第129話 お茶会の準備は薄紫色の夜に始まる
『おはようございます! 六月一〇日、本日最初のお天気です。五月下旬から雨が続いておりましたが、本日は一日晴れの見込みです。今日は良い洗濯日和です!』
テレビから流れる天気予報を聞きながら、日向はフライ返しでフライパンの上で焼かれているベーコンをひっくり返す。
こんがり焼けたそれをバターが解けている三枚重ねのパンケーキの皿の上に乗せ、メイプルシロップを一垂らし。これで朝食は完成だ。
テーブルにはサラダに昨日作ったミネストローネが入ったスープカップが置いており、ほかほかと湯気が立っている。
ちょうどベランダで洗濯物を干していた心菜が、心なしか嬉しそうな顔をしながら部屋に戻ってくる。
梅雨のせいで部屋干しばかりだったため、ようやくいい天気の日に洗濯物を干せたのだ。心が浮き立つのも仕方がない。
「あ、今日はパンケーキなんだ」
「そうだよ。ほんとは目玉焼きつけたかったけど、生憎卵切らしてて」
幸い今日は土曜日だ。午前授業しかないため、午後に買い出しにいけばいい。
そう考えながらナイフとフォークを使ってパンケーキを切った。
メープルシロップとパンケーキの甘さ、バターとベーコンのしょっぱさが絶妙にマッチし、朝でもぱくぱくと食べられる。
前に友人のギルベルトが「カリカリのベーコンを乗っけたパンケーキが美味いは当然だが、付け合わせで粒マスタードを混ぜたグレイビーソースをかけたマッシュポテトも中々だぞ」と言っていた。
彼の言葉に魅力を感じて今日の朝ご飯をパンケーキにした、という経緯がある。
次はマッシュポテトの方も試そうと思いながら、ミネストローネを飲む。
「あ、そういえば日向。魔力熱の予防接種はもうしたの?」
「魔力熱……ああ、あれね。大丈夫、もうしたよ」
聞き覚えのある単語に一瞬だけ考える素振りを見せるが、無痛注射器で打った記憶を思い出して頷いた。
魔力熱というのは、魔導士だけが罹る病気だ。
魔力を蓄えている機能を備えた魔導士の第二の命・
そのため、IMFは毎年この時期になると日向達を含む魔導士候補生だけでなく正規の魔導士や聖天学園未入学者達に予防接種を通達する。
科学技術の発展で全国の病院が無痛注射器を採用しているおかげで、痛みはほとんどないままワクチンを接種することができている。
「でもあたし、去年は魔力熱の予防接種なんてしたことないけど? その時はなんでこっちにお知らせこなかったんだろう」
「それは日向がまだ魔導士に目覚めたばっかりだったからだよ。この予防接種は魔導士覚醒から一年経った人を対象にしてるから」
日向は第二次性徴期を過ぎてから魔導士になったレアケースだ。
魔導士は覚醒時に体内に
その間は丸一ヶ月ほど病院で入院するか自宅療養を余儀なくされる。この時はまだ魔力熱に罹る危険性はないため、日向は去年の予防接種対象者外にされたのだ。
「でも予防接種受けても罹る人っているんでしょ?」
「そうだね……やっぱり体質で薬が効きにくい人とか、運悪く罹っちゃった人とかいるね」
食べ終わった食器を二人で片付け終えると、通学鞄を持って玄関のドアを開ける。
外に出るとちょうど隣でドアが閉じる音が聞こえてきた。
隣の部屋は、二人のパートナーである悠護と樹の部屋で、彼らが一緒に部屋から出てきた。
「おはよ」
「おはよう」
「おー、はよ」
「おう」
いつも通り朝の挨拶を交わし、いつも通り先に外にいるギルベルトと一緒に学校へ通う。
久しぶりに見る太陽の眩しさを感じながら、学園に続く道を歩いた。
「えー、今年は去年の事件のせいで合宿がなくなったのは知っとるな? あの件で各国からそりゃもう猛抗議の電話を受けました」
「「「ですよねー」」」
朝のHR、担任の豊崎陽の言葉にクラスの全員が同じ言葉を言った。
毎年五月になると一年生が椿島という場所で合宿を行い、二年生の中から選ばれた四〇人が指導役として行く決まりになっている。
だが魔導犯罪組織『獅子団』が合宿所を襲った事件が発生し、今年から合宿がなくなったのだ。
「で、ちょっと遅くなってもうたけど、来週の日曜日の夜に迎賓館でダンスパーティーを開くことが決定したで!」
陽がパチンッと指を鳴らすと、電子黒板が自動で『第一回ダンスパーティー!!』とカラフルな文字が表示されると、黒板の中でクラッカーは派手に鳴った。
「ダンスパーティー?」
「どんなことするんだ?」
突然の発表にクラスが騒めく。
合宿の代わりに別の行事が催されるのは嬉しいことだが、この学園に迎賓館なんてものがあるという事実に素直に驚いた。
「このダンスパーティーは学年問わず誰もが交友関係を持つことを目的としておる。当日には春の身体検査の結果を元に調整した礼服やらドレスが用意されるし、豪華なごちそうが出るで。もちろん全員参加やから、ちゃあーんと参加しぃや」
