第121話 決意と違和感、初恋と失恋

「「はぁ……」」


 うららかな朝、新学期が始まったばっかりの教室にそぐわないものが口から出てきた。

 どんよりとした顔で重いため息を吐いた日向と心菜は互いの顔を見合わせる。


「……どうしたの?」

「そっちもどうしたの……?」


 互いに問いかけ、じっと見つめるが先に折れたのは日向だった。


「……この前さ、山吹君に将来自分の子分になれって言われたけど断ったって話したの覚えてる?」

「うん」

「でも向こうが全然諦める気配がなくて、しつこく誘ってくるの。しかも悠護がいない隙にさ。話の内容が内容だけに悠護にも気軽に話せないし……」

「でもそれ、確実に日向の魔法目当てだよね?」

「そうなの! それっぽく言ってるけどあれ絶対無魔法目当てだもん! もう分かりやすいくらいあたし自身のこと眼中にないしさあ! それは仕方ないって頭では分かってるけど色々とムカつくんですけどッ!?」


 思い切って机にうつぶせになる日向に、心菜はよしよしと頭を撫でた。

 ここ数日、日向は琢磨にしつこつつき纏われている。もちろんストーカー行為はしていないが登下校や食堂では明らかに日向の方を見ていたし、自分と一緒にいる時に彼が勧誘して日向が即答で断る場面に何度も出くわしている。

 そのせいかなるべく琢磨に合わないようにしているのか帰りは普段より帰宅する時間が早くなっていた。


「……はぁ、そろそろ諦めて欲しいよ……」

「日向も大変だね……」

「そういう心菜は? 最近どうしたの?」


 なんとなく他人事とは思えなくて思わず呟くと、顔を机から離して頬杖をついた日向の言葉にびくりと体が震えた。

 本当ならあまり話したくはないのだが、日向が先に理由を語ってしまった手前断れず、心菜も正直に話すことにした。


「私はそこまで大したものじゃないけど……その、樹くんがここ最近黄倉さんと仲が良くて……」

「分かった。ちょっとあの浮気野郎シメてくるね」

「わーっ、待って待って! 違うのそういうのじゃないから!!」


 完全に据わった目で樹を本気で殴り殺しかねない日向の様子を見て、慌てて彼女の腰に抱き着いて停止させる。

 手の関節をバキバキと鳴らす親友の姿に冷や汗を流しながらも、ちゃんと説明することにした。


「多分だけど、黄倉さんが魔導具で有名な家だから魔導具について色々と聞いていたかもしれないの。だから……その、浮気とかそういうんじゃ……」

「じゃあ心菜は樹が他の子、特に女の子と仲よくなってもいいの?」

「…………………………………全然よくないよぉ…………」


 素直に認めかつ涙目になっている親友を見て、日向はぎょっとしながら心菜を抱きしめてよしよしと頭を撫でた。

 まさか初心な彼女がここまで嫉妬心を露わにするのは驚きだが、それだけ樹のことが好きなのだと思い知らされる。


(あたしも……心菜みたいに他の女の子に嫉妬したりするのかな……?)


 今は彼の周りにそれらしい女の子はいないが、何時現れるのか分からない。

 思わず悠護が顔も名前も知らない女の子と親しげに話す様子を想像すると、ずきっと胸が痛んだ。


(な、なるほど……確かにこれはよくないな……)


 想像しただけで胸が痛むなんて、恋というのはなんて強大なモノなのだろう。悠護の幼馴染で今はもうこの世にいない少女、桃瀬希美が自分を殺したいほど嫉妬していた気持ちが今なら分かる気がする。

 ここ最近、琢磨に絡まれているせいで中々悠護といる時間がなく、フラストレーションが溜まりつつある。


(あたしの場合、山吹くんのこと以外にもあるしね……)


 脳裏にあの白髪の男を浮かべながら、これはどこかで気分転換しなければと思った日向はもう一度ため息を吐いた。



「「はぁ……」」


 同時刻、悠護も樹も同じく重いため息を吐いていた。

 どんよりとした空気が目視できるのではないかと雰囲気に、唯一普通でいるギルベルトはイチゴ牛乳を飲みながら話しかける。


「どうした? そんな今にも頭にキノコが生えてきそうな姿になりおって」

「……いや、それがさ……最近日向がなんか隠し事しててよ……。しかもそれを聞こうにもいっつも逃げてさ……」

「浮気か?」

「んなわけぇだろ! 変なこといってんじゃねぇ!!」

「ぐえっ!? う、ウソウソ! 冗談、冗談から首絞めんな!!」


 地雷発言を思いっきり言いやがった親友の襟元を掴むと、樹は苦しそうに呻いた。

 もしも仮に、本当にそうだとしたら、自分は失恋のショックから立ち上がることはないだろう。

 それくらい彼女のことが好きだし、浮気なんてしていないと切実に願っている。いや、本当なら自分の力でこちらに振り向かせなければならいのだが、今の悠護にはそこまで考える余裕が残念ながらなかった。


