第131話 【ハートの女王】のお茶会①

 学生寮談話室。教師権限で貸し切り状態にした部屋で、陽は厳しい顔でテーブルの上に置かれた鍵を見つめていた。

 今この部屋にいるのは樹、心菜、ギルベルト、怜哉、そして未だに魔力熱が罹ったままの悠護だ。

 悠護は日向の誘拐を聞いて居ても立っても居られず、ベッドから出てきた。だが彼の体調はまだ万全とは言い難く、荒い呼吸を繰り返している。


「……『サングラン・ドルチェ』か。そりゃまた厄介なモンが現れたな」

「そうだね。なんてたって一級魔導犯罪組織の中じゃヤバさが桁違い。傘下に入っている組織も万は軽く超えてるしね」


 陽の言葉に反応した怜哉がそう言うと、陽は大きくため息を吐いた。

『サングラン・ドルチェ』はフランスを拠点とする魔導犯罪組織で、ボスであるリリアーヌ・シャーロットと幹部の七人の実子、それから数百万もいるホミエス。生身の魔導士がボスを含めて八人しかいなくても、大半のホミエスは『二階位ドゥオ』もしくは『三階位トレース』と同じ力を持っている。

 さらに傘下として加わった魔導犯罪組織も万を超え、フランスだけでなくその周辺諸国にも影響力を及ぼしている。


 リリアーヌが魔力値の高い男ばかりと交わり合って生まれた子供は、全員が魔力値一〇万越えをしている。たとえ陽が全員を相手しても、無傷で対応できるほど彼らは甘くない。それほどの実力を持っているのだ。

 そんな連中が日向を攫った。目的は無魔法なのは間違いだろう。


(よりにもよってあいつらとは……最悪やな……)


