第239話 憎悪の視線

 季節は過ぎ、夏が到来する前の六月三一日。

 聖天学園では一学期末試験が迫っていた。


 一学期末試験は一年生、二年生はただの面倒な試験ではあるが、今年卒業する予定の三年生は違う。

 この一学期末試験の結果によって総合成績が確定され、二学期からはIMFの入省試験や各機関への実習に赴かなければならない。


 実習先ではこの総合成績だけでなく勤務態度等で評価され、一定の水準を超えれば内定をもらえるが、満たさなければ落第となり、第二・第三希望の機関への実習へと向かう。

 もしもし全ての希望先から内定がもらえなかった場合は、諦めて魔導士採用のある企業へ就職するしかない。


 三年生にとって、この期末試験は将来の分かれ道というべき重要なもの。

 すでに二年生から期末試験の対策をしている者がいる中、日向達は学習棟のいつもの部屋で試験勉強をしていた。


「えーと、魔力量の強弱によって起こる自然魔法の変化について……って、これ根本から間違ってる! 誰よ、ここまで滅茶苦茶にしたのは!? あたしが全部書き直してやるっ」

「ダメだ……近代の魔導具の歴史が全然分かんねぇ……! 俺、この魔導具の生みの親なのに……!」

魔核マギアにおける魔導士への影響力を四〇〇〇文字で埋めろだと……? はっ、こんなのオレの手にかかればすぐだぞ。舐めているのか?」


 テキストや問題集の内容を読んで一から書き直す日向、魔導具についてのページを開いて頭を抱える悠護、そして魔導士に関するレポートをさらさらと迷いなく書くギルベルト。

 それを見ていた心菜と樹の顔は、始終苦笑いだった。

 そもそも日向達の前世は、世界に魔法を広めた魔導士の始祖・四大魔導士。その生まれ変わりである彼女らが、目の前の現代の問題を読んで文句を言うのは当然の反応だった。


「いやー、お前らがいると期末試験はどうにかなりそうだなぁ」

「どこがだよ……俺は魔導具関連の問題は全滅してんのに……」

「今度はどこ間違えたんだー? 教えてやるから見してみ」


 すっかり慣れた様子の樹に、悠護は拗ねた顔をしながら自己採点済みのノートを渡す。

 悠護は魔導具の生みの親である【創作の魔導士】クロウ・カランブルクの生まれ変わりだが、彼は『落陽の血戦』で一八歳という若さでこの世を去った。


 当時の魔導具は武器の刃などに魔法陣を刻むという、魔導具の基盤となった技術しかなく、当然その頃の魔導具しか知らない悠護にとって近代の魔導具についての知識はからっきし。

 そのため、魔導具技師志望の樹がこうして勉強を見てもらうのが普通になっていた。


「やっぱり、ここの無魔法以外の九系統魔法関連問題がキモだよねー。魔力量の強弱でどんな風に作用するかとか、二つの魔法を合わせるとどうなるかとかの問題が多い」

「IMFだと部署によっては魔法を使う回数が多くなったりするからな。そういう意味では仕方ないだろう」

「だからってこんな間違った理論を広めるのは解せないけどね……」


【起源の魔導士】アリナ・エレクトゥルムの生まれ変わりである日向は、現代の魔法理論が間違っていると理解しているせいもあり、問題ではなくその理論の訂正に力を入れてしまっている。

 必死に書き直している日向を見て、心菜は苦笑しながら席を立つ。


「みんな、そろそろ休憩にしよう? 昨日作ったパウンドケーキがあるの」

「おっ、今日のおやつは心菜のパウンドケーキか! 何味なんだ?」

「レモンだよ。ウィークエンドシトロンって言うの」

「ああ、あのケーキか。確か『週末に大切な人と一緒に食べたいケーキ』って意味があるな。まさに今にピッタリな菓子だ」

「あれ? でも紅茶切れてなかったか?」

「え? ……あ、ほんとだ」


 悠護の言葉に、心菜は戸棚から取り出した紅茶缶の中身を見て言った。

 缶の中の茶葉はほとんどなく、運が悪いことに他の紅茶缶もない。


「じゃああたし買ってくるよ。気分転換に散歩したいし。いつものでいいよね?」

「あ、じゃあお願い。お金は帰ってくるまで用意しておくから」

「オッケー」


 学習棟に置いてある食材や調味料などは、全員がお金を割り勘しながら出しあっている。

 財布とスマホ、それからエコバッグを持って部屋を出た日向は、慣れた足取りで購買に向かう。

 品揃え豊富な購買でいつも飲んでいる紅茶缶を購入。それをエコバッグに入れて戻ろうとしたところで、目の前の女子二人が自販機の近くで会話しているのを見つけた。


(あれは……D組の鈴木恵美子さんと山本里香さんだ)


