第220話 同じ気持ち、不安な気持ち

 三月二八日。樹は銀行に来ていた。

 ATMで通帳記入し、機械音を出しながら新しく記入された通帳が出てくる。

 手に取り中を見ると、数日置きに一〇万以上の金が入り、残高がかなりの額になっていた。


「また増えたな……」


 黄倉家主催の魔導具オークションに参加してから、徐々に購入者が増え始めて一高校生が持つべきではない金額まで膨れ上がっている。

 そろそろ別の銀行で口座を作らないと、上限残高を超えてしまうと考えていた時、スマホが震えてズボンのポケットから取り出す。


 画面にはSNSに心菜個人のメッセが入ったという通知が来ていて、すぐに暗証番号を解除する。

 SNSのアプリを開き、心菜の個人トークを開いた。


『樹くん。明日の一〇時、デートしませんか?』

「…………………………えっ?」


 まさかの誘いに間抜けな声を出す。

 これまでのデートでは、大体が樹から誘っていた。もちろん心菜から誘ってくることもあったが、それも両手で数えるほどだ。

 もちろんこの誘いは嬉しいが、前日にいきなりというのは今までなかったせいで理解するまで少し時間がかかるも、すぐに返事を送る。


『いいぜ。どこ行きたい?』

『今度、春物の服を買いたいのでショッピングモールに行きたいの』

『なら、横浜にでも行くか? あそこなら色々あると思うぜ』


 樹からの返信は、『いいよ!』の吹き出し付きのシロ吉くんのスタンプだ。

 みなとみらい駅改札前を待ち合わせ場所に指定し、銀行を出る。目の前のビルに設置されている大型ビジョンには『国際魔導士連盟日本支部、本日準魔導士の互助組織創立を決定』というテロップが流れていた。


 昨日、悠護に電話した時に日向が例の互助組織の創立に今後も関わると話していた。

 準魔導士のことはもし学園に受からなかったら今頃彼らのような目に遭っていた自分と重なってしまい、今はまだ魔導士候補生でも他人事ではないと思ってしまう。

 日向ならきっと、準魔導士のことも悪いようにはしないはずだと信じている。


(…………なら、俺は何ができるんだ?)


 ふと、考えてしまう。

 これまで色んな事件を通じて、他の魔導士候補生より力がついていると自負している。しかし、樹は精霊眼と魔導具の知識以外に特別なものはないと最近考えてしまう。

 日向も、悠護も、陽も、ギルベルトも、怜哉も彼女らには彼女らなりの強さも特別なものもある。


 だけど――誰かを殺すという覚悟は、樹も心菜もない。

 彼女らは人を殺すことに対す罪悪感を抱きながらも、それでも殺すと決めた相手を殺すことができる。

『新主打倒事件』で、樹もその覚悟はしていた。だけど、その覚悟が上辺のものであることを怜哉に見抜かれてしまった。


「はぁ……ダッセぇな、俺」


 あれだけ大口を叩いておきながら、結局彼女らの手を煩わせてしまっただけ。

 いくら魔力値が高かろうが、使える時に使えない力など意味はない。

 そして……この先、自分はこれからどうしていきたのか、ちゃんと考えなければならない。


 鬱屈した気持ちを抱きながら、樹は途中で買い物をしながら帰宅した。

 母は介護職員として働いており、シフト制であるため日勤だったり夜勤だったりと時間が不定期だ。今日は日勤の日だから、夕飯は母が好きな魚の煮付けを作る。

 魚屋で買った金目鯛の切れ身を使って甘辛く仕上げる煮付けをメインに、副菜はインゲンの胡麻和え、味噌汁は玉ねぎとネギのシンプルな味噌汁と炊き立てのご飯が今日の夕飯のメニューだ。


 ベランダに干してある洗濯物を取り込み、リビングだけでなく自室にも掃除機をかける。母の物と一緒に洗濯物を畳み、タオル類を戻す時にお風呂も綺麗に洗う。

 夜八時にお風呂が沸くように予約設定をした後、台所でお米をザルで洗って釜に入れ、その釜を炊飯器に設置しスイッチを押す。


 その間に夕飯の下ごしらえを済ましておき、母が帰ってくる三〇分前に料理をすれば、帰宅と同時に料理ができる計算だ。

 長い間、母の代わりに家事をしてきた樹にとってはすでに慣れたルーチンだ。

 ひと段落してソファーに座って一息吐くと、ふと樹は肝心なことを思い出す。


「そういや……なんで心菜の奴、いきなりデートしようって言ったんだ?」


 誘ってくれたこと自体は嬉しいが、今回ばかりは突然すぎる。

 今までのデートも、前日ではなく三日くらい余裕もって誘ってきた心菜のらしくない行動は微かに樹に疑念を抱かせた。

 気になりながらも、明日聞けば大丈夫だろうと思い、樹はまだ余裕がある時間を有効活用すべく明日のデートで着る服を探し始めた。



 その頃、神藤家の自室にいる心菜はベッドの上でごろごろと転がっていた。

 ふわふわのクッションを抱きしめ、可愛らしいパジャマ姿の心菜の今の様子を第三者が見ていたら、総じて『可愛い』と賞賛するだろう。

 だけど、クッションに顔を埋めている心菜の顔色は些か暗い。


「樹くん、大丈夫かな……」


『新主打倒事件』後、彼が少しばかり元気がなくなっていたことは心菜だけでなく仲間の全員が知っていた。

 以前のように放課後一人で陽にしごかれるということはしなくなったが、それでも毎朝早い時間に起きて敷地内のランニングや筋トレ、それに『工房』で魔導具の自主製作に没頭し始めた。


