第224話 白の従者は日常を生きる

 四月三日。

 聖天学園の入学式は、春休み最終日に体育館で新入生用の椅子や垂れ幕、さらに『入学式』の立て看板やコサージュは二年生と三年生が一緒になって準備をする。

 その間、教師はその指示や撮影許可をもらいに問い合わせてきたメディアの対応、さらには学園に常駐している警備員の配置で大忙しだ。


 行事が普通の高校と同じくらいある聖天学園だが、毎年入学式と文化祭、そして卒業式ではかなり神経を使うせいで精神的疲労によって職員室にいる教師陣はぐったりしている。

 もちろん去年の二学期から副担任として赴任したことになっているジークも、それまで怠惰に過ごしてきたツケを支払ったかのように蓄積された疲労感が他の教師より桁違いだった。


「つ、疲れた…………」

「お疲れさん。茶ぁ飲んでゆっくりしぃ」


 給湯室から戻ってきた陽が用意したのは、熱い煎茶と桜餅二個(しかも関東風と関西風の両方)。

 いつもなら茶菓子は一つで充分なのだが、今日は脳が糖分をひどく欲しているため嬉しい。


 小麦粉で作られたクレープのような関東風の桜餅ともち米で作られたおはぎのような関西風の桜餅。

 薄生地ともち米の違う食感を交互に味わいながら、煎茶を飲んで一息つく。

 他の教師もジークと同じ作業をしていたが、自分より疲れた様子を見せていない。さすがに何度も経験すれば次第に慣れていくのだろう。


「クソ……まさか数百年引きこもったツケがここでくるとはな」

「昔は従者としてテキパキ働いとったのになぁ。あの頃のあんさん、仕事しないと息できない魚みたいやったな」

「……そうだな。今思えば、従者の時だった頃は一番働いた気がするな」


 従者として働き始めた頃、先輩であったティレーネから仕事のノウハウを叩きこまれ、エレクトゥルム男爵領を出る前までは領地の民達と農作業を経験した。

 あの別邸に移動してからは、ティレーネと分担しながら屋敷を管理してきたが、仕事だけで一日が終わっていたことが多かった。


 だけど、自身の珍しい容姿と何故か生まれつき使えた魔法を目当てに側に侍らせたり、使い勝手のいい道具として使われた過去を思い返しても、やはりあの従者時代が一番輝いていた。

 自分の魔法を恐れず、汚れて穢れた手を躊躇なく取り、奴隷に対しても笑顔を向ける主人の側は、今世も変わらずとても温かい場所だ。


「そういやジーク、お前の親ってどうしているんや?」

「突然どうした。そんなこと聞いてきて」

「いやぁ、何度思い返しても、あんさんの親の話一度も聞いたことあらへんなぁと思うて」


 陽に指摘され、過去の記憶を掘り返す。

 いくら異界で数百年も怠惰に暮らしていても、あの頃の記憶が一度も消え失せることはなかった。

 その中で従者時代の記憶を振り返っても、確かに親の話は一度もしたことはない。


「確かに話したことはないが……私の話など面白くないぞ?」

「ええやんか。ワイらの仕事のは夜なんやから、ちょっとくらい聞かせてや」

「人の過去を暇つぶしの娯楽として扱うな」


 しかし、陽の言う通りの時間まで余裕はある。

 念のため盗聴防止の魔導具を取り出し起動させると、ジークは蕾をつけ始めた桜の木々を眺めながら口を開く。


「……いい機会だ。話してやろう、私の過去を」


 そうして、ジークは人生で初めて自身の過去を語り始めた。



☆★☆★☆



 私はドイツにある辺境の村で生まれた。

 ……ん? ああ、もしかして私がドイツ人だってことに驚いているのか? まぁ、ヨーロッパに住む連中の顔など似たり寄ったりだからな、気付かなくて当然だ。

 父の顔は知らん。母は私が生まれる前に山で狩りに行って、そのまま熊に襲われて死んだと言っていた。当時じゃよくある話だ。なんせ鉄砲がまだなかったしな。弓矢で熊を倒すなど到底不可能だ。


 それで……母は村で一番の機織り名人でな、毎年羊の毛で作った糸を買ってはそれを機織り機で織る姿を何度も見た。母の織った布は大層美しくて、町で売ると飛ぶように売れたんだ。

 私はそんな母の腹から産まれたんだが……どういうわけが、髪と目の色がどちらも似なかった。父は栗色の髪と目、母は金髪の碧眼だっていうのにな。


 村の連中は最初母の不倫を疑ったけど、顔立ちが父に似ていたおかげでその疑いは晴れた。

 だが……子供というのは残酷な生き物だ。自分と違い姿をした者を排斥しようとして、私は会うたびに石を投げられた。

 ……今にして思えばひどい仕打ちだ。石って小さいものでもかなり痛いし、悪意しかない言葉はその倍痛い。そんな目に遭っていたせいか、私は家の裏で一人寂しく遊ぶ子供に成長していた。


