第119話 問いかけと誘い

 聖天学園の入学式の翌日の予定は、在校生は専門科目のガイダンス、新入生は校内見学になっている。

 二つとも午前で終わる予定で、午後からは自由時間になる。心菜は魔導医療学、樹は魔導工学、日向と悠護とギルベルトは現代魔法学のガイダンスに出席するため、各自指定された教室へ向かう。


 魔導工学以外の専門科目は本校舎の西校舎に教室があてがわれている。本校舎は上空から見るとHの形をしており、右側の校舎を東校舎、左側の校舎を西校舎と呼ばれている。

 東校舎は一年から三年の教室、職員室、学園長室、生徒会室、放送室、保健室、用務員室、生徒指導室があり、西校舎は家庭科室、視聴覚室、コンピューター室、それから専門科目の名前を付けられた教室が魔導工学を除いた二年と三年の分を合わせて一八つある。


 日向達が選んだ現代魔法学の教室には見覚えのある面々がそろっており、三人が入ってくるとざわっと教室中が騒ぎだした。


「おいおい、黒宮家の次期当主様と第一王子様じゃねぇか」

「あの二人もこの科目選んだのか……」

「それよりも豊崎がいるぞ。あいつの無魔法、一回でもいいから直で見てみてぇな~」


 ひそひそと聞こえよがしな会話を聞きながら、三人は空いている席に座る。

 東校舎の教室と同じで五〇個ある机が並べられている室内の後ろでは、校内見学に来た新入生達が立っている。

 中には例の琢磨も花音おり、彼は神経質そうな眼付きで周囲を見渡していているのに対し、花音は自身の髪の毛先を指先でいじっていた。


 警戒心を露わにした野良猫のような表情になっていた琢磨の目が、ふと日向の方へ向く。

 一瞬だけ視線が合うと、琢磨は山吹色の瞳をまるで獲物を狙う肉食獣のように煌めかせた。

 それを見て日向がもう一度彼と目を合わせようとするが、ちょうど廊下から教師が入ってきた。


「みんな、おはよーさん。今日は校内見学やけど、肩肘張らずに気楽にしぃや」


 教室に入ってきたのは、日向達の担任である陽だ。

 陽は魔法学だけでなく現代魔法学も担当しており、毎年この科目の競争率はかなり高いらしい。

 日向達は春休み中に早く決めていたおかげで競争に勝ち、この授業を選択することができたのだ。


「えー、今日から二年生の現代魔法学を教える豊崎陽や。この科目では九系統魔法のどれかを得意とする魔法の腕を上げ、より効率よく魔法を扱えるようにするのがこの科目の狙いや。けど、なんでこの科目があるんかはみんな知っとるか?」


 陽からの突然の質問に、ほとんどの生徒が首をかしげるが、すっと静かに手を挙げた生徒がいた。

 ギルベルトだ。


「はい、ギルベルト。答えてみぃ」

「この科目がある理由は、主に二つだ。一つはこの授業で完全発動を習得し、どの職場で働くことになっても臨機応変に対応できるようにすること。……もう一つは、軍事魔導士としての前訓練というところだろうか」


 ギルベルトの答えを聞いて、周囲の生徒達はざわっと騒ぎだす。

 軍事魔導士というのは、その名の通り軍事に携わる魔導士のことだ。魔導士は警察や軍においては欠かせない存在で、近年では多発する魔導犯罪の影響で魔導犯罪課は人手不足に悩まされている。

 魔導犯罪課の立場は準軍事魔導士と呼ばれるもので、正規の軍事関係者ではないが軍同様の訓練を受けている魔導士を指すと授業で習ったことがある。


 だが、それよりもギルベルトの答えが正解なのか不正解なのかが問題だ。

 もし不正解なら兄のうっかりとして笑い飛ばせるが、正解だったらなんのリアクションを取ったらいいのだろうか。

 そんな不安をよそに、陽は苦笑しながら答えた。


「ギルベルトの答えは正解や。完全発動をマスターするというのことは、軍事魔導士としての一歩を踏み出すことを意味する。魔法を扱える者として、その力を正しい方へ使うのは当然っちゅーのが上の考えや」