 もちろん目に隈ができたり、食事を摂っていなかった時は、強制睡眠&食事を実行させたし、気分転換として一緒に出掛けたりもした。

 それでも、樹の悩みを晴らすまではいかなく、結局そのまま春休みに突入してしまった。


(でも、お洋服が欲しいのは本当だし、デートしたかったのは本当よ)


 紆余曲折を経て、なんとかあの頑固な叔母を説得して結婚前提のお付き合いが決まった。

 樹の母親とも会ってきちんと話をして仲良くなり、両親がお世話になっている企業や家々に報告したことで以前のようにお見合い写真を送ってくることはなくなった。

 これから先の未来、樹と共に生きることが決まって、きっと心菜は一人浮かれていたのだ。


 ――『新主打倒事件』で、その覚悟が軽いと感じるほどの、人を殺す覚悟と直面するまでは。


 攻撃魔法があまり得意ではない心菜は、戦闘ではリリウムに頼りっぱなしだ。

 何度か攻撃魔法を習得させようと努力したが、どの魔法も不発で終わった。これはさすがにおかしいと感じた心菜は、陽に何故攻撃魔法が仕えないのか陽に聞いた。

 その問いに、彼はこう答えたのだ。


『魔法っちゅーんは、術者の心――想像力イマジネーションの強さによって左右される。それで魔法の威力が強くなったり弱くなったりするんやけど……神藤の場合、人を傷つける行為自体を嫌っとるせいで、攻撃魔法に対する想像力イマジネーションができひんのやろうな。こればっかりは、神藤自身で解決する問題や。ワイからはこれ以上何も言えへん』


 陽の答えに、心菜は頭の中でパズルのピースが嵌まった音が聞こえた。

 心菜は性格上人を傷つける言動や行為を好まない。そのせいで攻撃魔法を習得できないというのは、本当に簡単な理由だったと理解した。

 理由が分かってからは、自分なりに攻撃手段を模索しながらも、リリウムに頼りっぱなしなりながらも頑張り続けた。


 でも……『新主打倒事件』で、相手をなるべく殺さずギリギリ生きている範囲に留めたせいで、最後は怜哉の手によって止めを刺させてしまった。

 その時、心菜は悟ってしまった。

 自分には、永遠に人を傷つけることも、殺すこともできないのだと。


 周りが人を殺す覚悟をしているのに、自分だけはできずに置いてけぼりになっていく。

 追いつきたいと願いたくても、その一歩が踏み出せない。

 きっと、あの時一緒に泣いた樹も同じ気持ちだったはずだ。


「明日は樹くんも楽しめたらいいな」


 互いの傷を舐め合っている行為だと分かっていても、それでも心菜は愛する人と楽しい時間を過ごしたい。

 明日は素敵なデートになるようにと願いながら、心菜は部屋の電気を消した。



☆★☆★☆



 横浜は中華街や大観覧車がある都市型立体遊園地、横浜赤レンガ倉庫など観光地の他に横浜市認定歴史的建造物が九三件もある、日本有数の湾岸都市であり商工業都市だ。

 春休みということもあり、みなとみらいには多くの観光客がおり、改札前で待ち合わせてしていた樹と心菜は、クイーンズスクエア横浜に向かう。


 駅の直下にあるこの複合商業施設は、駅のホームまで降りる長いエスカレーターが吹き抜けで見渡せ、ファッションだけでなくスポーツ・キャラクター関連の店舗やレストランなどが充実している。

 樹はさっそく、ブディックに行き心菜の春物の服探しに付き合う。


「心菜の私服ってワンピースとかスカート系が多いよな。パンツ系とか穿かないのか?」

「うーん、家でもスカートが多いかな。ショートパンツも穿くんだけど……男の人の前だとちょっと恥ずかしく感じちゃうの」

「そっか……じゃあ、このスカートはどうだ?」


 樹が手に取ったのは、オフホワイトのロングスカート。何もついていないシンプルなものだが、心菜によく合う清楚なデザインをしている。


「いいかも。じゃあ、このブラウスと一緒に合わせたらいいかも」


 そう言って、心菜はスカイブルー色のフリルブラウスを手にする。仮想タグ読み込みアプリではどれも一万円近くもするが、そもそもこの店自体どの服の値段が高めなのだ。

 心菜は顔色一つ変えることなく選ぶ辺り、今まで着ていた服はこういう店で買ったものなのだろう。


(って、当然か。こいつは社長令嬢だもんな)


 神藤メディカルコーポレーションは、今も魔導医療の世界シェア第三位をキープしている。

 これから何千人という社員を養いながら、会社を経営する社長として道を歩むだろう心菜の道は悠護とはまた違う険しさだろう。


(………………あれ? じゃあ俺、こいつのために何すればいいんだ?)


