第122話 仲直りはピクニックで

 新学期最初の休日、日向達は臨海公園に来ていた。

 広大な芝生が広がり、その向こうには海から漂う潮の匂いが普段海とは縁遠い土地に住む者にとっては新鮮さを与えてくれる。

 公園にはサッカーボールを蹴り合う少年達、ゆっくりとした足取りで散歩する老夫婦、音楽を大音量で流しながらダンスの練習をする女子高生など多種多様な過ごし方をしていた。


 日向達がいるのは、その近くにある芝生広場だ。

 近くにテーブルとベンチがある木製の東屋があり、開放的かつ落ち着いた雰囲気がある。

 シートも敷かず芝生の上に座ると、足にちくちくした感触が襲ってくるがこれはこれで気持ちがいい。


「今日はいい天気だね」

「ああ、こういう日は外に出て体を動かすのが一番だ」


 そう言ったとギルベルトは持参したボストンバッグを地面に落とす。

 地面に置いたバッグは重々しい音を立てており、チャックを開いて中を覗くとアウトドアスポーツがたくさん入っている。

 バトミントン、フリスビー、サッカーボール、野球ボールとミットなど外で遊ぶには定番の遊び道具ばかり揃っていた。


「朝見た時、すごい荷物だなって思ってたけどよくここまで揃えたね」

「こういった遊びはオレには縁遠かったからな、せっかくの機会を生かさないのは少しもったいないだろ?」

「まあ、それもそうだね」


 バッグの中を隣で覗いていた怜哉がおもむろにフリスビーを取り出すと、それを見つめながら思い出すように話し始める。


「そういえばアメリカの魔導士軍が、反射神経と動体視力の訓練の一環として体に強化魔法をかけながらフリスビーするっていうのが流行ってるんだって」

「……おい、まさか」


 嫌な予感がすると顔で言ってくる悠護に、怜哉はにやりと笑みを浮かべながら言った。


「せっかくだから、僕らもやってみようよ。面白そうだし」



 結論から言おう。

 怜哉が発言で発端になった強化魔法ありフリスビーはかなり目立った。

 それは当然の結果だ。うららかな公園で色々と目立つ容姿をした少年達が、普通のフリスビーとは言えない猛スピードでフリスビーに興じているのだ。

 中にはスマホで動画を取っている人もいる始末。参加を遠慮して、普通にバドミントンをしていた日向も心菜もこれには顔を引きつらせる。


「うん……アメリカ軍で流行ってるって言ったのはほんとみたいだね。そりゃあ、あれだけやれば反射神経も動体視力も鍛えられるよ」

「で、でもこれ、少しやりすぎなんじゃ……?」


 心菜の言ったことは最もだ。

 ギルベルトが垂直に投げ、次に受け取った樹が今度は右旋回しながら回転し、怜哉が左上段に向けて投げると、悠護が体ごと回転させて顔面めがけて投げる。時々方向を変えたり、アクロバティックを使いながらなど曲芸さながらの動きを見せている。

 しかもこれまでのストレスを発散させているか、全力投球気味の四人を見て日向は持っていたラケットをバッグの中に戻した。


「とりあえず、ここまでにしてお昼の準備しよっか」

「そうだね」


 日向の意図に気づいた心菜がいそいそとレジャーシートを敷いてお弁当箱を取り出す横で、日向は水分補給で作っていたスポーツドリンクが入った大き目な水筒を取り出す。

 それを紙コップに四人分に注ぐと、ぜーぜーはぁーはぁー言いながらこっちに向かってくる汗だくの男子達を見て苦笑いを浮かべた。


「やっぱりそうなると思ってた」


 満身創痍さながらの四人を見て、スポーツドリンクが入った紙コップを渡すと全員がまったく同じタイミングと動作をしながら一気に飲み干した。


「ぷっはぁ……! い、生き返った……!」

「大げさだなー」

「いや、大げさじゃねぇぜ。あれはちょっとやりすぎた。怜哉なんて見ろ、未だに干からびてんぞ」


 レジャーシートの端で倒れている怜哉はか細い呼吸を繰り返しており、生きているのかと思うほど生気が顔から削ぎ落されている。

 慌ててスポーツドリンクを何度も入れたり、近くにあった水場でハンカチを濡らして顔や首を冷やしてあげると、ようやく生き返った怜哉はふぅ……と息を吐く。


「生き返った……」

「怜哉先輩が言うと現実味帯びているんですか」


 実際本人が死にかけだったせいで、やけにその言葉がずっしりと重さを持って肩に乗っかってきた。

 スマホで時計を確認すると昼食の時間に回っており、日向達はそのまま昼食を摂ることになった。


 昼食として持ってきたお弁当は、日向と心菜の力作だ。おにぎりは梅と鮭、のりたまのふりかけやゆかりを混ぜたもの。サンドイッチはハムサンドとタマゴサンド。おかずは唐揚げ、だし巻き玉子、アメリカンドッグ、ポテトサラダ。デザートは真っ赤に熟れたイチゴ。