 陽の言葉に周囲が言葉を失ったり戸惑ったりしているが、兄は変わらず陽気な笑みを浮かべながら続ける。


「……でも、それは昔の話や。今は戦争起こそうと思っとる国はおらんけど、魔導犯罪組織っちゅー脅威は存在する。国のためーとか平和のためーとかそんな大層なモン抱えなくて構わへん、家族や友達を守る手段としてこの授業に臨んで欲しい。ワイからの願いはそれだけや」


 文章にすればたった数行の言葉、だけどそこには兄の思いが込められている。

 この授業が軍事魔導士としても前訓練なのは事実だ、でもそれ以上にこの授業で自分の大切なモノを守れる力を身につけて欲しい。陽はそう生徒達に伝えているのだ。

 兄の抽象的な表現にほとんどの生徒が困惑顔を浮かべているが、その思いは妹の日向だけでなく、悠護もギルベルトも気づいている。


 言葉に表すのが難しい雰囲気になっていると、陽はパンパンと手を叩いて自分に注意を向けさせた。


「スマンかったなぁ、変なこと言ったてもうて。こっからはちゃんとガイダンスするから、みんな手元にある冊子をちゃんと読みながら聞くんやで?」


 そのまま説明に入ろうとする陽を見て、周りは事前に机の上に置かれたガイダンスの冊子を急いで開いた。


(あの気まずい雰囲気を壊してくれたのはありがたいけど……、さすがにこれはちょっと強引じゃないかな……?)


 無理矢理話を逸らされたことといきなり始まったガイダンスで周囲は何も言わないが、日向だけは慌てて準備をするみんなの心の声を代弁するかのように心の中で呟いた。



 あの後、ガイダンスは滞りなく終わり、東校舎の二年の教室に戻った日向達は、すでに席についている心菜と樹の元へ近寄る。


「二人ともお疲れー。どうだった?」

「どうも何もただガイダンスに参加しただけだって。まあこの科目すげー面白そうとは思ったけどよ」

「私も同じだったよ。でも、明日から学べるって思うと楽しみだなぁ」


 どうやら二人は普通にガイダンスをこなしてきたようだ。

 こっちは陽の質問に終わった後も困惑したままで、質問の意味について話し合っていた生徒もいた。

 何故兄があんな質問したのかは分からないが、伝えたいことは理解できた。

 なら、これくらいは別に言わなくても平気だろう。


「そろそろ校内見学が終わるよね? お昼食べに行こうよ」

「お、そりゃいいな。今日は確か月替わりが出る日だったよな」


 普段は週四日お弁当組である日向達だが、今日は校内見学しかないということでお弁当は作らず食堂で食べることにした。

 食堂は限定メニューが出る月曜日と金曜日と決まっているが、時折月に一回だけ日替わりならぬ月替わりメニューが出る日がある。

 月替わりは毎回違うもので、日本食のある時もあれば海外料理の時もある。月替わりが出る日は不定期で、日向達は月替わりの日になると毎回お弁当片手に悔しんだことは数えきれない。


 今日は念願の月替わりが食べられるということで、遠足を楽しみにしている子供のようにウキウキした気持ちで食堂への道を歩く。

 食堂や購買付近まで来ると人がごった返しており、店員や食堂のおばちゃん達は忙しなく働いている。


 タッチパネル式食券販売機で『月替わり』のボタンをタップし、カウンターでおばちゃんに渡す。

 数分くらいして料理が乗ったトレイがスライドしながら出てきた。今日の月替わりメニューはタケノコご飯、春キャベツとベーコンの味噌汁、鰆の山椒焼き、菜の花のおひたしと春満盛りのメニューだ。

 聞けばこの月替わり、季節や時期にあわせて旬の食材と最適な調理法で作っているらしく、今月はこのメニューになったらしい。


 おばちゃんから料理が乗ったトレイを受け取り、すでに悠護達がとっておいてくれた席に座る。

 悠護達も月替わりメニューを選んでおり、やはり月に一度しか出ない料理というのは魅力的なのだろう。

 全員が揃ったところで食事を始めようとした時だった。


「ごめん、ここ友達が来るから……」

「……そう」


 ふと、視界の端で見覚えのある金髪が目に入る。香音だ。

 手に持っているトレイを見るに彼女もこれから食事らしいが、どうやら席を探しているみたいだ。

 声をかけた女子から離れると、離れた場所から飛び交う不躾な視線が香音に一点集中している。トレイを持つ手が微かに震えているのを見て、悠護がため息を吐きながら席を立った。


