第130話 奇襲と祈り

 じめじめとした湿気が体中から汗を吹き出させ、ミニハンカチと汗拭きシートが手放せない今日、日向達は街に出かけていた。

 昨晩、魔力熱を出した悠護は自室で療養中だが、今朝は少しだけ熱が下がっているようだ。昼食は今朝樹が用意したお粥をアレンジした雑炊で済ませると言っていた。


(それにしても今朝の悠護、ちょっと苦しそうだったなぁ……)


 心配で部屋に訪れた際、ベッドで眠る悠護の頬はリンゴのように赤く、ゴホゴホと何度も辛い咳をしていた。

 いつもの習慣で街に出かけたが、悠護を一人残したことはさすがに気が引けた。

 夕飯は半熟卵入りの煮込みうどんを作ってあげようと思いながら、街中を歩く。


『本日のミュージックサンデーは、今大人気上昇中のアイドル如月ふたばの『ハッピーレター』です!』


 ファッションビルの液晶モニターからカラフルな衣装を身に纏った少女が可愛らしく歌うプロモーションビデオの映像を立ち寄ったイタリアンファミレスの窓越しで眺めながら、頼んだカルボナーラを食べる。

 ちなみに、日向達が座る席はテーブルを埋め尽くすほどの料理と空になった皿が小山みたいに重なり合っているため、席の横を取った客と従業員から二度目するほどの驚きを与えた。


「あ~~……気分転換に出たのはいいが……なんか全然楽しくねぇな……」


 マルゲリータピザを丸々一枚平らげた樹が、ぐでーっと机に突っ伏しながら呟く。

 それはここにいる全員がそうなのか、全く同じタイミングでため息を漏らす。


「やっぱり悠護くんがいないと物足りないね」

「まさかあいつの有無だけでこれほどの影響力とは……意外と恐ろしい男だったんだな」


 悠護の不在の影響力に心菜が苦笑する横で、ギルベルトは真顔で感心した様子を見せていた。

 事実、悠護がいないだけでいつもなら楽しいと感じていたことが感じられていない。

 恐らく本人が魔力熱で寝込んでいるのも原因の一つなのだろう。


「ねぇ、ちょっと早いけど学園に帰ろっか」


 日向の提案に全員が頷くと、そのまま席を立って割り勘で会計を済ましてファミレスを出た。

 外はじめじめとした空気が肌に纏わりつくが、今はそんなことを気にする様子はない。むしろ全員が悠護の看病をする気満々な様子なので思わず苦笑を浮かべる。


(でも、さすがのあたしもこれにはちょっと驚いたかも……。それだけみんな悠護のことが心配だったんだ)


 単純に悠護がいないからつまらないと思ったかもしれないが、むしろ病人である彼が心配で誰もが休日を楽しむ余裕がなかったのだろう。

 日向もその一人であったせいで気持ちはすごく分かる。

 足早に帰路に就こうとしていだが、ふと日向は左横のショーウィンドウに視線を向けると自然と足を止めた。


 自分の体の数倍はある大きなショーウィンドウ。その向こうあるのは、夏の最新ファッションを着ているマネキン達。

 どこにでもある普通の光景だ。なんの変哲もない、いつ通り過ぎるもの。

 だけど、その光景に自身が映った瞬間、スイッチのように切り替わる。


 ぐにゃり、と熱が通った飴のようにショーウィンドウの表面が歪む。

 歪んだ円形から飛び出してきた細い手が、日向の腕を掴んだ。



「なっ、ちょっと!?」

「――離れろ!!」


 日向の悲鳴にいち早く気づいたギルベルトが振り向いた瞬間、舌を打ちながら雷を放った。

 黄金の雷はあっという間にショーウィンドウのガラスを破壊し、余波でマネキンと衣装が燃える。突然の出来事に周囲が悲鳴を上げて逃げようと足を動かす中、黒煙が混じるその場で日向達は動かない。