 町で布を売る時はフードでなるべく髪と目を隠して、村じゃ買い出しの時しか外に出なかった。

 それなりに平和な生活を送っていたんだが……ある日、流れの盗賊が村を襲った。

 木と藁の家は燃やされ、家畜は奪われ、農具を持って抵抗しようとした男や老人は殺された。女は荷物のように肩に担がれ、子供は動物用の檻に入れられてそのまま連れ去られてしまった。


 ……母は亡くなった父を一途に愛していた女性だった。母は「彼らが去るまで絶対に出てきちゃダメよ」と微笑みながら私を家の床下に隠し、家に盗賊が入ってきた直後に自身の首を……ナイフで掻き切って死んだ。

 私はその様子を床の隙間からずっと見ていた。上から流れる母の血を……私は目の前で見ることしかできなかった。

 盗賊が家を荒し、自害した母への罵声と機織り機を壊す音を聞きながら、私はずっとそこで息を潜め続けた。


 しばらくして盗賊が去って……私は盗賊連中に何度も踏み潰された母の亡骸を抱きしめながら泣いて……その後、家の裏に埋めた。

 村はひどい惨状で、肉の焼ける匂いがそこら中に漂い、匂いにつられた肉食動物達がそれらを食っている間になんとか村を逃げ出した。


 私が隠れていた床下のさらに下の土の中に隠していた金を路銀として持って、着の身着のままで、だ。

 もちろんただの子供がまともに旅などできるはずなく……道中で私の容姿に目をつけた奴隷商人によってそのまま奴隷として売られた。

 

 最初に買われたのは、風変わりな貴族だった。

 幼い子供を観賞用や愛玩の類で愛でるのが好きな男でな。綺麗な服や豪華な装飾品で着飾った私達に頬に触れるだけでそれ以上はしないという変人だが道徳観のある人だった。

 特に珍しい私の容姿が大層お気に召して、他の子供よりも豪華に仕上げられていたな。


 夜九時から一時間だけの愛玩時間を除けば、それ以外は案外普通だったな。

 三食おやつ付きで昼寝の時間もある。頭のいい子には勉学を教え、女には花嫁修業をさせ、しかも結婚適齢期まで育った子供にはどこかの家の人間と結婚させてくれた。

 後から聞いた話だが、あの貴族は元から子供を作れない体だったせいで親族から見放されていたらしい。その心の傷を癒すために孤児を引き取り、ああして着飾らせていたようだ。


 ……まぁ、色々とツッコみどころがあったがいい家だった。

 だけどその男が病で死んでしまい、家に残っていた孤児は自立してどこかの街で働いたり、予定だった相手と結婚したりと歩む道を選んだ。

 私は遺産として受け取った装飾品や服を売って、いろんなところを旅した。


 ……村を出て一年くらいした頃だ、私が魔法に目覚めたのは。

 その時の私は牧場で働いていて、寝床と食事を条件に無給で働いていた。ある日、牧場で育てていた羊や牛を奪うために山賊が山から下りてきたんだ。

 相手は剣を持っていて、牧場主とその妻が斬られそうになった時……私は初めて魔法を使い、気付いた時には風魔法で相手の首を刎ねていた。


 もちろん山賊は恐怖で逃げて行ったが、牧場主達は私のことを化け物を見るような目を向けてきてな……その事件の後、私はその牧場を出て行った。

 その後も旅をしながら、私は魔法を独学で学んだ。どのように使うのか、どういう原理で発動するのか……何故この力が私に宿っていたのか知らなかったが、再び奴隷に戻った後でもこの力のおかげで何度も危機を脱した。


 ある悪徳貴族が王命によって粛清された時、何十人もいた兵士を倒して自分だけ生き延びた。

 花街で男娼として売られそうになった時、襲ってきた相手を眠らせて逃走した。

 乗っていた馬車が賊に襲われた時、相手を殺して危機を乗り越えた。


 そんな風にいろんな場所に行き、いろんな相手を主人としながら生き続けた。

 それから数年が経ち、私の雇い主であり売人であった行商人と訪れたイングランド王国で……私は、アリナと出会った。


 私と同じ力を持つ少女。自分を買うと言ったおかしな貴族の娘。

 ああ、あの時お前は大笑いしていたな。あれも結構インパクトある思い出だったな。

 お前は行商人を魔法で操って上手く懐柔し、私はアリナに買われ、彼女の従者として仕えることになった。


 アリナとの生活は今までの生活よりやりがいもあったし、なにより幸せな時間だった。

 初めて辛く苦い恋もしたし、最終的にこの手で彼女を死なせてしまって後悔もあるが……それ以上にあの領地で、あの別邸で過ごした日々が、私にとってはかけがえのない宝物なんだ。