 慎重かつ綿蜜な計画を企てる『レベリス』とは違い、『サングラン・ドルチェ』は海賊の如く欲しいものはず全て奪う大胆な略奪者。

 狡猾かつ強欲な女ボスが狙った獲物は手段問わず問答無用で奪われる。

 いくらここにいる全員が社会で活躍する魔導士と変わらない実力を持っていようとも、自分を除いた全員が学生。今回ばかりは危険な目に遭わせるわけにはいかない。


「……なあ、なんで迷ってんだよ」


 陽が思案する前で、頬を紅潮させたままの悠護が鋭い目つきをしながら言った。


「敵の正体は分かってる。アジトの行き方もある。なら戸惑う理由はねぇだろ」

「本気で言っとるのか? 相手は『レベリス』と違うて敵には容赦ない、それにあんさんはまだ全快しとらん。その状態で足手まといにならないって言えるんか?」


 陽の指摘に悠護は声を詰まらせた。

 今の悠護は万全とは言い難い。このまま敵のアジトへ行っても、陽の言う通りになる確率は高い。

 理解はしていても心が否定する。彼女を助けるのは、自分の役目だと。


「……わかってる、俺が行っても足手まといになるくらい」

「なら」

「だからって、このままほっとけるかよ。向こうの目的がなんだろうと、俺はあいつを迎えに行く。それだけは、絶対に譲れないんだ」


 断言されたその言葉に、全員が瞬時に理解した。

 この男は、自分達がどれだけ正論を叩きつけてもパートナーを救い出すことは諦めない。むしろ病身のまま戦場に行く気満々だ。

 真紅色の瞳を伝わってくる決意を見て、ギルベルトは肩を竦めながらため息を吐いた。


「説得は難しそうだな。仕方ない」


 彼は一人掛けのソファーから立ち上がると、羽織っていたジャケットのポケットから長方形のプラスチックケースを悠護に向けて投げた。

 難なくキャッチしたそれには、少量だが白い粉末が入っていた。


「これは……?」

「魔力熱の症状を和らげる薬だ。これさえ飲めば予定より早く魔力熱が」

「え、魔力熱に効く薬なんてあったのかよ。なんでこれ売ってねぇんだ?」

「副作用が強いんだ。幻聴、幻覚、眩暈の三つが同時に発症し、最悪の場合そのまま事故死や自殺に至るケースがある」

「よし捨てよう」

「ダメに決まってんだろ!? おい待てコラ!!」


 ギルベルトの説明を聞いて樹がすぐさまケースを奪うとゴミ箱へボッシュートしようとするが、悠護がそれを止めた。

 あまりの早業にぽかんとしていたが、野球のピッチャーみたいなフォームをした樹を見て、心菜は我に返った。


「で、でもこれ、ウチでも改良が進められてる薬だよ。これを使うのはさすがにおすすめしないかな……」

「即効性で言えばそれが一番手っ取り早い。副作用も気合でなんとかしろ」

「そんな投げやりな!」


 突き放すように言ったギルベルトに樹が非難じみた目を向けるも、すぐ横で悠護がケースの蓋を開けて薬を飲もうとしていた。

 この部屋にあった冷蔵庫に入ってたミネラルウォーターのペットボトルを片手に、薬を口へ入れようとするのを慌てて止めた。


「待て待て待てまだ飲むな! お前副作用の話聞いてただろ、ヤバいんだってそれ!」

「安心しろ、ちゃんと聞いてた。理解した上で飲むんだ邪魔すんな」

「それが余計に悪いんだって!! 死ぬかもしれねぇんだぞ!?」

「っ――あいつを助けられないままここで待つより死んだ方がマシだッ!!」


 その怒声に樹の動きが一瞬だけ止まる。

 隙を突いて樹が掴んでいた腕を振り払い、制止する間も与えない内に薬を飲んだ。

 薬特有の苦みが喉を通り、咳き込みながら吐き出す前に水で一気に流し込む。


 ごくり、と喉仏が鳴らしながら薬を飲んだ悠護を周りが固唾を飲んで見守る中、ペットボトルの中身が空になるとふぅっと息を吐いた。

 一息ついた悠護の顔の赤みが引いており、さっきまで荒かった呼吸が安定している。

 劇的な変化に本人だけでなく周囲も目を丸くした。


「すっげ、もう熱がねぇ」

「早くね? 即効性とかそういう次元じゃねぇ速さなんだけど?」


 あまりの効きの良さに樹が警戒心を抱いていると、陽がため息を吐きながら鍵を手にソファーから立ち上がる。


「まあ、過ぎたことはしゃあない。とにかく黒宮、あんたは副作用に気ぃつけることや。下手したらうっかりあの世に行ってまうかもしれへんし」

「わ、分かってる」


 自分から言われずとも本人にはその自覚があったのか、少しだけ青ざめながら頷く。

 そんな悠護の反応を見て、陽は普段は外してあるはずの穂先がついた《銀翼》を取り出した。


「――んじゃ、敵陣に行くで。いつも通り気張りや」



「主、『サングラン・ドルチェ』が動き出しました。彼らは予定通り豊崎日向を奪取し、スイートワンダーランドへ運びました」

「そうか」


 同時刻。『レベリス』本拠地である居城では、『レベリス』のボスである主は幹部の一人であるラルムからの報告をカウチに座りながら聞いていた。

 呑気に茶菓子のマカロンを齧るボスの姿に、ラルムはさすがに眉を顰める。


 最重要目標が一方的にとはいえ敵対組織に連れていかれたはずなのに、主の態度はいつもと変わらない。

 綺麗な半円形になった爪を眺めながら、主は小さく笑みを浮かべながら言った。


「なんだ、私が平然としているのがそんなに不可解か?」

「いっ、いえ……ですが、あいつらの目的は恐らく彼女を息子の誰かに嫁としてあてがうことでしょう。そうなったら我々の悲願が……」

「そう焦らなくても連中が救出に向かっている。それに、あいつにはがある」


 そう言って細い指先を首の近くまでやると、何かを弄るような仕草を取った。

 それだけの動作で、ラルムは以前彼が作り、日向への誕生日プレゼントとして贈った物のことを思い出した。


「あれがあいつの手元にある以上、奴らの計画などすぐに破綻する。時が来るまで待っていればいい」


 クスクスと笑う主の顔は、顔半分を隠す前髪のせいで表情は伺えないが、獲物を狙う猛獣と同じ気配を感じさせる。

 主の少女に対する執着心をよく知るラルムはそれ以上何も言えず、心の中で敵の身でありながら件の少女に少なからず同情した。


「あの娘に手を出したこと、身をもって後悔させてやろう。リリアーヌ・シャーロット」


 恐らくこの世で最も少女に振り回された男は、テーブルの上に置かれた色とりどりのマカロンの山から、脳裏に浮かんだ女と同じ髪色をしたマカロンを人差し指でぐしゃりと潰した。