 何度か授業で見たことはあるが、大して親しくもない同級生二人は日向を見て表情を固める。

 何故そんな反応をするのか分からず、とりあえず会釈だけしてそのまま歩き去ろうとした時だ。


「――ちっ、やっぱりいけ好かない女」


 ただの独り言だったかもしれない。だけど、鈴木が零したその声は日向の耳にしっかり届いた。

 でも、そこで何を言うつもりもなく、日向は無視して来た道を戻る。


(あんなのは慣れてる。いまさら気にすることはないけど……やっぱり、いい気分じゃないな)


 小学校に上がってから、日向は何故か女子から反感を買うようになっていた。

 両親を亡くし、早く大人にならないと急いていたこともあり、なるべくいい子でいたことが他の女子の癇に障っていたらしい。

 たまに陰口をかけられたり、わざとぶつかったりと地味な嫌がらせをしてきたこともあれば、勝手に二股疑惑をかけられて知らない女子からリンチを受けるなどひどいものもあった。


 でも、そういうのは数をこなせば慣れてしまい、今ではどんな状況でも正論で叩きのめすことができる。

 そこは前世でも同じだったし、恵美子の陰口を一々気にすることはない。

 しかし、とくに何も知らない相手からの陰口というのは、やはりどう考えても気分が悪い。


(また何か言ってきたら、次は声かけてみようかな)


 そう考えながら、日向はみんなが待つ学習棟の部屋のドアを開けた。



 翌日。七月に入り、陽はHRホームルームで開口一番に切り出した。


「いよいよ期末試験が来週に迫っとる。毎年、期末試験は筆記試験と実技試験を行うんやけど……三年生の実技試験は今までとはちゃう」


 どこか重々しく言う陽にクラス中が騒めく。

 しかし、その空気をジークが出席簿で陽の頭を叩いたおかげで霧散した。


「何口調を変えて言っている。連絡事項くらい普通に言え」

「くっ……相変わらず冗談の通じない……あっはいわかりました、わかりましたから角で叩こうとせんといて。さすがにワイも死ぬ」


 本気ガチる気でいるジークを見て、陽は手の平を返して謝る。

 目の前で繰り広げられるコントに全員がくすくすと笑っていると、陽は気を取り直すように咳払いした。


「ごほん。えー、ちょっと意地悪く言うてしもうたけど……三年生の実技試験はいつもの二人一組ツーマンセルやのうてチームで行うんや」

「チーム、ですか?」


 反芻する遠野の言葉に、陽は頷いた。


「せや。通常、魔導士の仕事は二人一組ツーマンセルで行うのが基本や。せやけど、大規模な作戦になると集団での行動は避けられない。そこで、この期末試験でチームワークをどこまで養えているのか見極めるんや。なお、この試験でのチーム編成は仲のええ友達でも、他のクラスの子でも自分の好きなようにしたらええ。ただし、人数は五人までやから注意しぃや」

「実技試験の内容は当日に発表される。それまで、筆記と並行して腕を磨くことを薦める。以上でHRは終わりだ。午前授業だけだが、しっかり勉強するように」


 そうして今日のHRが終わると、クラス中がチームを組むための誘いの声があちこちで飛ぶ。

 スマホのSNSを使って誘っている子を横目に、樹は通学鞄からタケノコの林(タケノコの形をしたチョコ菓子だ。姉妹品でキノコの森がある)を取り出して、封を開けた。


「俺達はいつも通り一緒に組もうぜ。わざわざ探すことねぇだろ」

「だな。そっちのほうが気楽だ」

「じゃあ今日は実践授業があるから、念のため模擬戦闘をしよっか」


 悠護が樹のタケノコの林をつまんでいるのを見ながら言った直後、背後から視線を感じて振り返る。

 教室の出入り口であるスライドドアの先には、昨日の鈴木と山本が日向をじっと睨んでいた。日向の視線に気づくと逃げるように立ち去った二人に、同じように見ていた心菜が首を傾げた。