 いつもより豪華なそれを見て悠護達は目を輝かせており、怜哉は表情に変化はなかったがごくりと唾液を呑んでいたから、その反応を見て日向は嬉しそうに顔を綻ばせた。


 各々がお弁当の味を楽しみ、一息がついた頃。

 突然ギルベルトが怜哉の手を掴むとレジャーシートから立ち上がった。


「さて、腹ごなしに散歩でもしてくる。白石、護衛を頼む」

「んー……別にいいよ。でもちゃんと報酬払ってね」

「無論だ」


 何か考える仕草をした怜哉だったが、特に反論しないままギルベルトと一緒に広場へ離れる。

 さほど変わらない歩幅で四人の姿が見えなくなるほど離れると、ギルベルト近くにあったベンチに腰掛けた。


「ふぅ……まったく、奴らの無自覚痴話喧嘩には困ったものだな。少しは仲直りの機会を作ってやっているこっちの身も考えろというものだ」


 やれやれと呆れたように肩を竦めているが、その顔には呆れなんて一切なかった。

 こうやってわざと呆れた様子を作りながら言ったのが彼なりの気遣いなのだが、怜哉にとっては彼の態度に疑問を感じてしまう。

 

「……そういえばさ、最近豊崎さんにアタックしてないよね? 前まではしつこかったのにさ」

「ん? ああ、それか。『押してダメなら引いてみろ』作戦をしているからだ。強引に関係を迫るなど紳士の流儀に反するからな」

「ふーん……」


 最もらしい言い分だが、それが彼の本心を隠す嘘であることは彼の纏う『空気』から伝わってきた。

 これまで汚れ仕事を引き受けてきた怜哉は、相手の纏う『空気』を感じて嘘が真実かを当てることができるようなった。今のギルベルトの発言が嘘だと分かったが、何故そんな嘘をつくのか理由が分からない。


 だが、それは以前から怜哉が抱き続けた疑問の真相に近づける絶好の機会だ。


「――じゃあ、君は一体何を知っているの?」


 その一言に、ギルベルトの雰囲気が一気に重くなる。

 剣のように鋭く、重力というもの全てがのしかかってきたような圧力。それを全身で感じるが、むしろ今までここまでの空気を味わったことがない怜哉にとってはむしろご褒美のようなものだ。

 無意識に吊り上がりそうな口角を気力で押さえながら、話を続ける。


「ずっと気になっているんだ。君と豊崎先生は豊崎さんについて何かを知っている。でもそれは、本人どころか黒宮くん達さえ話していない。……君達は、一体何を隠してるの?」

