第120話 触れられる手と嫉妬
学園に入学して二日目、校内見学の翌日から通常授業の開始だ。
一年というのは魔法の基礎を叩きこむのと初級魔法の習得を目標としているため、七色家を含む魔導士家系出身者にとっては退屈な授業だ。
担任教師は初老の男性で、年なのか話し方がゆっくりのせいで春の陽気も相まって眠気を誘う。
やり難そうに電子黒板に書かれていく文章を黙々とノートに書き写していくと、ベルに似たチャイムが鳴り響く。
チャイムに合わせて顔を上げると、時刻はすでに一二時二〇分。四限目終了の時間だ。
周りが勉強道具を片付けていく中、香音もノートと教科書を机の中にしまう。
サイフとスマホを持参してきたミニトートバッグに入れて教室を出て廊下を歩くと、すでに食堂や購買に向かう生徒で溢れ返っていた。
楽しげに話をしながら購買や食堂の列に並ぶ生徒達を横目に、香音も適当に菓子パンを買って教室で食べようと考えながら買い物カゴを手に取る。
都内のコンビニも顔負けの品揃えと学園オリジナル商品があるため、種類豊富で目移りする。
中には購買の商品を全種類コンプリートしようとするも、期間限定品も出てくるせいでコンプリートあと一歩というところで卒業してしまった生徒もいるらしい。
陳列棚にぎゅうぎゅうと押し込んだように並べられた商品の中からお目当てのものをポイポイとカゴに放り込み、レジへ向かう。
選んだのはクリームメロンパンとイチゴジャムパン、それとペットボトルに入ったストレートティーだ。
他の女子と同じ甘いもので統一することはできない香音は、飲み物はなるべくブラックコーヒーやストレートティーにするよう決めているのだ。
(ていうか、甘いもの食べすぎると太るのが分かるのになんで飲み物も甘くするのかな。それで後で『太っちゃったー』とか言ったんでしょ? 完全に自業自得のくせに)
内心そう思いながら会計を済ませると、そのまま購買を出て行き教室に戻る。
教室は香音と同じ購買で買った人やお弁当持参の人が席に座って食事をしており、すでに出来上がったグループは自分の席同士をくっつけて談笑している。
香音は自分の席に座ってもそもそとパンを食べ始めると、女子からの聞えよがしな声が耳に入ってきた。
「ねぇ見て、黄倉さん一人でご飯食べてる」
「そりゃそうでしょ。あの【ガラクタ姫】と一緒に食事したがる子なんていないわよ」
「でも昨日、二年の人と食べてたところ見たわよ」
「あれはただ二年の黒宮先輩が同じ七色家だから誘っただけよ」
こういう話は普通聞こえない音量で話せばいいのに、何故わざわざ本人にも聞こえるように話すのだろうか。
話が耳に入っている他のクラスメイトは気まずそうに顔を逸らしながら平静を装っており、琢磨に至っては不機嫌面でもくもくと豪華なお弁当を食べている。
香音も本当なら気にしないで食べたいのだが、やはりああいった話は自分にとっても不愉快だ。
「そもそも【ガラクタ姫】がこの学校に受かること自体おかしいのよ。実力で受かったのか怪しいもんだわ」
聞き捨てならない台詞を聞いた直後、香音はガタンッと音を立てながら席を立つと、そのまま例の台詞を吐いた少女の前に立つ。
「な、何よ」
「今のって大きい独り言? それとも私に言ったらなんて答えて欲しい?」
あからさまに先の台詞を鼻で笑い飛ばしている様子の香音を見て、少女は羞恥で顔を赤くしながら席から立つ。
「い、意味なんて分かってるでしょ! 【ガラクタ姫】って呼ばれてるくせにこの学園に入学できるなんて……家の力を使ったんだって誰だって思ってるわ!」
「ふぅん、そうなんだ。悪いけど、私はそんなの一回も使ったことないし、そもそもそんな真似をお父さんが許すはずないもの。それにここの入試はカンニングなんてしたら不正で即失格退場されるわよ」
「分かってるわよ!」
「じゃあ私がどうして受かったと思う? ペンでも転がして解ける問題なんてなかったじゃない」
「だからっ、分かってるわよそんなこと! でもあんたが受かったことはおかしいじゃない!!」
少女もここまで騒ぎを起こしたせいで引けるに引けないのだろう。