「今のって、D組の鈴木さんと山本さん……だよね?」

「うん。昨日購買ですれ違ってから、寮で通り過ぎるだけでも睨んでくるんだよね」

「お前、あいつらに何かした……わけねぇよな。他のクラスじゃあんま接点ないし」


 たまに他クラスと授業が一緒になったりするが、部活でも入っていない限り接点はあまり持たない。

 理由が分からず首を傾げていると、悠護は気まずそうな顔をしながら言った。


「あいつら……確か、希美の腰巾着やってた奴らだ」


 桃瀬希美。

 黒宮家の分家の一つであった桃瀬家の息女で、悠護の幼馴染み。

 悠護に恋する余り狂ってしまい、その想いをフィリエに利用され、そして彼女の無慈悲な魔法によって血も骨も残らず消されてしまった少女。


 一年のクリスマス・イヴに起きた『灰雪はいせつの聖夜』の出来事は、今も苦い過去として日向達の中に残っている。

 希美の交友関係がどんなものだったのか知らないが、少なくとも普通に会話する程度には仲の良い友人くらいはいたはずだ。

 もし、その友人の中にあの二人が入っていたら、日向を睨んできたことに説明がつく。


(あの二人は、あたしのせいで桃瀬さんが死んだって思ってるよね……)


 確かにあの時、日向は当事者として現場にいて、希美を救うことはできなかった。

 魔導士家系にある情報網は家によって様々だが、その中に悪意ある情報が流れていてもおかしくはない。きっとあの二人もその情報を得て、日向のことを恨んでいるかもしれない。

 思わず顔を俯かせる日向に、悠護はその額にデコピンを一発放った。


「痛っ」

「あいつを死なせたのはお前のせいじゃないし、救えなかった俺にも責任がある。何も知らない奴のことは無視しろ。気にするな。……お前には、やることがあるだろ?」

「……うん。そうだね」


 悠護に諭され我に返った日向は小さく頷いた。

 そうだ。今、日向がすべきことはたくさんある。

 カロンのこと、『蒼球記憶装置アカシックレコード』の返還、そして互助組織。


 自分が掴み取りたい未来のためには、叶える段階で色んな問題が山積みだ。

 目的を叶えるためならば、山本の件は無視しなくてはならないのは仕方ない。

 一八歳の少女が抱えるべきではない問題の数々を再確認した日向は、小さくため息を吐きながらタケノコ形のチョコ菓子を口の中へ放り込んだ。



☆★☆★☆



 なんの悪戯なのか、四時限目の実技はD組との合同授業だった。

 体操着に着替えて校庭で集まっている間も山本から視線を受けており、朝気にしないようにしていた日向もさすがに気になってしまう。

 なるべく平常心でいると、ふと目の前にいる教師の数に首を傾げる。


(あれ? なんか今日は多いような……)


 合同授業の場合、クラス数のことを考えて一〇人くらいの教師が用意される。

 だけど、今日用意された教師は二〇人と多い。疑問に思って首を傾げていると、陽が拡声器片手に説明を始めた。


『えー、では今日の実技内容を説明するで。今回する実技は、。ま、ちょいとムズいかもしれへんけど、期末試験のためや思て頑張りや~』

「………………はいっ?」


 兄の口から出てきた内容に、日向だけでなく周囲がざわつく。

 陽が放つ魔力弾を全部弾くか打ち消す。簡単そうに見えるが、実はかなり難しい内容だ。

 そもそも魔力弾は文字通り、魔導士の魔力を凝縮した弾丸だ。魔力値が高い魔力弾は弾くことはできても、打ち消すのは困難を極める。


 陽はそれを理解している上でこんな実技内容を提示したのだろう。

 いずれ訪れる災いに立ち向けるための準備として。

 ……だとしても、この授業内容は少々鬼畜だろうと思わざるを得なかった。


『今日の授業中に終わるようにするとかなりキツキツになるから、できるだけスムーズにやってくれると嬉しいわ。んじゃ、これからここの先生らが名前呼ぶから、呼ばれた人はそっちに行きやー』