「そういうお前こそどうしんたんだよ。そっちこそ心菜が浮気したのか?」

「おいおいおい、あの純粋培養お嬢様の心菜がそんな真似できるわけねーだろ。つか、どっちかつーと浮気より無理矢理関係迫られているって言われた方がしっくりする」

「「あー」」


 樹の言葉に納得したのか、悠護とギルベルトは同じタイミングで声を上げる。

 確かに心菜の性格上、浮気をする側ではなく無理矢理浮気を迫られる側だろう。まあもしそんな真似をする輩がいたら、目の前にいるこの男が瞬殺するだろうが。


「いやさ……最初は専門科目の授業が始まったから中々時間がとれねぇと思ったんだけどよ、なんか最近妙に避けられてよ……。話そうにもタイミング悪い時に色々あって、そのまま夜になっちまうことが何度も……」

「そういえば貴様、最近忙しそうだな。何してるんだ?」

「別に……ちょっと黄倉に頼んであいつの家がやってるオークションに俺の作った物出してるだけで……」

「…………なあ、もしかして心菜がお前を避けてる理由ってそれじゃね?」

「あ」


 悠護の言葉に樹が声を上げると、そのままバタッと机の上に倒れた。

 人によく気を遣う心菜は、話があっても向こうの用事を済ませてから話す。ならオークションについて香音と話すことが多くなった樹に気を遣うのは当然だ。


「そっか……そうだよな……、うん……これは完全に俺の自業自得だわ……」

「まあこのままってわけにはいかないよな。そろそろ話さないとマジで頭からキノコが生えそうだ」


 幸いにも明日は休日だ。

 こういった時は気分転換のために遠出をし、互いの悩みを打ち明けた方が一番いい。

 どこに行こうかと悩んでいると、飲み終わったイチゴ牛乳のパックをゴミ箱まで投げ捨てたギルベルトが不敵な笑みを浮かべながらブレザーのポケットから何かを取り出した。


「気分転換なら、こことかはどうだ?」


 手に持っていたのは、彼が所持するスマホ。

 画面には臨海公園の美しい景観が表示されている。


「ここしばらく色々あったからな、そろそろどこか遠出しようと思っていたんだ。行くだろ?」


 ニッと笑うギルベルトを見て、二人は嬉しそうに顔を綻ばせながら言った。


「「もちろん」」



☆★☆★☆



 聖天学園の土曜日は午前授業しかなく、午後は半休だ。

 明日が休日ということで、土曜の午後のうちに実家に帰る生徒は少なからずいる。

 琢磨もその一人で、必需品と生徒手帳だけを詰め込んだバックを持って家に帰宅していた。


 琢磨の実家である山吹家は南麻布にあり、父の山吹和摩やまずきかずまは山吹グループという貿易分野を主とする上場企業の社長だ。

 この会社が貿易と対象とするのは日本製の魔導具だ。魔導医療シェア世界第三位の神藤メディカルコーポレーションが開発した最新魔導医療機器や魔導具メーカーの商品を国外に輸出することで、他国の魔導具を輸入する架け橋を役割としている。

 

 昔はこの家業を誇らしく思っていたが、今の家の待遇を知った日から次第に嫌になっていた。

 山吹家……いや、全ての七色家の分家は、いつ変わっても消えてもいい『駒』なのだ。

 それを知ったのは、琢磨が小学四年生の頃だ。


 当時の琢磨は今とはかけ離れた、むしろ山吹家で生まれたことを誇りに思いながら父の跡を継ぐことを夢見た少年だった。

 魔法も勉強も真面目にこなし、周囲からは将来は立派な跡継ぎとして認められるだろうといわれるほど。それほどまでに山吹琢磨という少年は、いろんな意味で純粋だった。

 だが、純粋でいられる時間は突如として終わりを告げた。


 ある日、何かのパーティーに参加した際にトイレに行って席を離れている時だった。

 その帰り道、廊下で立ち話していた父の取引先の重役達を見かけ、挨拶しようとした。だが彼らの会話を聞いて、琢磨は全身の血が引いた感覚に襲われた。


『まったくいくら七色家の一族の家とはいえ、分家なんて所詮替えの利く駒だろう』

『それは一体どうゆう意味です?』

『なんだ、お前知らないのか? 国にとって重視しているのは七色家の本家だけで、分家はもし本家が不祥事を起こした際の後始末係なのさ。で、後始末をした分家はそのまま本家に捨てられるんだ。用済みの駒としてな!』