「…………………………」


 怜哉の質問にギルベルトは答えない。

 ただガーネット色の瞳を鋭くさせて、無言のまま自分を睨み続けている。

 近くで感じる子供や鳥の声、波の音さえ絵画から聞こえる幻聴に思えてしまうたった数秒の空白。

 それを止めたのは、ギルベルトがベンチから立ち上がる音だった。


「すまない、それだけは言えん」


 たった一言。それだけで彼の答えの意味を理解した。


「……そう。なら別にいいけどさ、できるだけ早く言いなよね。じゃないとどうなっても知らないから」


 本当ならもっと根掘り葉掘り聞きたかった。

 でもこれ以上詮索してしまえば、この王子だけでなくあの【五星】さえ本気で自分を口封じのために始末するだろう。

 もちろん二人の人格的にそれはあり得ないのだが、何故かそんな想像をするほどの気迫をギルベルトから感じているせいだ。


 トイレに行くと一言断りを入れて自分の傍から離れる怜哉を見て、ギルベルトは小さく舌を打ちながら誰にも聞こえない声量で呟く。


「…………そんなこと、貴様に言われるまでもないわ」



☆★☆★☆



「くそ、もう二度とあんなのやらねぇぞ……」

「でも見ている方は結構楽しそうだったけど?」

「見ている分はな。やってる方はキツいんだよ」


 昼食を摂り終えた後、日向と悠護は気分転換に広場からそう遠くない藤棚がある場所に来ていた。

 通常、藤の開花時期は四月下旬から五月上旬なのだが、三月中旬から例年より早く気温が少しだけ上昇したため、藤の開花が早まったのだ。

 頭上を薄紫色の花で覆われて、日の光が花や葉の間をくぐりぬけるように細い光が地面に注いでいる。


「綺麗だね」

「そうだな」


 目の前の幻想的な光景に感嘆の息を漏らした。潮の匂いと混じって吹く風は心地よく、葉が擦れ合う音は鼓膜を小さく震わせる。

 ずっと続けばいいのにと思えるくらいの穏やかな時間。でも、それはただ現実から目を逸らすだけの行為だ。


 今日はギルベルトがいつまでも気まずい雰囲気を出す自分達のために用意した時間なのだ。それを無駄にすることはできるはずがない。

 ごくりと小さく息を呑みながら、日向はゆっくりと口を開く。


「……あのさ、悠護」

「なんだ?」

「その……あたし、今まで黙ってたことがあって……。でもそれは自分で解決しなきゃって思ってたの……」

「うん」

「だけど……やっぱり悠護に話さないといけないと思ったの。パートナーだからこそ、ちゃんと話さないとって。だから……!」


 勇気を振り絞るように声を出した日向の唇を、悠護はそっと人差し指を押し付けた。

 これ以上は言わなくていいと言葉にせず行動で伝えてくる悠護の指の感触を感じながら、日向は吐き出そうとした言葉を呑み込む。

 優しい眼差しを受けて見惚れる日向に、悠護はさらに優しく微笑みながら言った。


「ちゃんと分かってるから、そんなに申しわけなさそうにするなよ。お前のことだから俺に気を遣ったんだろ? でも、俺はお前のパートナーだからちゃんと話して欲しいって思ったのは確かだ。だからさ、今ここで話してくれよ。それでチャラにしてやるからさ」


 片思いの相手にこうも優しく甘い声で言われてしまったら、これ以上何も言えなくなってしまう。

 赤くなる頬を手で隠しながらその場に座り込むと、少しだけ頬を膨らませた日向は上目遣いで悠護の顔を見つめた。


「………………悠護って、本当にあたしのこと甘やかしすぎだと思う」

「ははっ、かもな。でも嫌じゃないだろ?」


 茶目っ気ある含み笑いを向けられ、反論出来ずにいる日向は拗ねたようにそっぽを向いた。

 そんなやりとりをした後、日向は改めて琢磨のことについて話すことにした。

 琢磨から将来彼の下で働くことを勧められていること、彼の狙いが日向の無魔法であること、そして何度も断っているのにしつこく勧誘していることを話した。


 本当なら『レベリス』の主のことも話したかったが、これはさすがにたとえ悠護でも話すことはできなかったため、その辺はちゃんと省いている。

 話を聞いた悠護は眉間にしわができるほど顔をしかめ、頭を抱えながら深いため息を吐いた。


「はあぁぁぁぁぁ……お前なぁ、そういうのはちゃんと言ってくれ……」

「ご、ごめん」

「……とにかく、琢磨のことは俺からもちゃんと言ってやる。また来た時は『決闘』してでも止めさせてやるよ」

「え? 何もそこまでしなくても……」


『決闘』は魔導士同士が魂を削り合う神聖なもので、勝者は敗者に己の願いを『約束』という名の制約を結ばせることができる。

 以前、家の命令で自分の命を狙ってきた怜哉を『決闘』で辛くも勝利し、『約束』を使って自分を狙わないことと悠護の臣下として行動することを了承させたのだ。


「いいや、こればっかりは譲らねぇよ。大事なパートナーを横から掻っ攫う真似をする奴には容赦しねぇよ」

「……分かった。でも手加減はしてよ」

「ああ、もちろん」


 悠護の目を見て引く気はないと確固たる意思が伝わった日向は、ため息を吐きながら条件を出すと彼は嬉しそうに笑った。

 その顔を見てずるいと思う反面、なんだかんだ彼に毒されている自分が嫌ではないと思った事実に羞恥で身悶える羽目になった。



 一方その頃、心菜は樹と共に広場に残っていた。

 理由は樹がお腹一杯になった後すぐに眠ってしまったからだ。念のため日差し除けで目元をハンカチで覆っているが、傍から見たら美容室で洗髪させられるところを想像するが、本人は本気でこれでいいと思っている上に誰もツッコむ人もいないため、通行人が心の中でそんなこと思っていることは当の本人達は知らない。


