第149話 救世主は幸せの破壊を望む

「さすが宮殿の書庫……蔵書量が半端ない……」


 アイリスとの対峙から一夜明け、日向は気分転換の意味を込めて書庫に赴いていた。

 天井まで高さのある本棚が囲んでいる様は圧巻の一言に尽きる。宮殿の書庫は途中でロフトみたいな場所が設けられていて、本棚の間の壁には読書できるスペースとして柔らかいソファーが置かれている。高い場所の本を取るには可動式のハシゴを使うシステムは、学園の図書館とは全然違う。


「やはりというか、魔導士関連の書物が多いなぁ」


 数多くある蔵書ばかりで全てが英語で書かれていると思っていたが、外国の賓客もいるせいか日本語翻訳された本もある。その中で『魔導士の歴史』と背表紙に書かれた本を手に取り、ソファーに座った。

 ゆっくりとページを捲ると、授業では一般知識程度に教わった内容をこと細やかに記されていた。


 この世界は、かつて三つの時代を迎えた。

 今からおよそ数百年前――世紀にすると一二世紀後半頃の【魔導士黎明期】の時代では、【起源の魔導士】アリナ・エクルトゥルムが〝神〟の声を聞いたことによって魔法の知識と力を得て、後に四大魔導士と称される三人の男性、そして数名の弟子と共に魔導士の時代を開いた。

 当時は魔導士への差別が根強く、魔導士を擁護する一派と排除する一派が争い、『落陽の血戦』を起こしてしまう。その際に四大魔導士の二名がこの戦いによって命を落とした。


 それから五〇〇年近く時が経った一七世紀の【魔導士革命期】の時代では、【定命の魔導士】ローゼン・アルマンディンの来孫らいそんであった当代女王陛下ラティエ・エル・アルマンディンが、戦闘用が主流だった魔導具を民の生活でも利用できるよう開発に力を入れ、魔導士が多く生まれた家を今の魔導士家系の原形である『魔導貴族』という名の特殊貴族として分類することになった。

 この取り組みは各国に知れ渡り、現代になると世界各国に広まった。


 そして【魔導士革命期】から三〇〇年後の二〇世紀の【魔導士大戦期】では、第一次世界大戦および第二次世界大戦で魔導士が〝兵器〟として導入され、これに伴い魔導士の人権が無に等しい扱いを受けた。

 第二次世界大戦後には世界各国は国際魔導士連盟を創立し、魔導士制度や二〇三条約の制定、さらには聖天学園の設立など今の魔導士が一般人と同じ人権を再び得ることができた。


 授業では習っていたが、改めてこうして読み返すと過去に生きた魔導士の努力があってこそ、自分達は日常を送れるようになっているとしみじみ感じてしまう。

 まあ、今はそれとはやや遠い非日常を送っているが。


「うーん、さすがに宮殿の中ばっかりだと気が滅入るな……。外に出られないかな」


 思わず口にしたが、ふと自分の髪を見て一房掴む。

 ここにいる間、自分の髪と瞳を見てメイドや侍従が『ヒナタ・トヨサキは【起源の魔導士】と同じ髪と瞳をしている』と口々に言っていて、中にはその恩恵にあやかろうと髪に触れたいと頼む者もいる始末。


 外では『始祖信仰』の信仰派と非信仰派が争っていると聞いているため、このままの姿で外に出たら絶対に目を付けられる。

 腕を組んで悩むと、脳裏に赤髪碧眼の魔導具バカの顔が思い浮かぶと手をポンと叩いた。


「そうだ、樹に相談しよう」

「『そうだ、京都へ行こう』的なノリで何言ってんだお前は」


 全くもっていいタイミングで現れた親友の顔を見て、日向は目を輝かせた。


「ねぇねぇ樹、身に付けるだけで髪と瞳の色が変わる魔導具ってない?」

「なんだよ急に……って、言いたいことはわかるよ。外に出たいんだろお前」


 最初は訝しんだ樹だが、すぐに色んなことを思い出すと納得の表情を浮かべる。日向は同意するようにこくこくと頷く。

 アイリスの件で日向を目の敵……とまでは行かないが、敵意を向いている使用人達がいることをみんなは知っている。例の『継承の儀』とやらまでは時間があり、その間宮殿にずっと篭もりっぱなしなのは気が滅入ってしまう。


