第152話 純白の叛逆者は残酷な真実を告げる

 眩い光を放つ本。何者の手にも触れていない宙を浮くそれは、意思を持っているかのようにパラパラとページが捲られる。本の半分まで開かれると、複雑な文字と六芒星が描かれた魔法陣が展開する。

 魔法陣から魔力で作られた茨が五〇本近く出現し、そのまま前方に突進する。


「アイリスッ!」


 慌ててヴィルヘルムが彼女の体ごと抱きしめながら庇う。魔法に関してなら知識が人一倍あるヴィルヘルムにとって、この茨が何かの作用を働かせるかもしれないと考えただけに過ぎない。

 だけど茨は二人の横を避けるように通り過ぎ、しゅるしゅると音を立てながら何かに巻き付いた。


「えっ……?」


 茨が巻き付いたのは、日向。

 目を丸くして困惑する彼女の体が、茨の動きに合わせて宙に浮いた。


「うぇっ!? ちょ、何これ!?」

「日向!?」


 茨に体の自由を奪われ、そのまま魔法陣へと引きずられるパートナーの姿に悠護が叫びながら追いかける。

 誰もが目の前の事態を読み込めないまま、日向が茨ごと魔法陣へと引きずり込まれていく。日向も茨から逃れようと藻掻くも、逆に茨の締め付けが強くなった。


「日向!!」

「悠護……!」


 互いの手が伸ばされる。それが最後の命綱と言わんばかりに、二人は必死に手を伸ばす。

 だけど、茨は無情にも日向を魔法陣へと引きずり込む。たった数センチしかない距離が、何メートルも離されていく。

 必死に手を伸ばそうとする悠護の顔が、絶望に染まったところで日向の視界は暗闇に包まれた。


 日向の体が魔法陣の中へと消える。

 魔法陣と共に本も姿を消す。

 誰もが戦う手を止めて、沈黙した。


 わけが分からなかった。

 目の前で起きたことも、この状況も何もかも。

 そんな中、アイリスだけが譫言のように呟いた。


「……何、あれ……どうして……こんなことに……」

「アイリスっ……」

「ねえヴィル、わたしは【起源の魔導士】の生まれ変わりなんでしょう? なのにどうして? どうして力が戻ってないの? なんで記憶もないの? 聖遺物に触れたら力も記憶も戻るって話はウソだったの!?」


 そうだ。アイリスは【起源の魔導士】の生まれ変わりとして予言された少女。

 聖遺物にちゃんと触れたはずなのに、力も記憶も与えられた感覚がない。それどころか、あの聖遺物は自分の敵キャラであるはずの少女を連れてどこかに消えてしまった。

 なんで? どうして? と頭の中で疑問だけでぐるぐると回る。


「力も記憶も与えられなくて当然だ。――お前は、偽者なんだからな」


 コツンと鳴る靴音と共に少女の質問に答えたのは、紅いローブを身に纏う純白の男。

 叛逆者の長の男の発言は、アイリスだけでなくこの場にいる者達を動揺させる。


「え……? 偽者って……?」

「そうだ。本物はお前が毛嫌いしていた豊崎日向、彼女こそが【起源の魔導士】の生まれ変わりなんだよ」


 主の言葉に、誰もが思考停止した。

 だけど、それは当然だった。

 日向が、よりにもよってアイリスが嫌っていた女が【起源の魔導士】の生まれ変わりなんて、到底信じられなかった。


「確かにお前は【起源の魔導士】の血を引いている。だが、その血は水と同じくらい薄い。恐らくお前の家はエレクトゥルム家の末端の末端だったんだろう。……たったそれだけでこの女を生まれ変わりに選ぶとは、どいつも目が節穴だな」

「貴様っ、デタラメを言うな! アイリスが【起源の魔導士】の生まれ変わりではない証拠がないだろ!?」

「証拠なら、あの聖遺物が示した」


 ヴィルヘルムの怒声を冷たい声で一蹴した。

 誰もが沈黙を保ったこの場では、主の声がひどく高く聞こえた。


「私はあの聖遺物に何かの仕掛けをしていると踏んでいた。どうやらあれには、本物以外に触れられると本物ごとをどこかへ連れ去って保護する防衛機能があったようだ。全く……あいつの、いや――の危険察知能力は相変わらず神懸かっているな」

