第219話 叶えるべき理想に向けて

 会議が終わり、一度家に戻ってラフな恰好に着替えた日向は悠護と食事に出かけた。

 場所は繁華街にある大衆向けの洋風居酒屋だ。私服のおかげで不審がられずに済み、悠護は一番奥の個室を選んだ。

 個室といっても三面が壁で、一面が頭からふくらはぎまでスライド式のドアになっているタイプだ。


「あ、そうだ。一応これも置いとくな」


 そう言って悠護が取り出したのは、三角錐の物体。尖がっている部分を押すと盗聴防止になる魔導具だ。

 これを使うということは、きっと会議についての話をするのだろう。


「えーっと、メニューは……うん、やっぱりおつまみ系が多いね」

「これでも一応腹は膨れるし問題ねぇだろ」


 専用のタブレット端末を操作しながら、二人は食べたいものを選び注文する。

 頼んだのはシーザーサラダ、シーフードと野菜のフリット、若鶏の丸焼き、トマトパスタ、バケットの盛り合わせ、そしてソフトドリンク飲み放題だ。


 最初、サラダと飲み物を持って来た店員が二人を見て『え? この人達、あれ全部食べられるの?』的な顔をしていたが、魔力生産のために人より燃費の激しいため問題ない。

 注文したコーラがジョッキで二つ店員が持ってきてくれて、キンキンに冷えた取っ手を握り持ち上げる。


「んじゃ、お疲れ」

「お疲れ様」


 カツン、とグラスを合わせて一緒に半分以上を飲み干す。

 炭酸飲料は人並みに飲むが、あんな居心地の悪い会議の後だと何故かすごく美味しく感じられた。

 一息ついていると、店員がシーザーサラダと取り皿を持ってきてくれた。取り皿の上に置かれていたトングで温玉を割ってよく混ぜながら取り分けた。


「そういえばさ、意外と会議した時間短かったね。大した話もしなかったけどあれでよかったの?」

「ああ。今回は互助組織の創立賛否が主体だから、活動内容とかは時間を取って別の日に話し合う予定だ」

「活動内容……一昨日渡したあの熱入ったアレが使われるのかな?」

「だろうな。多分削除と修正なしでそのまま出すだろ。自画自賛になるけど、かなりの出来だったから大丈夫だろ」


 ベーコンとクルトンのカリカリ感とレタスやトマトの瑞々しさ、酸味のあるソースに卵のトロみが絶妙なサラダを食べていると、次にフリットとトマトパスタが運ばれてきた。

 フリットに使われた野菜はズッキーニ、舞茸、たまねぎ、カリフラワー、ジャガイモで、シーフードはエビ、イカ、タコ、白身魚。トマトパスタは一人前だが素揚げしたナスがゴロリと入っていて、ボリュームがそれなりにある。


 再び取り皿に盛り付け、冷めないうちに頂く。

 フリットは素材の味がしっかりと伝わり、衣も油っこくなくサクサクしている。パスタも生パスタを使っているのかもっちりとした食感が噛む度に伝わり、ソースもトマトの風味を全開に活かしていて、素揚げのナスがその旨味を吸っている。

 途中でバケットを千切って、トマトソースをつけて食べる。ソースがなくなったら、ついていたバターがあったから、それを塗って完食する。

 

「それにしても……なんであんなに面倒臭い人ばかりが偉くなるんだろうね?」

「仕事はできるからだろ」

「……納得した」


 会議でのことを思い出し、深いため息を吐きながらも二人は料理を減らしていく。

 メインである若鶏の丸焼きを持って来た店員は、決して少なくない量の料理を消費した日向と悠護に目を瞬かせるも、料理を置くと空いた食器を下げて離れていく。

 すぐさま悠護が見事なナイフ捌きで肉を切り分け、中に入っているリゾットも取り分けてくれた。


 ハーブ塩が擦り込んだ柔らかな鶏肉はいつもと違う風味が感じ、オリーブオイルを塗り込んでいるおかげで皮はパリパリだ。リゾットも鶏肉の脂を吸ったおかげであっさりとした味付けながらもねっとりした食感がある。

 もぐもぐと頼んだ料理を全て食べ終えると、おかわりしたコーラを飲んで一息吐く。


「……ねぇ悠護」

「なんだ?」

「どうして、こんな風になっちゃんだろうね……」


 ぽろりと零れたその言葉に、悠護はジョッキを静かに置く。

 日向はうつ伏せていて、ジョッキの中でカランと音を立てている氷を見つめながら言った。


「あの頃は本当に魔法を佳きものにしようと……みんな頑張って来たのにさ……。……魔導士とか準魔導士とかランク付けて、同じなのに傷つけて見捨てることができるのよ……」

