第118話 縮まる距離と近づけない距離

 神藤メディカルコーポレーション会長の誕生日パーティーが開かれた場所は、横浜でも上位を争う高級ホテルだ。

 宴会場の中央には真っ白なテーブルクロスが敷かれた円卓がいくつもあり、その両端には豪華な食事がビュッフェ形式で好きなだけ取れるようになっているが、着飾って出席した招待客達はシャンパンやワイン片手に楽しげに談笑している。


「うわぁ……やっぱり豪華だねぇ」


 シャンデリアの照明を眩しそうに見つめる日向は、場の空気に呑まれながらも周囲を見渡す。

 朱美に頼んで借りているドレスは、Aラインドレスだ。今日は七色家次期当主の婚約者候補としてでないため、色は鮮やかな薔薇色だ。春先とはいえまだ寒いため、上には白いボレロを羽織り、後頭部には花を模したピンククリスタルのバレッタをつけている。

 靴もあまり高いヒールを履き慣れていない日向に考慮して、少し低めだ。


 後ろにいる男子三人はフォーマルスーツで、悠護は黒、樹は紺、ギルベルトはグレーと色は別々だ。

 パーティーに参加したのは日向達のみで、陽と怜哉は生憎と用事があるということで誘いを断ったが、それがただパーティーに出たくないという口実であることは分かっていても気づかないフリをしたのはもはやお約束だ。


 広い会場の中で、一番目立つのは入口から入ってすぐの正面にある金屏風だろう。

 人だかりが出来ている金屏風の前には、和装姿の老人や着物姿の老女と妙齢の女性、スーツ姿の夫婦と淡い水色のバルーンスカートタイプのドレスを着た心菜が立っている。どうやら神藤家の面々が勢揃いしている。


「うーん、挨拶した方がいいと思うけど……忙しそうだね」

「まあ、こういう時の主役って結構忙しいしな」

「あそこにいる連中は十中八九コネ作り目的だろうがな。分かりやす過ぎるのもほどがある」


 パーティー経験豊富な悠護とギルベルトの言葉に、日向と樹は納得の表情を浮かべる。

 遠目でも金屏風に集まっている人達が、純粋に心菜の祖父の誕生日を祝っていない。誰もがコネを作ろうと隠す気ゼロのゴマすりをしている。

 誰もが笑顔で対応しているが、内心では辟易しているのが分かる。


 するとおもむろに樹が前に出たと思うと、いつもと見ている快活な笑みを浮かべて近づく。

 心菜が己のパートナーの姿を見つけたのを見計らって、右手をあげた。


「よっ、心菜」

「樹くん!」


 樹の登場に少しだけ疲れが見えていた心菜の顔がぱっと華やぐ。

 周囲の人間はいきなり割り込んできた樹を見て嫌そうに顔をしかめたが、彼の狙いを察した日向達が近づくと、顔色を変えて数歩後ろへ引いた。


「心菜、来たよー」

「日向! それにみんなも。わざわざ来てくれてありがとう」

「いいってお礼なんて。俺達が好きで来ただだからさ」

「悠護の言う通りだ。そもそもオレ達を誘ったのはお前だろ?」

「ふふっ、そういえばそうだった」


 ギルベルトの言葉に心菜が小さく笑うと、横からオッホンと大きな咳払いが聞こえてきた。

 その声に振り返ると、口元に白い髭をたっぷり蓄えた筋骨隆々の老人が堂々と立っていた。


「お前さんらが心菜の友人達か?」

「あ、はい、えっと……」

「挨拶が遅れて失礼した、神藤総介氏。本日九〇歳を迎えられたことお礼申し上げます」

「構わんよ。さすがのわしも孫娘の交友関係に口出しせんわ」


 日向がなんとか言おうとする前にギルベルトが礼儀正しく申すと、神藤氏は陽気に笑う。

 見た目は普通の人より鍛えられているが、人なりは近所にいるおじいちゃんような親しみ溢れているようだ。


「心菜、挨拶はもういい。友人らと存分に楽しんでこい」

「はい、お祖父様」


 祖父の言葉に心菜はドレスのスカートの裾を持ち上げてお辞儀をすると、そのまま日向達の方へ駆け寄った。

 いつもの礼儀正しい姿と一変して、年相応の少女のようにはしゃぐ孫娘を見て神藤氏が眩しそうに見つめるが、後ろにいた文恵――心菜にとっては叔母に当たる女性が嫌そうに顔をしかめた。


