第136話 バタークッキーは敗北の味

 ――あの日、彼女と出会ったのは運命だったのだ。


 白薔薇の生け垣を背にして、芝生の上に座って、刺抜きされていない薔薇で花冠を作る少女。

 明らかに高そうな深緑色のドレスを着ていた彼女を、俺はやめるように言った。

 でも。


「大丈夫よ。私と薔薇は友達なの。友達が私の指を傷つけることはないよ」


 あっけらかんと笑う彼女に、自分は最初「頭がおかしいのか?」と本気で思った。

 でも、白魚のような指で花冠を編んでいるのに、指には傷一つついていない。まるで本当に薔薇が少女を傷つけるのを拒んでいるかのようだ。


「でーきたっ」


 魔法のように編まれた花冠は子供が作ったとは思えないほど美しく、心なしか生け垣の薔薇よりも生き生きしている。

 その美しさに見惚れていると、ようやく立ち上がった少女は完成したばかりの花冠を俺の頭に乗せた。

 ふわり、と甘い香りが嗅覚を刺激する。


「お、おい、お前何を――」

「――あなたの夜空色の髪は、白い薔薇の花冠に合う色なのね。とても綺麗だね!」


 薔薇の香りと共に微笑んだ少女。

 どんな花よりも美しくて、太陽よりも眩しいその笑顔に、俺は一目で恋に落ちた。


 この出会いの先に待ち受ける〝運命〟があることを知らずに――。



☆★☆★☆



  頭がガンガンと痛む。目が朦朧とする。

 このまま眠って、痛みから解放されたいという欲求に襲われるも、なんとか堪えて目の前の敵を見据えた。

 自分から大切なパートナーを奪うと宣言した男を見て、悠護は《ノクティス》を持つ手を強める。


(こいつ……強い)


 一目見ただけで分かる。

 この男は、自分なんて比べることすらおこがましいほどの修羅場をくぐり抜けた強者だと。

 たとえ今の自分が薬の副作用で前後不覚じゃなくても、彼に勝つことは難しい。


 それでも、ここで退く理由にしてはいけない。

 ここで逃げれたとしても、この男が日向に再び危害を加える可能性は高い。彼女のパートナーである自分に敵だと宣言された以上、戦わない選択肢はない。

《ノクティス》を構える悠護を見て、フェリクスは内心嘆息した。


(理由は分からんが、どうやら今はまともな状態じゃない。それなのに、俺から逃げないとはな)


 これまで自分を前にして敵前逃亡した魔導士達を覚えているため、フェリクスは目の前の少年を見据えた。

 白い顔はやや青白く、べっとりとした脂汗を流している。真紅色の瞳はやや白く濁っていて、剣を持つ手は微弱だが震えている。呼吸は一定のリズムをとっておらず、一メートル弱離れている自分の耳にも届いている。


 そして、悠護の体から感じる魔力の流れ。

 普通、魔力は魔導士本人が可視化させないと見ることも感じることものできないものだが、経験を積むと相手の魔導士の魔力の流れを察知することができる。

 悠護の魔力の流れは普通の魔導士と同じで一定の波長を保つが、すぐに弱くなったかと思うと今度は強くなっていた。


 この流れは魔力熱を発症している魔導士によくあるもので、悠護が魔力熱に罹っていることを知らせている。


(魔力熱、青白い顔、白濁しかけている目、痙攣、安定しない呼吸と魔力の波長……。これは、『ミルカイン』の副作用か)