服装の心配がないようで安心していると、クラスメイト達はうきうきとした様子で落ち着きがない。
合宿の時は事件のこともあって大変な目にあったが、楽しかった事実は変わらない。
それにこのダンスパーティーは学園内で行われているため、安全性は以前と比べて高い。
そしてなにより、合宿の時では参加できなかった三年生も参加するというのもあって、やはり年頃というのもあって気になっている先輩とお近づきになれるチャンスができて嬉しそうだ。
(来週のダンスパーティー、楽しみだな)
周りのうきうきが
☆★☆★☆
「ダンスパーティーかぁ……俺、そんなの一度もやったことねぇのになぁ」
特に代わり映えしない学園生活を終え、樹は悠護と一緒に食事を取っていた。
午後は半休なため、その間に足りない食材を買い、いつも通り夕飯を作った。
今日のメニューはさっぱりとしたごまだれ冷やし中華だ。千切りしたキュウリや錦糸卵、ほぐした茹で鶏肉がコシのある麺と一緒にごまだれとよく絡んでいる。器は冷やし中華用の皿なんてないからどんぶりだ。
味を変えたくて軽くお酢をかけていると、ふと目の前で同じ冷やし中華を食べている悠護を見た。
どこかぼーっとしている悠護を見て訝しげに眉を寄せながら、彼のどんぶりの中身を見た。自分のどんぶりと比べて、悠護のどんぶりは量があまり減っていない。
悠護も自分と同じで見た目に合わずよく食べる方だし、前にギルベルトと怜哉と一緒に行った学割付きの焼肉食べ放題に行き、周りが絶句するほどの量を食べたが、それでも彼は難なくついていった。
食事による魔力補給の影響で大食漢になっている影響で、今食べている冷やし中華も普段と同じ一人当たり三人前の量で作っている。
普段と変わらない量なのに、ここまで箸が進むペースが落ちていることに違和感しか抱けない。
「おい、悠護」
「…………あ、な、なんだ?」
樹の呼びかけるも、少しだけ反応が遅れた様子を見せる悠護。
いつもと違う雰囲気にさすがの樹も心配そうな顔をする。
「お前、ちょっと様子おかしいぞ。大丈夫か?」
「あ、ああ、大丈夫。悪ィ、ちょっとぼーっとしてた」
そう言っていつもと同じペースで食事を再開させる親友に、樹はそれ以上何も言わずに箸を進め、ものの一〇分で完食する。
食事が終わると後片付けを悠護に任せ、樹がテーブルを拭くことにした。
あの後はいつもの調子だったから、自分の思い違いだったのかと首を傾げる。だが、その考えは「うわっ!」と叫ぶ悠護の声とガラスが割れる音と共に消え失せた。
「おいおい、大丈夫か」
「悪い。落としちまった」
慌ててコップの破片を拾い始める悠護だが、その手つきはどこかゆっくりとしている。
もはや気のせいでも思い違いでもないと思った樹は、そっと悠護の額に手を触れた。
「熱っ!?」
あまりも高い熱に叫びながら額から手を離した。
樹の叫びに悠護が首を傾げるが、頬が目視できるほど赤くなっている。それを見て、樹はドタバタと足音を鳴らしながら戸棚の引き出しから体温計を取り出す。
この体温計は魔導士専用の物で、普通の体温計と同じ温度が表示される画面の隣には円形の画面があり、この円形の画面が青なら陰性、赤なら陽性だと判別することができる。
すぐさまコップの片づけを中断させて問答無用で熱を測らせる。
親友のあまりの気迫に悠護は何も言わず従い、体温計を脇に挟む。しばらくしてピピッと音が鳴ったと同時に素早く体温計を取る。
温度表示――39.1℃。
魔力熱判別――陽性。
結果、完璧に魔力熱を発症しました。
その後の樹の行動は早かった。
すぐさま洗面所からタオルを持ってきて、クローゼットから悠護の寝間着と下着を取り出す。目にも止まらぬ速さで着ていた服を脱がすと、タオルで汗を拭きとり、新しい下着と寝間着に着替えさせる。
そのまま布団に寝かせ、冷蔵庫に入っていた熱冷ましシートをベシッと叩く勢いで貼り付けた。
「ったく、魔力熱になったんなら先に言えよな……。つか、一緒に予防接種受けたのに罹ったのか?」
「あー……俺の実の母親が体弱い人だったから……、遺伝なのかちゃんと予防接種しても魔力熱になるんだよ……」
辛そうな息遣いをしながら語る悠護の瞳が、少しだけ悲しげに陰る。
彼の実の母親は随分前に他界したと聞いていたし、昔のことを思い出しているのか熱とは違う苦しさを感じられた。
樹はそれ以上何も聞かずにぽんぽんと布団を叩く。
「とりあえずもう寝ろ。今日明日はゆっくり養生しとけ」
まるで泣きぐずる子供をあやすように一定のリズムで布団を叩かれ、うとうとと睡魔が襲い掛かる。
そのまますーすーと小さな寝息が聞こえ、樹はほっと一息つく。
