、【五星】豊崎陽。
【定命の魔導士】ローゼン・アルマンディンの生まれ変わり、ギルベルト・フォン・アルマンディン。
二人の憎悪を滲ませた怒りの双眸は、触れるだけで怪我をする鋭さでカロン達を睨みつけていた。
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