 陽の指示に従い、次々と名前を呼ばれた同級生達が教師達の放つ魔力弾に苦戦していた。

 威力は弱くしているが、それでも魔力の塊が体のどこかに当たるのはかなり痛い。

 ちょうど実技が終わった同級生が体操着の袖を捲って、腕にできた青痣を友達に見せていた。あそこに魔力弾が当たった証拠だ。


 そうしていると、次々と名前が呼ばれていく。

 悠護は《ノクティス》で全部斬り捨てており、相手の魔力弾が真っ二つになっているのを初めて見た同級生達は声を上げる。

 心菜はリリウムに目では追えない魔力弾の対処を任せ、自分は防御魔法を張って魔力弾を弾いていた。


 樹はかつて陽とやった秘密の特訓の成果を見せており、両目を閉じた状態で魔力弾を全部避けていた。時にアクロバティックな動きを見せ、大胆かつ機敏な動きに誰もが息を呑んだ。

 そしてギルベルトは完全に力技で、自分の周囲に雷を発生させて魔力弾を全部消していた。しかも追尾機能もついていたのか、魔力弾を雷が追いかけて撃ち落としたのを見た時には陽とジークは苦笑いを浮かべていた。


「次、豊崎日向!」

「はい!」


 最後に自分が呼ばれ、腕輪にしていた《スペラレ》を剣に戻す。

 誰もが白銀に輝く剣の美しさに見惚れるも、陽がいくつもの魔法陣を展開する。


「んじゃ、行くで」


 そう合図とも言えない声をかけた直後、魔法陣から魔力弾が機関銃のように大量放出する。

 今までの教師達とは明らかに多すぎる魔力弾に、生徒達は悲鳴を上げるが日向は一切動じないまま《スペラレ》を横一閃。

 瞬間、魔力弾はそこでピタリと動きを止めて、小規模な爆発を起こす。


 それを見て陽が別の方向から魔法陣を展開し、今度は矢の形をした魔力弾が発射。

 日向はすぐに体の向きを変え、悠護と同じように一太刀で両断する。息つく間も再び魔力弾が襲いかかるも、日向はそれを全て斬り伏せる。

 三年近く前までただの人間だった少女の圧倒的な実力に、誰もが息を呑む。


(待って待って待って! これはさすがに聞いてないよ陽兄ぃ!?)


 しかし周囲の反応とは反対に、日向は内心冷や汗をかきながら魔力弾を斬っていた。

 突然放たれた過剰攻撃は日向も予想外で、《スペラレ》に無魔法を付与させながら斬る方法をあの場ですぐ思いついたことは素直に褒めて欲しい。

 魔力弾を放つ余波で土煙が立ち込めてる中、日向はしっかり見た。


 ――明らかに今の状況を楽しんでいる兄の顔を。


(あんのドS兄ぃぃぃぃ! 完全に楽しんでやがるぅぅぅ――――!!)


 完全に自分を虐めているだけだと分かるその顔に、日向は怒りを滲ませながら睨みつける。

 するとニコッ☆と効果音がつきそうな笑顔を浮かべた陽が、さらに魔力弾の数を増やした。

 それが嫌がらせだとくらい察した日向は、無魔法の威力を強くし魔力弾を打ち消す。


「何をやっているんだ、あいつは……」


 兄による妹へのいじめを見て、ジークは呆れたようにため息を吐く。

 土煙が周囲に立ち込めたのを見て、そろそろしないと校庭がダメになると思ったジークは首に下げていた笛を鳴らす。

 ピピーッという音に陽は魔法陣を消し、日向は《スペラレ》を腕輪にするとその場に座り込んだ。


「終了だ。……お疲れ様」

「は、はい……水、水を……」


 ジークの労いに律儀に返事をし這う這うの体で下がる日向を、悠護達が慌てて駆け寄り保護する。

 全身から流れる汗を拭いながら水分補給している間も、鈴木と山本は日向のことをずっと睨んでいた。

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