「さて、とりあえず明日の朝メシ用に粥でも作っておくか」
なるべく起こさないように静かに立ち上がった樹は、眠った病人のための食事の準備を始めた。
スイートワンダーランドは薄紫色の空が広がっている。空にはオレンジ色の星、ピンク色の雲が浮かんでいて、あれもお菓子でできていることはここでの常識だ。
この世界にも時間も四季もあるが、いくらそこで時間を過ごしても年を取った感覚は切り離される。そのせいで、ここで住む彼らはもう三〇年も暮らしているが依然とここにやって来た日から年を取っていない。
スイートワンダーランドには、自分達以外の生きた人間はいない。
いるのは【ハートの女王】と呼ばれている母の魔力を分け与えてたことで生きたように動く疑似魔物――ホミエスが街で暮らしている。
彼らの動力源は全てお菓子で、この世界にある建造物も植物もお菓子でできている。
その中でも一際目立つのは、この『
壁はビスケット、屋根と扉はチョコレート、床と柱はキャンディ。お菓子の家をそのまま城にしたその女王の間に、【ハートの女王】リリアーヌ・シャーロットはいた。
老化停止の魔法をかけている影響で二〇代のままの姿を保持しているため、実年齢よりずっと若々しい。癖のあるローズピンク色の長髪をツインテールにし、王冠がついた黒いリボンを頭部で結んでいる。彼女と同じ髪色のドレスにはギャザーがたっぷり使われている。
ベリー系のシロップが沁み込んだスポンジと黄色いビスケットで作った玉座に座っているリリアーヌの前に、七人の男女が跪いていて、この全員は自分が生んだ実の子供だ。
長男――【帽子屋】フェリクス・シャーロット。
長女――【三月ウサギ】マドレーヌ・シャーロット。
次男――【ハートの騎士】レオポルド・シャーロット。
三男――【白ウサギ】モーリス・シャーロット。
次女――【眠りネズミ】ジャクリーヌ・シャーロット
四男――【チェシャ猫】セルジュ・シャーロット。
五男――【ドードー鳥】ヴィクトル・シャーロット。
この七つ子は、スイートワンダーランドに行く前に独自の遺伝子選別でとりわけ魔力値が高い男達を掻っ攫い、妊娠するまで昼夜問わずその精を枯れるまで貪った。
結果、自分の腹から産まれた子供達は現代においてIMFの魔導士にさえ勝る
だが、こんなのは始まりに過ぎない。
より強い魔導士を手中に収めるには、もっともっと強い魔導士が――七つ子達の嫁婿になる者を連れてこなくては。
まずは、七つ子の中で一番強い長男に相応しい花嫁をあてがおう。
「お前達に朗報がある。フェリクスに相応しい花嫁が見つかったよ」
母の言葉に七つ子達は嬉しそうに声を上げる。
「本当か、ママ!!」
「やったなフェリクス兄さん!」
「もうここ数十年も探してるのに見つからないから、もうダメかと思ってたよ」
「兄さんの花嫁さん……どんな子だろ……むにゃむにゃ……」
「ああ、今日はなんてめでたい日だろう!」
「兄さんの花嫁……」
「…………」
下の五人が嬉しそうに話すも、長女はどこか暗い顔をして、長男は無言のまま。
騒ぐ子供達の様子を見ながら、手元にあった一枚の写真を見せた。
「名前は豊崎日向、あの『レベリス』が異様に執着している無魔法使いの小娘。こんな子、フェリクスの花嫁に相応しいでしょ?」
写真に写る琥珀色の少女。年は自分達より下だが、写真越しでも分かるほどとてつもない力を秘めているのは感じられた。
こんな稀有な存在が誰もが憧れる長男の花嫁になるなら、誰も文句は言わない。
「用はその子をとっ捕まえろってことだろ? 任せてよママ! 僕がちゃあんとやるからさ!」
「ウフフ、頼もしいわね。……でも、彼女を連れてくるのはフェリクス、あんたの役目だよ。それは分かってるね?」
「……ああ、分かってるママ。そこはちゃんとする」
寡黙な兄はそれ以上何も言わなかったが、母であるリリアーヌの言葉には素直に従うつもりだ。
聞き分けのいい子供達にリリアーヌが満足そうな顔を浮かべると、玉座から立ち上がって両腕を広げて宣言する。
「さあ我が子達! 明日は楽しいお茶会が始まるわよ! 準備は完璧にして、ゲストも呼びなさい!! 明日は素晴らしいお茶会日和にするんだよ!! 邪魔する者は殺しなさい! 欲しいものがあったら奪いなさい! それが、この世界の絶対ルール!! いいね!?」
「「「「「「「――ウイ、ママ!!」」」」」」」
母の宣言に子供達が一糸乱れぬ動きで返事を返す。
誰もがこれから楽しいお茶会を心躍らせながら待ち遠しいにする。
「…………」
「………………」
だけど、フェリクスとマドレーヌ、この二人だけは家族の笑い声が止むまでずっと口を閉じたままだった。
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