第138話 夜は終焉を告げる

 ――ああ、ここで俺の命が終わるか。


 黒灰色こくかいしょくの曇り空を眺めながら、俺は震える唇で小さく笑みを作った。

 自分の体は左肩から右脇腹まで続く深い切り傷があって、そこから命の源である血が流れている。

 このまま自分が死ぬのだと分かっていても、俺はあの時あいつを殺さなくてよかったと思えた。


 俺達四人のことを、ずっとそばで支えてくれた優しい従者。

 本当なら主人である彼女と恋人同士になりたいと思っていたくせに、その隣を俺に譲った不器用な友。

 たとえ誰にも理解されなくても、身を切る思いで彼女の幸せをただ願った。


 だけど、あいつの押し殺した恋心を、あの悪魔が利用した。 

 悪魔の言葉唆され、駒のように扱わられている連中を率いるボスとして仕立て上げられて。

 この争いを生んだ全ての元凶として扱われた。


 あまりにも不憫な彼を、俺は斬ることができなかった。

 だからこそ、俺はこうして死の一歩手前きている。

 そういえば……あいつ、ここを立ち去る前に『どうして私を殺してくれなかった』って言ってたな。後、『お前が殺してくれたら全て終わったのに』って。


 ……無茶言うなよ。俺にお前を斬れって?

 俺にとって、同じ境遇にいた仲間だと思っていたのに。

 悪いのは全部あの悪魔で、利用されているお前にはなんの罪もないのに?

