第137話 真紅の逆襲
私は、犯してはならない罪を犯した。
変わらぬ忠誠と献身しか捧げてはならない主人に恋をするという罪を。
出会った時から彼女の美しさに惹かれ。
時間を共にするうちに気持ちが日に日に強くなって。
出会う男達と会話して笑い合うのを見るだけで胸が痛くなった。
彼女がいるから自分はこんなにも充実した生活を送れているのに、身分のない従者風情が告白するなんてなんと烏滸がましいことか。
卑しい自分に嫌気が差す。
必死に気持ちを押し殺しても、心は「あなたが好きだ」と叫ぶ。
唇が「愛してる」と紡ごうとする。
このまま腕が壊れるまで抱きしめて、片時も離したくない衝動に駆られた。
――だからこそ、あの薔薇園で見た光景に絶望もしたが、同時に安堵もした。
頬を薔薇色に染め、熱っぽい目を向ける主人の前にいるのは、彼女と同じ志を持った少年。
本来なら自分と同じ出自なのに、彼の主人の権限で貴族の仲間入りした幸運の持ち主。
この厚待遇には他の使用人達はもちろん、私も同じ境遇にいたはずの彼のことは妬んだし、羨んだ。
でも、彼ならば彼女を幸せにしてくれると長い付き合いの中で知っていた。
だからこそ、私は諦められたのだ。
この想いが永遠に報われなくても、彼女が幸せならばそれでいいと。
――あの憎き悪魔が、私の心を壊す日までは。
☆★☆★☆
剣戟が交わされ、火花が散る。
黒の剣筋と銀の剣筋が煌めき、どちらとも一歩も引かない力で鍔迫り合う。
リリアーヌのカットラスの刀身が赤く煌めき、大きく振るうと炎の斬撃が襲い掛かる。主は顔色を変えないまま剣を振るい、その斬撃を消した。
轟音と共に散った炎を見て、リリアーヌは凶暴な笑みを浮かべた。
「あはははっ! さすがだねぇ、やっぱりわたしの手はお見通しってわけか」
残念そうな口振りとは裏腹に、リリアーヌの顔は次の遊びを楽しみにする子供のような無邪気な
対して主はなんの反応を示さないまま、次の一手を来るタイミングを計っていた。
リリアーヌの魔物であるアエテリスは、彼女の二つ名である『天候』を操る魔物だ。
太陽の日差しで生まれた灼熱の炎、雨で生まれた極寒の水、黒雲の間に生まれた轟雷、灰色の空と生まれた暴風。
自然魔法よりも上をいくその力は、
魔物単独でも強いというのに、主人であるリリアーヌの魔力で力を増幅させているせいでカットラスを一振りするだけで、小規模な災害が起きる。
まさに生きた天災だ。
「ねえ、お前はどうしてあの小娘に執着するんだい?」
「……それは、今言わなきゃいけないことか?」
まるで他愛のない会話の間に恋バナをぶっ込む女子高生のように問いかけてきたリリアーヌに、主は顔半分を前髪で隠していても分かるほど嫌そうに顔を顰めた。
「別にいいじゃないか、減るもんじゃないし。そもそも、こそこそと小物の寿命と魔力を狙って、不要と決めたモノを裏で操って殺していたあんたが、こうして表に出たこと自体おかしい」
カットラスになっているアエテリスをくるくると回しながら、リリアーヌは核心を突く言葉ばかりを選ぶ。
「無魔法が使える、【五星】の妹、それだけなら政府の監視が入る程度だ。だが、お前にとってはそうじゃないんだろう? あの小娘にはそれ以上の〝何か〟がある。……そうだろう?」
聞かれたくない質問を言われ、主は分かりやすい舌打ちをした。
リリアーヌの言う通り、日向にはまだ目覚めていないものがある。それは事実だ。
国際魔導士連盟も、イギリス王室も掴んでいない、豊崎日向自身すら知らない〝秘密〟が。
だが、それを知るのは自分だけでいい。
真実を知る時は、すぐに訪れるのだから。
「――お前に話すことなど一つもない」
ギルベルトは、女王の間の扉の前で困惑していた。
理由としては城に入ったはいいが、敵との遭遇を考えて比較的に隠密に動き、敵の大将の首を狙っていた。
組織というのはトップに立つ人間を対処すれば、すぐに下から瓦解する。リリアーヌさえ倒せれば、後はこっちの物だと考えていた。
だが、『レベリス』のボスがこの場にいることは完全に予想外だった。
あの男の実力は未知数だ。『サングラン・ドルチェ』のボスであるリリアーヌの実力はイギリスにいた時期でもその悪名は届いており、彼女がイギリスに侵略をかける時に備えて『時計塔の聖翼』の幹部である『一二の天使』だけでなく、準幹部である『二四の片翼』にもいつでも出動できるよう命令が下されている。
