第140話 ダンスパーティーの夜の本音

『サングラン・ドルチェ』による誘拐事件以来、日々は不気味なくらい平穏だった。

 事件の後、主からあの巾着をプレゼントされたと話すと陽が「なんでそんな大事なこと言わへんのや!?」と頬を引っ張りながら叱った。

 巾着の中身は転移魔法の魔方陣が描かれた紙で、『この紙が入った袋に触れた時に発動する』という条件も書かれていた。


 完全に日向が誰かに襲われるのを予想したと知った時は、今度狭間で会った時に文句を言ってやろうと思ったが、日向の予想は裏切って主が狭間に顔を出すことはなかった。

 恐らくあの時に言った宣言は、狭間に現れることも指していたのだろう。理解したのと同時に逃げたと思ったのは当然の感情だった。


 それからは事件もなく、予定していたダンスパーティーの日を迎えた。

 滅多に立ち寄らない迎賓館は、外国の要人を迎えるためにバロック建築で創られており、日本にいるのに外国の雰囲気を感じられる。特に大広間は学校関係者を入れても十分な広さがあって、豪奢なシャンデリアが吊るされた天井には青空とその空を飛ぶ鳥や天使の絵画が描かれている。


 壁面には植物を模した金色のレリーフが施され、中二階にはオーケストラボックスも設置されていて、今日だけのために呼んだオーケストラが優美な演奏を奏でている。

 生徒だけでなく教師も学園が都内有数のレンタル専門店から貸し出した衣装を身に包む中、日向は主から渡されたあの長袖のロングドレスを着て参加していた。

 ダンスパーティーには貸し出しされたものではなく自前のものを着ている生徒や教師もいるため、日向の今の恰好もそれほど違和感はなかった。念のためおしゃれとして同じ色をしたリボンを後頭部に結んでいる。


(別になんとなくもったいなかったし、デザインが単純にあたし好みってだけで、決してそういう意味で着たわけじゃない)


 以前、興味本位で読んだ少女漫画で男性が女性に服を贈る意味は『脱がせたい』というのを知っているが、別にそんな意味で着たわけではないと内心で否定しながら会場を見渡す。

 ビュッフェコーナーには色とりどりのサラダ、香ばしい匂いを漂わせている肉料理、宝石みたいに輝くフルーツが盛られており、ドリンクコーナーにはソフトドリンクだけでなく教師用のビール、シャンパン、ワインも混じっている。


 もちろんお酒の入ったグラスを乗せた銀盤にはちゃんと『教師陣へ お一人様につき三杯まで』と注意書きのプレートが前に置かれていて、ボーイがきちんとアルコールコーナーに来た教師陣の名前を確認し、飲んだ回数を記録している。

 いくら学内とはいえ、教師は生徒の見本だ。酔っぱらって醜態を見せるわけにはいかないだろう。


「それにしても、みんな盛り上がってるなぁ」


 心菜は樹と談笑していて、陽やギルベルトはダンスを申し込んでいる女子生徒に囲まれている。怜哉の姿が見当たらない辺り、すっぽかしたのだろう。

 ダンスまでの時間はまだあるため、各々が好きなように過ごしている中、肝心のパートナーの姿が見当たらない。

 迎賓館のドレッシングルームで家から送ってもらった礼服を着たのを確認したし、ちゃんと開会式にも参加していた。


(そういえば、あたしのこの恰好を見て変な顔をしてたような……)


 このドレス姿で現れた時、悠護の顔は苦虫を噛み潰したよう顔をしていたし、似合うか問いた時も微妙な反応だった。

 もしかしたら、ドレスの贈り主が主からだと気づいているのだろうか?

 ふと悠護が知らない女性から贈られた服を着たのを想像した瞬間、モヤモヤした感情が胸の中で生まれた。


(わ、我ながらバカ過ぎる……ちょっと考えれば他人から贈られた服着るのは誰だって嫌だよ)


 自身の鈍感ぶりに嫌気をさしながら、今までぼーっと突っ立っていた壁から離れて悠護を探すために歩き出す。

 色鮮やかなドレスと礼服の集団の中から目を凝らすも、悠護の姿が見当たらない。

 どこに行ったのだろうと辺りを見渡すと、涼しい風が会場の中に入ってきた。


(そういえば、建物の反対側には庭園とバルコニーがあったっけ?)