「日向……」

「分かってる。こんなこと言うことすら意味ないことだって。でも……だからこそ、言いたくなるの……」

「……そうだな」


 今の現実は、前世で抱いた夢を思い出した日向にとっては辛いものだ。

 魔導士を至高の存在と考え、準魔導士をいとも簡単に虐げ見捨てることができる現実。

 それは、魔法を佳きものとして誰もが幸せになる未来を描いたことがあるこそ、日向は途轍もないショックを与えた。


 全てを奪われ、相手から奪うことしかできなかった魔導士崩れを知っている。

 快楽のためだけに民間人を殺すことに躊躇しない魔導士を知っている。

 準魔導士を理由にいじめを正当化している一般人を知っている。


 自分の理想と反して起こる現実の有様は、悠護自身も今ならばどれほど醜いのか理解できる。

 それが日向ならば、その衝撃は自分より上だろう。

 だけど。


「それでも……お前はそれを変えるために努力するって決めたんだろ?」

「!」


 悠護の言葉に、日向がぱっと顔を上げた。


「こんなクソったれな現実を変えていくんだろ? なら、こんなところで立ち止まるんじゃねぇよ。俺も、心菜も、樹も、怜哉も、ギルも陽先生だってお前の進む道を全力で応援する。……だから、そう抱え込むな。お前の理想を笑う奴は、全員俺らがぶっ飛ばしてやるからよ」


 あの時、日向は言ったのだ。自分の言っていることが夢見がちな理想論だと。

 だけど、夢見がちだからこそ叶う理想があってもいいと思う。

 それを実現するためならば、自分は労力を惜しまない。


「…………うん、そうだね。ちょっとナイーブになってたかも」

「かもじゃなくてなってたぜ。気持ちは分からなくないけど」

「そっか……ありがと」

「おう」


 へにゃりと顔を緩ませた日向の頭を、悠護は優しく撫でる。

 机から体を乗り出し、そっと彼女の耳朶に口元を寄せると小さく囁いた。


「なぁ、今日はもう少し一緒にいたいんだけどよ……ダメか?」


 悠護からのお誘いの言葉に、日向の頬に朱が差す。

 だけど、上目遣いで潤んだ瞳を向けながら言った。


「……ダメじゃないよ」


 恋人からの返答に、悠護は嬉しそうに目を細めると「ありがとう」と言って、そっと唇を重ねた。



「ん……」

「……はぁ……」


 居酒屋を出て、近くにあったビジネスホテルに入った二人はそのままベッドに倒れて口付けを交わす。

 舌を絡ませ、互いの唾液を交換するように深く求め合う。

 唇から漏れる熱い吐息と甘い声、そして潤んだ瞳が悠護の理性の糸を千切らせようするも、なんとか堪える。


 去年のクリスマスに一線を超えてからというもの、バカップルのように毎週のようにはいかないけど、それなりに回数をこなしてきた。

 前世では非常に清い関係を貫いてきたせいで、今まで我慢していた欲が今世で爆発したことは自分でも理解しているため否定できない。


 それでも、何回シても恥ずかしがり、必死になりなりながら応えてくれる日向の姿に、男として欲を抱かないことなどありえない。

 本当ならあのまま帰してよかったけど、あそこまで落ち込んだ彼女を放っておくこともできなかった。


「悠護……いつも、その……ごめんね?」

「? なんで謝るんだ?」

「なんか、悠護の優しさに付け込んでるみたいで……」


 確かに日向が落ち込んでこういうことに流れ込むことは二、三回はあったし、彼女がそのことを気にしてしまうのは自然だ。


「あー……いや、俺は別にお前を慰めるためだけに抱いてるわけじゃねぇぞ。俺も純粋にお前が欲しいって思ったからキスしているし、こんなことお前以外したくない」

「あっ……!」


 ちゅっと首筋にキスを落とし、軽く歯を立てる。

 それだけで日向の体がびくりと跳ねて、細い首には赤い印がつく。

 分かりやすい所有の証に、自然と気分が上昇した悠護は前髪を掻き上げながら言った。


「お前は? ……俺と、こういうことシたくないのか?」


 意地悪気味に問いかけると、日向はふるふると首を横に振る。


「ううん……悠護だから、シたいって思うんだよ。だから、嫌じゃない」

「そうか。じゃあ、今日も優しくするな」

「そう言って優しくしてくれないくせに……」


 過去の経験を思い出したのか、拗ねたように唇を尖らせる日向。

 悠護もそれを思い出したのか苦笑しながらも、太腿を撫でる手を止めない。するすると足の付け根へと向かう感覚に、日向は我慢するように必死に口を手の甲で塞ぐ。

 シーツを握りしめる手を空いている手で重ね、指を絡ませる。手の甲が口から離れたのを見計らい、もう一度唇を重ねる。


 生理的に出た涙を指先で拭い、額に唇を落とす。

 たったそれだけでも、日向は嬉しそうに顔を綻ばせる。

 その顔を見て、悠護はきゅっと口元を結びながら心の中で呟く。


(――絶対に、こいつの夢を叶えさせてやる)