国際魔導士連盟直属治安組織『時計塔の聖翼』。
その長である【紅天使】ティレーネ・アンジュ・クリスティアは、『落陽の血戦』での苦い経験を活かし、あらゆる魔導犯罪・抗争でも対策できるようアメリカの軍事魔導士並の特訓を課している。
『時計塔の聖翼』は聖天学園卒業者と幼少期に才能を見込まれた者、そしてイギリスにある非正規の魔導士専門学校にいる生徒の中でティレーネが選んだ選りすぐりしか入ることができない。
国際魔導士連盟に入省するよりも門は狭く、イギリスに暮らす魔導士にとってIMFの次に憧れる職場だ。
ギルベルト自身も『時計塔の聖翼』で一体どのような教育・訓練をしているかは全て知っているわけではないが、自分に魔法を教えた専属教師は『時計塔の聖翼』に所属し、退役した魔導士だ。
厄介だった概念干渉魔法を魔導具で押さえるという方法を使ったが、比較的扱い易くしてくれたのは彼らの尽力によるものだ。
(リリアーヌならまだしも、あやつが表に出るとはな……最悪だ)
『レベリス』の危険度も『サングラン・ドルチェ』よりも高く、その場合はティレーネを出動させるよう命令されている。
そんな万全な戦力がいなければ相手が同時にいるという事実は、ギルベルトにとっては信じがたいものだった。
(だが……あいつがいるならば、好都合かもしれん)
あの男だけは、ギルベルト個人にとっては決して避けて通れない相手だ。
彼が存在する限り、日向は永遠に〝運命〟から逃れられない。
左腕を竜の腕に変え、臨戦態勢に入ったギルベルトは最大限に気配を消しながら扉の間から二人の戦いを覗き込む。
「アエテリス! こいつを黒焦げにしなっ!」
主人の命令に呼応して、カットラスの刀身に紫電が纏わりつく。
剣を振るうと刀身から紫電が放たれる。紫電は主の身長を優に一〇倍超えており、あれだけの大きさにどれほどの殺傷力があるのかなんて考えたくもない。
だが、主は冷静に剣を水平に構え振るった。剣の軌道に従って一刀両断された紫電は、主の横を通り過ぎて、天井と床の一部を破壊する。
主が一気に距離を詰めると、互いの刀身が火花を散らし合う。
幾度も両者の体を傷つけ、衣服を切り裂く。血飛沫が舞い、赤く染まる肌のことなんて顧みずにひたすら相手の命を狩り取ることに執着する。
金属音と肌を裂く音が何度も響き、二人の長の息は荒れ始めた。
「はぁ……はぁ……まったく、相変わらずしぶといね」
「それはこちらのセリフだ。いい加減終わらせよう」
「そうだね」
主とリリアーヌが武器を再び構える。
あの会話で、二人は次で終わらせる気が満々なのだと理解できないほどギルベルトはバカではない。
ごくりと口の中に溜まった唾を飲む。たとえどちらが敗れようが、引き分けようが、ギルベルトにとってこれから先も悪影響を及ぼすならば、ここで排除しなくてはならない。
睨み合う二人と自分を含め、三者三葉に息を呑む。
主とリリアーヌが床を蹴り、武器を同時に突きで繰り出した瞬間。
――目の前が、真紅色に染まった。
☆★☆★☆
体中が痛い。頭も痛み過ぎて何も感じない。
暗い闇の中、悠護はマカロンとバタークッキーの残骸に体を埋もれさせながら、白くぼやける視界を見つめていた。
目を何度も開こうとしても景色は白く、自分がどうなっているのかさえ定かではない。
(……血は出てないみたいだな……)
一応手探りで自分の体を触ったが、血が流れている様子はない。
だけどロクに受け身をとってないせいで、全身がズキズキと痛む。
体が指一本すら動かすことすら拒否する。動きたくないと全神経が伝えてくる。
それでも、悠護は行かなくてはいけない。
大事な少女が目の前で奪われかけている。守ると決めた、最愛の人。
敵によって穢され、喉が潰れるほど泣き叫び、あの琥珀色の瞳から悲痛な涙を流す姿なんて見たくない。
早く。早く行かなくては。
もう
(
思い返しておかしいと思った。
日向と出会って、自分は彼女を独りにさせたことはない。なのに何故、こんな風に思えたのだろうか。
分からない。どうして。何故。
疑問だけがぐるぐると頭の中を駆け巡り、白で塗り潰されかけていた視界に色彩が戻る。
広がるのは、どこかの薔薇園だ。白い東屋でくすくすと笑い合う、三人の同年代の少年少女。その傍で一番年上らしい少年がやれやれと肩を竦め、従者らしい少年がカップに新しい紅茶を注ぐ。
