第139話 想いを告げるその日まで

 あの日のことは、鮮明に思い出される。


 誰もが世界の幸福を夢見て、心ない言葉に傷つけながらも前を進んだ日を。


 新たな技術を生み出すために苦悩し、手のマメが潰れるほど試行錯誤を繰り返した日を。


 そして、血で血を洗う抗争の中で愛すべき者達と永遠の別れをした日を。


 どれだけ後悔しただろうか。どれだけ懺悔したのだろうか。


 私の犯した罪は、たった百年近くで償えるものではない。


 もしも、もしも『来世』というのがあって、再び彼らに出逢えたら。


 私は今度こそ間違えない道を選ぼう。


 地獄行きなんて生ぬるい罪を犯した身として、いくらでも嫌われ者になろう。


 全ては、愛すべき少女と大切な友人達の幸福のために。


 それが、私ができる唯一の〝贖罪〟なのだ。



      (とある王宮の書庫にある一冊の本に挟まっていた一通の手紙より)



☆★☆★☆



「お兄ちゃん!?」


 鏡から写し出される光景に、マドレーヌは信じることができなかった。

 兄弟の中で誰よりも強い兄が、一人の敵に対してあそこまで追い詰められることなかった。何百、何千の敵が来ようとも全てを薙ぎ払い、叩き潰してきた。

 その兄が、あんな小僧に負けるなんてありえない!


「ちょっと! あいつってあんたの仲間でしょ!? 一体なんの魔法を使って――」


 激情で日向に問い詰めようとするも、彼女の顔を見てマドレーヌの言葉は途切れた。

 驚愕と困惑が入り混じる顔をする日向は、鏡に写し出されている悠護の姿を見て妙な既視感デジャヴを覚える。

 身に覚えのないマントに懐かしさを覚え、その姿に得体の知れない不安が生まれる。


 何より、日向の目を引いたのは悠護の目だ。

 いつも見ている真紅色の瞳は、ちかちかと軽く点滅をしている。魔力の暴走を知らせる前兆だ。


(もしかして、うまく制御しきれてないの……!?)


 鏡の世界にある鏡を破壊するほどの余波を持ったあの魔力を、さっきまで魔力熱に罹っていた悠護がちゃんと操れる保証はない。

 現に悠護の顔色が徐々に悪くなっている。

 日向はぐっと鏡の縁の上で拳を作ると、そのままマドレーヌの方を見る。


「ねえ、鍵は?」

「え? ここにあるけど……」

「ちょうだい」


 戸惑っているマドレーヌの反応を介さず、日向は彼女の手から鍵をぶん取る。

 鍵を握りしめてそのまま鏡に足を突っ込ませた日向に、さすがのマドレーヌもストップをかけた。


「ちょちょちょ、待ちなさいよ! あんた、何する気!?」

「何って、悠護を止めるんだけど」

「今あなたがいる場所分かってんの!? 地上から数百メートルと離れてる廊下よ、強化魔法なしで普通に飛び降りたら死ぬわよ!?」


 魔導士の体は普通の人間より頑健だが、高所から飛び降りたら普通に死ぬ。

 魔導犯罪課に所属する魔導士は建物から建物に飛び移る時は、強化魔法をかけて移動しているものだ。

 それを魔法なしで飛び降りようとしているのだから、正気の沙汰ではない。


「大丈夫だよ。悠護はあたしのこと受けとめてくれるから」


 当然といわんばかりに断言する日向の言葉に、マドレーヌはぐっと息を呑む。

 疑う余地なんか一ミリもない姿勢は、それだけあの少年に信頼を寄せているのだと理解できる。

 ……いや、信頼だけではない。もっと別の、いや自分と同じ想いを抱いている。


 自分と違って、この少女は己の恋を成就することができる。

 分かり切っている。自分の恋は永遠に叶わないものであることくらい。

 いつもなら我慢できるのに、この時だけは――我慢できなかった。


「…………どうしてよ」

「マドレーヌ?」

「どうしてよ! どうして私の恋は実らないのに、他の子の恋は実るのよ! ずるいわよ。私はどれだけ無事を願っても、あの人にはこの気持ちは永遠に届かない……!!」


 手をつなぎたい。抱きしめられたい。キスをしたい。

 してほしいことはたくさんあるのに、血の繋がりが邪魔をする。

 どうして自分と彼は、同じ母親の腹から産まれたのだろうか。多くの父とまぐわったせいで本当に異母兄弟なのか知らないが、それでもマドレーヌとフェリクスが兄妹である事実は変わらない。


 ――永遠に自分の想いは報われない! 成就できない! 叶わない!


