第169話 英雄達の〝原典〟15
黒と黒の刃が交わしあうたびに、金属音が響く。
火花が飛び散り、相手の頬や腕に掠めた切っ先から血が付着する。
二人が対峙し刃を交えてから、もうどれほどの時間が経ったのだろうか。二人の周囲には深い爪痕を残す建物だったものがそこらじゅうに転がっていた。
クロウの双剣――《ノクティス》が瓦礫を叩き切り。
ジークの黒い剣――《デスペラト》が壁を深く斬る。
両者とも一歩も引かず、されど熾烈だけが極める戦いが続く。
(やっぱり強いな、ジーク。伊達に場数を踏んでないってか)
ジークとクロウの間にある差は、経験だ。
二人は名前は違えど騎士として鍛錬を積んだ熟練者に剣術を教わった。クロウは宮殿の騎士団団長、ジークはエレクトゥルム男爵家お抱えの老騎士。どちらも等しく強く、厳しい御仁だ。
この抗争が起きるまで……いや、ジークが国王によって捕まるまでは、両者の間に実力差というものはなかった。
ジークは『レベリス』として活動して以降、国王が秘密裏に進めていた数々の人体実験の現場を潰している。もちろん中には護衛として宮殿お抱えになってもおかしくないほど凄腕な魔導士も、国が横流しした魔導具を使う者もいた。
一人一人によって戦い方は違う。回避を得意とする者も入れが、暗器による殺しも得意な者もいる。ジークは持ち前の頭脳を回転させ、相手の動き・呼吸・間合いを把握し、数秒ほど行動を先読みして撃破した。
対してクロウは、宮殿の騎士団の訓練は隊との連携を最優先するが、個々の力を身に付けるために個人訓練も用意されている。
だが、騎士団に配属されている騎士は個々によって強さの度合いが違ううえに、熟練者とはいえ年老いた騎士が相手する人数も時間も限られる。
クロウも自分の立場を利用した横取りはしたくないので、真面目に順番街したけれど熟練者と稽古できたのはたったの二回だけ。今回の抗争でも何度か危ない目に遭いかけた。
要するに、今起きている抗争のような修羅場を潜り抜けた数でいえばクロウが劣っている。
現にジークの目は常に冷静で、相手の行動を一つも漏らさず観察している。
(ああ……本当にお前のそういうところが羨ましい)
クロウにとってジークは、似た境遇を持った仲間だった。
クロウは貧民街出身で、ジークはどこかから売られた奴隷。立場は違えど、二人がひもじい思いをしたことは一緒。そういう縁もあり、二人が気の置けない友人になるのは当然だった。
でも、魔法を通じて過ごしていく内にジークの出来の良さを痛感させられた。
魔法の発見者であるはずのアリナより魔法が上手く、魔導具の作成で頭を抱えた自分の悩みをあっさりと助言をくれて、さらには自分より剣の腕が上。
クロウはジークに羨望を抱いていた。自分はただ偶然によって恵まれただけで、天賦の才を持つジークが誰よりも天才だと認めていた。
唯一勝てたことなんて、アリナを手に入れたことくらいだ。
(だからこそ、俺はお前に勝って話したい。こんなバカげた戦いを終わらせるために!!)
改めて覚悟を決めたクロウは、《ノクティス》を双剣から一振りの長剣に変える。
今まで片方ずつ使っていた腕力の全てを乗せるように、ジークの《デスペラト》にさっきとは全然違う重い一撃を与えた。
(ああ、お前はいつも真っ直ぐだな。クロウ)
二刀流から一刀流に変わった途端、振るわれる剣撃が一段と重くなる。
幼少期から刃を作るために手にマメができるほど槌を振るったその腕は、一振りの剣と包丁、斧しか使ったことのない腕には重い。
宮殿の騎士団の剣術は人に模したカカシと仲間の騎士と順番に鍛錬するが、クロウは二刀流を使うために剣を一本しか使わない他の騎士と違って倍の鍛錬をしている。
毎日毎日飽きもせず素振りばかりをして、二刀流をこなすために鍛錬と武器作りに明け暮れる彼を、周囲は『愚直』だと嘲笑った。
あまりにも真っ直ぐに、愚かなほど同じことを繰り返す。
だけど、ジークはそんなクロウが羨ましかった。
彼のような人は誰よりも誠実で、アリナを一生大事にしてくれると思った。
彼女との関係は自分と出会う前から築かれていて、無意識とはいえ互いに惹かれあっていた。胸に秘めた想いが一生報われないと痛感させられたけど、同時に納得した。
二人の想いはどんなものよりも固く、強い。それこそ『運命』だと言ってもおかしくないくらいに。
互いに持っていない者を羨みながらも、認め合っている。
生き方は違えど、かけがえのない友だと思っている。
大切だからこそ、永遠の絆を結んだからこそ、身勝手な叛逆と復讐の道を歩む自分を止めないで欲しい。
(きっとお前なら分かっているはずだ。私が止まる気がないことくらい)
もう数年も同じ時間を歩んだのだ。
ジークの思考回路なんて、嘘が下手なアリナと同じくらい手に取るように分かっている。
でも、未だに戦い続けるのはきっと、分かっていても止めないというクロウの意志の表れなのだろう。
ならば、ジークがやるのはただ一つ。
(お前を倒して、道を進む。悪いがここは譲らないぞ!!)