 迎賓館の裏側には白薔薇の群生の花壇がある庭園とバルコニーがあるのを思い出していると、視界の端で金色の房飾りがついた赤いビロード生地のカーテンが小さくはためくのを見つけた。

 バルコニーに出るために窓の一部がドアになっており、そこのドアの一つが開いているようだ。


 その開いているドアに近づき、そっと外を覗く。

 外には咲き誇る白薔薇が香しい匂いを放ち、それがそよ風と共に漂わせている。空には三日月が淡く光り輝いている。

 幻想的な風景を横目に、ドアからそう離れていない場所に置かれたベンチ。

 その上に座る人物が探していた相手だと認識すると、日向はゆっくり深呼吸してから声をかけた。



☆★☆★☆



「はぁ……」


 会場内から適当に料理を持った皿と飲み物が入ったグラスを持ってバルコニーに出た悠護は、重々しそうにため息を吐いた。

 中から優雅な演奏と笑い声が聞こえ、楽しげな雰囲気がこっちにも伝わってくる。

 本当なら自分の中で楽しむはずだったが、逃げるようにここに来てしまった。


「ほんと、情けねぇよな俺」


 ここにいる理由は、ドレッシングルームで日向があの事件の時に着ていたドレスを身に付けていたからだ。

 あの後、ドレスについて聞いたら『レベリス』の主がくれたものだと話してくれた。ただ、そうなった理由がフェリクスに服を破られたからと聞かされた時は、次会った時はあの帽子屋野郎を全力で殴ろうと心に決めた。


 そのドレスをパーティーでも着た日向を見た時、嫉妬と嫌悪感が同時に胸の中を襲い掛かって、似合うか問いてきた時はなんて答えたのか覚えていない。

 会うのも気まずくて適当に食べ物と飲み物を持ってここに避難したが、今考えるとすっごく女々しい逃げ方だ。


「どんな顔して謝ればいいんだよ……」


 よくよく考えると、シンプルだけど可愛い服を好む日向にとって、あのドレスは単純に好みドストライクなのだろう。悔しくて認めたくないが、悠護自身も似合っていると思っている。

 それなのに、返事をロクに返さないまま逃げたのだ。ヘタレすぎてもう笑えてくる。


「悠護」


 自己嫌悪に陥っていると、聞き慣れた声が耳に入る。

 声をした方に顔を向けると、例の長袖のロングドレス姿の日向が立っていて、改めてドレスを見た。

 ウイスタリア色と紺色の二色を使ったドレスは古めかしいデザインをしていて、それでもフリルやレース、模造石で飾られた華美な装飾がないから清楚なイメージを持てる。

 やはり何度見ても日向の好みに合うドレスだ。


(それに……このドレス、どこかで見たような気がするんだよな……)


 昔は「ダサい」と批判されていた長袖のロングドレスが流行り出したのは、一八年前に起きた異常気象で四季問わず各国は異常な寒さに襲われた影響だ。

 社交界では腕や足を出したドレスが着られなかった女性達は、昔の腕も足も隠したドレスを着るようになった。最初は評判がよろしくなかったが、防寒性に優れている上に今までのドレスとは違った美しさに紳士達は魅了され、異常気象が過ぎた今でもロングドレスの人気ぶりは上位のまま維持している。


 その経緯から長袖のロングドレスを着た女性は何度も見たことがあるが、彼女が着ているタイプのものはあまりお目にかかったことはないはずだ。

 なのに、どうして見覚えがあるのだろうか? 内心首を傾げながら返事をした。


「おう、どうした」

「いや、姿が見えなくて探してて……その、隣座っていい?」

「ああ、いいぞ」


 三人は座れる余裕のあるベンチの上に置いてあった皿とグラスを持って詰めると、日向はそのまま隣に座る。

 アクセサリーはドレスと同じリボンだけだが、逆にドレスの清楚さとよくマッチしている。これは自分が贔屓目で見ているせいなのか分からないが、それでも今の日向はいつも以上に可愛く見えた。