『え、でも都内にいる分家は出世が望まれるんじゃ……』

『そんなのもしかしたらの話だろ? 現に一度でも本家のどれかが分家にその座を譲ったか? ないだろ? あんなのはただの口実、便利な駒を動かすための都合のいい理由だ』


 煙草の吸いすぎで黄ばんだ歯が見える口から、信じたくない事実が堰切ったダムのように吐き出されていく。

 聞きたくない。知りたくない。覚えたくない。

 脳と耳が拒絶しようとも、琢磨の心は残酷な事実がするすると入ってくる。


『分家は一生、本家のいいなりで終わる奴隷だよ』


 その一言で、琢磨の純粋心は砕け散った。

 小さな笑い声を聞きながら、琢磨はその場に立ち尽くしたまま呟いた。


『分家は……僕達は……駒……、……僕は……俺は……一体なんのために……ッ!?』


 失意。怒り。絶望。

 全ての努力が無となり、悪感情だけが琢磨の心を支配する。

 今まで描き、抱き続けた夢は黒く塗り潰され、夢はどす黒い炎へ変貌させた。


(なら俺は……山吹家を本家にさせてみせる。この世界が努力した者が報われるべきだと思知らせてやる!!)


 その日から、琢磨の行動は過激になっていった。

 消極的だった自衛術や攻撃魔法を学び、髪型も目つきも誰にも舐められないように気を配った。あまりの変貌ぶりに両親は困惑したが、それでも必要以上に口を出すことはなかった。

 生意気な態度を取る後輩も、自分を下に見る先輩も実力で蹴落とし、パーティーで山吹家の本家入りを支持するスポンサーを募った。


 努力の結果、スポンサーはそれなりに集まったが琢磨からしたらまだまだ足りない。

 もっと、もっと力のある魔導士の名も必要だと思った矢先、琢磨は豊崎日向の存在を知った。

 伝説と化した魔法・無魔法を使える唯一無二の魔導士にして、【五星】豊崎陽の実妹。さらには黒宮家次期当主である黒宮悠護のパートナーである彼女は、魔導士界では誰もが目につけ、狙っていた存在だ。


 もちろん琢磨も彼女を狙う者の一人で、彼女の力さえあれば誰もが自分を認めると思った。

 だが、予想外にも日向は権力も地位も興味がなく、それどころか「くだらない」と一言で一蹴する女だった。これにはさすがの琢磨も頭を痛めたが、めげずに悠護の目を盗んで何度も彼女に会っては交渉を繰り返した。

 それでも日向からいい返事をもらえず、なんの収穫もないまま実家に一時帰宅する羽目になった。


(くそ……あいつさえ落とせば楽に進むのに……)


 思い通りに進まない計画に苛立ちを募らせながら実家の玄関の扉を開けると、玄関の前で使用人である青年が立っていた。


「お帰りなさいませ、琢磨様。旦那様が書斎でお待ちです」

「親父が? ……分かった」


 一応家には今日帰ることを伝えていたが、帰宅直後に呼び出されるのは予想外だ。

 靴を脱いで書斎に続く廊下を歩き、目的地のドアを開ける。両壁を本棚で多い、中央には来客用のソファーと机が置かれている。目の前の窓を背にしておかれた書斎机が一際存在感を放っている。