顔は分からない。でも、どこか懐かしく感じられる。
景色が変わって、次は小さな教会だ。
色とりどりのガラスがはめ込まれたステンドグラスが、太陽の光を浴びて色鮮やかな光を生み出す。
そこにいるのは、少しばかり成長した少年と少女。
互いの左の薬指にはシンプルなプラチナリングを嵌めており、この二人は恋人同士なのだと察した。
教会には誰もおらず、ここはこの二人だけの秘密の誓いの場だと理解する。
顔はさっきと同じで分からないが、二人の口元が幸せで緩んでいた。二人の顔同士が近づき、唇を重ね合う。
永遠の愛を誓うその口づけは、きっと自分がしたものよりも身も心も蕩けるほど甘いのだろう。
また景色が変わる。今度は瓦礫と炎しかない場所だった。
死と血の匂いが充満するその場所で、あの少女が泣き叫んでいた。
白い服を煤と血で汚し、頬からボロボロと涙が伝っている。声がなく、何を言っているのか分からなかったが、少女の足元にあるものを見て息を呑んだ。
黒を基調とした服を着た、少女と永遠の愛を誓った少年。
左肩から右脇腹にかけてまで大きな切り傷があり、これが少年の命を奪った致命傷だと思い知らされる。
同じ愛を誓った少女は何度も何度も泣き叫び、物言わぬ少年の胸元に顔を埋めながら抱きしめる。
その姿が、この二人はもう二度と会うことはできないのだと無慈悲にも伝えていた。
「これって……」
『――俺の記憶だよ』
悠護の独り言に答えた声に、肩を震わせながら振り返る。
そこにいたのは、無残な最期を迎えた少年。さっき見たあの黒い衣装を着ていて、顔は相変わらず分からない。
だけど、その少年を見ているだけでひどく胸がざわついた。
『みんなと出会って、彼女と恋をして、そして最期は泣かせて独りにさせた。未練も後悔もある最期だった。……だから俺は、願ったんだ。もし来世があるなら、今度こそ独りにはしないって』
あの光景を、少年の最期を見た悠護は何も言えない。
見ているだけで胸が押し潰さてしまうあの記憶は、誰だって言葉を失わせる過酷さがあった。
気休めの言葉なんてかけたら、それこそこの少年に対する侮辱だ。
『あの記憶は俺のものだけど、このままだとお前は
その言葉に、悠護はギリッと歯を鳴らした。
「いいわけない……いいわけねぇよ。たとえ全身痛くても、動けなくても、俺はお前みたいに大事な女を独りにする道なんか選ばない! 未練も後悔もそんなの全部笑い飛ばして、俺が望む幸せを手にする! こんなところで足を止めてたまるか!!」
そうだ。いいわけがない。
黒宮悠護という魔導士は、もう誰も信じず、同族を嫌う孤独な少年ではない。
大事な友達と家族、頼れる仲間、そして幸せにしたい大切な女がいる。
それを全て手放して終えるなど、言語道断。
目の前の少年が叶うことができなかった幸せな未来を掴み取ってみせよう。
それが、今の黒宮悠護という魔導士の在り方だ。
『……そっか。それを聞いて安心した』
少年が自分に掛けていたマントの留め具を取り、バサッと広げた。
外したマントは、そのまま悠護の肩にかけた。
黒地のマントの裾には金色の緻密な刺繍が施されており、裏地は瞳と同じ真紅色。一度も触れたこともないのに、マントの肌触りを感じると胸の奥から懐かしさが湧き起こる。
『じゃあ――さっさと起きて大事な女救ってこい、この寝坊助!!』
瞬間、少年の叱咤と共に悠護の真紅色の瞳が輝きだした。
☆★☆★☆
真紅色の魔力が爆発する。
魔力の余波を受けて、強欲な女王のお菓子の城が半分も破壊される。
誰もが普通ではありえない尋常な魔力を感じながら、暗闇で動けなかったはずの少年は起き上がる。
少年の肩には見たこともない黒いマントを靡かせて、血のように真っ赤なルビーが埋め込まれた留め具がオレンジ色の月の光を浴びて輝く。
バキボキと肩と首の骨を鳴らしながら、少年は殺気を出す帽子屋の男を見て、黒い双剣の片割れの切っ先を向けた。
「悪いな、ちょっと寝てた。でも、もう万全だ。――こっから本気で行くぞ、【帽子屋】フェリクス・シャーロット」
そう言った悠護の顔は、清々しくも好戦的な笑みを浮かべた。
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