第170話 英雄達の〝原典〟16
【創作の魔導士】クロウ・カランブルクの死は、国側の者達にとって大きな損害となった。
整備はともかく彼の作る魔導具は弟子であったイアンに引き継がれていたが、肝心の弟子が生死不明となった以上、魔導具を作れる者はクロウしかいなかった。
その彼が死に、魔導具の製造が一斉に止まってしまった。
用意された簡易の棺には、クロウの遺体が納められている。
本当ならば羽をたくさん入れた真っ白な絹の布団を敷いて、周りを白い生花で彩りたかったが、このご時勢ではそれさえも今は難しい。
誰もがすすり泣き、火葬のために建築で使われていた木材を薪代わりとして集めている中、白い服の少女が現れた。
【起源の魔導士】アリナ・エレクトゥルム。
この世を去った【創作の魔導士】の婚約者である彼女の登場に、誰もが無言を貫く。
手には茎がか細い花を集めた貧相な花束を持ち、アリナがクロウの棺の前まで来てその場に跪くと、その花束を彼の胸元に置いた。
「……さようなら、クロウ。すぐに、あなたの元へ行くから」
何かを呟いてさらりと彼の髪をひと撫ですると、棺の前で立ち上がり踵を返す。
「アリナ。どこに行く?」
「……少し、家に戻ります。すぐに帰りますから」
全ての感情を削ぎ落した、完全なる無。
泣き腫らしたはずの顔が消え失せ、不気味なほどの静寂さがアリナに纏わりついている。
家族であるベネディクでさえ見たことがない表情を見て、それ以上の制止をかけることに躊躇する。
しかしアリナは困惑する兄を一瞥するも、すぐに顔を逸らして姿を消した。
空間干渉魔法による転移だと気づいたのは、彼女がいた場所に残る魔力の光の粒を見たからだ。
アリナがいなくなり、他の兵士達は魔導具の整備や食料の補給のために動き始めるが、ベネディクとローゼンは這い寄る底知れない不安によってひどく心が落ち着かなかった。
アリナは魔法を使って戻った家は、エレクトゥルム男爵家領地ではなく、アリナ個人に与えられたあの屋敷だ。
久方ぶりの屋敷は壁にまで蔓が伸び、雑草は好き放題に生えている。裏の薔薇園も石畳の敷石の間に雑草が生えるも、薔薇は相変わらず美しい。
懐かしい薔薇の香りは肺いっぱいに吸い込みながら、持ってきた鍵に鍵穴を差し込んで回し、ゆっくりと扉を開けて室内に入った。
主人が去ってから誰も入らなかった屋敷の中は埃と蜘蛛の巣だらけだったが、一年弱しか離れなかったとこもあって比較的綺麗なほうだ。
階段を上がり、書斎の扉を開ける。
両壁に設置された書架には何もなく、埃が積もっているだけ。だけど、毎日夜遅くまで使った机や椅子、床についた焦げた跡、そして窓から見える景色はあの日から一切変わっていない。
「どうして……こんなことになったのかな……? 私はただ、魔法でみんなを幸せにして……贅沢な暮らしも屋敷もドレスも何もいらないから、ただ人並みに幸せに暮らせればよかったのに……」
約束した。あの優しい〝神〟に、魔法を佳きものにすることを。
願った。大好きな家族と友人に囲まれ、愛する人と幸せになる日を。
望んだ。人並みで平凡だけど後悔のない人生を。
だけど、それはもう全部叶わない。
この約束も、願いも、希美も、一つでも欠けてしまえば壊れてしまうから。
でも――最後に、自分のやるべきことだけをしたかった。
「――ごめんね、ヤハウェ。あなたの〝秘密〟、使わせてもらうわ」
アリナの指先から魔力が宿り、琥珀色の球体が生まれる。