 ずっと目を逸らしてきた事実が、日向の言葉で溢れ返る。

 いつの間にか床に座り込み、子供みたいに泣きじゃくるマドレーヌ。日向はそんな彼女を無言で見つめていたが、そっと優しく頭を撫でた。

 今までママに撫でられてきた手より、ずっと優しく。


「……あたしは、あなたじゃないからあなたの気持ちに共感することはできない。あなたの苦しみがどんなものなのかも理解できない」


 でも。


「――想いは、ちゃんと届くよ。あなたの心の声を言葉にすれば、きっと」


 ――だから、諦めないで。


 そういった敵の少女の顔は、とても優しくて、慈悲深くて。

 涙でぐしゃぐしゃになった自分の顔を笑いもせず微笑む日向を見て、マドレーヌは場違いな印象を抱いた。


(神、様……?)


 生まれて一度も見たことのない存在と、日向の姿が重なる。

 それも一瞬のことで、日向はマドレーヌの頭から手を離すと、そのまま鏡に向かって飛び降りた。

 外は薄紫色の夜空から薄水色の空に変わりかけている。眩しい太陽に似せた光を浴びながら、日向は叫ぶ。


「ゆぅぅうぅぅごぉぉぉぉぉ――――――っっ!!」


 自分を受け止めてくれると信じている、最愛の少年の元へ。



 時は少し遡り、悠護は自分の手に持つ《ノクティス》を見つめていた。

 いつもの夫婦剣から一振りの長剣に変わったそれは、夜空の闇を収束させたような輝きを持っている。魔導具技師が見れば、この剣はとんでもない代物だと鑑定評価を下すだろう。

 だけど、それ以上に、悠護は理解できなかった。


 今まで武器の可変はできたが、ほんの三秒とはいえタイムラグがあった。なのに、さっきの可変は詠唱と共にすぐに変わっていた。

 あんな詠唱は『魔法全集』にはなかったし、そもそも金属干渉魔法は金属を操るだけの魔法。上級どころか上級も初級も存在しない魔法。

 なのに何故、あんなに的確な詠唱が唱えられたのだろうか。


(くそ、変に魔力を上げ過ぎた……暴走しちまいそうだ……っ)


 それよりも、今は溢れ出るこの魔力を制御の方が最優先だ。

 去年の七月と違ってまだ自我は残っているが、一瞬でも気が緩むと呑み込まれてしまう。

 今までとは違う魔力の量に耐えているせいか、腕からビキビキと小さい音が鳴る。


 直後、フェリクスが距離を詰めて《メルクリウス》を振るう。長剣のままの《ノクティス》で防ぐと、彼の顔が至近距離まで縮まる。

 さっきの魔法を直撃し傷ついた全身からは血が流れ、左腕や右脇腹は赤を通り越して黒く爛れている。早急に処置が必要な傷ばかりなのに、彼はその傷をもろともせずに武器を振るう。


(お、重てぇ……先生より腕力上だろこれ!)


 細身なのに腕力や脚力が魔法付与されていないのに強い魔導士はいくらでもいる。陽はどちらかというとパワーではなくスピード重視の戦闘スタイル持ちなので、パワーに差が出るのは当然だ。

 だがさっきまでと違い、今の悠護には今の魔力を制御するだけで精一杯な状態。これ以上は暴走を起こしてしまう。


(どう切り抜ければいいんだ……っ!?)