「ま、ないわけじゃないから貸してやるよ。部屋にあるから一緒に来いよ」

「ありがとー、お土産買ってくるから」

「おう、期待して待ってるぜ」


 嬉しそうな日向の様子を見て、樹はまんざらでもなさそうな顔で軽く笑った。



「よし、準備オッケー」


 赤いスカジャンに白いシャツ、青い色をしたショートパンツにモノクロのボーダー柄のニーソックス。黒いスニーカーの白い紐をきゅっと結んで、そして樹から渡された黒いキャスケットと黒縁の伊達メガネをかける。

 キャスケットをかぶった髪は琥珀色から黒に染まり、琥珀色の瞳は茶色が混じった黒へと変わる。姿見に映るいつもの自分とは違う出で立ちに思わず感嘆の息を吐く。


「すっごい変わりよう。さすが樹」


 悠護と怜哉と同じ七色家の一つである黄倉家主催のオークションで、学生の身でありながら上位を争う人気の魔導具を作る腕を持っているだけあって、このキャスケットと伊達メガネの性能は折り紙付きだ。

 樹から渡されたのは、キャスケットと伊達メガネがセットの変装用魔導具。この二つを身に付けている間は自動で相手に合った髪色と目の色を変えるものだが、どれか一つだけ身に付けても効果は発揮しないものだ。


 今日は夏とは思えないほどの小春日和だが、上着を羽織らなければ肌寒い気温。街中でもおかしくない恰好をして、お気に入りのポシェットを持てば完璧。

 後は宮殿の外に出るだけ。


「念のため魔法かけとこ。――『隠者エレミタ』」


 姿を消す魔法を唱えると、日向の姿が消えていく。完全に透明になったのをタイミングに、部屋の窓を開ける。

 そのまま縁に足をかけて力いっぱい蹴ると、日向の体が宙に浮く。そのまま目の前の木の枝に飛び乗ると再び跳躍。柵を軽々と越えて、足音をなるべく消して着地する。


 学園の体育が普通の体育とは程遠いパルクールを身に付けるアスリートみたいな内容であるのと、実践授業で鍛えられた身体能力のおかげで近衛兵には怪しまれずに宮殿を抜け出せた。

 低姿勢で生け垣の方まで駆け寄ると、人気がない場所まで行き魔法を解除する。

 そのまま平然と外に出ると、通行人は特に気にしないまま日向の横を通る。誰も不審な顔をしないのを見て息を吐くと、足を街へと進めた。


 正直に言うと、『始祖信仰』のこともあって物騒な雰囲気に包まれているかと思ったが、こうして街を歩くのを見る限りでは予想より悪くなっていなかった。

 途中で非信仰派が街頭演説をしていたが、通報で駆けつけた警官に捕まっているのがあったくらいだ。途中で子供には聞かせられない暴言を吐いていたが、通行人は顔を顰める程度でそれ以外は気にしていなかった。


 途中で外貨専門店に言って手持ちの一部を日本円からポンドとペンスに変えて街を歩くと、いい匂いを漂わせるパティスリーを見つけた。中を覗くとパイ専門店らしく、食べ歩きできるようにスティックタイプのパイも売っている。その中から人気のミンスパイを買った。

 店を出ると私服姿の同年代の少女達が笑い合っていた。スマホやジュースを片手に楽しそうだ。


「そういえばさぁ、アイリスが【起源の魔導士】の生まれ変わりとかマジなわけ?」


 だけど、少女の一人が発した言葉に思わず足を止める。通行の邪魔にならないように脇によけると、スマホを確認するフリをしながら聞き耳を立てる。


「なんかIMFがそう決めたらしいって噂だけどさ~。あんなぶりっ子が生まれ変わりとかありえなくない?」

「だよねぇ。なんか『自分は世界で一番可愛い』を地で行く奴だったし、痛いお姫様思考みたいなところがあってちょっとキモかった」

「そうそう。しかもあいつの母親、アイリスが宮殿に連れてかれた時に恋人と一緒にどっか行っちゃったらしいよ? しかもご丁寧に『私は自由に生きます。娘をよろしくお願いします』って政府宛に手紙を送って」