「あの子ったら友人はちゃんとした子を選びなさいと言ったのに……。それになんです? あの赤髪の子。心菜さんに近寄りすぎです。たとえパートナーでも適度というのもがあるでしょうに、後でなるべく距離を取るように言わないと……」

「やめよ、文恵。心菜が学校でどう過ごそうが自由にさせると決めたのはわしだ。結婚については卒業してからでも遅くない」


 神藤氏の厳しい声に、文恵は何も言えず黙り込む。

 だが目が自分の言葉を表面上でしか聞いていないと理解している神藤氏は、やれやれとため息をついた。

 文恵が家柄を気にするきらいがあり、そのせいで一人娘である心菜に見合い話を勧め始めた。最初は早すぎると苦言したが、彼女なりに会社や家の将来を心配していると分かるとあまり強く出られなくなった。


 それでも聖天学園への入学を機に、勉学に集中させたいためしばらく見合い話を控えるよう言っても、自分達の目を盗んで見合いをしているのはすでに把握済みだ。

 それに、心菜だって一人の女の子だ。彼女自身、学校で誰かを好きになってもおかしくない。


(会長としては正しくないだろうが、祖父としては孫娘の想いを尊重したいと思うのは間違いではないはずだ)


 もし心菜が叔母とこの件で困ったことがあれば、自分ができる範囲で力を貸そう。

 たとえそれを機に会社がどうなってしまっても、孫娘の幸せを考えればそれくらい安いはずだ。

 近いうちに訪れるだろう未来に不安を抱きながらも、神藤氏は再び集まってきた人だかりに向けて社交的な笑みを浮かべた。



「ふんふ、ふふん~♪」


 ようやくご馳走にありついた樹は、鼻歌を歌いながら皿に盛りつけていた。

 母子家庭だが金銭的にはそこまで貧乏生活を送っていたわけではない。それでも普段滅多に食べられない料理は樹にとっては宝石箱みたいに輝いており、気になったものはあれこれ手に取っていく。


「あれ? あいつらどこ行った?」


 持っていた皿の隅まで料理を盛りつけ終えると、近くに友人達がいないことに気づく。

 きょろきょろと首を動かして辺りを見渡すと、それほど離れていない距離で日向と悠護は楽しげに会話しながら食事をしており、ギルベルトは政府関係者と何やら難しい話をしている。


 各々が好きに過ごしているのを見ながら、樹も自分の皿の上に料理をもぐもぐと食べ始める。

 どの料理も舌が蕩けそうなほど絶品だけど、毎日こんなもの食べたいとは思えない。前に悠護達が会食で食べる料理に文句を言っていたが、今ならようやく分かった気がする。


 高級なものだらけに囲まれた生活は、いつしか人の心も身体も贅沢にさせていく。

 贅を凝らしたものしか受け入れられず、貧しいものを見下す。ここにいる者は全員がそうではないだろうが、少なくとも山盛りになるまで皿に料理を乗っけた樹をひそひそと何か言っている人が見える。


(ここじゃ目立つな……端に行くか)