「お嬢様……?」


 主から出た言葉に、樹が眉根を寄せる。

 その反応に何かを思ったのか、祭壇へと足を進める。


「【魔導士黎明期】に起きた『落陽の血戦』の首謀者は、【起源の魔導士】に仕えていた従者だった。だが、誰もがその名前を知らない。それは何故か知っているか?」

「……記録では【起源の魔導士】の従者は彼女が兄に頼んで買ってもらった奴隷だった、と記録している。どの貴族の養子にならず、『落陽の血戦』が起きるまでずっと彼女のそばに付き従っていた。そのせいで彼の名について記述がない」

「そうだ。だが、その記録には従者の特徴だけが記されている」

「まさかっ……!」


 主の言葉にレオンハルトが何かを思い出したかのように顔色を変える。

 それを見て口元に笑みを浮かべながら、今まで被っていたフードを取った。


「その従者の特徴は雪のような純白の髪、そして――光の角度で青と紫に変わるこの瞳だ」


 パチンと指が鳴る。主の隠されていた前髪が露わになり、隠されていた双眸が現れる。

 角度で青と紫とタンザナイト色の瞳。日が落ちる夜の空を思わせるその色に、悠護の頭に激しい痛みが走る。


「つぅ……っ!?」

「悠護!?」


 今まで感じた頭痛よりも強烈なそれに耐えきれずしゃがみ込む悠護に、樹が慌てて彼の体を支える。

 悠護の様子を一瞥するも、主は貴公子さえも見惚れるお辞儀を披露する。


「――改めて自己紹介しよう。私の名前は、ジーク・ヴェスペルム。『レベリス』を統べる長であり、【起源の魔導士】アリナ・エレクトゥルムの従者、そして『落陽の血戦』の首謀者だ」



 夕暮れ時の空を思わせる瞳を煌めかせる主――ジークの言葉に誰もが目を見開いた。

 このイギリスには『落陽の血戦』の生き証人であるティレーネがいるし、他の国でも疑似的な不老不死になって国を治めている魔導士も僅かながら存在する。

 だけど、『落陽の血戦』の首謀者は【起源の魔導士】との相打ちによって死亡したと、現代まで再版がされている歴史書に記されている。魔導士の歴史において極悪非道な魔導士として本名がないままでも書物に記されている魔導士が、今目の前にいる事実は誰もが呑み込むことはできなかった。