「うわっ、カワイソー。つか、あいつが【起源の魔導士】の生まれ変わりとか絶対ありえないけど、私らの視界から消えてよかった。もしこれで間違いでしたーってなって学校戻ってもいつも通り無視するだけだし」

「きゃははっ! アンタってほんと陰湿だよねー」


 純粋な悪意を持って笑い声を上げる少女達が去っていく後姿を見ながら、日向はキャスケットを深く被り直した。

 宮殿でのアイリスは自分の望みはなんでも叶うと思い込んでいたが、外では母親に捨てられ、友人すらいない孤独な少女だった。そんな残酷な真実を知ったところで、自分には何もできないと分かっていても同情を禁じ得ない。


(でも……悠護だけは絶対に渡せない。それだけは確かなんだ)


 悠護がアイリスにとって王子様だとしても、彼女の暴露のおかげで自分達が相思相愛だってことが分かった。

 想いを告げるにはもう少し時間はかかるが、彼女に彼の隣を譲るつもりは微塵もない。


 口の中に広がる苦い何かを唾と一緒に呑み込むと、再び街へと歩き始めた。



☆★☆★☆



 一方、悠護は昨日の薔薇園に来ていた。

 宿題を終わらせて書庫で何冊か本を見繕っても退屈してしまい、気分転換で薔薇園まで足を運んだ。綺麗に花びらを広げた薔薇がそよ風と共にいい香りを漂わせ、深呼吸すると同時に肺いっぱいに吸い込んだ。

 自然はいい。ささくれ立った心や沈んた気分をこうして落ち着かせてくれるのだから。


 香水とは違う自然の香りに心を落ち着かせていると、ふと頭上に影が入った。

 鳥にしては大きいそれに思わず頭上を見上げると、赤いスカジャン姿の少女がちょうど木より高い塀を超えようとしていた。

 腰まで伸ばした黒い髪と黒に近い茶色い瞳、だけど伊達メガネをかけたその顔は――


「日向!?」

「悠護!?」


 思わず名前を呼ぶと日向は驚きながら目を開かせるも、塀の上部に足を置くと跳躍。そのまま半回転して石畳に着地する。反動でキャスケットが頭から離れると、髪と瞳が見慣れた琥珀色に戻った。