☆★☆★☆



「んん……ここは……?」


 意識が覚醒し始め、最初に触れた柔らかい感触に違和感を覚えながら起き上がる。

 最初に目に入ったのは、ゴージャスな内装をした部屋。次に今自分が寝転がっていた天蓋ベッド。ベッドは大人五人寝ても十分な広さで、部屋も高価な調度品で整えられている。

 ベッドから降りて近くのバルコニーに出ると、目の前の光景に息を呑んだ。


 眼前に広がる薄紫色の空は、子供の絵のようなオレンジ色の星が空に散らばり、ピンク色の雲がふわふわと浮いている。

 自分の身丈より数倍大っ気レモン色の三日月は偽物だと思ってもあまりにも美しい。ふと、自分が触れているバルコニーの柵を見て驚きの声を上げた。


「これ、石じゃなくてメレンゲクッキーだ。よく見ると内装もお菓子で出来てる……」


 ベッドを含む家具を除き、壁はバルコニーと同じメレンゲクッキー。柱はキャンディ、扉はチョコレートとお菓子を使っている。

 数十メートル下にある町も魔法で視力強化して見てみると、家や石畳がお菓子やフルーツ、ナッツ類を使っており、そこで暮らす人々も陶器人形のようなつるりとしたフォルムをしている。


「ここは一体どこなの……」

「――ここはスイートワンダーランド。私達『サングラン・ドルチェ』の拠点がある異界よ」


 日向の独り言の問いを答えた声が背後からして、すぐさま振り返る。

 振り向いた先には、この部屋にあった姿見から上半身だけを出している白いドレス姿をした一人の女性。

 きつね色の長髪とリラ色の瞳、下半身も姿見から出して現れた体はモデル並みに整っている。

 だが日向は、女性が姿見から現れたのを見て意識を失う前までの記憶を思い出させた。


「もしかして、ショーウィンドウであたしの手を掴んだ人?」

「ええ、そうよ。私はガラスや鏡を使って空間同士を繋げる魔法が使えるの。最も、あんたのお兄ちゃんには及ばないけど」


 皮肉っぽく言う女性に日向は微かに眉を顰めるも、すぐさま目つきを変える。


「あなたの目的は何? どうしてあたしを狙ったの?」

「言っとくけど、あんたを連れてこいって言ったのはママよ。私はその命令に従っただけ」

「ママ?」

「とにかく、その小汚い格好を脱いでさっさと着替えなさい。お風呂も服も用意してるから」


 日向の問いに答えないまま、女性は姿見の中に入って姿を消した。

 同時にチョコレートの扉が開き、町にいた住人と同じ姿をしたメイドが数名入ってきた。


「お客様、大浴場へご案内します」

「どうぞこちらへ」

「え、あの、ちょっと」


 機械的な口調で話すメイド達に引っ張られるように連れてこられたのは、これまた広い大浴場だ。

 薄緑色のお湯が溢れんばかりに浴槽を満たしており、ここだけはお菓子ではなく頑丈な大理石で造られている。

 着ていた私服を問答無用で脱がされ、浴場へ入れられた。


 全裸になって浴槽に入ると、熱くもぬるくもないちょうどいいお湯が体を包み込み、心地よいぬくもりを与えてくれる。

 ふぅ……と一息吐いてしまうが、ここは誘拐犯の拠点だと思い出して顔を横に振る。


(あ、危なかった。思わず寛いちゃったけど、ここは敵の懐だった。そもそもなんであたしはお風呂に入られてるんだろう?)