 ミルカイン。

 ここ数年で発見された新種の成分で、魔導士の魔力熱を即効で完治させる効果がある。だがその副作用として、強烈な眩暈や幻覚を相手にもたらしてしまう。

 そのため、薬を投与した間は窓もドアも厳重な部屋で、副作用が抜けるまで入っていなければならない。


 やりすぎたと思うが、ミルカインの副作用の強さは他の薬物と比べても強力で、放っておくといつの間にかいなくなっていて、交通事故や自殺を引き起こしている。

 副作用くらいこの少年は聞いているはず。そのせいで辛い目に遭っているのに、この状態のまま自分の前に現れたことは素直に賞賛する。


「……生憎、俺は病人をいたぶる趣味はない。すぐに終わらせる」


《メルクリウス》を構えたフェリクスが床を蹴ると、一気に悠護との距離を詰める。

 悠護はいつもより遅く反応するも、《ノクティス》を双剣から盾に変えた。金属同士がぶつかる音が響き、フェリクスは舌打ちをすると後退する。

 その隙を逃さず盾から弓矢に変え、弦を引いた。黒い矢が数本も放たれるが、フェリクスは慌てず冷静に《メルクリウス》で弾き落とす。


 再び双剣に変えた悠護が突進し、剣を振り下ろす。フェリクスが《メルクリウス》で防ぎ、ぎりぎりと迫る攻撃を腕力だけで押し返した。

 押し返した拍子で防御が疎かになった一瞬の隙を狙い、《メルクリウス》の棒の先で悠護の腹部に刺突する。

 脇腹に突き刺さった痛みに苦痛を我慢する呻き声を上げるも、悠護はただがむしゃらに剣を振るった。


 剣の刃が当たる前に後退したフェリクスは、くるくると《メルクリウス》を回す。

 フーッフーッと威嚇する小動物のように荒い息を吐きながら睨みつける悠護は、もはや戦える状態じゃなかった。

 むしろ副作用の影響で自殺に至っていない精神力には敵ながら感心する。


 だが、悠護の体は限界だ。

 精神力だけで自我を保っていたが、充血している目と呼吸は彼の体の限界を伝えている。

 ふぅっと息を吐き、フェリクスは《メルクリウス》の三本の尖った先端を床に向けた。


「――すぐに楽にしてやろう」


 フェリクスの体からワインレッド色の魔力が溢れ出る。

 魔法を使うのだと本能で察した悠護が床を蹴って襲い掛かろうとするも、遅かった。


「落ちろ!!」


 叫びと共に《メルクリウス》を床に突き刺した瞬間、マカロンのタイル張りの廊下が瓦解する。クッキーみたいに割れた廊下は、フェリクスと悠護がいる箇所から続けて破壊される。

 悠護は受け身も取れないまま、崩れた廊下の先へと落ちていった。


 フェリクスが使ったのは『向上メリウス』、誰もが使える魔法だ。

 だが、魔力値が高ければ高いほど初級魔法でも中級魔法・上級魔法と同等の力を発揮することができる。

 フェリクスを含む七つ子の魔力値は、八〇万オーバー。この数値は『時計塔の聖翼せいよく』、その頂点に立つ『一二の天使』に匹敵する。


 ガラガラと崩れる廊下を見下ろすと、下は真っ暗で何も見えない。

 死んではいないだろうが、ミルカインの副作用でしばらくは動くことすらできない。

 そのはずなのに。


(……なんだ? この不安は)


 得体の知れない何かが、じわじわとフェリクスの足元から襲っている。

 あの少年には、まだ何かがあると言わせているようで。

 じわりと浮かんできた汗を流しながら、フェリクスは心身を襲う不安が消えるまで、悠護が消えた暗闇をじっと目を凝らしていた。



☆★☆★☆



 モーリス・シャーロットという男は、どちらかというと参謀や軍師の方が向いている。

 現に『サングラン・ドルチェ』が過去十数年近く起こした事件は、モーリスの精密な作戦によって遂行されている。

 リリアーヌも組織の頭脳であるモーリスを失わないように、彼にはなるべく戦闘を避けるようにしていた。


 だが、どれだけ作戦を練っても完璧というわけではなく、不確定要素による予想外の事態に見舞われることだってある。

 その点で言えば、モーリスが作った魔法は完璧な代物だ。

 風魔法と時間干渉魔法の二つを使った混合魔法。風魔法でナイフなどを浮かせ、時間干渉魔法で速度を操る。風による方向転換も旋回も可能で、この魔法で足止めや息の根を止めた者は少なくない。