球体は細くて長い線に変わり、美しい魔方陣を床に描かれていく。
兄が考え、生み出した新たな魔法の形。通常の魔法の威力を最大限に引き出せる効果を持つ。
もし、魔法陣がなければきっとこんな考えには至らなかっただろう。
だけど、もう大丈夫。これさえあれば、
「
アリナの言葉と共に紡がれるのは、詠唱とは違う『何か』。
まるで聖歌のように、詩吟のように、可憐な歌が響く。
「
だけど、もし第三者がいるならば、これを聴いたらこう思うだろう。
――まるで、彼女の懺悔と願いの言葉のようだ、と。
「私は願う、ありふれた幸せを。私は望む、
――悠遠を超え、機運は熟した。我が魂に刻み込め! 今こそ叶えよ! 我が想いを、願いを、望みを!!」
魔法陣が琥珀色に輝く。
全ての感情を、想いを、願いを、望みを乗せた歌は、天よりも高い世界へと響き渡る。
歌は屋敷に、国に、世界に轟き、刻み込まれた。
しかしそれは、美しき青の星が少女の魂に呪いのような〝運命〟を縛りつけた瞬間でもあった。
世界の〝裏側〟でそれを感じた〝神〟は、悲しみに満ちた表情で呟く。
「……そう、君はその道を選んだんだね」
本音を言えば、こんな道をあの子に歩んでほしくなかった。
やはり、あの〝秘密〟を話さなければよかった。
でも、もう遅い。彼女はすでに戻れない道を歩んでしまった。
「僕にできることは、こうして見守るだけ……。情けない神でごめんね、何もできない神でごめんね、君をこんな目に遭わせちゃってごめんねぇ……!」
〝神〟は泣く。無力で不甲斐ない己を責めるように。
それしか何もできないと痛感しながらも、水晶のように美しい涙を零す。
ただひたすら少女の魂が、遠い時間の向こうで幸せになれるよう祈りながら、〝神〟はぽろぽろと静かに涙を流し続けた。
☆★☆★☆
「クロウが死んだか……これで邪魔者の一人が消えたな」
王族とその血に連なる者しか利用できない食堂で、カロンは葡萄酒を片手に愉悦の笑みを浮かべる。
国の抗争を食い止めようとする者達の食事はくず野菜を入れたスープや固いパンしか与えられないが、国王であるカロンは安全地帯である宮殿で厳重に守られ、食事もいつもと変わらない。
普通の一般家庭には出てこない生野菜のサラダ、カボチャを濾して滑らかな口当たりになったスープ、小麦粉で作られた柔らかいパン。そして皮をパリパリに焼き、飴色になったタマネギのソースをかけた鶏肉のステーキ。
権力と王位の象徴といわんばかりの豪華な食事に舌鼓を打ちながら、上等な葡萄酒を舌で味わうように飲む。そうしている内に計画が達成していると考えると、普段はあまり出すことのないこの葡萄酒をたらふく飲んでしまいそうだ。
クロウを斬ったあの兵士も、本当はカロンが仕組んだものだ。
適当な兵士を見繕い、『ジークを殺せば、功績として爵位を与える』と甘言で惑わせ、クロウがジークを庇って斬られるのを見越して透明化魔法の魔導具を渡した。
結果、カロンの思い通りになり気分は最高だ。
「ここまでいけばあの恥知らずも何もできまい……ああ、そうだ。戦況報告を使ってアリナを呼び出すか」
今まではローゼンやベネディクの役目だったが、ここまで計画が順調ならばアリナの精神もかなり疲弊しているはずだ。
心身共に弱っている女を手籠めする方法は、父が存命だった頃から嫌だというほど見てきた。どんな言葉をかければ、どんな風に触れれば、どんな顔をすれば、女が身も心も男に任せるのか手に取るようにわかる。
今ここで畳みかければ、アリナの全てを自分の物にできる。