ガキンッ!! と一際高く金属音が響く。
ぶつかりあった衝撃で互いの体が後退し、ほどよい間合いが生まれた。荒い呼吸を繰り返すも、二人の目はまだ強い光を宿っている。
遠くから爆発音と悲鳴が聴こえるも、二人の周りは凪のように静かだ。
クロウが剣を垂直に構え、ジークが東洋の剣術にある『居合』のように腰の位置で剣を構える。
次の攻撃が二人の本気の技を繰り出すのだと、二人の勘が告げた。
互いの剣身に真紅と純白の魔力が纏っていく。肌身を刺激する膨大な魔力が、徐々に肥大化していく。
二人の耳に、どこからか石が落ちる音がした。
それが合図となる。
「『
「『
二人の魔法がぶつかり合う。
途轍もない衝撃と音を轟かせ、膨大な魔力のぶつかり合いは周囲の物を小石ひとつも逃さず吹き飛ばす。
激突する二色の魔力は大地を抉り、周囲の音を消した。
光の如疾走し、地上から天に駆けて真紅と純白の光の柱を生みだす。
光の柱が徐々に細くなると、やがて周囲は静寂に包まれた。
☆★☆★☆
二色の魔力のぶつかり合いが生んだ爪痕は、想像以上に深い。
攻撃が放たれて抉られた地面の上部が真っ赤な熱を宿し、周囲に焦げた嫌な臭いが漂う。瓦礫は粉といっても過言ではないほど砕かれ、本当に跡形もなく破壊の限りを尽くした。
そんな中でも、クロウとジークは立っていた。
構えることなくただ剣を持ち、静かに睨み合う。
だけど、睨んでいるのはジークだけでクロウは優しく微笑んでいる。
対照的な表情を浮かべる両者を見て、先に口を開いたのはジークだった。
「なんでだ……クロウ、お前……私を殺す気があるのか?」
「んなわけないだろ。元々俺はお前を殺すつもりなんかねぇよ」
「っ!!」
小馬鹿にするように吐き捨てたクロウに、ジークは《デスペラト》を鞘に収めると荒々しく目の前の馬鹿者に近づき、胸倉を掴んだ。
クロウは胸倉を掴まれても平然な表情をしているが、一目で分かるほど重傷だ。マントも騎士服も小さな穴がいくつもできていて、焼けて露わになった腕や頬にできた赤い火傷が痛々しい。髪先も焦げたその様は、あの攻撃を最小限しか防いでいない証だ。
「いつまで甘いことをしているんだ!? いいか、ここは戦場だ! 生きるか死ぬかの二択しかない殺し合い、ここにいる以上誰かを殺さねば生きられぬ場所だ! それなんだ、殺すつもりがない? お人よしも大概にしろ!!」
「…………」
ジークの怒声をクロウは静かに聞いていた。
眉をぴくりとも動かさず、無表情に、目の前の自分の言葉を聞いている。
でも……。
「――なあ、ジーク。俺は……いや、俺達はこんなのこれっぽちも望んでねぇよ」
くしゃりと顔を歪ませ、泣きそうな顔になったクロウを見て、ジークは己の失言と間違った考えを抱いたことに気づいた。
そうだ。このふざけた戦場を作ったのは、ジーク本人だ。
クロウも、ローゼンも、ベネディクも、そしてアリナも。誰一人望んでいない。
同じ国で生まれた者同士で殺し合う場を生み出したのは、他でもない自分だ。
「殺すのも、殺されるのも、全部望んでない。俺達はただ……あの日を取り戻したかっただけだ。俺達八人で熱心に論議して、疲れたら果汁水を飲んで、何も浮かばなかった時は悪ふざけをして笑い合う……。あの輝かしい日々を取り返したい。ただ、それだけだったのに……、なんで……なんでこうなるんだよぉ……」
徐々に涙交じりの声になり、胸倉を掴んでいた手から力が抜ける。
「俺は……もう誰も殺したくない。お前を取り戻して、あの楽しかった日常に戻りたい……もう……誰かが死ぬのも、殺されるのも見たくないんだよ……」
クロウはただ、戻りたかったのだ。あの愛すべき『日常』に。
こんな『非日常』を一刻も早く脱け出して、望む『日常』に帰りたいだけ。
その『日常』の中に、ジークがいなければ永遠に完全じゃなくなる。
だから殺さない。
全ては己の望む『日常』のために。
ジーク以上に身勝手な願いだ。
「…………クロウ、すまない」
「謝んなよ、それはアリナに言え。でも……その前に、俺はお前に訊きたいことがある」