「あーあ、まさかここで明かすとかあんたってほんと性格悪いよな」


 ジークと同じでフードを目深く被っていたアヴェムが、呆れた表情でフードを取った。

 平凡で冴えない青年の顔を露わになると、ヴィルヘルムの目が眼球ごと零れ落ちんとばかりに開かれる。


「き、貴様は……サンデス・アルマンディン……っ!?」

「あれ、俺の名前知ってるの? まあ知ってるか、俺はこの国じゃ『裏切りの王子』なんて汚名を着せられてるしな。……あーあ、まったく不名誉だよな」

「何が不名誉だッ!? 貴様は我が王族の中で歴史上稀にみない恥さらし! そもそも何故貴様も生きている!? 貴様もあの『落陽の血戦』で死んだはずだ!」


 今もアイリスを抱きかかえるヴィルヘルムの怒声を、サンデスが顔を顰めながら手で耳を塞ぐ。


「うるさいな……こっちはその偽者のせいで計画が台無しになってイライイラしてるんだよ。あまり騒ぐと――その偽者女ごと殺すぞ?」


 槍を構えながら殺気立つ目を向けるサンデスを見て、ヴィルヘルムがさらに目つきを鋭くさせながらもアイリスを抱きしめる腕を強くする。


「やめておけ、サンデス。そんなに焦らなくても向こうから出てくる。その時に奪えばいい」

「……はーい、分かりました」


 ジークが諫めるとサンデスは大人しくなる。歴史書の中で死んだ者として扱われた二人が目の前で話し動く姿は、誰もが悪い夢を見ているような気分だった。

 誰もが絶望と驚愕が入り混じった表情を浮かべる中、ドォオオンッ!! と爆発音と地響きが会場に響いた。


「な、なんだ!?」

「地上で非信仰派の暴動が始まった。『落陽の血戦』とは程遠いが、今の上は多くの民が血を流している」

「なっ……!?」

「これは〝餌〟なんだ。お嬢様をおびき寄せるためのな、お人よしを釣るにはいい案だろ?」

「ジーク! お前は……っ!」


 平然と答えるジークを、陽が憎悪を滲ませた目で睨む姿を見て、悠護は痛む頭を押さえながら今までの彼の態度を思い出す。

 今まで陽は『レベリス』の人間がいると、必ず憎悪を見せていた。『サングラン・ドルチェ』の事件ではジークと知人のような会話をしていた。


「なんだ? 私のやっていることは正当だ。そのためにお嬢様の協力が必要なんだ」

「協力やと!? フザけんなや、もう二度とあんな目に遭わせてたまるか!!」


 陽の怒声が響き渡る。

 誰もが何も言わないが、空気が変わることだけは察した。


「……なら、何故お前は彼女に〝真実〟を伝えなかったんだ。豊崎陽――いや、【記述の魔導士】ベネディクト・エレクトゥルム」


 ざわっとどよめいた。当たり前だ、ジークが放ったセリフは聞き捨てならないものだった。

【記述の魔導士】ベネディクト・エレクトゥルム。【起源の魔導士】アリナ・エレクトゥルムの兄で、現代でも使われている魔法と魔法陣を知識として世界に広めた魔導士の始祖の一人。

 誰もが知っている人物の名が、何故陽と関わっている?


「何も生まれ変わりはお嬢様だけではない。他の四大魔導士もこの現代に生まれ変わった。なんの因果なのか分からない……が、恐らく〝神〟の気まぐれなのだろうな」

「はあ……もうここまで知れ渡ったら白状するわ。せや、ワイは確かに【記述の魔導士】の生まれ変わりや。力の方は生まれつきやけど、日向が生まれたあの日に、全ての記憶を取り戻した」


 再びどよめきが起きる。

【起源の魔導士】だけでなく【記述の魔導士】さえも生まれ変わりがいるという事実は、魔導大国であり『始祖信仰』が定着しているイギリスさえも知らなかった。

 誰もが困惑する中、表情が変わっていないのは『レベリス』のメンバーとギルベルト、そしてティレーネだけだ。


「日向を見た瞬間、確かにあいつはアリナの生まれ変わりやってわかった。けど……五歳になっても全然魔導士の兆候がなかった。それでもワイは内心ほっとしたんや、また妹を死なせるような目に遭わせることはないって。……せやのに」

「彼女は魔導士として目覚めた。理由は簡単だ、あいつが自分自身にかけた『錠』の一つが時間と共に疲弊し壊れてしまったから」

「『錠』って……なんですかそれ?」


 初めて聞く単語に、さすがの心菜も疑問を口にした。

 だけど他の誰も答えない。そんな中でギルベルトが答えた。


「『錠』というのは、アリナが〝神〟に教わった中で一番強力な封印魔法だ。〝トリガー〟となる行動を設定すれば、自動的に魔核マギアを長期間封じさせるという呪魔法の中では禁術クラスと言っても過言ではない代物だ」

「そう。その魔法を、お嬢様は自分にかけたんだ。そして……私に殺されるという行動を〝トリガー〟にした」

「「「……!?」」」


 ジークの言葉に誰もが戸惑った。四大魔導士の一人がそんな高度な魔法を自分にかけたことも、まるでジークに殺されるのを想定していた〝トリガー〟の設定も、全て誰もが知らない話だ。

 それがこんな時に全て明かされていく。頭が別の意味で痛くなってきた。


「今の彼女の魔力値も当時の産物だ。あの『錠』には魔力さえも封印する機能があったみたいだからな」

「けど……『灰雪の聖夜』で全ての『錠』が外れた」

「正確には三つだ。最後の一つはあの聖遺物……いや、あの日記に隠されている」


【起源の魔導士】の聖遺物の正体は、日記だった。

 聖遺物の中には血や髪もあるが、日記などの物も含まれている。【起源の魔導士】が使用していたものなら、誰も知らない何かが仕組まれていてもおかしくない。


「本来なら日記をお嬢様に触れさせ、前世の記憶を思い出して動揺している間に連れ去ろうと思ったが……意外とうまくいかないな」

「そんな簡単にいくか。とにかく、ここでお前を殺せばいい話やろ」


 やれやれと肩を竦めるジークを睨みながら、陽は《銀翼》を構える。

 赤紫色の瞳の中の憎悪が魔力を辿って伝わり、『一二の天使』すら固唾を呑んだ。


「お前の妹への愛情は前世と変わらないな。……だが、いいのか? ローゼンはともかくクロウの奴には何も言わないつもりか?」

「……」


 陽は黙る。

 何も言わず、ただ沈黙を貫く。


「お前も分かってるはずだ。【定命の魔導士】ローゼン・アルマンディンの生まれ変わりがそこの第一王子で、【創作の魔導士】クロウ・カルブンクルスの生まれ変わりが……そこにいる黒宮悠護だと」