愛すべき者を失うも、その献身さと高潔さで国王に見初められた英雄。
字面にすると中々に悪くない。
「なら、すぐに行動に移すか」
軽く揺らしたグラスの中で赤みの強い紫色の液体も揺れる。
揺れる葡萄酒がまるで己の中の酩酊感を現しているようで、うっとりと見つめる。
淡い色合いをするそれを、カロンは満足げな笑みを浮かべながら飲み干した。
翌日。カロンは兵士を使ってアリナを呼び出した。
自身の寝室に来るようにと伝えたが、それがどういう意味なのかは地方の貴族令嬢とはいえ理解しているだろう。
それなのに、こうしてのこのこ現れたのはさすがのカロンも苦笑した。
抗争が始まる前から身に纏う白い騎士服と己が贈呈したティアラをしており、腰には同色の剣帯をしているだけで肝心の剣は見当たらない。
今の情勢を考えると武器は携帯した方が安全だろうが、宮殿では断固禁じているため己に牙を向くものはない。代わりに銀の腕輪をしているが、ただの装飾品だろう。
「ああ、よく来てくれたな。歓迎するぞ」
「歓迎は無用です。今はまだ『レベリス』との拮抗状態が続いています、報告が済みましたらすぐに前線に戻りますので」
「つれないな。私の誘いを断ろうとはいい度胸だな」
「…………」
カロンがおどけたように言うも、無表情を貫くアリナの目が自身を映していないと気づくと内心舌を打つ。
あのアリナの目は、完全にカロンを異性として見ていない証拠。少々強引だろうが、彼女を我が物にしなければならない。
ゆっくりと近づき、自身の親指と人差し指で足元を見るように俯いている彼女の顔を顎から持ち上げさせる。
唇が触れるか触れないかの距離まで顔を近づけても、琥珀色の瞳は一切揺らがない。
「此度の抗争、お前には少々心痛いものだったろう? しかし……人というのは貪欲なものだ。人類に文明の象徴たる『火』を与えた神によって、この星は発展していった。だが、人は便利なものが増えれば増えるほどに新たな物を欲し、それを得るべく醜い争いが起きる」
「何を……仰りたいのでしょうか?」
「つまり、私が言いたのは――貴殿の発見した魔法は、ただ『国の幸福』のためだけに使い潰す代物ではなかった、ということだ」
ぐにゃり、とカロンの口元が歪む。
狡猾で、貪欲で、残忍で、酷薄な男に変貌する様を見て、アリナの目が瞠目した。
「たかがそれだけのために魔法を使わないなど、愚の骨頂! あれは兵器として利用してこそ、真の力を発揮するんだ。最初の実験以降は内密に進めていたが、お前のところの従者が悉く潰してしまって大損だ。だが……それによって、あの男は歴史に名を残す叛逆者となり、貧民でありながら私から欲する者を奪ったクロウは死んだ!! これがどれだけ愉快で痛快な気分なのか、お前には分かるか!?」
「っ……!」
「もう邪魔者はいない! 今宵、お前を私の妃にしてやろう! そして私と共に、この国を……いや、世界を統べようではないか!!」
顎に触れていた親指と人差し指が、いつの間にか手で掴んでいた。
彼女の柔らかい頬に、ぎりぎりと己の指が食い込む。軽く爪も柔肌を傷つけているも、アリナはあまりにも冷静な表情を浮かべる。
いや、あまりにも冷静過ぎる。
(何故だ……何故ここまで言われて、こうも冷静でいられる……!?)
カロンは告げたはずだ。今まで自分が企んでいた計画を。
クロウとジークの末路を、嘲笑いながら歓喜していたことを。
なのに、何故、アリナに変化がない?