「訊きたいこと?」
「ああ……お前――、っ!?」
クロウが何かを言おうとした瞬間、突然ジークの胸倉を掴んだかと思いきや、そのまま地面に向かって投げ倒した。
地面に倒れたジークが声をかけようとするも、すぐに響いた音によって遮られた。
ザシュッ!! と、肉が引き裂かれる音。
もう聞き飽きたその音が響いた直後、クロウ左肩から右脇腹にかけて赤い筋が生まれ、血飛沫を上げた。
口からも血を吐き、倒れたクロウを愕然と見つめていると、クロウが倒れている場所から板金鎧を纏った兵士。兜の代わりに裾に魔法陣が縫われた鉢巻をした兵士の手には血に塗れた剣を持ち、全身から汗を流しながらガタガタと震えている。
「そ、そんな……ぼ、僕は首謀者を殺すつもりで……! クロウ様をきき、斬るつもりは……な、なんで、どうし――ぐぺぇっ!?」
兵士が何かを言っている間にジークがその首を再び抜いた《デスペラト》で斬り落とした。
重たい物が転がり倒れる音を聴きながら、愛剣を投げ捨てたジークはクロウの元へ駆け寄る。
「クロウ! しっかりしろ、目を覚ませ!!」
「げほっ……はぁっ……」
上半身を抱えて起き上がらせるも、クロウの息は既に弱くなっている。
切り裂かれた傷からはとめどなく赤い血が流れ、今も彼から体温と命の時間を奪っていく。
本当ならばすぐにでも生魔法をかけて傷を治すのだが、ジークは召喚魔法と生魔法との相性が最悪なほどに悪い。
一番簡単な初歩すら使えないことを今更ながら痛感しながらも、血の気を失い始めるクロウに声をかけ続ける。
「おい、本当にふざけるな! お前は死んではならない男だ。もし、お前が死んだら……アリナを独りにするんだぞ!?」
「……は、はは……それは、ダメだ……。でも……」
覚束ない手つきで、己の傷に触れた。
真っ白な手の平にべっとりとついた真っ赤な血を、クロウは朦朧とした目で見つめなら弱々しく微笑む。
「俺は……もう、ダメだ…………」
「な、にを……何をバカなことを言ってるんだ!! 絶対に、絶対に助けて見せる! 頼む、死ぬな! 死なないでくれ! お前が死んだら私は……私はもう、歩むことを止められない……ッ!!」
ジークの悲痛な叫びに、クロウは何故か嬉しそうな顔で微笑む。
まるで、やっと本心が聞けたのだと言わんばかりの顔で。
実際、クロウは嬉しかった。
今まで黙っていた友人が、こんな形でだが本心を話してくれたことに。元の目的が彼の本心を聞くことであったクロウにとって、この言葉は彼が望んだものだった。
徐々に全身が冷たくなるのを感じながら、クロウは言った。
「ジーク……」
「待て、喋るな。頼むから――」
「俺はもう、助からない。先に逝って……ごめんな」
血で濡れた手で、そっと目の前の友人の頬に触れる。
でも触れたのはほんの一瞬で。ゆっくり、と頬に触れていた手が地面に落ちた。
言葉を失うジークの腕の中にいるクロウの真紅の瞳は、永遠に光を灯さない。淀んでしまったそれを見て、ジークの喉から尋常じゃない叫びが溢れ出た。
「――うわああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!」
数えきれないほど死んで行く者を見送ったのに、ここまで泣き叫んだのは初めてだった。
クロウは……腕の中で永遠の眠りについた男は、それほどまでに大切だった。
今まで送ってきた
もっと早く、話していればこんなことにならなかったのだろうか。
もっと早く、透明化の魔法を付与された魔導具を使って近づいてきた刺客に気づいていれば。
今とは違う未来が築けたかもしれない。
でも、そんなのは所詮結果論だ。
自分を庇ってクロウは死んだ。たとえ魔法でも、死者を蘇らせることはできない。
分かっていても、後悔だけがジークの胸の中を支配していた。
「どうして私を殺してくれなかった。お前が殺してくれたら全て終わったのに」
そう囁いても、彼には永遠に届かないと知りながらも。
気が付くと、どんよりとした曇り空から透明な雫が落ちてきた。
