第223話 仕事終わりは一杯のカクテルから

 異界が黄金の雷に支配される。

 床を伝って全身に走り、気絶していく者が次々と倒れていく。防御魔法でなんとか耐えようとするも、桁違いの魔力と威力に押し負けそうになる。

 突貫した仲間が魔導具を使って魔法を放とうとするも、白の剣士が一足で距離を詰めて一太刀浴びせる。


 血飛沫が舞い、白の剣士の頬に血が付着する。

 頬から涙のように流れるそれを、ペロリと舌で妖艶に舐め取る姿は、恐怖心をさらに煽った。

 その間に尾白の剣士は次々と敵を薙ぎ払い、血の海を作り続ける。


(なんだこのバカげた強さは……!? 本当にただのガキか!?)


 ここにいるほとんどが実力主義の魔導士家系出身者なため、自分達を倒す少年二人の圧倒的な実力の差に尻込みしてしまう。

 どれほど魔法の腕を磨こうとも、生まれついての天賦の才能はそう簡単に追い抜けるものではない。

 正直今の状況は、なんの力もない蟻の軍団が二頭のアフリカゾウに挑むような無謀さだ。


 だが、それでもここでやられるわけにはいかない。

 自分達の手から無理矢理奪われた幸せを、苦労も挫折も知らない子供に全てくれてやるつもりもない。

 だって……そうしなければ、あまりにも不公平だ。


「――貴様が考えてることは分かってる」


 その時、竜になった金髪の少年が口を開いた。

 縦長の瞳孔をした柘榴色の双眸が射貫くように見据えてきて、ヒュッと息を呑む。


「大方、泥水を啜って生きてきた自分達より幸せになろうとする準魔導士が許せないのだろう? 大人のくせに情けんと思わんのか?」

「っ! じゃあ、テメェらには分かるか!? 俺達がこれまで過ごしてきた人生を!」

「分からないが、知ることはできる。これでもオレはいずれ一国の王として民衆を導く者だ。魔導士崩れがどのような経緯で裏社会に生きることになったのか、その間に危険な仕事をし続けてきたことを調べるくらい造作もない」


『王』と言い放つ少年の言葉を理解するよりも、身の中にある怒りをぶつけるように叫ぶ。


「ガキが知った口聞くんじゃねぇよ! そうやって、俺達を勝手に哀れんでくるバカが一番嫌いなんだよっ!!」


 ああ、本当に反吐が出る。

 なんの事情も知らないくせに、酒の肴として軽く境遇を話すと哀れむような目をして同情してきたバカ共を思い出す。

 周囲からのゴミを見るような目よりも、格下を虐めてカースト上位にいることに愉悦を感じる目よりも、その目が一番嫌いだ。


「……貴様がどう思おうが勝手だが、己が受け続けた苦しみを味あわせるためだけに未来ある若者を害することは許されない所業だ」


 少年の右腕が黄金の鱗で覆われた竜の腕に変わる。

 黒曜石のような黒い爪を構えた直後に男が警棒型魔導具で接近する。しかし、魔法を発動する前に少年の爪が男の胴体を切り裂いた。

 目にも止まらぬ速さだった。気付けば自分の右肩から左脇腹にかけて三本の赤い線が走り、血を吹き出す。


 警棒型魔導具が右手から滑り落ち、そのまま仰向けに倒れる。

 自分と同じように血を流す仲間の顔すら徐々に朧気になり、

 絨毯に血が染み込んでいくのを感じていると、金髪の少年――ギルベルトが言った。


「……お前達の境遇を生み出したのは、オレ達魔導士だ。その業は一生をかけて背負おう。だから――もう何も恨まず、憎まないでくれ」


 何も恨むな? 憎むな?