 日向とギルベルトしか見ていなかったが、今のは明らかな奇襲だ。

 もしかしたら『レベリス』が半年ぶりに動き出したのだと考えうるが、それにしては今までとは少し違うやり方だ。

 彼らを知らない者達からすれば気づかないものだが、本物を知っている彼女達だからこそ、この行動に違和感を抱いた。


『レベリス』は日向達を狙っているが、自分達の手を使うことはない。

 彼らは基本、組織の尻尾を掴まれるような情報漏洩には厳しい。行動を起こすのは全て彼らが手駒として利用する魔導犯罪組織のみで、幹部もあの『灰雪の聖夜』以来、一度も姿を現したことはない。

 そう考えると、この奇襲は明らかに第三の組織によるものだ。


 世間では『レベリス』が都市伝説扱いで知れ渡っているが、実在する彼らについて知っている者は限りなく少ない。

 騒ぎを聞きつけた野次馬達が「『レベリス』の仕業か?」「マジ? なら写真撮って自慢しようぜ」と面白半分でスマホを取り出そうとするが、すぐに魔導犯罪警報の発令によって人の波に押される状態でどこかへ消えた。


 シェルターへと逃げる人達を横目に、日向達はただただ気配を探る。

 いくら魔法で奇襲をかけたとはいえ、そう遠くない距離に敵がいることは確実だ。

 ならば、この騒動に紛れて再び攻撃を仕掛ける。そう考えた直後、日向達がいた周辺が白煙に包まれた。

 

「魔法か!!」


 突然現れた煙に樹が忌々しそうに口を押える。

 周囲も白煙の出現に戸惑い、視界が

 白煙を出す魔法はいくつかあるが、中でも多いのは呪魔法と精神魔法の二種類だ。


 呪魔法の方は白煙と共に全身を麻痺状態にするもので、致死性はないが長時間放っておけば死に関わる魔法だ。

 もう一つの精神魔法の方は白煙で周囲の光景を歪め、方向感覚をおかしくさせる。これは奇襲において最も有効な手なのだが、さっきの奇襲の失敗を考えると自然魔法の方だと結論に至った。


(魔力の反応がなかった! あまり距離が遠いと魔力を察知できないって聞いたが、一体どこからだ!?)


 遠い距離による魔法発動は相手の魔力反応を感じさせなくなることができるが、代わりに魔法の効果が通常より弱くなる。

 だが広範囲に魔法の影響力があるのを考えると、相手の魔力値は少なくとも一〇万は超えている。

 数百年前と違って『量より質』を重要視する現代にとって、魔力値の高さは厄介だ。現在のギルベルトの魔力値がいくら相手より上にあっても、技量においては向こうの方が上だ。


 たとえ死にかける事件に巻き込まれようと、学園の実技で優秀な成績を修めようが、場数では圧倒的に経験が不足している。

 その考えは、ここにいる全員が共通していた。


(何も見えない……、仕方ないけどここは無魔法で――)

「――そいつを使われるのは面倒だな」


 一向に晴れない白煙を無魔法で消そうと考えた瞬間、日向の背後で低い男の声がした。

 息を呑み、冷や汗を流しながらゆっくりと振り返ると、そこにいたのは長身の男。カーキー色の外套を羽織り、白いシャツの上には黒のチョッキ、下は灰色のズボン。深緑色の蝶ネクタイをつけてシルクハットを被った姿は不思議の国のアリスに出てくる帽子屋そのもの。

 だが、その服装にはあまり相応しくない朴訥な顔で言った。


「悪いがお前を連れていくぞ、俺の花嫁」

「っ――!?」


 突然花嫁呼ばわりされて驚く日向の隙を突いて、素早い動きで首裏に手刀を叩きこむ。

 華奢な体が男の腕の中へ倒れ込んだ直後、白煙が晴れる。

 クリアになった視界の向こうで、気絶した日向を抱える男がそこに立っていた。


「お前――!?」


 激情のまま敵の懐へと飛び込もうとした。が、その足は一歩を踏み出したと同時に止まった。

 ……いや、正確にはそれ以上動けなかった。

 樹達は感じたのだ。男から放たれる魔力と威圧感は、今まで会ってきた敵とも違い、『レベリス』の幹部達と似ているが若干の相違はあるが、彼らの動きを封じる影響力は確かにあった。