 そう思っちまったから、俺はお前を斬れなかった。それくらい察しろよ鈍感バカ野郎。


 ――約束、破っちまったなぁ……。


 勢いを増す争いの中、俺はあいつに約束した。

『絶対に独りにしない』って。

 こんな形で破っちまうなんて、俺も想像できなかった。


 ああ、聴こえる。俺の名前を呼ぶ愛しい少女の声が。

 今まで名前を呼んだ声の中で、それはとても悲痛で、聞いているだけで胸が苦しくなる。


 ……ごめん。ごめんな、お前を独りにして。

 もし来世があったら、必ずお前を見つけてみせる。

 そして、もう一度神様に誓うよ。

 もう二度と離れないって。ずっとお前を守り続けるって。


 だから、その日までさようなら。


 世界で一番大事で、大切な俺の愛しい人。


 来世で再び逢えることを願ってる。



☆★☆★☆



「わっ、また揺れた」

「一々振動に反応しないでさっさと来なさいよ」


 熱して柔らかくなったキャンディみたいな赤と白の市松模様の空間――鏡の世界を歩く日向は、伝わってくる振動に首を傾げる。

 マドレーヌはそんな彼女の様子を見て、少しだけ苛立ちながら先を促す。


「というか、ここにも振動が伝わってくるの?」

「私の魔法は鏡とガラスを使った空間干渉魔法、現実と隔ててないから今みたいに振動もこっちまで伝わってくるのよ」

「へぇ、空間干渉魔法でも色々あるんだなぁ」


 説明を聞いて納得の表情を浮かべる日向を見て、マドレーヌは思わず訝しんだ。

 ママからは豊崎日向は普通の魔導士と比べて甘い人格の持ち主だと聞いていたが、これはどちらかというと危機管理能力が低いだけだろうと思う。

 現に敵である自分といて、自衛を構える様子もない呑気な姿に頭が痛くなる。


「……あなた、ちゃんと自分の立場を自覚してるの?」

「立場って……あたしが世界で唯一の無魔法を使えて、『レベリス』だけじゃなくてもしかしたらIMFにも目を付けられているイレギュラーだってこと?」

「あら、一応自覚していたのね」


 心底驚いている様子のマドレーヌの言い方に日向はむっとしながらも、ここは冷静になれと心の中で唱えた。

 自分が魔導士界においてどれだけイレギュラーで、危険視されているかくらい自覚している。


 日向が三学期に入った頃、陽はIMFが無魔法を使える自分が現れたのを機に、秘密裏に無魔法の誕生について詳しく調査していたことを話してくれた。

 学園の実技授業や事件で使った無魔法を映像記録として提供し、発動条件を調べていたが、やはりというか未だ解明されていない。


 ただ、問題なのは日向の無魔法には研究者が懸念していた『無魔法による魔核マギアの消失』のことが、一部の魔導士家系に漏れてしまったことだ。

 研究者の中には中流階級の魔導士家系がおり、少しでも家に不利益になりそうな情報を見つけると『秘密保持? なにそれおいしいの』といわんばかりにペラペラと話すのだ。

 その内容も聞きかじった程度のもので、根も葉もない噂が流れてしまうのは自然だ。


 曰く、「豊崎日向の機嫌を損ねると魔核マギアを消される」

 曰く、「魔核マギアを失うと命も失う」

 曰く、「彼女に触れただけで魔核マギアが少しずつ消えていく」


 もちろんどれも嘘ばかりで、たとえ機嫌を損ねても魔核マギアを消すことはしない。

 だけど、その噂を真に受けている生徒がいるのも確かで、噂が流れ始めた頃から他のクラスの同級生達の態度が一変した。

 落とし物を拾おうとしたら教科書で手を叩かれたり、びくびくと怯えながら話しかけられたり、遠巻きで聞こえよがしに何かを話したり。


 最初は気が滅入ってしまったが、三年生の卒業や試験のこともあっていつの間にか噂が消えていた。


「さっきも言ったけど、あたしは一刻も早くここを出る。そして、あなたの目的はあたし達を追い出すこと。利害が一致してる以上、あなたがあたしに手を出す理由はないはずだけど?」

「……そうね、理由はないわ。でも、あんたの仲間が兄さん達に負けるとか思わないの?」

「思わないよ。みんなは無事、そう信じてるから」


 マドレーヌの質問にはっきりと答える日向。

 もちろん彼らが怪我をしていないという自信はないが、負けるかと問われれば勝つと自信持って言える。

 仲間達は誰もが卓越した才能を持っていて、どんな敵でも諦めずに倒すまで倒れることはない強靭な精神を持っている。


 そんな彼らが負けるなんて、絶対にありえない。


「……あっそ。じゃあさっさとお仲間を探しなさい。全員が揃ったら、その時にまた即席鍵インスタントキーを渡すから――」


 直後、鏡の世界が激しく揺れる。

 赤と白の市松模様のキャンディみたいなオブジェについている鏡のいくつかが割れ、ガラスの破片が飛び散り、地面に落ちる。


「何があったの!?」


 泡を食ったマドレーヌが無事な鏡を覗き込んだ。

 鏡を覗き込んだ彼女の顔色が驚愕と動揺に変わったのを見て、日向も彼女の横から鏡を覗いた。

 ガラス越しから写し出されるのは、瓦解したお城の一部。バタークッキーやキャンディが粉々に砕かれ、真紅色の魔力が渦を巻いていた。

 その渦の前にいるのは、自分を襲おうとしたフェリクス・シャーロット。そして、渦を起こしている人物は――


「――悠護……?」


 日向の好きな人だった。



 銀色の剣筋が煌めく。

 何度も刃がぶつかり合い、互いの武器は度重なる攻撃で消耗していく。

 鼓膜が麻痺するほど聞き飽きた金属音を響かせながら、怜哉の剣戟を繰り出す手を止めない。


 怜哉の《白鷹》は、強化魔法の一つである『切断アムプタティオ』しか付与していない。

 この魔法だけを極めすぎてこの世全ての物・魔法さえ切断してしまう力に変えたが、《白鷹》を含む専用魔導具は消耗品だ。どれだけ手入れをしても、限度というものがある。


 去年から《白鷹》を使う回数が増え、度重なる消耗によって刀身が何度も刃毀れを起こした。

 以前なら年に二回だった交換が去年から年に八回と四倍に増え、いつも必要最低限な会話しかしない専属の魔導具技師から、消耗した刀身を見せるたびに「またかこの野郎!!」と怒鳴られるようになった。