 恐らく人に会う前に身綺麗にするようにという意図だろうが、何故それを敵側が催促するのか分からない。

 それよりも早くここから脱出して、逃げる方が一番いい。


(でも、相手の戦力がまだ分からない以上、下手に動けない。ここは変に抵抗しないで従う方が得策だよね)


 少しでも変な真似をすれば、自分だけでなく他にも被害を出す可能性もある。

 今は必死に逃げたい気持ちを堪え、あの女性の言う通りに動いた方が正解だ。

 浴槽から出ると薔薇の香りがする石鹸やシャンプーで身を清め、タオルで軽く体を拭いて浴場から出ると、例のメイド達がバスタオル、ドライヤー、下着を用意したまま待機していた。


 メイド達のなすがままに体を拭かれ、髪を乾かされ、下着をつけられると近くにあったドレッシングルームへ案内される。

 室内には数百を超えるドレスや礼服が用意されており、立派な化粧台も用意されていた。

 呆然とする日向を余所に、メイド達はドレスやアクセサリーを選ぶとそのまま日向を大きな姿見の前に立たせてドレスを着させた。


 ドレスはフリルがたっぷりあしらわれた、大きめの腰リボンが特徴的なチェリーピンク色のドレス。

 スカートの中にはパニエを穿かれボリュームが増し、同色のハイヒールを履かされる。あまり踵の高い靴を履き慣れない日向にとっては、歩く時は注意しなければと意気込む。

 今まで来たドレスの中で一番派手なドレスを身に包むと、お風呂と一緒に外されたあの巾着袋をメイドの目を盗んでつけ、平然とした態度で化粧品片手に待機するメイド達がいる化粧台の椅子に座る。


 ファンデーションと口紅はもちろん、アイシャドーやマラカスなど初めて使う化粧品を使われる。

 嗅ぎ慣れない化粧の匂いに不快感を出すも、メイド達は顔色一つ変えずにアクセサリーをつけていく。

 本物の真珠を使ったネックレスとノンホールピアスをつけられ、後頭部に白いフリルがついた大きなチェリーピンクのリボンを結ばれた。


「着付けが終了しましたら、パーティールームにご案内します」


 身支度が終わると部屋の外で待機していたメイドの一人が扉を開けて外へと促し、しっかりした足取りで案内するが、慣れない靴に悪戦苦闘する日向にはそのスピードは速く感じられる。

 半分追いかけるような形でメイド達に案内されると、一際大きなチョコレートの扉の前まで足を進めた。

 扉は魔法がかかっているのか自動で開かれ、一瞬だけ眩しい光が目を襲い思わず瞼を閉じた。


 次第に目に光が慣れて少しずつ開くと、目の前に広がる光景に目を見開いた。

 青い空と白い雲、扉の先の床は芝生で覆われ、いろんな色の薔薇が咲いている生け垣からは甘い匂いが漂っている。

 テーブルクロスが敷かれた長テーブルには、白い陶器のポットとカップ、同じ素材の皿や銀盤には美しく盛られたお菓子や軽食が並び、華やかなそれを見て思わず目を輝かせてしまう。


 だがそれも、そのテーブルの席に座る人達を見て我に返る。

 自分を気絶させた例の男もいれば、部屋に現れた女性もいる。さらにはその二人と似た格好をした男女が多種多様な表情を浮かべながら座っている。

 その中でも一際目立つのは、一番前の席に座る女だ。


 癖のあるローズピンク色の髪をツインテールにし、頭部に結んでいる黒いリボンには左側頭部に乗せられた王冠が乗っている。今日向が着ているドレスと同じ派手な装飾があしらわれたドレスを見に包んでいた。

 見た目からしてまだ二〇代なのだろうが、随分と若々しい。


(なんだろうこの人……あの人とは違うけど、似たような気配を感じる……)


 可愛らしいかつ美しい見た目でも、中身が善人であるとは限らない。

 これまでの経験のおかげで頭の中で鳴り響く警鐘を聞きながら、日向は目の前の女を見た。

 女――リリアーヌは警戒心を抱きながらも毅然とした態度で自分から目を逸らさない日向を見て気分を良くしたのか、くすりと小さく微笑む。


 だが、彼女のローズピンク色の瞳から猛獣の如く獰猛な光を宿したのを見逃さなかった日向は、警戒心をより一層高めながら小さく息を呑む。

 リリアーヌはさらに笑みを深くすると、椅子から立ち上がって両腕を広げていった。


「――ようこそ、わたしのお茶会へ。わたし達はお前を歓迎するよ、豊崎日向」

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