(今日は本当にいいお天気……樹くんが寝ちゃうのも分かっちゃうな)


 すやすやと寝息を立てながら眠る樹の顔を見つめながら、心菜は優しく微笑む。

 だが穏やかな時間を破るかのように、樹の近くに置いてあったスマホが震えた。ヴーヴーと音を立てながら震えるスマホの画面には『黄倉香音』と名前が表示されており、それを見ただけで心菜の胸がズキリと痛んだ。


(……大丈夫、分かってる。……樹くんは黄倉さんとそういう関係じゃないって分かってるはずなのに……っ)


 それでも、好きな人のスマホに別の女の子の名前が表示されているのを見るのが嫌だ。

 ズキズキと痛む胸を押さえていると、バイブ音で目を覚ました樹が目元に置いたハンカチをどかしながら起き上がる。


「んあ……? 俺の……?」


 半分眠った状態で電話に出た樹は、舌足らずな声で「もひもーひ……?」と言いながら電話に出る。

 そのまま相槌を打ちながら話を聞いていた樹だったが、突如目の色が変わる。


「おい……それ本当か? ああ、分かってる。お前に限って嘘なんて言わねーよな。……ああ、ああ……分かった、あんがとな」


 最後に感謝の言葉を伝えた樹はスマホの通話を切ると、嬉しさを隠しきれない顔を心菜に向けた。

 まるで水を与えた花のようなその笑顔に、心菜は目をきょとんと瞬かせる。


「えっと……樹くん、何かいいことでもあったの……?」

「ああ、あったよ、今な! 俺、黄倉家主催オークション出品者として正式に名義登録されたんだよ!」


 その言葉を聞いて、心菜は目を大きく開かせた。

 魔導具技師は大抵、オークションやIMFで名義登録した後に魔導具を世間に売りに出す。もちろん学生の身でも可能だが、いくら教師から太鼓判を押された優秀な作り手でもそう易々と名義登録する場所はあまりない。たとえ出品しても「学生だから」という理由で買われないケースが多い。


 だけど、樹は学生の身で名義登録――それも黄倉家主催オークションの出品者として仲間入りを果たした。

 これは長い魔導士の歴史の中でも稀に見ない出来事だ。


「前から先生に紹介されたオークションに何度か出品したんだけど、学生の上魔導士家系じゃないから全然信用なくて、今まで作った奴全部売れなかったんだ。でも、黄倉のおかげでこれからは正規の出品者扱いにしてくれるってさっき電話で伝えてくれたんだよ」

「そうだったんだ……。おめでとう、樹くん」


 樹の話を聞いてこれが香音と行動していた理由など、さすがの心菜も理解できた。

 素直に賞賛している心菜に、樹は気まずい顔を浮かべながらそのまま頭を下げる。


「でも……そのことをちゃんと言ってなくてお前に余計な心配をかけて悪かった」

「う、ううん! それはもういいの。私こそ話もロクに聞かないで不安にさせちゃってごめんなさい!」


 まさかの謝罪に心菜は慌てふためきながら勢いよく頭を下げる。

 しばらく二人は頭を下げたまま固まっていたが、同じタイミングで顔を上げるとそのまま見つめ合い、小さく笑い合った。


「ぷっ……ははっ、何やってんだろうな俺達」

「ふふっ、本当だね」

「よし、これでこの話はおしまいな。なんか別のこと話そーぜ」

「あ。私、樹くんが出品した魔導具の話が聞きたいな」

「ああ、いいぜ。俺が出したのは――」


 小さくも楽しそうな笑い声を上げながら、二人の話題は魔導具の話になった。

 数時間前まで喧嘩というには些細なことをしていたが、一度話し合って謝れば胸の中で渦巻いていた不安や恐怖は消えていた。

 仲直りがこんなにも簡単なことだったのだと改めて再認識した心菜は、日向達が広場に戻ってくるまでの間、今まで話せなかった分までずっと樹と語り合うのだった。

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