「……………え?」


 日向と陽のことでもう充分だったのに、純白の叛逆者は真実を明かす。

 樹の驚愕の眼差しが悠護とギルベルトに向く。日向だけでなく一年以上も寝食を共にした親友も、魔導士の始祖の生まれ変わりという事実を突きつけられたのだ。その反応は正しい。


 ギルベルトは顔色一つ変えなかったが、悠護はふるふると弱く首を振る。


「な、何かの間違いだ……俺が【創作の魔導士】の生まれ変わり……? そんな記憶、俺には……!」

「当然だ。お前はベネディクトとローゼンと違い、記憶を保持したまま転生する術を使っていない。ただ力だけは引き継いだだけで、記憶は取り戻すかは私も知らん」

「そ、そんなこと……言ったって……俺は……俺は……」

「認めないのか? いいや、認められないの間違いか? お前が日向に抱く感情が前世からの恋慕だと思うからか?」

「っ……!!」


 指摘されたくないことを指摘されて、悠護は唇を噛む。

 そうだ。もしここで【創作の魔導士】の生まれ変わりだと認めたら、今まで自分が抱いてこの感情は前世から受け継がれたものだって思い知らされる。

 だって、そんなの、あまりにもひどすぎる。初めて抱いた恋心が、記憶のない前世の自分の副産物だなんて!


「……まあ、今はそんなことはどうでもいい。私達はお嬢様が出てくるまで高みの見物でもしておこう。それまで精々足掻け、今世の魔導士諸君」



☆★☆★☆



 ジークが指を鳴らすと、『レベリス』のメンバーと共に姿が消える。

 上からの地響きと爆発音が微かに感じながら、誰もが不気味な沈黙を貫いて動けずにいた。華々しい式典が一転し、残酷な真実が明かされたショックは本人達が思っている以上に影響を与えた。

 だけど、ただ一人、動ける者がいた。


「――何をぼさっとしているの? 今すぐ上に行って非信仰派の暴動を止めなさい」


【紅天使】ティレーネ・アンジュ・クリスティア。

 ジークと同じ【魔導士黎明期】から生きている者。そして、この中で全てを見通していた女。


「色々と気になるけれど、国民の安全と暴動の鎮圧が最優先よ。レオンハルト陛下、指示を。あなたの一声で流れが変わります」

「……そうだな。私としたことがうっかりしていた」


 ティレーネからの叱咤に、レオンハルトは綺麗に整えた髪をぐしぐしと掻き回すと、自分の頬を両手で何回か叩いて気を引き締め直す。

 少し赤い頬をそのままに、レオンハルトはさっきとは違う毅然とした顔で告げる。


「この場にいる者達に告げる。『一二の天使』は『二四の片翼』と共に鎮圧に向かえ! IMFは国内にいる魔導士を集合させて国民の安全を確保! 誰一人として死なせるな!!」

「「「――はっ!!」」」


 一糸乱れぬ動きで敬礼する魔導士達。その目にはさっきの困惑はなく、ただ与えられた使命を全うする強い意思しかない。

 誰もが国王の指示に従って動く中、ティレーネは動けずにいる悠護達とアレックス、ルナとヴィルヘルム、そして彼の腕で呆然とするアイリスを見つめながら言った。


「……今回のことについて、わたくしもちゃんと説明します。宮殿に行きましょう」


 たったそれだけ言って、ティレーネが踵を返す。

 コツコツと靴音を鳴らす彼女の後ろを、悠護達はややゆっくりとした足取りで追う。

 誰も一言も喋らなかった。それほどまでに、ジークが語った〝真実〟は衝撃が強かった。


 それに、日記に仕掛けられた魔法で連れ去られた日向のことも気になる。

 防衛機能ということだから大事には至らないだろうが、何が起きるのかはティレーネすら想像できない。


(アリナ様……いいえ日向様、どうかご無事で)


 今はただ、敬愛する師匠の生まれ変わりであるあの少女の無事を祈るだけ。

 それしかできない自分に歯痒さを感じながら、ティレーネは話ができる場所へと足を進めた。

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