 本当なら今すぐにでも逃げ出したい。

 けど、敵に大切な仲間を奪われたまま尻尾を巻いて逃げることは許されない。

 自身の放つ威圧感に圧倒されながらも、こちらを睨んでくる樹達に男は目を見据える。


「……なるほど、あの『レベリス』幹部全員が雁首揃えなければならないほどの実力だけはあるようだ」


 男は小さく呟くと、おもむろにズボンのポケットから一本の鍵を取り出した。

 鮮やかなピンク色をした可愛らしい鍵。トップが精巧な作りをしたハートの形をしており、朴訥な男にはあまりに似合わない代物だ。

 ぽいっと曲線を描きながら投げられたそれは、ギルベルトの手に収まった。


「それはスイートワンダーランドへの通行切符だ。といっても、片道一回分しか使えない即席鍵インスタントキーだがな」

「スイートワンダーランド……? まさか、貴様ら『サングラン・ドルチェ』か!?」


 ギルベルトの発言に男は小さく微笑する。

 無言。それが答えだった。

 男は目の前にある無傷のショーウィンドウに右足を付けた瞬間、ショーウィンドウが雨のように歪む。


「! 物体干渉……いや、鏡やガラスを経由した空間干渉魔法か!」

「くそ、待てぇ!!」


 ギルベルトの言葉を聞き流しながら、男は意識のない日向を抱えたままショーウィンドウの方へ姿を消していく。

 ショーウィンドウの歪みが消えたと同時に樹が殴りつけるも、ショーウィンドウは甲高い音を立てて砕けた。


「クソッ、逃がした!」


 悔しそうにショーウィンドウの間の石柱に拳をぶつけた樹の後ろで、ギルベルトは険しい顔を浮かべながら鍵を見つめていた。

 心菜はそんな二人の近くで黙り込みながら、遠くからサイレン音を聞いていた。



☆★☆★☆


 

 横抱きにしている日向を抱えながら、フェリクスは鏡の中の世界を歩いていた。

 上下左右が不規則な曲線を描く赤と白の市松模様柄のオブジェに囲まれており、そこには大小様々な鏡やガラスが置かれている。さきほど使ったショーウィンドウは粉々砕かれ、再び利用することはできなくなった。


 空間干渉魔法というのは、何も空間だけを使うものではない。

 特定のものを利用して空間を移動する方法は、空間干渉魔法の中では中級に入る。

 妹マドレーヌは、鏡やガラスを経由して空間移動するという魔法の使い手で、奇襲作戦においては重要な存在だ。


 そして今回の作戦の要となったマドレーヌは、白を基調としたドレスを纏って、憮然とした顔で立っていた。

 マドレーヌの名に相応しいきつね色をした長い髪、リラ色の瞳は気絶している日向を睨みつけている。


「これが例の?」

「そうだ。こいつが俺の花嫁……になる女だ」


 まだ年端もいかない少女だ。

 フェリクスは二〇代の見た目をしているが、本年齢は五〇歳手前。すでに結婚適齢期は過ぎている。そう考えると、平凡な風貌をした彼女と兄が釣り合っているとは思えない。

 だが、ママ――リリアーヌの命令は絶対だ。たとえ不服でも果たさなければならない。


 第二次世界大戦終戦後、魔導士は早婚を推奨されるようになった。

 魔導士が国家の軍事力であり貴重な人材という認識が高まったせいで、聖天学園卒業と同時にパートナーと結婚する魔導士が増加。これに伴ってパートナー制度が公的な伴侶選定となった。

 周りは合理的な政策と言うが、マドレーヌには家畜のような扱いだと思えた。


 まだ二〇歳を迎えていないのに卒業と同時に結婚させられ、未来の魔導士を生むことが当然のように受け止められている。

 相手が互いに想い合っているなら文句はないが、政略結婚のような愛がないものは長くは続かない。現に夫婦仲が悪く、離婚しようにも親族の猛反対によって何度も阻止され、死ぬまで嫌い合う相手と一生を添い遂げた魔導士夫婦がいると聞いた。