「えっと……その、違うからね!」

「は?」

「だから! あたしがこのドレス着たのは、別にあいつにを持ってるとかじゃなくて、単純にもったいないのとデザインが好みってだけだから! ほんっっっっっとにそれだけだからっ!!」

「お、おう……分かってる」


 眼前まで顔を近づけながら言う日向の勢いに押されて、思わず身体をのけぞらせる。

 だけど、必死になって誤解を解こうとする日向の姿はいつもより子供っぽく見えてしまって、思わず笑い声を上げた。


「ちょっと、なんで笑ってるの?」

「いや……あまりにも必死だからよ……くくっ」


 喉を鳴らしながら笑う悠護を見て少し恥ずかしくなりながらも、誤解が解けた様子を見て安堵の息を漏らした。

 するとケホケホと悠護が軽く咳き込んだ。


「やっべ、ちょっと笑い過ぎた」


 そう言いながら悠護はベンチの上に置いていたグラスを手にするが、ふとそのグラスから漂う匂いに違和感を覚えた。

 色合い的に考えて中身はレモンスカッシュだろうが、ソフトドリンク特有の甘い匂いがあまりしない。

 どこかつんとした、苦みのある刺激臭。その正体に気づいた瞬間、日向の顔色がさっと変わった。


「待って悠護! それお酒っ!!」


 慌てて制止をかけるも、時すでに遅し。

 悠護はレモンスカッシュ――と思っていたシャンパンを飲み干していた。



 日向の制止よりも前に悠護がグラスの中身をぐっと一気に飲み干した。

 空になったグラスを無言のまま元の場所に戻した悠護は、しばらく俯いたまま沈黙する。


「ゆ、悠護……?」


 恐る恐るパートナーの顔を見ると、悠護の頭がそのまま日向の肩へと傾いた。

 ぽむっと軽い感触と共に感じる重さと、至近距離に感じるシャンプーの匂いに胸がドキリと鳴る。


「悠護……?」

「なぁ……日向」


 もう一度名前を呼ぶと、悠護は顔を上げる。

 とろんとした真紅色の瞳は波のように揺れていて、頬はほんのり薔薇色に染まっている。月明かりが彼の黒髪の色合いを柔らかくして、いつもとは違う雰囲気に胸の高鳴りが鳴り止まない。


「もし……もしさ、俺がお前にドレスを贈ったら……着てくれるか……?」

「ドレス……?」


 何故ドレスなのだろうかと首を傾げたが、すぐに気づく。

 口では分かっていると言っていたが、やはり自分が主から贈られたドレスを着たことを気にしていたのだ。

 本心ではそのことを言うつもりはなかったのに、お酒の力で本音が吐露していると理解した瞬間、悠護の指が日向の髪を一房だけ取った。


「なあ、日向……どうなんだよ。やっぱり……俺からの贈り物は嫌か……?」

「い、嫌じゃないよ……そもそも、あたしが一度でも悠護がくれた物を突き返したことある?」


 白椿のガラス細工がついたヘアゴム、誕生日花の写真立て。

 今も大事にしてある。特に日向が悠護の恋心を自覚してからは、贈ってくれた物を見て彼のことを思い出すほどだ。

 日向の言葉に悠護はふにゃりと嬉しそうに微笑む。


「……そうだな、うん。そうだった」


 とろんとしていた目が徐々に瞼を下ろそうとするも、悠護は手に取った髪に優しく口づける。

 髪には神経なんてないはずなのに、薄く熱い唇が触れられた瞬間、日向の全身に電流が走った。

 今まで味わったことがない甘美な痺れに、顔が火をつけたかのように赤く、熱くなる。


「――じゃあ、俺からのドレスを着た時は……覚悟しとけよ?」

(なんの!?)