 そんなの無理に決まっている。自分より幸せになる者全てが憎くて憎くてたまらない。どれほど己の無力さを痛感しても、何も知らず平和に暮らす人間が憎かった。

 でも……それ以上に、何もできずに全てを恨む自分自身が憎かった。


 善悪を区別できない子供のように癇癪を起こし、周りを憎むことで自分は正しいのだと証明してきた。

 だが、それもこうして竜の爪によって切り裂かれ、自己中心的な醜い感情が暴かれた。

 それなのに、この少年は自分の不幸を己のせいだと言い、これ以上同じ過ちを起こさないよう諭す。


 なんていうお人好し。なんていう偽善者。

 こんな甘っちょろいガキに救われたなんて反吐が出る。


(ああ……でも……)


 それすらも、今は何故かとても心地よかった。

 一筋の涙を流しながら瞼を閉じた男に、ギルベルトはすぐに治癒魔法をかける。

 元々の仕事は魔導士崩れの制圧で、殺害は仕事の内に入っていない。先ほど倒した男は少し血を流し過ぎたが、増血剤の投与や肉を食べればある程度は回復するだろう。


「終わったよ」


 振り返ると、血と脂がついた《白鷹》を握る怜哉が立っていた。

 周囲には雷で気絶した者や爪や刀で斬られた者が床に倒れているが、倒した直後に治癒魔法をかけているため死者はいない。

 刃にへばりついていた血と脂を払い、《白鷹》を鞘に収めた怜哉が前方に向かって歩くと、金屏風の裏に隠されていた魔導具を取り出した。


 インペリアル・イースター・エッグの形をしたそれは、自動で異界を生み出す魔導具だ。所有者が事前に異界にする場所を選び、入り口を閉じた直後に異界に入った者を閉じ込めるという仕組みだ。

 普通の異界を作るより簡単だが、見つかればすぐに破壊されてしまう危険性があるため、どこかに隠さなければいけない。


 魔導具の中心の水晶に人差し指を当てて魔力を流し込むと、異界となっていた会場が元の姿を取り戻す。

 異界の会場で付着した血や雷の焦げ目は全て消え失せ、同時に魔導犯罪課の職員が突入する。

封印シギルム』が付与された手錠型魔導具をかけている職員を尻目に、ギルベルトと怜哉は現場責任者として現れた壮年の男性に言う。


「これで魔導士崩れは全員だよ。護送するのは大変だろうけど、よろしくね」

「はい。ご協力ありがとうございました」


 敬礼をして感謝を述べる男性だが、その顔には些か不満が浮かんでいた。

 当然だ。いくら七色家の次期当主でも、自分の手柄を横取りされたら機嫌の一つも悪くなる。本当なら憎まれ口を叩きたいだろうが、ギルベルトがいる手前それすら難しい。

 苦い顔のまま護送の手配をする男性を見送り、ギルベルトと怜哉はエレベーターに乗る。


「……さて、もう一つの仕事が残っているな」

「そうだね」


 あまり振動を感じないエレベーターが一階のホールまで降下し、到着と同時に自動ドアが開かれる。

 警察や魔導犯罪課の連中がいるせいで大騒ぎになっているホールを無視して突っ切り、まだ冷たい風が吹く外に出た。

 そして、入り口で停車していたリムジンに乗り込み、ギルベルトは運転手に行き先を告げる。


「今回の諸悪の根源共がいるホテルに向かう。逃げられる前に急げ」



 横浜にある五〇階建てのホテル。

 その最上階にあるレストランは、今日の夜から貸し切りだった。

 ほとんどの机をどかし、中央にテーブルクロスをかけた巨大な丸テーブル一つと椅子が一〇脚しかない。


「――失敗だと!? 確かに情報は渡したはずだぞ!」


 優雅にディナーに興じていた中年の男や女達の顔色は悪く、仲間の一人の怒声を浴びて俯いている。

 ここにいる者達は、『新主派』の活動に協力していた元スポンサー。

 そして、ジークが入手し、日向から徹一から渡った裏情報を握られ服従の道を選んだ者達と縁を切り、個人の財力と権力を使って互助組織創立を阻止している反対派だ。


 今日、準魔導士を対象とした懇親パーティーを襲撃し、彼らの存在は害意でしかないと世間に知らしめるはずだった。

 それが何故か会場となるホテルはいつの間にか別の場所に変更されており、雇った魔導士崩れ達は魔導犯罪課によって捕縛された。

 近いうちにこの計画がIMFに伝わり、自分達の未来は閉ざされる。


(ダメだ。それだけは、絶対に!)