「……私、やっぱり認めないわ。こんな子がお兄ちゃんのお嫁さんなんて」

「だが、ママの命令は絶対だ。たとえ俺達の間に愛がなくても、なんとしても無魔法使いの血を引く子供を手に入れなければならない」


 思わず声に出た不満に、兄は平坦な声で答えた。それを聞いてマドレーヌはさらに顔を曇らせた。

 無魔法を使える魔導士は、世界中探しても豊崎日向しかいない。誰もが欲しがる存在だが、二〇三条約のせいで世界各国がそれだけ喉から手を出しても伸ばせない。

 だが、自分達は違う。『サングラン・ドルチェ』はフランスを拠点にする一級魔導犯罪組織、国の思惑なんて眼中にない。


 欲しいものはたとえ殺してでも奪え。それが組織の方針。

 リリアーヌが欲したものは、どんな手を使ってても手に入れた。

 その目的の品が彼女なのだ。


 それでも、誰よりも敬愛する兄の花嫁になるという事実は、頭では理解しても心は受け入れられない。

 リリアーヌにとって結婚が合理的な略奪と思っても、やはり妹として納得はできなかった。


「それよりも、本当に『レベリス』がこの女に固執してるのかしら?」

「さあな。あいつらは中々尻尾を出さない、だが奴らの思惑にはこいつが必要なのは確かだ」


 リリアーヌが『レベリス』を敵視しているのか、過去に数度彼らと衝突したからだ。

『落陽の血戦けっせん』から存在する彼らは、自分達の拠点があるスイートワンダーランドと同じ異界を拠点としている。そのため彼らの年齢も最盛期のままだが、実力は生まれて数十年しか経っていないリリアーヌでは精々かすり傷しか負わせられないほどの実力者揃い。


 彼女の子供である自分達が『レベリス』に対抗するために必要な駒であることは、物心ついた頃から察していた。

 それでもリリアーヌのことは愛しているし、愛するママのためになにかしてあげたいと思う気持ちは嘘ではない。『レベリス』に勝ちたい気持ちもある。


(だけど……本当にそれでいいの? お兄ちゃん)


 フェリクスは七つ子の長男として生まれ、誰よりもリリアーヌから与えられる重責を五〇年近くも背負い続けた。

 朴訥だが他の男と比べてハンサムである兄に見惚れ、猛アタックする女は数知れず。世界中には彼の血を引く子供を産もうと躍起になっている命知らずまでいる。

 だが、リリアーヌは冷酷無情、残虐非道の名を地で通っていても、一人の母親なのだ。大事な息子をそう易々とどこの馬の骨とも分からない女を伴侶にしなかった。


 そんな彼女が日向をフェリクスの伴侶として選び、今回の騒動を引き起こした。

 もちろん無魔法が狙いだろうが、今まで散々と苦汁を舐めさせた『レベリス』に一泡吹かせたいという個人的な理由もある。

 そう考えると、ママのわがままに一番振り回されている兄が報われない。


(私はただ、フェリクスお兄ちゃんが幸せになってくれればいい)


 誰よりも敬愛し、大事な兄。

 他の妹も弟もフェリクスを敬愛しているが、マドレーヌが抱く感情それは決して血の繋がった家族が持ってはいけないもの。

 それでも、マドレーヌはこの感情を抑えることができない。


(――ああ、神様。どうか、どうかフェリクスお兄ちゃんを……私の愛する人を幸せにしてあげてください)


 神様なんて不確かな存在がいるのかさえ分からない。

【起源の魔導士】アリナ・エルクトゥルムは神様の声を聞いて、魔法を授かったと記されているが、その神様に会ったことのないマドレーヌには声も姿も想像できない。

 もしかしたら神様なんて存在すら嘘かもしれない。


 それでも彼女は祈る。

 たとえ存在してもしなくても、世界で一番大好きな兄が幸せになるのなら、たとえ曖昧な存在であろうと祈り続ける。

 たとえこの気持ちが、永遠に報われないものだとしても。

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