「香音」


 名前を呼ばれた香音は首を動かして辺りを見渡すが、悠護の姿を見つけると彼女はむっと眉間にしわを寄せた顔になる。


「こっち来いよ、ここなら一人分くらい空いてるぞ」

「いい。別の席探すから」


 悠護の誘いを一蹴してそのまま立ち去ろうとする香音を、座っていた樹が突然立ち上がるとそのまま首根っこを掴んだ。


「なっ」

「なに変な意地張ってんだよ。席なんてほぼ埋まってんぞ。ほら、とっとと来い」

「や、やめ、ちょっ、離して……!」


 半ば強引に香音を自分の隣に座らせた樹は、そのまま食事を再開させる。

 逆に無理矢理座らせた香音はぶすっとした顔のままだが、逃げてもまた連れ戻されると思ったのかそのまま食事を始めた。

 ちなみに香音が選んだのは、生ハムとアスパラガスの和風生パスタだ。


「お前、さっきの様子を見る限りじゃクラスに居づらいだろ」

「余計なお世話だよ。別に一人でも私は全然平気だし」

「……けどよ」

「うるさい。中途半端な同情しないで。そっちの方が不愉快」


 さらに不機嫌そうに顔を歪めた香音はさっさとパスタを食べ終え、水を一気に飲み干すとそのまま席を立つ。

 全身に苛立ちオーラを纏わせている香音を見て誰もが数歩後ろ下がって道を譲っており、目を見張る金髪が食堂の出入り口から消えると同時に悠護はもう一度ため息を吐く。


「はぁ……ありゃ相当強情になってんな」

「そんなにあいつの立場悪いのか?」

「あー……昔売った魔導具が事故を起こしてな、それが色んな場所に広がっていつの間にか【ガラクタ姫】なんて呼ばれるようになっちまったんだ」

「ああ、その話ならオレも知ってるぞ。だがそれは本当にあやつの責任か? 民間向けではない魔導具には作り手からちゃんと注意事項を聞かれるはずだ。黄倉家の娘がそれを怠ったとは考えられんのだが」

「まあ客の不手際もあったが、魔導具を作った本人のミスもあった。魔導具技師の業界は信用第一、事故一つ起こしただけで信用できなくなる。ガキの頃にあいつはそれにぶち当たっちまったせいで、俺とは違った意味で七色家に生まれたことを嫌悪している」


 去年まで魔導士でありながら魔導士嫌いだった悠護は、己の家の影響力で正しさを曲げる周囲のせいで魔導士嫌いになったが、香音は違う。

 過去の出来事と周囲からの自分の評価が彼女自身を傷つけ、結果七色家として生まれた運命を嫌悪した。

 まったく違う理由だが、彼女もまた悠護と同じ苦しみを味わっているのだと思うと、なんだか無視出来なくなってしまう。


 中途半端な同情はするなと本人に言われた手前、どうすればいいのか悩んでいると、樹は考え込んだ顔で黙ったままだった。



☆★☆★☆



 昼食が終わった帰り道、日向はこの学園に来て初めて一人で下校していた。

 悠護は魔導具製作のためにジャンクパーツを買いに行った樹の付き添い、ギルベルトはどこかのお偉いさんとの会食に参加しに、心菜は図書館に本を貸し出しに行ってしまった。

 必然的に一人になった日向は、今日の夕食について考えながら寮への道を歩く。


(今日は朝も昼も和食だったから、夕飯は洋食にしようかな……。確か牛の肩ロースがあるから、それ使ってビーフシチューでも……)