 彼の言う覚悟が一体なんの覚悟なのか問おうとするも、悠護の目は白い繭のような瞼によって閉じられる。

 そのまま小さい寝息が聞こえてきて、硬直していた体が一気に脱力する。


「はぁあああああ~~~、心臓に悪い……」


 悠護らしからぬ甘い言葉と顔に、全身がかっかっと熱くなる。今もそよそよと吹く涼しい風が火照った体を覚ましてくれているが、中々追いつけない。

 すやすやと平然と眠る悠護に軽くイラッとするも、寝ている人には罪はないのでそのままにした。


(でも……覚悟って、なんの……)


 再び悠護の言った覚悟を考えると、ふとあることを思い出した。

 男性が女性に服を贈る意味は、『脱がせたい』。

 つまり、悠護から贈ったドレスを日向が着てしまったら、それは『同意』と同じで――。


「~~~~~~~~~~~~~~~っっっ!!?」


 そこまで考えた直後、日向の口から声にならない声が溢れ出た。

 恋人に男女がキスやハグ以上のことを求めるのは自然なことだが、恋愛歴なしの日向にとってはあまりにも刺激が強すぎる事実。

 悠護自身も酔ってあんなトチ狂ったことを言ったかもしれないが、もし彼にその気があるのならば話は違ってくる。


(いやいやいやまだそうだって決まったわけじゃないし!? 変な方向に先走るなあたし!!)


 真っ赤になっている頬を左手で仰ぎながら、必死にはしたない思考を否定する。

 その時に体を動かしたのか、未だに寝息を立てる悠護が「んん……」と呻き声を上げる。まさか起こしたのかと日向が内心冷や冷やするも、


「ひなた……」


 小さく、自分の名前を呼んだ。

 夢の中で彼は自分と会っているのだろうか? 本物はここにいるのに悔しい反面嬉しくもある。だって、夢の中でも自分がいるということは、悠護自身が豊崎日向という少女がどれだけ特別なのかを教えてくれる。

 その事実に嬉しくなりながら、日向はズボンの上に乗っている悠護の左手をそっと自分の右手を重ねた。


「ここにいるよ。あたしは、あなたが望む限りそばを離れないから」


 たとえこの恋が実らなくても、今のこの場所は誰にも譲るつもりはない。

 日向の声が届いたのか、悠護の口元は小さく笑みを作っていた。



☆★☆★☆



「まったく、相変わらずだな」


 音楽がダンス用の曲調になった頃、ダンスを申し込んできた女子から解放されたギルベルトは、中にいなかった日向と悠護の様子をドアの向こうで眺めていた。

 体を寄せ合う二人は誰の目から見てもお似合いで、一ミリの隙間もない。

 本来なら嫉妬する立場にいるはずのギルベルトの顔は、懐かしそうに微笑ましそうな、まるで二人の恋路を見守る友人そのものの顔をしている。


「……やっぱり、お前達には叶わないな。


 脳裏に浮かぶのは、あの二人と同じ髪色をした男女。

 あの時も自分の立場と責務を果たすため、少女に抱いていた恋心を捨てた。

 そして今、ギルベルトは再びその恋心を捨てようとしている。


「いや……それはまだ分からんか。悠護がまた迷っていたら今度こそ横から掻っ攫うだけだ」


 一度は彼女に求婚を申し込んだ身だ。そう易々と諦めるわけにはいかない。

 同じ女に恋をする者として、引くつもりもない。


 ――それに、この恋の勝負は意外と早く決着がつきそうだ。


 フォーマルスーツのポケットからスマホを取り出す。

 画面のロックを解除してからメールのアイコンを押すと、昼頃に自分を育ててくれた侍女であるクリスティーナから送られたメールを開く。


『本日、国王陛下から言付けを頼まれ送りしました。

 聖天学園一学期終了後、以下の者を連れてイギリス本国に帰国してください、とのことです。

 同行者名:豊崎日向、黒宮悠護、神藤心菜、真村樹、豊崎陽、白石怜哉    』


 見慣れたメンバーの名前を書かれたそれを見て、ギルベルトはスマホをスリープモードにする。

 スマホを再びポケットにしまいながら、呟いた。


「……遂に来たのか、〝真実〟の時が」


 そう呟いたギルベルトの顔は、これから先に起こる未来への恐怖と困惑が入り混じった複雑そうなものだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る