 部屋の隅に飾られている観葉植物の方へ寄り、再びもぐもぐと口を動かす。

 時々こちらを見る視線を無視しながら料理の山を減らしていると、視界の端で心菜が会場を出て行く姿を見つけた。


「心菜……? あいつ、どこ行くんだ?」


 なんとなく嫌な予感がして、まだ料理が残っている皿をボーイに押し付けるように渡すと、そのまま彼女の後を追って会場を出る。

 会場の外は中とは違い静かで、廊下もわずかに従業員が通り過ぎるくらいだ。ふかふかする床を歩いて行くと、近くの曲がり角で話し声が聞こえてきた。

 なるべく気配を気づかれない距離を取っているため、話の内容は所々しか聞き取れないが、少なくとも話している相手は心菜と知らない男性であることは確かだ。


「……ですから、その件は叔母様を通してくださいとあれほど……」

「そうは言っても、何度連絡してもあの人は全然取り合ってくれないんだ。でも君ならできるだろ?」


 話の内容がヒートアップしたのか、ぼそぼそとした小さい声はそれなりに離れた場所にいる樹の耳にも届くくらい大きくなる。


「それは買い被りすぎです。とにかく、他を当たってください」

「っ……待て、そうやって話を有耶無耶にする気かっ?」


 聞き慣れないパートナーの固い声を聞いた直後、男が何やら焦った声を出した。

 だが男のその声に不穏を感じ、樹は素早く鼻を摘まんで声を上げた。


「おぉ~い、どこ行ったんだ~? 出てきておくれよ~」

「っ!? ……チッ!」


 なるべくトーンを低く、くぐもった声で一芝居打つと、男は舌打ちをしながらどこかへ歩き去る。

 途中でエレベーターの駆動音が聴こえたから、逃走経路として中に乗り込んだのだろう。

 これで邪魔者がいなくなる分かると、すぐに摘まんでいた鼻から手を離し、ひょこっと顔だけを曲がり角から出す。


「よっ、間一髪だったか?」

「樹くん……」


 曲がり角から現れた樹の顔を見て、さっき自身を助けてくれた声の相手が彼だと分かった心菜は、安堵したようにほっと息を吐いた。



☆★☆★☆



「ほら」

「ありがとう」


 花や湖などの風景が描かれた絵画が飾られた廊下に置かれた猫脚ソファーに腰かける心菜に、冷えた水が入ったワイングラスを渡す。

 受け取ったのを見計らって樹は左手には同じものが持ちながら、彼女の隣に座った。

 口づけたグラスから流れる冷水は、いつの間にか火照っていた身体を冷ます。ほとんど飲み干すと頭が冴えてきて、口元についた水をスーツの袖で拭う。


「……で? さっきのあれはなんだったんだ?」

「うんと……いわゆる商談かな?」

「商談? お前んなんか取引してんのか?」

「してないよ。むしろこっちが取引されてる側」


 パーティーバッグの中に入っていたハンカチで口元を拭いた心菜は、困ったように笑いながら事情を話し始める。

 どうやら会話していた男は日本の魔導医療企業の中ではそれなりの地位にいる会社に勤めており、その会社は今年度で神藤メディカルコーポレーションの傘下に入るのが決まっているらしい。

 だが一部では傘下入りを反対する役員も多く、交渉役として例の男が社長令嬢である心菜なら要求を呑んでくれるのではないかと期待していたようだ。


「バッカだろ、ただの学生にそんな権限ねぇのにな」

「うん……だから私も何度も断ったんだけど、向こうは全然諦める気配がなくて……。だからあの時、樹くんが助けに来てくれて嬉しかった」

「……そっか。役になってよかったよ。またなんかあったら遠慮せず俺に言えよ?」

「うん」


 いつもの癖で彼女の頭をよしよしと撫でると、心菜は嬉しそうに口元を綻ばせる。

 対して樹はつい癖でやってしまったが、目の前でお花のオーラを飛ばしているのではないかと言わんばかりに微笑みを浮かべる心菜を見て、目元を赤く染めて視線を逸らす。


(あー……やっべぇ、心菜が超可愛い。あれ? 俺のパートナーってこんなにかわいかったっけ? いや、元から可愛いんだけどなんか今日は数倍増しで可愛い)

(今日の樹くん、すごくかっこいい……。いつもそうなんだけど、今日はいつもと違ってかっこいいなぁ。まるで王子様みたい)


 これが俗にいう『欲目フィルター』という現象なのだが、無自覚両思いコンビには今起きているそれが分からないままだった。

 宴会場で二人の姿を見かけなくて心配した日向達が、廊下で自分達の名前を呼ぶ声が聞こえるまで、二人はずっとそのままで過ごした。



 楽しいパーティーが過ぎていき、神藤氏が用意してくれたタクシーの乗ってみんなで一緒に学生寮に帰ってきた日向は、自身のベッドの上で爆睡していた。

 ドレスはきちんとハンガーにかけ、靴やアクセサリー類は学習机の上にきちんと置かれている。後日返却しないといけないため、休日には駅前のクリーニング屋に行こうと考えていたら、いつの間にか意識は夢の世界に入っていた。