 あの日以上の幸せはなかったと、今も胸張って言えるだろうな――――。



☆★☆★☆



「…………こんな感じだ。あまり楽しいものではなかっただろう?」


 冷たくなった煎茶を飲むジークの顔には苦笑が浮かんでいる。

 本人は聞くに堪えない話をさせたという感じなのだろうが、陽は彼の過去を聞けてよかったと思っている。


 前世でもジークの過去を聞こうとしたが、本人自身があまり話したがらない雰囲気をだしていたこともあり、結局聴けずじまいだった。

 こうして話を聞けただけでも、陽にとっては収穫物だ。


「いいや。ありがとさん、やっぱり聞いとってよかったわ」

「……そうか」


 陽の返事に、ジークはそっぽを向いてしまう。

 白い髪からはみ出ている耳の先が薄っすらと赤くなっており、高確率で彼が今照れていると教えてくれる。

 くすくすと笑っていると、陽とジークのスマホが震えた。画面を開くと教師のIDが登録されたグループにメッセが来ており、すぐさま確認すると二人は椅子から立ち上がる。


「最後の仕事がやっと来たなぁ」

「そうだな。――それじゃあ、侵入者狩りでも行くか」



 聖天学園は、世界唯一の魔導士養成学校だ。

 試験を突破し世界中から集まった魔導士の卵と学園敷地内で働く優秀な魔導士が二万近くいる。

 そんな彼らのことを目につけない者など存在しない。


 そもそも聖天学園は魔導士候補生の育成だけでなくその保護のために創立された教育機関だ。

 魔導士を軍事強化や裏社会の道具として利用する輩が後を絶たず、終戦直後には『魔導士狩り』なんてものが各地で広まっていた。

 この事態を重く見た政府が、各国の重鎮達と会議し、比較的治安もよく自然に溢れ平和な日本に聖天学園を創立することが決まった。


 聖天学園はどの国の干渉を受け付けない完全中立地帯とし、有事の際は各国が全力を以て学園を死守すること、魔導士候補生の在学中はありとあらゆる国家・組織・団体に帰属せず、本人の同意がない場合、それら外的介入は許可されないと規定した。

 だが、この規定を素直に聞かない者は少なくない。


 毎年、入学式前日になると学園に侵入し、魔導士候補生を狙う人身売買人や組織の手先が集まってくるのだ。

 入学式前日は教師だけでなく生徒や警備員も忙しくなるため、準備であたふたしている隙に業者を偽り侵入するのだ。


 しかし、この学園の守護者として君臨している管理者のセキュリティーシステムは尋常ではない。

 この学園にいる全ての教師・生徒・警備員・用務員・医療従事者の顔や情報を管理している。

 監視カメラも従来の物ではなく、管理者と魔導工学を専門とする教師陣との合作で作り上げた生体認証と魔力認証機能を搭載しており、さらに死角さえばっちり撮影できるため、たとえ業者に扮しても監視カメラに一度でも写れば一発アウト。


 つまり……。


「これで全員やな」

「意外と呆気ないな」


 ――どんなに念入りに準備をしても、教師陣によって簡単に捕縛できる。


 陽とジークの前には手錠型魔導具をかけられた犯罪者達が一〇人以上おり、しかもその全員が死屍累々だ。

 むしろ【五星】と元特一級魔導犯罪組織のボスを相手にまだ息があること自体奇跡だが。


「こいつらはどうするんだ?」

「ああ、そいつらはワイが魔法でIMF本部の留置所に送るんや。ちゃんと座標はばっちり把握済みやで!」

「デリバリー感覚で犯罪者を送るな」


 ジークの予想より斜めを行く護送方法に呆れるも、陽は赤紫色の魔法陣を積み重なった犯罪者達の下に展開する。

 パチンッと指を鳴らすと、犯罪者達が一瞬で消えた。魔法陣が消えているのを見るに、ちゃんと留置所に送られたようだ。


「これで仕事終わりや。あ~、疲れた。今日はビール飲みたいわ」

「なら、天川の酒場に行くか? ノエルもちょうど仕事が終わったようだぞ」

「おっ、ええなぁ。ワイら三人で飲むなんて久しぶりやんか」


 今日の仕事を終えて、職員用更衣室に向かう。そして友と一緒に酒を飲みかわす。

 こんな穏やかな日々は、アリナの従者をして以来だ。

 今までは復讐と懺悔に囚われ、怠惰に生きていた時よりもずっと騒がしく、それでいて楽しい。


 だけど、あの悪魔はこの日常すら壊そうと牙を研いでいる。

 その事実がある限り、ジークは己が抱いた使命を忘れない。


 ――カロンを殺し、日向が幸せな未来を歩ませる。そのためなら、私はどんなことでもしよう。


 それこそ、この命尽きても果たしてみせよう。

 誰にも覆せない固い決意を抱きながら、ジークはこの日常を宝物のように享受した。

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