 レオポルドの袈裟懸けを弾き、怜哉の三連続斬りを受け止める。《白鷹》が持つ手が首半分まで持ち上げると、今度は連続突き。

 すぐさま防御を取るも、レオポルドの刃が怜哉の服を切り裂き、貫いていく。


「ちっ」


 軽く舌を鳴らし、距離を取る。

 ようやく剣戟が止まり、静まり返った焼き菓子の闘技場。ビスケットの壁は傷だらけで、スコーンの椅子はボロボロ。そしてフィールドに散らばっている血痕。

 よく見るとレオポルドの服にも切り裂かれた痕があり、全身血だらけだ。

 それでも互いの目には戦意が消えていない。


「なぁ、次で最後にしね? 俺もお前も体力の限界だろうし」

「そうだね。僕もそう思ってた」


 実のところ、この二人の体力は既にギリギリだ。

 怜哉は純粋に体力の消耗だが、レオポルドは高魔力値の弊害のせいで『向上メリウス』と簡単な防御魔法しかうまく使えない。

 元来の身体能力は高いが、生粋の剣士というわけではないため無駄な動きも多い。対して怜哉は最低限の動きをしかしておらず、魔法付与をしていてもレオポルドより疲弊はしていない。


 それに傷はどれも浅いが、長時間戦い続けていたせいで輸血を必要とするほど血を流し過ぎた。

 貧血でくらくらする視界をわざと舌を軽く噛み、痛みで覚醒させる。


 互いに睨み合い、武器を構える沈黙を破ったのは、真紅色の魔力の猛威だ。

 濁流の如く襲い掛かる魔力は全身の皮膚を刺激し、すぐさま防御魔法で自分の身を守る。魔力の余波によってお菓子でできた建築物の一部が崩れ、壊れる音を聞きながら猛威が収まるまで二人はじっと動きを止めていた。

 魔力の猛威が止むと同時に周囲を見渡すと闘技場は半壊しており、防御魔法で身を守った自分達がいる場所以外はひどい有様だ。


 崩れた壁の向こうから見える景色を見て、怜哉は息を呑んだ。

 真紅色の魔力の渦を巻き起こすライバル黒宮悠護。その姿はこれまで見た彼の姿とはかけ離れていた。


「黒宮くん……?」


 彼を知っている者ならの姿の変容に、怜哉の胸がひどく騒いだ。

 まるで、何かの前触れといわんばかりに。



☆★☆★☆



 リリアーヌ・シャーロットは理解できなかった。

 自分の子供達よりも膨大な魔力の猛威が襲ってきたのもそうだが、その前の主の行動がリリアーヌの目でも捉えることができないほどの速さで自分に迫ってきた。

 あの真紅色の魔力がアエテリスのカットラスで防いでいた隙に、主は真っ直ぐと自分の方へと駆け寄る。魔力の余波を上級防御魔法で防ぎ、圏内に入った直後に蹴りを繰り出し、自分の体を玉座まで吹っ飛ばした。


そしてすぐ、彼の刀身がリリアーヌの腹部を貫いた。

全身に痛みが走り、口から少なくない血が吐き出される。急所を外したことと主の意外そうな反応を見るに、どうやら彼自身も予想外だったのだろう。


「はっ……なんだい、あんたもそんな風に驚けるのね……」

「……そうだな。これには少し私も驚いた」


 素直に答えた主は、ズブリと音を立てながら剣を引き抜く。

 引き抜いた瞬間に血が流れ、痛みに耐えながら貫かれた場所を押さえた。

 刀身についた血を落とすように振り払いながら、半壊して外が丸見えになっている場所で主は眼下を見下ろす。

 リリアーヌも視線だけ下にやると、そこには魔力の渦を生み出す一人の少年がいた。


 遠目から見たが、少年の正体が『黒宮家』の次期当主である悠護なのは間違いなかった。

 黒宮家特有の癖のある黒髪とジト目の真紅色の瞳、やや幼さが残る顔立ちだが中々に整っている。そして一番目立つのはピジョンブラッドが埋め込まれた留め具をつけた黒いマントだ。

 何かの物語の挿絵として見た記憶があるそれにリリアーヌは首を傾げるが、主だけは「……なるほどな」と呟いていた。


 その反応を見て、リリアーヌはある推測をした。

 この男は、豊崎日向と黒宮悠護に関わる、それも当の本人達も知らない〝秘密〟を握っていると。

 そしてその〝秘密〟は、恐らく彼だけでなく他にも影響してしまうモノだと。


(もしそれが当たっているなら……一体何があるのかしら……)


 もしそれを知ったら、何かの変化があるのだろうか?