 ふわふわと真っ暗な闇を漂う感覚は、いつまで経っても心地がいい。

 まるで熱くも冷たくもないぬるま湯に全身浸かっているような、そんなイメージがぴったりだろう。

 朝という強い光が闇に差し込むまで、このままあ。


「――おい、起きろ」


 突然聞こえてきた声に、ぱちっと目が開かれる。

 四方は闇に包まれており、自分の姿はベッドに潜り込む前に着たパジャマ姿。なのに、目の前にはいるはずのない人物がいた。

 特一級魔導犯罪組織『レベリス』――日向を狙っているはずの組織のボスである『主』と呼ばれている男が、そこにいた。


「あなたは……どうしてここに!?」

「ここで悲鳴を上げても無駄だ。ここはお前の精神世界、現実と夢の狭間。ここにいる限り、この場にいる私とお前以外誰も存在しない」


 縁に白いレースがあしらわれた紅いローブ姿の主は平然と答えるが、日向は気が気ではなかった。

 たとえ精神世界でも、得体のしれない彼と二人でいることは安心できない状況だ。とりあえず距離を取ろうと思っていると、主はため息を吐きながら指を鳴らす。

 するとポンッ! と軽快な音と共に日向と主の後ろに猫足の椅子が現れた。


「わぁっ!?」

「そう警戒するな。ただ純粋に話がしたいだけだ。現実だと君の兄が出てくるからな」


 椅子が現れたことに驚いて後ろに転倒しそうになった日向を椅子が受け止めるのを見届けながら、主ももう一つの椅子に座る。

 再び指を鳴らせば、目の前に赤いテーブルクロスが敷かれた円卓が現れ、その上には白い陶器のティーポットとカップ二つが置かれていた。

 ポットは誰も触れていないのに勝手に浮き上がり、カップに紅茶を注いだ。


「すごい……」

「ここは現実とは隔離された世界だからな、精神魔法が得意な者ならこういった芸当もできる」


 現実世界の魔法ではありえない現象の数々に日向が目を輝かせながら見ていると、主は小さく笑いながら説明する。

 彼がカップに注がれた紅茶を飲んだのをみながら、日向もゆっくりカップに口づける。

 紅茶は心菜が淹れてくれるものと同じくらいの美味しさで、主の方も数口飲むとカップをソーサーの上に置いた。


「……さて、突然ここに来たのは君にあることを教えるためだ」

「あること……?」

「ここ最近、海外の魔導犯罪組織のいくつかが日本に進出しようと企んでいる。目的は君の身柄だ」

「それって……あたしというより無魔法目当てなんだよね?」

「ああ。無魔法を研究したい輩、犯罪目的で引き抜こうとする輩、中には人身売買目的の輩までいる。私達は表にはそうそう出れないが、裏では彼らを排除する気だ。つまり――」

「自分の身は自分で守れ、ってこと?」

「そうだ、話が早くて助かる」


 日向の答えに主は満足そうに褒めるが、肝心の本人は嬉しくない表情を浮かべる。

 褒めた相手が主だという事実より、自分のせいでまた迷惑がかかるという遣る瀬無い気持ちが勝っているのだろう。


「……お前のお人よしぶりは重々承知しているが、一々細かいところまで気にしては身が持たなくなる。時には割り切るのも大事だ」

「それは……そうだけど……」


 正論にどう反論することも出来ず言い淀む日向に、主はため息を吐きながら椅子から立ち上がった。


「とにかく身辺には注意しておけ。たまにこうして現れるからそのつもりでいろ」

「ま、待って!」


 目の前で身体の輪郭を薄くし始めた主を見て、日向は慌てて呼び止める。

 主は彼女の声に反応して立ち止まると、彼は相変わらず純白の髪で隠した顔を向けた。


「……なんだ?」

「あなたは……あたしを狙ってるんだよね? なのに助ける真似をして、一体何が目的なの?」

「………………」


 その問いには、主は一言も答えない。ずっと無言で、黙ったまま。

 なのに、何故だか日向の目には、今にも泣きだしそうな子供のような顔をしたように見えた。


「―――――」


 主が何かを言おうと口を開いた直後、視界が一気に真っ白に染まり、聞き覚えのあるメロディーが鼓膜を震わせた。

 視覚と聴覚を襲うその二つのせいで、主の姿は霧のように消えていった。

 純白の髪も、白皙の顔も、紅いローブさえも光に溶けていく。


「―――はっ!」


 声を出して目を覚ますと、下半身を痙攣させながらバネのように飛び起きた。

 窓にかけたカーテンの隙間から光が漏れ、枕元に置かれたスマホからは設定したメロディーが流れてくる。

 画面をタップしてアラームを止めて、スマホの近くに置いてある白い巾着袋を手に取る。


 これは去年の誕生日、主がわざわざ表に出てきて自分に渡してきたプレゼント。

 中身はもらってから一度も開けてはいないが、敵からの贈り物なんて本当なら捨てなきゃいけない。

 けれど、捨てられない。手放せない。本能が持っていろと叫ぶ。


「あなたは一体何者なの……?」


 現実と夢の狭間で出会った男を思い出しながら、日向は作り手の気持ちが込められた贈り物を握りしめた。

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