 たとえ周囲が敵だらけだろうと、自分と仲間達がそばにいよう。

 いずれ彼女を娶るだろう自分は、誰よりも一番な理解者として支えよう。

 それくらいしかできないけど、これだけは絶対に譲れない。


「日向……愛してるよ」

「……あたしも、愛してるよ。悠護」


 この先に待つ未来にどんな障害が待ち受けようとも、今度こそこの手を離さない。

 もう片方の手も指を絡ませながら握りしめると、悠護は何度目かのキスを交わす。


 獣のように貪欲かつ情熱的に求め合い、互いの湿った熱ごと肌を重ねる。

 泣いているような嬌声を上げて、涙を零す日向の懇願を聞きながらも、その手は絶対に離さなかった。



☆★☆★☆



 カーテンの向こうの外はまだ暗く、わずかな街灯だけが街を照らす。

 隣で眠る悠護の顔は子供のように幼く、ひどく無謀だ。意識が飛ぶまで求め合った体はひどく重いが、それでも触れ合って愛されたという気持ちが強くてどこか心地よい。

 そっと黒髪を撫でながら、部屋に置かれているバスローブを着て、カーテンを開けた。


 外では夜遊びを終えた若者が何人か歩き、トラックや車が数える程度に道路を走る。

 東の空が徐々に明るくなり、紺碧が徐々に赤く染まっていくのを見て、日向は昨日のことを思い返す。


(今は平和に見えるけど……どこかで争いの火種は燻っている)


 現に準魔導士の処遇は社会問題としてニュースで何度も取り扱われており、魔導士至上主義者の多いIMFは曖昧な回答をしてメディアに流している。

 その回答のせいで準魔導士の扱いはひどくなっていき、差別派の活動をさらに助長させているということに気づかない上の頭は本当に理解できない。

 だが、このまま放置しても問題が解決しないことくらい、向こうもすでに理解していたし、あの時の会議で賛成派が多かったのはそれが理由だろう。


(それに……あのカロンが今も大人しいこと自体、ありえない。一体何を企んでいるの?)


 悪魔の化身が未だ手を出してこないこともおかしいし、何を準備しているのか想像したくもない。

 それでも……未来を掴み取るには、あの男を今度こそ殺さなければならない。

 あの時のような復讐だけで終わらせるのではなく、本当の意味で死を……。


「日向……?」


 もぞり、と布団が動いた音を聞いて振り返る。

 ベッドの上で悠護が上半身を起こしており、細身ながらも鍛えられた裸が目に入り、風邪を引く前にもう一着あるバスローブを羽織らせた。


「ごめんね、起こしちゃった?」

「いや、大丈夫だ。……というか、すっげー今更だけどよ。お前、朝帰りして大丈夫なのか?」

「ああ…………大丈夫だよ。昨日はあたしを送った後、そのまま学園の教師陣と飲み会してたみたい」


 毎年三月下旬になると、四月に向けてのやる気を充電するという目的で飲み会が開かれるらしい。

 その時はさすがの陽も深夜営業をしているお店に連れ回され、帰ってくるのは昼前になる。始発の電車を乗って家に帰れば、誤魔化しくらい効く。


「そっか……俺、お前に朝帰りさせて怒られる覚悟してたから」

「朝帰りくらい何度もしてるでしょ?」

「そうだった………」


 今更感のある発言に、悠護は深く項垂れる。

 日向はくすくす笑いながら、彼の肩に頭を置く。


「どうした?」

「ううん、やっぱり悠護はあたしの心を落ち着かせてくれるね」


 嫌なこと、難しいことがあって落ち込む度に悠護の言葉は優しく心に馴染んでくる。

 彼は無自覚かもしれないが、そのおかげで何度も助けてもらっている。それはきっと、悠護も同じだったのだろうと今なら思える。


「……そっか。元気になってよかったよ」

「うん。ありがとう」


 こめかみにキスを落とす悠護に、日向は微笑みながら感謝を伝える。

 気づけば東の空が赤と橙色に染まり、太陽が顔を出していた。

 今日もこのまま、善人も悪人も問わず生活を送るだろう。その中に流す必要のない涙と血を流す者もいるかもしれない。


(……頑張ろう。あたしの夢のために、そして……叶えられなかった理想のために)


 眩しい日差しを浴びながら、日向は悠護の手を握りしめる。

 その仕草で何かを察した悠護は、そっと優しく握り返した。

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