だが香音はだったら最初からくだらないことをするなと思いながらも、ため息を吐く。
「そう、私はちゃんと家の力を使わないで受かったのに、あんたは全部コネで受かったんだって言いたいんだ? 本人はちゃんと努力したって言っても、それさえも認めないなんて器量の狭い女なんだね」
香音の言葉にぐっと言葉を詰まらせた少女は「どうだっていいわよ……みんなそう思ってるんだから!」と捨て台詞を吐いて、袋を片手にそのまま教室を出て行く。
さっきまであの少女と食事していた少女達もいそいそとお弁当箱や購買の袋を持って教室を出て行った。
残された香音は向けられる視線を全て無視し、そのまま席に戻って食事を再開させる。
(私は間違ったことは言ってない。だからここで私が出て行く理由はない)
自分は自分の身にかけられた不名誉を訂正しただけだ。それが悪いことなはずがない。
『
魔法と魔導具の先生である父も自分の変化に気づいてくれて、「成長したな」と褒められて思わず嬉し涙を流したほどだ。
でもここでの自分の評価は依然と【ガラクタ姫】のままで、琢磨さえ自分を見下す目を見る時があるからきっと周りの評価を信じているのだろう。
(でも、私にはやりたいことがある)
それは、あの事件以来やめていたオークションの参加だ。
事件以来、自分が作った魔導具を出品するのをやめていたが、今の調子をキープすれば汚名返上することも可能だと父が言っていた。
そのためにはもっと魔導具作りの腕を上げなければならない。今は琢磨になんかに構ってる暇さえない。
(今日の放課後、『工房』に行こうかな)
頭の中で放課後の予定を組み上げながら、香音は菓子パン二個を平らげるとそのままストレートティーを一気に飲み干した。
☆★☆★☆
『工房』と呼ばれている実験棟三階は、連休と長期休暇を除いて魔導具技師を目指す生徒が放課後に教師の監視下の元、自主的に製作に励んでいる場所だ。
一年は学園側から提供される簡易キットしか扱えないが、魔導工学を選んだ学生は予習と復習として魔導具を作れることになっている。
黄倉家である香音も学園では一生徒扱いのため、監視役の先生からキットをもらって適当な椅子に座る。
もらったキットの中身は、魔導具の中でも一番簡単で家庭にも普及しているランタン型魔導具。
光魔法の
(魔導具の歴史を知ってるこっちとしては、随分と進化してるなぁ)
手にあるキットの部品を一つ一つ手に取りながら、香音は心の中で感嘆の息を漏らす。
近代の科学技術の発展で魔導士のみしか使えなかった魔導具は、非魔導士にも使えるように改良されていった。今では電機やガスで動くタイプのものもあり、魔導具が家庭にも浸透するようになった。
最初の魔導具誕生は、【創造の魔導士】クロウ・カルブンクルスが初めて作ったとされる風魔法の魔方陣を柄に刻んだ剣《ウィングス》だった。
当時は他国との侵略もあり、家庭用品ではなく軍事に力を注いでいたイギリスは、まだ四大魔導士として名の入る前のクロウに『国の防衛に使える魔法の武器を作ってくれ』と幼少期から従者として仕えていた【定命の魔導士】ローゼン・アルマンディンが頼んだ結果、試行錯誤しながら《ウィングス》を生み出した。
少量の魔力を注ぐだけで風魔法を振るえるという代物は五〇人余りしかいなかった王室直属の魔導士集団にとっては便利なもので、実際この剣でフランスからの侵略を退けた。
それに伴いクロウは攻撃魔法の魔方陣を刻んだ武器だけでなく、後衛魔法や補助魔法の魔方陣を刻んだ装身具をも開発し、その功績が国王から認められて四大魔導士として名を入れることができた。
そういった経緯があるため、目の前に魔導具は時代の流れとともに進化していったのだと教えてくる。
魔導具の製造・管理を役割とする黄倉家の人間としてなんとなく感慨深い気持ちになりながらも、さっそく魔導具を組み立て始めた。
魔導具作りにおいて、まず最初にやることは回路の組み立てだ。
回路は魔導具作りにおいて
今回は見本の回路図があるため、それになぞって回路を組み立てていくと、目の前の席でドスンッと重たい音を立てた。
音につられて顔を上げると、角が剥げたダンボールが机の上に置かれており、運んだであろう張本人はふぅーっと息を吐いていた。