「――おい、そこの女」


 副菜のサラダは何にしようかと考えていると、背後から声をかけられる。

 振り返ると、そこには琢磨が偉そうな態度で立っていた。


「えっと……山吹琢磨くん、だっけ? 何か用なの?」

「ああ、俺はある目的があってお前に話しかけた」

「目的……?」


 訝しむ日向の顔を見つめながら、琢磨は不敵な笑みを浮かべながら手を指し伸ばしてきた。


「豊崎日向。お前、俺の子分になれ」

「無理」

「んなぁ!?」


 突然の申し出をした琢磨に日向は、指で×印を作って、首を横に振りながら即答する。

 これには琢磨も大きく口を開けて、驚愕の声を出した。


「何故だ!」

「なんとなく」

「雑っ」


 まさかのあやふやな理由に思わず脱力しかけるが、琢磨は気を取り直して咳払いを一つする。


「ゴホン……とりあえず、理由を聞かせろ。じゃなきゃ俺は諦めないぞ」

「逆に聞くけど、あなたの子分になったらあたしになんのメリットがあるの?」

「そっ……それは……俺の子分になったら、今まで以上の暮らしもできるし……父は日本支部でもそれなりに地位がある。もしIMFへの勤務を志望するなら、入省時にはいい仕事を与えてやれる」


 内容と言動から察するに、どうやら彼は父親の力を借りて日向を自分の支配下に置きたいようだ。

 だが日向はそんなものには興味がないし、両親のような平穏な生活を送ることを望んでいる。もちろんこの力で魔法によって苦しめられている人を救う魔導士になる夢もある。

 それらを諸々考えても、彼の子分になった場合のメリットがあろうがなかろうが、琢磨の誘いに乗る理由はない。


「悪いけど、やっぱりお断りします」

「な……なんでだ!?  それだけの力を持っているのに、何故使わない!? そんなのは怠惰だッ!」

「何が怠惰なのかはあたしが決めること、あなたが口に出すことじゃない。そもそも……あたしのことを知らない人があたしを勝手に怠惰と決めつけて、あまつさえ年下なのに年上の礼儀を取らないで子分になれって命令するのは、さすがに人としてどうかと思うよ」


 呆れたように言ったと、琢磨はぐっと言葉を呑み込んだ。

 横暴な態度が目立つが、琢磨はこれでも幼少期から礼儀作法を厳しい母から受けてきた。食事、挨拶、言葉遣い……挙げたらキリがない礼儀作法は琢磨の中にきちんと吸収されているが、それは家の中での話だ。

 学校や外では今までの鬱憤を晴らすかのように学年問わず今のような態度を取り、たまに上級生から睨まれたりしたが、そういうのは勉学や武道で叩きのめした。


 だが、ここは聖天学園。

 たった一年違くても魔法の腕は自分よりも上で、たとえ七色家の分家筋だろうと上級生には敬意を払わなくてはならない。

 ここは良くも悪くも魔法の腕で全てが決まる。中でも日向は無魔法を使える別格だ、そんな相手を下とした自分は些か態度が大きすぎた。


「…………すみません、次からは気を付けます」

「まあその辺はいいよ、別に気にしてないし。……でもね、あたしは君が言ったメリットには興味はないし、むしろ欲しくない。この力は自分のためじゃなくて、誰かのために使いたい。けど、君のためだけにこの力は使えない。たとえ君が本気で七色家本家入りを目指していようがね」


 はっきりとした拒絶の言葉に、琢磨はこれ以上何も言えなかった。

 言い切った日向が寮へ帰る後ろ姿を見送らないまま、琢磨はその場に立ち尽くしたまま両手を握りしめながら唇を噛んだ。

 まさかあの黒宮悠護のパートナーがあそこまで無欲とは思わなかった。七色家に取り入ろうとする者は貪欲に何か見返りを望むが、彼女はそういったものはない。


 むしろあの様子だと七色家がどんな存在なのかを理解はしていても、そこに想像以上の期待も考えも抱いていない。


(だが、これで黒宮を味方につける方法がなくなった)


 琢磨が日向に近づいたのはもちろん無魔法目当てだが、彼女のパートナーである悠護に自分の本家入りに力を貸そうと思っていた。

 ここで恩を売れば二人は自分の助力になってくれるだろうと思ったが、まさか最初の段階で躓いた。


(……いや、まだ手がある。諦めるのはまだ早い)


 どんな手を使っても、一刻も早く山吹家を本家入りにしなくてはならない。

 分不相応な決意の炎を燃え上がらせ続ける琢磨は、喝を入れるために自身の頬をパンパンッと叩くとそのまま自室がある寮へと帰っていった。

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