 モーリスにとっては自慢の魔法。

 頭脳派である自分にとって、この世に二つとない無敵な力。

 だが――さすがにその魔法も、世界最強の一角には通じなかった。


 現に今、【五星】の蹴りが自分の腹部に直撃し、自身の体はマカロンのタイル張りの廊下に転がった


「げほっ……がふっ……!?」

「まだ息があるんか。案外タフなんやなぁ」


 風で操っていたナイフやロッククッキーは空間干渉魔法で固定され、時間干渉魔法で自分自身の速度を加速させても、今見たいに陽の足や拳が体のどこかに入る。

 動きも自分の加速なんて遅いと思えるほど速くて、これまでの敵が本当の意味で小物であったことを思い知らされた。


 ――本当の大物は、ここまで巨大な存在なのだと。


「……それで、日向をどこにやったん?」

「ぐふっ!? そ、それは……」


 胸元を足で押され、息苦しさで肺に溜まっていた息を吐き出しながら、モーリスは答えた。

 普通ならどんな些細な情報さえ喋らないのだが、ここで渋っていていたら確実に殺されるという気持ちが陽から溢れ出る殺気のせいでそう思わせたのだ。


「ママの命令で……花婿のフェリクス兄さんが、彼女を……に手に入れようとしているはずだ……!?」


 瞬間。

 陽の殺気が爆発的に膨れ上がる。あまりの刺激にモーリスの全身の毛穴から汗が溢れ出る。


「…………そうか。なら、そいつも協力したアンタらもこの手で殺さんとアカンなあ?」


 凶暴に笑った陽の顔を見た直後、モーリスの顔に渾身の一撃が突き刺さった。



「だぁああー! クッソ、どこにいんだよー!?」


 真っ白な霧の中、樹は怒声を上げながら空振りの拳を振るっていた。

 深い霧に包まれ、姿が見えない襲撃者によって全身を傷つけられている樹の体は切り裂かれた箇所が血だらけだ。

 心菜もリリウムを召喚して応戦するも、高度な魔力操作のせいで中々実態が掴めない。


「ぐあっ!」

「樹くん!」


 ザシュッと響く斬撃音と樹の悲鳴を聞いて、心菜は彼の方を振り返る。

 今度は樹の右肩にさっきより深い切り傷を負わされており、今までの傷の数を考えると輸血が必要なほどの失血量になるだろう。


(どうしよう……一体どうすれば……!?)


 魔導士に得意・不得意の魔法があるように、耐性のある魔法とない魔法もある。

 生魔法と召喚魔法を得意とする心菜は正反対の呪魔法には耐性があるが、精神魔法の耐性はあまりない。

 強化魔法が得意な樹も自然魔法を含む物理攻撃には耐性があるが、彼も精神魔法と呪魔法の耐性はない。


 仲間限定で言うなら精神魔法に耐性があるのは、無魔法を使える日向、色んな意味でチートな陽、そして魔法の影響さえも一刀両断する怜哉だ。

 現時点では自分達は精神魔法の耐性はない。相手も恐らくそれを見越しているのだろう。

 なんとか打開策を考えようと頭の回転を速める心菜の耳に、樹の声が入ってきた。


「心菜!」

「!? な、何?」

「俺の『目』で相手を探る。見つけたらその方向に攻撃してくれ!」

「わ、分かった!」


 樹の言葉に隠された意味に気づき、心菜はリリウムを臨戦態勢モードに移行させる。

 樹の目は『精霊眼』と呼ばれる、本来見えないはずの魔力を見ることができる『魔力過敏症』の上位互換と言える目を持っている。

 この目は魔力の探知だけでなく、魔導具や武器に付与された魔法やその特性を読み取ることができ、樹は去年の秋にやっていた秘密の特訓でそれを戦闘用に使えるほど成長させた。


 樹はサファイアブルー色の瞳を動かし、必死に敵の魔力を探る。

 魔の霧のせいで反応はやや鈍いが、それでも霧とは別の魔力を見つけることはできる。

 樹の左目がくいっと動かした瞬間、視界で見つかった魔力を察知し叫んだ。


「心菜! お前の方から八時の方向、距離は三メートルだ!」

「分かった! リリウム!!」


 樹の指示に従い、心菜がリリウムの名を呼ぶと修道女の魔物は指示通りの場所に向かう。

 刃が収められた錫杖を横に構えてそのまま薙ぐと、ゴッ!! と重たい物にぶつかった音が響いた。


「がっ!?」


 短い悲鳴を上げてどこかへ吹っ飛んだ襲撃者の声を聞きながら、樹はどこからかハンマーを出した。


「喰らえ、物理的ハンマー攻撃!!」

「あだっ!!?」


 樹の投げたハンマーが霧の向こうに隠れていたヴィクトルの額にあたり、まさかの物理攻撃を受けた彼の悲鳴が上がる。

 あまりの痛みに目の前がチカチカと光り、意識が朦朧とし、周囲の霧が晴れていく。

 リリウムの目の前には壁に激突した少年――【チェシャ猫】セルジュ・シャーロットが目を回しており、手には鉤爪がついたグローブをはめており、爪の先には赤い血がついている。