 ふと、視界の上で何かが舞った。

 羽のような、翼のような布が風を受けながら空中に現れる。

 その布が人の形をしていて、太陽に似せた光が琥珀色に煌めいて、


「ゆぅぅうぅぅごぉぉぉぉぉ――――――っっ!!」


 そして自分の名前を呼ぶ声に、一瞬で我に返った。

 あのお転婆娘がどこからか現れて、そのまま地面に向かって飛び降りている姿を見て、顔を真っ青にしながら叫んだ。


「なっ――何やってんだお前はぁああああああああ!?」

「!?」


 叫びながらフェリクスの攻撃を流して軽く吹っ飛ばした悠護は、脚力に強化魔法をかけて跳躍する。

 途中で《ノクティス》を操って足場を作り、もう一度跳躍。すると腕の中にドレス姿のパートナーが飛び込んで、すっぽりと収まった。

 数時間ぶりに感じる花とも蜜とも違う甘い匂いとぬくもりを感じながら、『減速レタルダトゥス』をかけながら地面に降りた。


「こっっっっっっんのバカ野郎!! 何をどう考えてあんな所から飛び降りやがった!? ほんとバカ! バカ日向!!」

「ご、ごめん……」


 こめかみに青筋を作る悠護の顔を見て、反射的に顔を背ける。

 今まで彼の怒り顔は見たことはあるが、今回のはこれまでのより凄みがあった。

 もちろんあんな高い場所から飛び降りた時は怖かったし、一瞬だけど走馬灯さえ過った。それでも、こんな真似をしたのは――。


「だって、悠護なら受け止めてくれるって信じてたから」


 ――悠護が、自分を助けに来てくれると信頼していたからだ。

 日向の言葉にきょとんと目を瞬かせた悠護だが、大きくて深いため息を吐いた。


「……ったく、お前には敵わねぇな」


 呆れたように笑うパートナーの顔に、日向はえへへと小さく笑う。その顔を見て、悠護は改めて思い知らされる。

 この無鉄砲でお人よしで、自分より他人を優先させるこの少女が何よりも大切なのだと。

 そっと、少女の頬に触れる。頬が触れた手に嬉しそうに擦り寄る彼女の顔を見つめて、小さく笑みを零した。


「――いい雰囲気のところ悪いが、そろそろ脱出するぞ」


 が、悠護にとってはバッドタイミングで声をかけられて、すぐに我に返ると思わず距離を取る。

 だが、自分達に声をかけた人物の髪の色と紅いローブを見て、敵意満々の瞳で睨みつけた。


「テメェは……!!」

「悪いが、今は脱出が最優先だ。それ以上聞きたいならこのバカに聞いた方が早い」


 主が日向の方に視線を向けながら言うと、彼女は目を逸らしながら苦笑いを浮かべる。

 何故敵である彼が自分達を助けるのか分からないが、さっき吹き飛ばしたフェリクスが主の存在に気づいて警戒しているのを見るに、癪だが言う通りにした方がよさそうだ。

 悠護の心情を察したのか、主が真っ白な手で指を鳴らす。すると彼の背後に樹達が現れて、彼らは一同に驚愕と困惑の顔を見せた。


 だが、陽だけが主に気づくとすぐに悠護が向けたのとは大違いの敵意を見せるも、彼は小さくため息を吐くだけ。

 そのままローブのポケットに手を入れ、ハートを模ったトップをした鍵を取り出した。


「……面倒だ。そろそろ脱出するぞ」


 主がもう一度指を鳴らす。

 パチンッと音が響くと、悠護達が立つ地面から光が溢れ出し、そこから可愛らしい巨大なドアが現れる。デザインは所々違うが、スイートワンダーランドに入ってきた時に見たドアと同じだった。