「セ、セーフ」

「セーフじゃねぇよバカ! 何やってんだ!?」

「えと、脱走帰り?」

「平然と答えんな!」


 キレながら怒声を飛ばすが、日向はえへへと苦笑いを浮かべる。手にはどこかの店でかったらしき紙袋が入ったビニール袋を持っていて、微かにだが油やバターの匂いがする。

 伊達メガネを外し、石畳の上に落ちたキャスケットを拾うと東屋の階段の前まで来るとそのまま座った。


「まあまあ、せっかく会ったんだしお土産一緒に食べようよ」

「お土産って……お前ほんとにどこ行ってたんだよ」

「気分転換に街を散策」


 パートナーの簡潔な一言に悠護は苦笑いを浮かべながらも納得した。

 今の宮殿は自分達にとっては居心地が悪く、そこから抜け出したい気持ちもよく分かる。もし日向が何もしなくても、悠護が先に街に出ていたかもしれない。


「……分かった、今のことは黙っといてやる。で、紙袋の中はなんだ?」

「ミンスパイだよ。陽兄達の分もあるから、あたし達は小さい紙袋に入ってるのを食べよう。で、こっちはフィッシュアンドチップス」


 ガサガサとビニール袋の中身を漁った日向は小さい方の紙袋と白いランチパックを取り出すと、ランチパックの方を開けた。

 中に入っていたのはほくほくのフライドポテトと一口サイズの白身魚のフライ。付属としてついていた二つの小さいプラスチック容器にはビネガーと塩が入っている。


「本場だとビネガーと塩につけて食べるみたい。冷めないうちにどうぞ」

「ん、じゃあもらうわ」


 まだ湯気が立つフライをつまみ、ビネガーに軽くつけて一口齧る。

 白身魚の淡泊な味とビネガーの酸味、それに衣のサクサク感が口の中で広がり、初めて食べた感動なのか目を輝かせた。

 日向も「あちちっ」と言いながらフライを食べると、嬉しそうな顔をする。その顔を見て、ふと昨日のことを思い出した。


「そういえばお前、昨日は大丈夫だったか? 薔薇の上に倒れたんだから怪我はあるんだろ?」

「あ、それなんだけど……どういうわけか全然なかったんだよね。彼がある程度力加減してくれたのは分かるんだけど、棘の傷もなかったの」

「棘の傷がない? おかしいだろ、だってあの時のお前の恰好は普通に腕も足も出てたのに」

「そうなんだよねー。気にしてもしょうがないけど不思議だね」


 服で隠れているせいで傷は目視で確認できないが、少なくとも傷を負っている様子はない。本当に不思議だと思いながら、指先についた油を舐めとる。スナック感覚で食べていたフィッシュアンドチップスがなくなり、今度はミンスパイを食べる。

 サクサクのパイ生地の中に数種類のドライフルーツと香辛料が入っていて、ドライフルーツの甘味と酸味、そしてスパイスのバランスがいい。


 薔薇に囲まれた小さな園で、大切な少女と一緒に同じ物を食べ合う。なんて幸せな時間だろう。

 ここに来てからは嫌なことが連続して起きたが、こんなささやかな一時がそれを全て忘れてくれる。


「美味しいね、悠護」

「……そうだな、ウマい」


 パイのカスを付けたパートナーの口元を拭いながら、悠護はこの幸せを享受した。



(何……あの笑顔……)


 アイリスは運が悪かった。ただ部屋に篭もるのが飽きて、魔法を使ってメリッサの監視の目を抜けてお気に入りの薔薇園へと足を向けた。

 あの薔薇園は定期的に庭師が水やりや手入れをするまでは誰も来なく、アイリスが一人になりたい時には絶好の場所だった。


 薔薇園に足を向けるとあの黒髪が見えて喜びの表情を浮かべるも、すぐに消えてしまう。アイリスの王子様である少年の隣にいるのは、自分の敵キャラとして現れたあの少女。二人は仲睦ましく東屋の階段に座り、宮殿ではあまり出ないフィッシュアンドチップスやミンスパイを食べ合っている。

 少女の口元についたパイカスを拭うと、少年は愛おしそうに微笑み、少女は恥ずかしそうにだけど嬉しそうに笑う。


 誰が見てもお似合いな二人。だけど、アイリスの胸の中に嫌な焦燥感が広がる。

 足元が割れたビスケットみたいに崩れて、体が平行に保てない。そして――目の前の幸せをぶち壊した衝動に駆られる。


 あの少女から少年の隣から奪いたい。

 少年の隣にずっとそばにいたい。

 今まで築き上げた二人の幸せを、全部この手でぶち壊したい。


(壊してみせる。奪ってみせる。ユウゴを、あの幸せを、全部わたしのものにしてみせるんだから……!)


 目の縁に涙を浮かべながら、早足でその場を去るアイリス。

 哀れな少女の無様を、一人の女が精緻な縁取りをした丸鏡を持った狐の魔女が見ていた。


「ふふふ……本当、恋に狂う女の姿はいつ見ても見ものねぇ。あなたは私達の手の上でちゃんと踊ってね?」


 蠱惑な萌黄色の瞳が鏡の向こうで妖しく煌めいていることは、アイリスだけでなく宮殿にいる誰もが知る由もなかった。

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