 その書斎机の前に立っていた和摩は、息子の姿を見るといつもと変わらない顔で出迎えた。


「親父、今帰った」

「ああおかえり、そこに座りなさい」


 父の言葉に琢磨は何も言わずそのまま座ると和摩が反対側のソファーに座り、いつもは柔和な目つきを鋭くさせた。


「……琢磨、最近黒宮くんのパートナーに接触しているな? 彼女に関してはあまり接触しないよう言われなかったが?」

「けど親父、彼女の力は類稀なものだ。あの力をもし黒宮が独占したらこの国は戦火に飲まれるかもしれない。ならば、力が必要とする者に使われた方がいいんだ」

「だからといって我らが独占しようとも同じ結末を辿るかもしれん。お前は家を滅ぼす気か?」


 父の厳しい言葉に息を呑むが、それでも琢磨は太腿の上に乗せた拳を握りなおした。


「親父、今の本家は昔のような逸材がいないのは事実だ。現に黒宮家は分家二つが不祥事を起こしたし、それにあの【ガラクタ姫】も――」

「それ以上の本家への侮辱は当主としては見過ごせないぞ、琢磨」


 冷たい声にさすがの琢磨も体を震わせる。

 普段は温厚な父の怒りは首筋に刃物を突き付けられたような冷たさがあり、こういう時は条件反射で体が震えてしまうのだ。

 怒りで目つきをさらに鋭くさせた父の目を見て、琢磨は顔を逸らしながら「すみません……」と小さい声で謝った。


「……とにかく、これ以上豊崎日向に関わるな。黒宮家だけでなく【五星】やギルベルト様にも怒りを買う羽目になるぞ。お前は何故、そこまで本家に固執するんだ? 私には理解できない」


 はぁ、と本気で呆れたため息を吐いた父を見て、琢磨は完全に頭に血を上らせ、ソファーから立ち上がる。


「国にとって大事なのは本家だけで、俺達分家は替えの利く駒なんだ! 俺はそんな境遇を受け入れたくないんだ! あんな……大戦で活躍しただけで国に認められた成り上がりじゃなくて、努力した者こそ相応しいのだと思い知らしめるためにな!! たとえ親父でもこれだけはやめることはできないんだッ!!」

「待ちなさい、琢磨!!」


 和摩の生死を聞かないまま書斎を出た琢磨は、そのまま自室へと入る。

 鍵をかけ、持っていたバッグを壁に叩きつけた。こんなのは八つ当たりなのは分かるが、それでも怒りが収まらなかった。


「間違ってない……俺は……間違ってないんだ……!」


 本家入りを目指すことも、分家が駒じゃないことも。琢磨にとっては間違いではない。

 間違っているのは、それを受け入れる者達の思考なのだ。


「そうだ……俺は間違ってない……、間違っていないはずなんだ……」


 なのに、何故こんなに違和感があるのだろうか?

 どれほど自問を繰り返しても答えが出ず、結局その日は部屋から一歩も出ずにそのまま夜を過ごした。



「……そっか、分かった。じゃあ後で伝えとくね。うん、またね」


 同時刻、寮で一人残っている香音は手元のスマホの通話を切ると、机の上に広げられた紙を見つめる。

 書かれている内容は自分の伝手を使って樹が出品した魔導具についてだ。以前見せてくれたランタンもあれば、時間を変えれば中の写真が入れ替わる写真立て、特殊な音波を発してすっきりした目覚めを促す目覚まし時計など、合わせて十数個の魔導具は黄倉家が贔屓にしている競売人の手によってすでにオークションに出されている。


 どれもが高値で競り落とされており、購入したオークション客からの反応も上々らしい。

 さっきの電話は父である迅からで、樹を正式に黄倉家主催のオークション出品者として登録されるという内容だった。

 今まではちゃんとした身元証明書がないせいで出品しても中々売れなかったが、今回の件を伝えれば他のオークション主催者達は目の色を変えてくるだろう。


(あれほどの才能があるのに身元だけで判断するなんて、オークションやってるくせにざまぁない)


 樹の腕は香音だけでなく父でさえ認めているほどで、特に目は今では珍しい『精霊眼』だという。

 あの目があるからこそ魔力の流れが分かり、魔導具の不備を見つけることができるのだと本人は語っていた。

 それに加え、人当たりの良さや社交性の高さはこれからの魔導具技師にとっては貴重なものだ。


(神藤さんが惚れるのも分かるなぁ)


 以前、女子会で開いた時に心菜の意中の相手があの樹であることは知っていた。

 実際接してみて、彼女だけでなく他の女子でも惹かれてしまう魅力を彼は持っていた。

 そして、その魅力に惹きつけられたのは香音も同じだ。


(横恋慕なんてやりたくないな……)


 これがちゃんとした恋なのか、今の香音には分からない。もしかしたらこの感情は憧れの延長線なのかもしれない。

 だけど、彼の笑った顔を見るだけで心が温かくなるのは確かだ。

 でもその彼が、心菜に対してパートナー以上の感情を抱いていることは、香音でも分かった。


「はぁ……」


 初恋と失恋を同時に味わうというあまり体験したくないことをした香音は、ため息を吐きながら煌めく星々が散らばる夜空を眺めた。

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