雨が降ったのだと認識しながら、ジークはクロウをゆっくりと地面に寝かせ、手を目元に添えると瞼を動かして淀んだ瞳を閉じさせた。
「クロウ……私は、お前のことを忘れない。幾星霜の月日が流れ、新しいお前に会ったその時は……私は、お前達を二度と裏切らないと誓おう」
誓いの言葉を残し、ジークは《デスペラト》を拾い鞘に収めると、魔法で姿を消した。
なるべく足音を立てず、立ち去ろうとした時だった。
「――クロウ! クロウ!! どこなの、返事をして!?」
「っ……!」
かつての主人の声が耳に入り、思わず足と止める。
振り返ると白い騎士を泥と血で汚したアリナが、物言わぬクロウを見つけた。見つけた時に見せた安堵の表情は絶望に変わり、クロウのところまでなんとか歩くがそのまま膝から崩れ落ちた。
「嘘……嘘よ、そんな……! クロウ、クロウ、クロウぉ! いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっ!!!」
「っっ!!」
自分とは比較できない慟哭が響き渡る。
胸を締め付けられ、周囲にさえ悲しみを伝染させてしまうそれは、これまで聞いたものの中で一番に入るほどだ。
己の愚かな行動によって、彼女の幸せが永遠に失われた。
その事実だけがジークの心を深く深く傷つける。
「すまない……すまない、アリナ……っ!」
謝ってもクロウの命は戻ってこない。彼の魂はすでに天に召されてしまった。
そう分かっていても、謝らずにいられなかった。
他の者達が駆けつける足音と声を聴きながら、ジークは去っていく。
一刻も早く、この復讐と無念を晴らすためだけに。
☆★☆★☆
「――はあっ……!?」
意識が戻る。全身から汗が流れ、呼吸が整わない。
何度も咳き込みながら、悠護は目を瞬かせた。今まで幽霊のような存在で見続けた、己の前世を。
「今のが……俺の前世の記憶……なのか?」
『そうだ。あれが、俺の最期だ』
跪く悠護の前で、クロウの姿をした『未練』が答えた。
「俺が学んだ内容と一八〇度違ってたんだけどよ……、もしかしてあのカロンって奴がそうさせたのか?」
『いや、あれは当時生き残った兵士が抗争の……『落陽の血戦』のことを遺書代わりとして手記に綴ったんだ。でも、時代が流れていく内に変わっていって……いつしかお前が学んだ内容になったんだ』
「なるほどな……。その兵士も知らなかったんだろうな、まさか一生の忠誠を誓ったはずの国王が全ての黒幕なんてな」
ギルベルトと同じ容姿をした、冷酷非道な国王カロン・アルマンディン。
前世の幸せが全てあの男によって壊されたならば、彼の生まれ変わりである自分にとっては絶対に許せない宿敵だ。
『さて……疲れてるところ悪いけど、まだ続ぎがあるんだ』
「続きって……もしかして、アリナが施した『錠』と関係あるのか?」
日向の前世であるアリナは、死ぬ前に己に『錠』をかけて魔導士としての力を全て封じた。そして、そのトリガーとして自らジークに殺される道を選んだ。
何故そう至ったのか、どういう思いがあってその道を選んだのか、悠護自身も前世や生まれ変わり関係なく知りたいと思えた。
けど、『未練』は言った。
悠護や日向にとっても……いや、この世界にとって重要なことを。
『それもあるけど……それよりも知って欲しいことがあるんだ。全ての魔法、それに属するものさえも無に帰し消し去るあの『無魔法』の誕生の〝秘密〟を』
「無魔法の……!? なあ、それって一体――!?」
悠護が問いかける寸前で、意識がショットアウトする。
意識を失った悠護の体が絨毯の上に倒れるのを見つめながら、『未練』は目の前のステンドグラスに目を向ける。
この教会は、アリナとクロウの想いが通じた思い出深い場所。
いくら聖遺物に宿った魔力の残滓が作り出したものとはいえ、現世ではすでにないこの場所をここまで再現できたと思う。
『安心しろすぐに分かるぜ。前世から永遠に俺達を縛り続けている、とんでもない〝秘密〟が』
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