「……なるほどな。そいつが霧の中で襲撃してたってわけか。お前自身には攻撃に使えそうな魔法がないって見たけど、違うか?」

「ちっ……その通りだ。俺ぁ攻撃も防御もてんでダメでな、精神魔法と呪魔法しか使えねぇ。ま、それはセルジュも同じだ。そいつも強化魔法しか使えねぇから、俺と補ってなんとか使えるっつー仕組みだ」

「……高魔力値の弊害か?」

「おいおい……そこまで分かんのかよ? さっすが『精霊眼』、恐れ入ったぜ」


 樹の漏らした言葉に、ヴィクトルは冷や汗を流した。

 魔力値が高ければ高いほど強力な魔法を使える魔導士もいるが、中にはその反動で使える魔法が絞られる魔導士もいる。ヴィクトルだけでなく、フェリクス以外の兄弟はその例に漏れず、使える魔法が一つか二つしかない。

 あまりにも極端だが、強い魔力のおかげでなんとかやっていけていたのは事実だ。


 樹が何か言おうと口を開いた瞬間、頭上の天井が崩壊した。

 壁と同じバタークッキーでできている天井が割れ、その間から白に近い銀髪の男と見覚えのある担任が落ちてきた。

 落下音とクッキーの粉末が広がる中、陽がげほげほと咳き込みながら立ち上がる。


「お、なんや。ここにおったんか」

「天井破壊しながら登場とか相変わらず派手っすねー、先生」


 呑気に壊れた天井を眺める樹の足元で気絶して転がっているモーリスを見て、ヴィクトルは舌打ちした。


「おいおい、モーリスの奴生きてんのか?」

「コイツには殺すゆうたけど、無駄な殺生はしぃひん性質タチや。……アンタら、まだやる気か?」


 初っ端から全力の魔力を出す陽を見て、ヴィクトルは首を横に振った。


「さすがに無理。こればっかりは相手が悪すぎる。あの『レベリス』とやりあえるだけの実力を持ってたってことが分かっただけでも十分だ」

「賢明な判断や」


 相手と自身の実力差を見極めて手を引くのは、言葉にするのは簡単だが実際は難しいものだ。

 組織の面子云々にこだわる人間は、たとえ絶望的状況でも性懲りもなく向かってくるものだが、ヴィクトルは家族の保身を優先させる男だ。

 ここまでボコボコにやられてしまった以上、今の自分達では陽達を倒すことは不可能だ。


 敵の中にも冷静な判断力を持つ人間がいることに内心感心しながら、陽は粉々になった天井のクッキーの一部を抱えた。


「そんじゃ、ワイらはもう少し日向を探すわ。アンタら兄弟の怪我を治したり、ワイらを追いかけたり好きにしぃ」


 可愛い教え子に「行くで」と声をかけると、二人はヴィクトル達を一瞥してその後を追った。

 三人の姿が小さくのを見つめながら、ヴィクトルは近くに落ちていた天井のクッキーの一部を齧った。


 魔力補給としても役割があるクッキーは、バターと小麦粉の風味がしっかりと伝わり、食べた瞬間腹の虫が鳴る。

 ふと、自分達のママが彼らに眼中がない様子だったことを思い出し、倒れているモーリスとセルジュを見て苦笑を漏らす。


「ママ……どうやら俺ら、『レベリス』と同じくらいヤバい連中に喧嘩売っちまったらしいぜ」


 この後の報告のことを考えて少し憂鬱に感じながら、もう一度バタークッキーを齧る。

 食べ慣れているはずのバタークッキーは、この日は少し苦かった。

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