 ここにいる者達の家は、第二次世界大戦後ずっとIMFと魔導士界の中枢で活動してきた。

 こんなところで全て失うわけにはいかない。

 すぐさま自分達が関与した証拠を消そうと脳内で算段を企てた時だ。


「――全員、揃っているようだな」

「逃げないでここにいたの? ま、手間が省けてよかったけど」


 ドアを蹴破って現れたのは、金髪とガーネット色の瞳を少年と白に近い銀髪とアイスブルー色の瞳をした少年。

 イギリス王室第一王子ギルベルト・フォン・アルマンディンと、白石家次期当主白石怜哉。

 見つかった時点で人生が終了するのが確定な二人の登場に、全員の顔が青を通り越して白くなる。


「こたびの貴様らの所業、すでにIMF東京支部長とその上層部に伝わっている。観念するんだな」

「逃げるのも無理だよ。もうすぐ魔導犯罪課が来るし、抵抗したらそのまま斬り捨てるつもりだから」


 退路を的確に潰され、誰もが意気消沈となる。

 自分の未来を手放す者達がいる中、一人だけ抗う者がいた。


「………………だ」

「ん?」

「何故だ!! あのゴミクズ共に分不相応なモノを与えておきながら、何故私達は全て奪わなければならない!? 魔導士こそが選ばれし神の子! 魔導士としての才無き者は等しくゴミだと、私は父や母、親族達からそう教わってきた! なのに……どうして私が失脚する!? おかしいじゃないか!」


 男の絶叫に近い言葉を、ギルベルトと怜哉は冷たい顔をしながら聞いていた。

 そのまま互いに顔を見合わせ、ため息を吐く。


「……それだ」

「は……?」

「貴様らのその考え自体が、魔導士の未来を潰そうとしているんだ」


 ギルベルトの言葉に、その場にいた全員が絶句する。

 目を見開き固まる彼らに、ギルベルトは続けて言った。


「魔導士が至高の存在だと一体誰が決めた? 魔導士も元はただの力なき人の子だった。魔導士の力で歴史が繁栄した事実は変わらん。……しかし、その力を他者のためでなく己の我欲のためだけに使うこと自体良しとしていない。

 魔導士というのは、常に人と共に歩み、成長し、無数の悪意によって奪われる幸福を魔法というすべで守るための存在だ。その在り方すら忘れ、私利私欲のためだけに未来ある若者達を食い潰してきた貴様らは、もはや魔導士を名乗ることすらおこがましい!!」


 ギルベルトが放った威圧は、その場にいた者達すらも影響を及ぼし、椅子から転げ落ちて震え出す。

 唯一平然としていた怜哉は、左手に持つ《白鷹》の柄を撫でながら言った。


「……僕は、君らがどんな考えを持っていようがいまいがどうでもいい。でも、君らのせいで僕らが生きにくい世界になるのは……正直嫌かな」


 ギルベルトと違い怜哉のはシンプルで短い言葉だったけれど、それでも彼もギルベルトと同じ考えであることを教えてくれた。

 唯一抵抗していた男は、年若い少年の言葉を聞いて跪き項垂れる。


 やがてホテルの外から複数のパトカーのサイレンが聞こえてくる。

 魔導犯罪課の職員によって手錠をかけられ、連れられて行く彼らは厳罰を下され、これまで築き上げてきた財力と権力を失うだろう。

 しかし、彼らは魔導士界の現実から目を背け、我欲を満たすためだけに数々の所業を繰り返してきた。


 因果応報。

 まさに、今の彼らにはぴったりな言葉だった。



☆★☆★☆



「待ってくれ!」


 パーティーが終了し、迎えの車に乗り込む者や電車やバスを使って帰る者がいる中、真矢は父の車に乗り込もうとしていた。

 その時、あの豪華な会場で仲良くなった渉が汗を流しながら駆け寄ってきた。


「佐伯さん、どうしました?」

「はぁ、はぁ……そういえば、君と連絡先を交換していないことに気づいて……急いで戻てきたんだ」

「あ……」


 そういえば、あのパーティーでは会話に夢中で周りのように連絡先を交換していなかった。


「ご、ごめんなさい。私もすっかり忘れていたわ。今交換しましょう」

「ああ……本当にごめん」


 慌ててハンドバッグからスマホを取り出す真矢を見て、渉は申し訳なさそうに謝る。

 すぐに互いの連絡先を交換し、相手の名が表示されているのを確認した。


「じゃあ、そろそろ帰るわね」

「ああ。……その……あの……」

「?」


 車に向かおうとした真矢に、渉は口を開いては閉じたりと繰り返し、頬を赤く染める。

 自分より年上なのに可愛らしい反応を見せる渉に、真矢は思わずときめいてしまう。


「…………その、君がよければ……今度の週末、一緒にお茶しないか…………?」


 やがてゆっくりと言葉を吐き出した渉を見て、真矢は目を見開く。

 渉が言ったのがデートのお誘いということくらい、中学生の真矢ですら理解できた。むしろ自分より年上で、いかにもモテそうな彼がこんなに顔を真っ赤にしてデートに誘うこと自体驚いた。