だがその人物の顔を見て、香音は思わず「げっ」と声を出す。
「ん? あれ、お前昨日の……えっと……」
「黄倉香音」
「そう、それだ。なんだ、お前も『工房』に顔出したのか」
目の前の人物――樹の言葉に、香音はそっぽを向きながら回路の組み立てを続ける。
香音のそばにあるキットを見て察した樹は、それ以上は何も言わずにダンボールから何やらいろいろなものを取り出す。
ダンボールの中から出たのは道具や部品といつも見ているものだが、中でも異彩を放ったのはピンクや黄色など華やかな色合いをした花や蝶の模様がついた水晶柱だ。
いろんな道具を扱ってきた香音でも、それは身に覚えがないものだ。
「これって……」
「ああ、それか。転写シートってあるだろ? チョコに模様つけるやつ。それを応用して作ったシートを水晶柱に貼り付けてみたんだよ。もちろん耐熱素材だから長時間つけっぱでも溶けねぇんだ」
「こんなのどう使う気なの?」
実用性ではなくデザイン性重視のそれを見て、樹は「まあ見てろって」と言いながら設計図を取り出す。
設計図には全体図だけでなく細かく計算された回路もあり、中にはどの部品がどう使うのかと手元にあるキットの説明書さながらの精緻ぶりだ。
(しかも机に出てるやつ、部品だけじゃなくてカバーのもある。もしかして、一から作るっていうの……?)
魔導具を一から作るのは基本だ。だが今日専門科目を習ったばかりの生徒がまだできるものではない。
そんな杞憂とは反対に、樹は鼻歌交じりで着々と組み立てていく。
タンクの内部に精密な回路を設置していき、配線も間違わないように嵌めていく。
手つきは迷いもなく、自分の首根っこを掴んだあの乱暴さが嘘のような丁寧な仕草に思わず見とれてしまう。
そうこうしていく内にタンクの上にガラス製のグローブをかぶせ、魔女の帽子みたいな形をしたポールナットがついたベンチレーターをつけ、吊り手をつける。
じっとサファイアブルー色の瞳が完成したランタンを見つめて納得の表情を浮かべると、タンクのノブを捻る。
すると
突然現れた華やかな光に香音と同じくキットと睨めっこしていた生徒達は、その美しさを見て感嘆の息を漏らす。
作った本人はちゃんと動いているかの確認のために目を逸らさず見続け、やがて満足気な顔でノブをもう一度捻る。ノブを捻ったことで光が消えて元の部屋の明るさになるが、誰もがあの幻想的な光景から頭が離れないのか呆然としている。
「な、どうだった? これの出来は」
まだ夢見心地でいた香音は、声をかけられてはっと意識を取り戻す。
悪戯に成功した子供のように笑う樹を見て、香音自身は認めたくはなかったが今のを見て認めざるを得なかった。
(――この人、きっと腕のいい魔導具技師になる)
黄倉家も名立たる魔導具技師を輩出してきたが、ここまで腕のいい人材は香音も初めて見る。
最初は強引でデリカシーのない先輩という印象しかなかったが、魔導具技師としての高度な技術を有し、その腕を披露された手前では素直に称賛するしか選択肢がない。
「……すごかったです。ウチのオークションに出したいくらいは」
「オークションか……」
香音の言葉に樹が何やら考え込むと、おもむろにずいっと例の魔導具を突き付けてきた。
「なあ、これお前んトコのオークションに出してくれねぇか?」
「え?」
まさかの言葉に、香音は目をぱちくりとさせた。
突然の発言に驚いて固まる自分を見て、樹は頬を書きながら話す。
「実は……先生のツテでIMF公認のオークションにのいくつか魔導具を出品してたんだけどよ、やっぱり学生だからか中々買ってくれる奴もいなくてさ……でも、俺ん家そこまで裕福じゃないしせめて仕送りできるくらいの金額まで稼ぎたいんだよ」
樹の話を聞いて納得すると、香音は改めて魔導具を見る。
確かにこれほどの出来ならばオークションに出してもいいが、だからといって香音の独断で決めていいことではない。
それに、黄倉家のオークションに参加するというのなら、それなりの手続きが必要だ。
「……分かった。お父さんには私から話を通しとく」
「ほんとかっ!?」