 魔導具技師としての免許を取って、その先一体何をすればいい?

 心菜とは結婚前提のお付き合いをしている以上、いずれは神藤家の方々と血縁関係を結ぶことになる。その時、自分はなんの肩書きがないままでいいのか……?

 今まで逸らしていた現実を目の当たりにし、頭痛が走り始める。


「樹くん?」

「あっ……な、なんだ?」

「どうしたの? 顔色悪いよ。少し早いけどお昼にしよっか?」

「いや、大丈夫だ。今日が楽しみに過ぎて寝不足気味なんだ」


 心配させまいと笑みを浮べるが、心菜はどこか釈然としない顔をする。

 それでも笑顔で強引に押し切りながら、買い物を続けることにした。期間限定で開かれている海外の石鹸やアロマを取り扱う店に寄ったり、ファーストフード店で昼食を摂ったり、途中ひったくり犯を捕まえるというハプニングもあったが今までのデートだった。



 買い物を済ませてクイーンズスクエア横浜から出て、周辺をぶらぶら歩いていると、ふと樹の目にある物が目に入って足を止める。

 樹が止まった場所は警備員が入口に立っている高級なバッグやアクセサリーなどを取り扱うショップだ。不思議に思い心菜は目の前のショーウインドウを覗き込む。


 ショーウインドウには既製品とは違う手法で作られたバッグや靴があるが、樹の視線を奪っているのはクッションが入った箱の中に入っている髪留めだ。

 六花をモチーフにした透かし彫りのシルバーアクセサリーで、樹の瞳を思わせるの青い石が嵌め込まれている。


「心菜、ちょっとここ寄っていいか?」

「うん、いいよ」


 樹のお眼鏡に合ったのか、店に入ると黒いスーツをぴっちり入った男性店員に例のアクセサリーを見せてもらうよう頼む。

 白い手袋をした手で持ってきてくれたそれを、樹は慎重な手つきで見つめ、そのまま心菜の髪の前にかざす。

 亜麻色の髪とシルバーの色合いが見事に調和し、瞳の色と反対の石はむしろ彼女の美しさを引き立たせるいいアクセントになっていた。


「なんて美しい。お客様のために作られたようです!」


 近くにいた女性店員がうっとりした顔でため息を漏らす。

 樹もそれを見て満足したように頷き、アクセサリーを箱に戻すとそのまま男性店員に向かって言った。


「じゃあ、これをください」

「かしこまりました。プレゼント用の放送はいかがなさいますか?」

「お願いします」


 心菜が止める前に樹と男性店員の話が進み、そのまま購入する流れになっていく。

 さすがにこんな高そうな店でプレゼントしてもらうのは気が引けて、慌てて樹の腕を引いた。


「樹くん! これかなり高いんだよ? 無理しないで」

「無理じゃねぇよ。むしろ最近充分すぎるくらいの収入が入って、早く使いたかったんだよ」


 樹の言葉に心菜はすぐに理解した。

 樹は黄倉家主催の魔導具オークションに出品してから、彼の作品はかなりの世代から人気を誇り、オークションのたびに落札価格が上がっているという話は何度も聞いている。

 現にレジにいる樹は財布からゴールドカードを取り出しており、金銭的余裕があるみたいだ。


(樹くん、頑張ってるな……)


 魔導具オークションでは上位に食い込むほどの人気を有し、魔導具技師としての腕を着々と磨いている。

 このままいけば彼は、日本を代表する魔導具技師として世界に名を馳せるだろう。


(もし、私のせいで彼が自由に魔導具を作れる時間を奪ってしまったら……)


 会社でも最近では魔導医療に適した魔導具開発に力を入れており、樹の技術力ならばいずれ力になれる仕事ができるはずだ。

 しかし、そのために彼が自由に魔導具を作る時間を奪い、仕事のためだけに使うようなことにあってしまったらどうなるのだろうか?

 樹のことだがら、きっと快く力を貸してくれるだろうが、人の心の内などたとえ恋人だと理解できる範囲が限られている。


「心菜、心菜」

「な……何?」

「ほらこれ。せっかくプレゼントしたんだから受け取ってくれよ」


 何時会計を済ませたのか、樹の手には店のロゴが入った紙袋を持っており、心菜は慌ててそれを受け取り、笑みを浮べる。


「ありがとう、樹くん。大事にするね」

「……おう」


 自分の作り笑いに気付いたのか、樹は何も言わずそのまま手を繋いで店を出て行く。

 いつもなら手を繋ぐだけでも嬉しいはずなのに、今日は何故かとても寂しい気持ちになった。

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