 それにあれだけの魔力を宿しているなら、ぜひとも我が物にしたい。

 今回の作戦は主の登場で既に崩れているため、城の修復や家族全員の治療、さらに新たな作戦を考案することを考えると、次になるのは半年以上かかるだろう。


(――手に入れてやるわ。豊崎日向も、黒宮悠護も。わたしの手の中に)


 強欲と略奪が好きな【ハートの女王】は、全身血だらけになりながらも獰猛な獣の如く目を輝かせた。



 真紅色の魔力の渦の中に立つ悠護。さっきまでの死にかけとは違う堂々とした姿に、フェリクスは表情に出さないが内心では戸惑っていた。

 今悠護が可視化して見せている魔力の量、明らかに人が持っていてはいい量ではない。

 自分達七つ子の魔力値は八〇万オーバーしているが、母が魔力値の高い男と交り過ぎたせいで自分を除く兄弟達は使える魔法が限定されてしまっている。


 唯一その弊害から逃れることができたフェリクスだからこそ、悠護が保有している魔力の量と高さを信じることができない。

 それでも、今の彼がとんでもない力を持ってしまい、その牙が自分に向けられているのは事実だ。


(とにかく、奴よりも先に仕留め――)


 瞬間、悠護が地面を蹴ったと同時に距離が一気に数十センチまで縮まった。

 至近距離に真紅色の瞳が迫った時にひゅっと呼吸が鳴ったが、すぐさま《メルクリウス》で防ぐ。

 悠護が続けて《ノクティス》を振るうも、フェリクスが《メルクリウス》を横へ振りかぶらせると体ごと吹き飛ばされる。


「『可変の大槌マレオ』」


 悠護が呟くと、双剣だった《ノクティス》が黒い大槌へと変わる。巨大なヘッドを持ったそれが地面に向かって叩きつけられると、叩きつけられた場所から伝染するように罅が入り、槍と化した土がフェリクスに迫る。

 土槍を破壊しながら距離を縮まろうとすると、


「『可変の弓矢アルクム・エトゥ・サギッタ』」


 今度は弓矢へと姿が変わり、黒い矢が放たれる。

 再び距離を取らざるを得ない戦況に、フェリクスは舌を打ちながら後退する。

 フェリクスが弾き飛ばしたり、地面に刺さった矢はすぐに真紅色の粒子に変わる。


(こいつが得意にする金属操作の魔法なのは確かだ。だがなんだこの変化スピードは、普通は数秒ほどのラグがあるはずだ)


 物理干渉魔法――法則や物の質・量の在り方を干渉し変えてしまうこの魔法には、変化を受け入れるための時間が必要だ。そのため、この魔法を使うと必ず数秒ほどのタイムラグを生じさせる。

 だが悠護の使う魔法はそのタイムラグが存在せず、詠唱を唱えるとすぐに形を変える。


 まるで、魔力値もランクも全て無視した、他の魔導士達よりも更なる高みへ上った者のような業だ。


(こいつは一体何者なんだ――!?)


 今まで感じたことのない気配に、フェリクスは息を呑む。

 砕かれ過ぎたお菓子の粉が舞う中、悠護の口元が小さく笑みを作った。


「『可変の長剣ロング・グラディオ』」


 黒い弓矢が、一振りの長剣に変える。

 全ての闇を収束させた、夜空の如く優しい色合いをした剣。

 だけど、その剣を垂直に構えた瞬間、フェリクスの頭の中で警鐘が鳴る。


(マズい。だけは、絶対に止めなければ!!)


 本能が叫ぶ。本能が自分に『負けるぞ』を伝える。

 警鐘を聞いた瞬間に全身の毛穴から汗を流し、《メルクリウス》を構えたまま突進するフェリクスに向かって、悠護は詠唱を唱えた。


「――『終焉の夜フィニス・ノクティス』」


 剣が振るわれた瞬間、闇を纏った剣戟が放たれる。

 闇は全てを覆い隠すように疾駆し、立ちはだかるものを破壊し、やがて剣戟が放たれた場所は僅かな時間だけ闇一色に染まる。

 暴虐な突風が周囲の物を吹き飛ばし、粉塵を巻き起こす。


 やがて闇が収まると、そこにあったのはしゅうしゅうと煙が立つ抉られた大地。

 そこに立つフェリクスは、全身を血に染めながら敵意と戦意の瞳をずっと悠護に向け続けていた。

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