「その代わり家からなんか色々条件出してくるけど」
「それでもかまわねぇって! ありがとな!」
満面の笑みで自分の両手を握りしめた樹に、香音は思わずドキリとする。
パーティーでは義務として異性の手に触れたりもしたが、それでも好きでもない相手からの感触はひどい嫌悪感を覚えた。
なのに、自分の手に触れてくる樹の手の感触は嫌ではなかった。
理由は分からない。でも、自分よりも傷をたくさん作った彼の職人の手は嫌いじゃない。
わけも分からず気恥ずかしくなっていく自分の感情に戸惑いながらも、香音はそっぽを向いた。
「……別に」
図書館から出た心菜は、今日借りた本数冊を両腕に抱えながら寮の道を歩いていた。
本格的に魔導医療学を学ぶため、その予習として魔導医療学関連の書籍を何冊か見繕ったのだ。
さすが世界唯一の魔法学校だけあって、魔法関連の蔵書数はほかの国より勝っている。
(今日はこれとこれを読んで、明日はこれをちゃんと頭に入れないと)
魔導医療において、生魔法の腕だけでなく医療の専門知識も重要だ。
生魔法でも限度というものがあり、死者を蘇らせることはできない。呪魔法も解呪が簡単なのと難しいものもある。
この世界に必ずしも万能の力はあっても全能の力はない。でも、誰もが最善を尽くして人の命を救おうとする。
幼少期からずっと祖父に言い聞かさせられていた言葉。
まだ幼い自分には難しかったが、それでも命を救うという行為そのものがどれだけ重い責任を背負っているのかは十分に伝わった。
会社の部下達には厳しいが自分にはどこか甘く優しい祖父の期待に応えようと活き込んだところで、ふと寮に続く道の半ばにある噴水広場のベンチから見覚えのある赤髪が見えた。
吹き出す水の壁の向こうから見えるパートナーの顔を見て声をかけようとしたが、その彼の隣に金髪が見えて留まった。
肩につくかつかないかくらいの長さをした金髪、左横にグレーのレースがあしらわれたリボンがついた黒いカチューシャをしている少女は、以前女子会を開いた時に知り合った香音だ。
二人は一緒のベンチに腰掛けて、手にある魔導具らしきものを持ちながら何やら話し合っている。
樹は魔導具技師志望なのだから、魔導具技師としての名もある彼女と魔導具の話をするのは自然の流れだ。
だが和気藹々とまでいかないが真剣な目で話し合う二人は、心菜の目から見てもお似合いに見えてしまう。
ズキリ、と心臓に痛みが走る。これが物理的な痛みではなく精神的なものであるのは分かっていた。
なるべく気づかれないように噴水広場を通り過ぎ、靴音も注意しながら寮に向かって走る。
途中で転びそうになりながらも寮のエントラスホームに入り、ちょうど辿り着いたエレベーターに乗り込む。部屋のある階で降りて、鍵を取り出してドアを開けた。
そうして部屋に入ってドアを閉めた直後、心菜はいつの間にか止まっていた呼吸を再開した。
肩を上下に動かすほどの荒い呼吸を繰り返し、ようやく一息がつくと服の上から胸元をぎゅっと抑える。
(どうして……? あれがそういうのじゃないって分かってるのに……)
心菜だって理解している。あの二人は共通の話題がある者同士なだけで、そこに恋愛感情がないことを。
分かっている。分かっているはずなのだ。なのに。
「樹くんの隣に……私以外の女の子がいるのが嫌だなんて思うのよ……っ!」
初めて体験する嫉妬が胸の中を支配していた。
心菜は樹が好きだ。それは事実。でも、向こうが自分のことが好きである保証はない。
それに自分は叔母から見合い話を持ち出される身で、いつ正式に婚約されるか分からない。
あまりにも中途半端な自分の立場。望んでもいない見合い相手。そして、それを嫌とは言えない自分の臆病さに嫌気が差す。
好きだって伝えたいのに、付き合いたいと思っているのに、その一歩前に踏み出せない。
(こんな自分なんか嫌い。大嫌い)
自分自身に向けての怒りと情けなさを心の中で呟きながら、ああ今日はもう勉強に集中できないと何故か他人事のように思えた。
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