泣き喚くことも、絶望に染まることも、激高することもない。
ただ静かにカロンを見つめるだけ。何もかも見通すような琥珀色の瞳が、今だけは不気味に見えた。
「カロン様」
アリナが喋る。いつも通りの、可憐な声で。
「――
ザンッ、と左胸を貫かれる感触があった。
ごほりと口から血を吐き出しながら、視線だけ動かす。左胸に、銀色に輝く短剣が突き刺さっている。柄を握る手からは魔力の光を発し、それがぐるぐるとカロンの周りを回る。
血の付いた短剣を抜き取った瞬間、アリナは言った。
「――『
詠唱が紡がれる。琥珀色の魔力が槍となり、カロンの全身を貫く。
声にならない絶叫と共に、カロンの内側から
金色に輝く、無数の長い紙。古い言葉で綴られた黒いそれが、あらゆる箇所が白い光と共に消えていく。白い光が消えた場所が新たな黒い文字が綴られ、金の巻物はカロンの中へ戻る。
眩い金色の光が消えていき、低い呻き声を上げたカロンの体は絨毯が敷かれた床に倒れる。
指一本どころか唇さえロクに動かせないままの自分を、アリナは見たことのない冷たい目で見下ろしていた。
「な……にを……し……!?」
「何をしたか、ですか? 簡単なことです、
「た、まし……い……!?」
驚くもロクに唇を動かせないカロンを見ながら、アリナは語る。
「私は……魔法を教えてくれた〝神〟から〝秘密〟を教えてもらいました。本当ならずっと黙っておくつもりでしたが、今回の件をきっかけに使わせてもらいました」
アリナはそっと棚の上に置かれていた地球儀を持ってくると、それをカロンの目の前に置いた。
茶色い球体と胡桃材の支柱、そして真鍮の金具で作られたそれを。
「彼はこの星全てを巨大な魔導具とし、これまで人が歩んだ歴史・文明の『理の情報』、さらに全ての生き物達の『魂の情報』を記録する物に変貌させました。その魔導具の名は――『
『
何十億の人類とそれ以上の生き物達が暮らすこの星が、丸々一つの巨大魔導具。
とんでもない秘密に、カロンは言葉を失い、はくはくと口を開閉するだけ。
「私はこの『
「かき、かえ……た?」
「はい。『
「っ……!?」
自分と、自分と同じ魂を持つ者の寿命が二七歳まで?
今のカロンの年齢は、ちょうど二七歳。つまり――この魔法をかけられた時点で、カロンは今ここで生涯を閉じると同義だ。
予想だにしなかった真実に、カロンの全身が凍った。
「な、ぜ……こんな……真似、を……ッ!?」
「――決まっています。あなたがこの抗争を生み出し、ジークを貶め、クロウを奪ったことを、私は『
アリナの答えに、カロンはようやく理解した。
例の無魔法を生み出した時、アリナは『
だからこそ、こんな分かりやすい呼び出しに応じたのだ。
――全ては、元凶たるカロンに復讐するために。
「き……貴様ぁ……ッ!! 許さん……ゆる、さんぞ……、こんな、こんな真似をして……、タダで済むと、でも……!?」
「構いません。どうせ、私はこの後すぐに死ぬのですから」
「……!?」
まさかの発言にカロンは再び絶句する。
目の前の女は、すぐに死ぬと言った。小さく、優しい微笑みと共に。
少なくとも、これから死にに行く者の顔ではなかった。
「だからこそ、この〝秘密〟をあなたに明かしたのです。『輪廻転生』……生き物の魂はみな不滅で、肉体が死ぬとそこから離れ、また別の肉体に宿ると言う。ですが、その転生には記憶を受け継ぐというものはない。
あなたは……あなたの魂は、何度生まれ変わろうと二七で生涯を終える。何かを為すことも、何かを企てることもできず、二七で死ぬ理由を知らぬまま命を終える……!
――これが、私があなたにした最初で最後の復讐! 何千、何億、何兆年と続くこの星で、永遠の短命を味わうがいい!! それがあなたとその魂に科した『罰』と『贖罪』なのだから!!」
怒り、悲しみ、憎しみ。色んな感情がごちゃまぜになって、無意識に涙として溢れ出た。
涙を流しながら、アリナは持っていた短剣――《スペラレ》を
本当は、こんな真似はしたくなかった。
こんな形で〝秘密〟を使いたくなかった。
そう思っても、自身から大切なものを全て奪ったこの男が許せなかった。
復讐を果たし、後は自分が死ねば全てが終わる。
ここからが正念場だと気持ちを切り替え、最後に目の前の仇敵を見下ろした。
激しい怒りと絶望を見せたカロンが何かを言う前に背を向け、魔法を使って姿を消した。もう二度と会うことのない、最初で最後の復讐相手の顔を記憶に刻み込みながら。
琥珀色の魔力の光と共に英雄の少女は姿を消した。
たった一人、あとほんの一刻で死を迎える男を残して。
「ア、リナ……アリ、ナ……アリナァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!」
最初で最後の復讐を与え、永遠の『罰』と『贖罪』を魂に科した憎き女の名を叫びながら、イングランド王国国王カロン・アルマンディンの生涯は閉じた。
最後の力を振り絞り、伸ばした彼の手に触れた地球儀は、血の跡を残しながらカラカラと空しい音を響かせていた。
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