「リリアーヌに伝えとけ。『次は本気で殺す』とな」


 自分を睨み続けるフェリクスにそう言うと、主は地面のドアが開いた直後に日向達と共に暗闇へと落ちていく。

 ドアは全員を呑み込んだのを確認すると自動的に閉じて、幻の如く消えていった。

 そこに残ったのは半壊された居城と傷だらけの兄弟達、そして目が染みるほど眩しい光だった。



☆★☆★☆



「あたっ!」

「で!」

「きゃ!」

「うげ!」

「ほいとっ」

「よっと」


 個性あふれる悲鳴と声を出しながら尻餅と着地をする。

 薄暗い路地裏の空は白く明らんでいれ、夜明けを知らせてる朝日が顔を出し始めている。そのせいもあって、主のローブはこの路地裏ではかなり目立っていた。


「も、もうちょっと優しくてもよくない……?」

「『扉』を無理矢理あそこに繋げてたんだ、着地が手荒になるくらい目を瞑れ」


 日向への苦情にしれっと答えた主だが、すぐさま自分の首筋に添えられた刃を見てため息を吐いた。

 刃の先を見ると、陽が普段見ない鋭い目つきで主を見据えていた。豹変した雰囲気に日向達が息を呑んだ。


「ここで私を殺す気か? さすがに利口な判断ではないぞ」

「黙れや。ワイがお前を殺したい理由くらい知っとるやろ」

「……そうだな。その時が来たら殺しても構わない」


 まさかの言葉に息を呑んだ。

 目の前の男が殺そうとする相手に殺す許可を与えたのだ。陽だけでなく日向達も困惑した顔になる


「……だが、今はまだ死ぬわけにはいかない。それはお前だって知っているはずだ」


 次の言葉には陽がぐっと唇を噛むと、そのままゆっくりと《銀翼》の刃を彼の首筋から離す。

 そのまま振り返り日向達を見下ろす主の姿は、ちょうど太陽の光が現れたことも相まって、まるで予言を告げる賢者のような雰囲気を醸し出している。


「――機は熟した。イギリスに来い。そこでお前達の知りたい〝真実〟が待っている」

「イギリス……?」


 イギリス。

 世界一の魔導大国であり、ギルベルトが王として君臨する国。

 そして、魔導士の始まりの地とされている聖地。

 今の現代人では常識であるその国に、敵である男は「来い」と言った。


 突然の宣言に日向達が戸惑っていると、主は指を鳴らすと彼の周りが白い霧で包まれる。

 日向の制止をかける寸前、彼の前髪がふわりと浮く。

 純白の髪の間から覗いたのは、青や紫に色が変わるタンザナイト色の瞳。


『――あなたの瞳、夕暮れ時の空みたい。とても綺麗ね』


 脳裏でどこかで聞いたある声がするも、主の紅いローブが消えるとすぐに我に返る。

 純白とあかをした麗人は、あの言葉だけを残して姿を消していた。



 半壊した『お菓子の城ドゥルキア・アルケ』の修復を自動的に魔法でやらせ、それ以外の家具の調達をホミエス達に任せている中、マドレーヌは寝室のベッドで横になっているフェリクスの手当てに勤しんでいた。

 どちらかというと軽傷者であるヴィクトルとレオポルドにママと弟達の手当てを任せ、ジャクリーヌはホミエスの一体に部屋に運ぶよう頼んである。


 ママの傷はそれなりに深手で、しばらくは療養しなければならないと医者のホミエスに言われたが、フェリクスの傷はそれよりも深い。

 全身が切り傷だらけで、左腕や右脇腹には黒く爛れた火傷痕。一部の筋肉も傷ついている。兄がここまで手負いになったのは、まだ今より弱かった頃しかない。


 清潔な布で湿らせた鶯色の薬はマドレーヌが作った薬で、火傷や腫れによく効くそれを火傷痕の上に乗せる。消毒液を湿らせたガーゼで優しく傷口を拭い、別のガーゼを当てて包帯を巻く。小さい傷痕にはパッドを貼る。

 慣れた手つきで治療をしていると、今まで黙っていたフェリクスが口を開いた。


「……初めてだな、ママの命令に失敗したのは」

「そうね。ま、『レベリス』の奴が出てきちゃったんだもの、しょうがないわ」


 主の登場はママも予想外だったらしく、兄の次に重傷なのに「命があっただけ儲けものよ」と軽い調子で笑った。

 だが『レベリス』が日向に対する執着は本物で、フェリクスを押し負けた悠護もママの興味対象に入ったらしく、療養を終えたら今度はその二人を狙うとも言っていた。

 我が母ながら感心するほどの強欲ぶりに苦笑を浮かべると、マドレーヌは改めて兄の顔を見る。


 ブーゲンビリア色の短髪と瞳、顔は精悍で鼻筋はすっとしている。今は包帯だらけの全身はほどよく筋肉がついていて、指も武骨ながらも長い。武人のような威圧的な雰囲気はあるも、ママの好みに合わせてきている衣装もよく似合っている。

 妹である自分でも惚れ惚れするほどの美男びおとこだ。


『――想いは、ちゃんと届くよ。あなたの心の声を言葉にすれば、きっと』


 脳裏に、あの少女の言葉がリフレインする。

 ただの小娘の戯言だって思っていても、あの時の言葉はマドレーヌが一番欲しかった言葉モノだった。

 長年心の中で巣くっていた黒い感情が、今は霧のように消えている今なら、きっと言えるかもしれない。不思議とそう思えた。


「……どうした?」

「ううん、なんでもない」


 凝視するじぶんに違和感を抱いたのか、首を傾げる兄にマドレーヌは小さく首を振る。

 その返事にまだ違和感があるのか、やや納得しない顔で「そうか」と言う兄に、妹は小さく微笑みながら言ったこくはくする


「――フェリクスお兄ちゃん、大好きよ」

「……? ああ、俺も大好きだぞ。可愛い妹よ」


 突然の告白に軽く驚きながらも、フェリクスは答える。

 それが『妹からの返事』であることくらい、分かっている。

 でも、今は妹のままでいい。その時が来るまで、この想いはまだしまっておく。


 いつか、この想いを本当の意味で届けるその日まで――。

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