 だけど……勇気を振り絞って伝えてくれたその想いは、とても嬉しかった。


「…………ええ、私でよければ」


 はにかみながら返事をすると、渉は目を見開くも嬉しそうに顔を綻ばせるとそのまま真矢を抱きしめた。

 突然の出来事に驚いてしまうも、耳元で「ありがとう。とても嬉しい」と呟かれ、真矢の胸に形容しがたい嬉しさが胸の中で生まれ、渉を抱きしめ返した。


 ――この日、パーティーで運命の出会いを果たした加賀見真矢と佐伯渉は、何度もデートを重ね、真矢が高校を進級する頃には婚約を結ぶ関係にまで発展した。

 後に渉が加賀見家に婿入りし、結婚から二年後に魔導士の男児を儲けるが、それはまた先の未来の話だ。



 バースペランカー。

 銀座にあるビルの地下にあるそこは、カウンターとスツールが、赤い革張りのソファー席が二つしかないごちんまりとしたものだ。

 しかしカウンターの後ろにある酒瓶は常連客用のボトルキープを含めると百を優に超える。


 クリムゾンレッドのベストを着たバーデンダーがシェイカーを振るうカウンターの席で、ギルベルトと怜哉は座っていた。

 本来なら未成年だがスーツ姿もあり二〇歳にしか見えない。つまみとして頼んだチョコレートをつまみながら、一息吐く。


「これで任務完了だ。助かった」

「別にいいよ。僕もあいつらが目障りだったし」

「今日はオレの奢りだ。好きなだけ飲め」

「そう? じゃあ、遠慮なく高い酒を頼むから覚悟しておいてね」


 ギルベルトの言葉に、怜哉はくすりと笑いながらチョコレートを一粒口の中に放り込んだ。

 そもそも怜哉があの仕事を受けたのは元々、現当主であり父の雪政からの命令だった。そこにギルベルトがついたのはただの偶然だ。

 雪政の命令では、今回の事件の犯人である彼らは怜哉の判断で生け捕りでも殺害でもどちらでもよかった。


 生か死のシンプルな二択で、怜哉は生かす道を選んだ。

 以前の怜哉なら喜んで殺しを選んだのに、今の自分の心境の変化は怜哉自身すら驚いた。

 だが、生きているからこそ死よりも辛い罰があるのだと知っているからこそ、選んだと言える。

 あの頃のように無闇に人を殺し、どうしようもない渇望を無理矢理潤わせる真似はしなくなったのはいい成長だ。


「お待たせしました。こちらサンダークラップとブルームーンです」


 バーテンダーが頼んだカクテルを目の前に置いた。

 グラスには褐色のカクテルと青いカクテルが注がれており、ギルベルトはサンダークラップ、怜哉はブルームーンのグラスを手に取る。


「僕は年齢的に大丈夫だけど、君は大丈夫なの?」

「問題ない。すでに酒は嗜んでいる」


 魔導士は一八歳で飲酒・喫煙が許されているため、怜哉は法律的に問題ないが、ギルベルトはまだ一七歳だ。

 だけど、ギルベルトの返事を聞いてイギリスが自宅限定なら五歳から飲酒可能な国柄であることを思い出す。


 家の仕事で未成年の内に酒を嗜むようになった怜哉と同じように、ギルベルトも王族としての付き合いですでに酒には慣れているようだ。

 バーテンダーは二人の会話を聞いて何かを察したようだが、あえて口にしなかった。

 客の事情に深入りしない寡黙なバーテンダーに心の中で感謝しながら、二人はグラスを持ち上げる。


「「乾杯」」


 カーン、と澄んだ音と共にグラスを合わせる二人。

 その日飲んだカクテルは、今までパーティーで口にしたものよりもずっと美味しく感じられた。

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