第171話 英雄達の〝原典〟17

 カリカリ、と羊皮紙に文字を綴るたびに羽ペンが小気味いい音を出す。手がインクで汚れても、文字を綴る手は止めない。

 即席で作った机には一〇を超える羊皮紙が散らかり、どれもが魔法に関するものばかりだ。


 真の黒幕であり仇敵であるカロンを殺してから、アリナは無魔法を使って『レベリス』の侵攻を一時的にだが止めていた。

 無魔法は魔法を無効化するのだけでなく、魔力を生み出す装置である『魔核マギア』さえも無に帰す力だと知ると、『レベリス』は己が魔導士ではなくなり無残に殺されるのを怖がり、尻尾を巻いて逃げていった。


 もちろんこの無魔法にはそれ以上に恐ろしい力があるし、今までアリナが『レベリス』に見せた無魔法はほんの一部だ。

 だが味方の方はその力を『〝神〟が与えた新しい奇跡』だと崇めた。本当はそんなものじゃないのだけれど、士気を上げる意味でも真実を隠す意味でも好都合だった。


「アリナ様、ティレーネです」

「どうぞ」


 外からの呼び声に答えると、ティレーネが天幕に入ってくる。

 机に散らばる羊皮紙の数とインクの匂いが噎せ返る中を見て、ティレーネの眉が微かに歪んだのが気配で分かった。


「どうしたの? 何かあった?」

「はい……」


 何故か言いづらそうにしている補佐の様子に、アリナは不思議そうな顔をしながら後ろを振り返る。

 するとティレーネはその場で跪くと、そのまま額を地面に擦りつける勢いで頭を下げた。


「もっ……申し訳ありません! あの愚妹が、国王……いやカロンと結託して管理していた魔法を横流ししていたという知り、こうしてお詫び申し上げに来ましたっ! 話によると、フィリエは裏ではカロンの愛人として扱われていたらしく……他の王侯貴族や大臣にも協力を得て、魔法の非人道的実験を行っていたと!!」

「…………」

「もちろん、カロンと愚妹に協力していた者達は全て捕らえられ、ローゼン様によって処罰されました。ですが……この度の争いの原因は、全て私の身内によるもの! どうか、どうかあなた様の手で、この私を処罰してください……!!」


 ティレーネの血の吐くような報告を、アリナはひどく落ち着いた様子で聞いていた。

 カロンの死後、彼の遺品を整理していく内に魔法の非人道的実験の内容や手配が記された書類がいくつも発見された。

 しかも侍女の証言では夜な夜なフィリエがカロンの寝室に赴いては、営みに励んでいたことを証言したことから、彼女がカロンの計画に協力していたことが判明した。


 最初の事件で見つかった書物も全てフィリエが横流しをしたと知った途端、ローゼンが上半身裸になると自身の腹にナイフを入れようとしたのだ。

 昔、極東の島国『ジパング』の話をした時に『サムライ』という騎士が敵の捕虜になる恥辱を避けるためや、命と引き換えに家族の身を約束させるなどさせるために『セップク』という私刑があるという話をしたのを思い出したらしく、今回の不祥事の責任のために『セップク』しようとする彼を兵士一〇人がかりで止めた。


 カロンが死に、サンデスが『レベリス』に寝返った以上、今この国を統べる者はローゼンしかいない。

 責任は抗争が終わり、国王に即位してから償うようにと何度も説き伏せて、ようやく腹に近づけさせようとしたナイフを離したのだ。

 肝心のフィリエは、アリナがカロンを殺したあの日から行方をくらましており、一部ではフィリエを見つけ次第速やかに殺すようにと言われているらしい。


 きっと、後世に残るだろう歴史の中で、元国王カロンと元第二王子サンデスが国を陥れた国賊として名を残すのは確実だ。

 本当なら善き国王として、善き王族として名を残すはずだった二人の末路は、ある意味ではアリナのせいで歪んでしまった。

 だが、それはいずれ訪れる未来の一つだ。フィリエが王侯貴族の愛人になって贅沢な暮らしをしたいために、カロンと通じたのも彼女自身が選んだ選択。そこにティレーネの咎はない。


「ティラ、顔を上げて。過ぎたことをどうこう言うつもりは私にはありません」

「っ、ですが! 妹のことをちゃんと真面にさせながったのは、全て私の責任で……!」

「ティレーネ」


 涙目で罰を懇願する双子の姉ティレーネに向けて、普段より強い口調を発する。

 双子の妹フィリエのしたことはアリナ自身も許せないし、一生を使っても怒りが消えることはないだろう。だが、それはこれから死にに行く自分には持ってはいけない感情だ。

 だが、何も罰がないのはティレーネが一生納得しない。ならば、それを今から与えよう。


「あなたがそこまで言うなら、私は罰を与えます。ですが、ただの罰ではありません」

「ただの罰でない……? 一体、何をするおつもりなのですか?」

「……これから私が与える罰は、あなたに背負いきれない重責を負わせ、かつ人生さえ歪めてしまうものです。きっと、耐え切れず自ら命を投げ出す可能性もある。……それでもよろしいですか?」

「構いません! 私に罰を与えてくださるのなら!」


 真摯に罰を受け入れるティレーネの姿に、アリナは観念したかのように瞼を閉じた。


「……分かりました。では、ティレーネ・クリスティア。【起源の魔導士】アリナ・エレクトゥルムが、あなたに罰を与えます」



 アリナの口調が厳かなものに変わり、ティレーネは無意識に息を呑む。

 今まで堂々とした彼女の姿を間近で見たことがあるが、今だけはその姿は別次元のものだった。

 言葉に言い表すことができない威圧感が、ティレーネの全身に重くのしかかる。まるで、これから〝神〟によって裁かれる罪人のような気持ちになる。


「まず最初に、あなたにはこれから先の未来もこの国を守護する任を与えます」

「国を……? それに、先の未来って……?」

「私達人類が生きている限り、この星は永遠に生き続けます。つまり、あなたには世界が滅びるその瞬間まで、この国を守るために生き続けなければいけない」

「――そ、れは……」

「もちろん、これが過酷なのは承知の上です。ですが、私にはそれしかあなたに与える罰を思いつかなかった」


 地球という星は、いつ滅ぶのか誰もが知らない。

 その星が生き続ける限り、ティレーネ自身も有給に等しい時間を生き、その一生を国の守護のために捧げる。アリナの与えようとする罰は、彼女の幸せそのものを奪うものだ。

 一人の女として幸せに生き、家庭を持ち、幸福のままこの世を去る。

 そんなささやかなものすら奪う罰は、きっと誰だって耐え切れない。


「――……かしこまりました。その罰、甘んじてお受けします」


 けれど、ティレーネは迷わず受けた。

 妹のしたことは誰が見ても許されないもの、それを見逃したのは姉である自分の咎。たとえ周囲から『化け物』と蔑まれることになろうとも、主人である彼女の命ならば従うしかない。それが贖罪になりえるのなら。


「…………そう、分かったわ」


 返事を返した補佐ティレーネの真摯な眼差しを見て、アリナは静かに瞼を閉じて頷いた。

 受け入れたことに安堵をしていると、アリナは椅子から立ち上がり、そのままティレーネに向けて何かを差し出した。

 その正体は、茶革の本だ。拍子には何も刻まれていない、質素なもの。

 手渡された本が、主人アリナが愛用する日記であることくらい、ティレーネは知っている。


「これは……アリナ様の日記ですよね?」

「あなたに与えるもう一つの罰は、それを誰にも盗まれないように管理してください」


 突然『管理』なんて仰々しい言葉が出てきて、ティレーネは首を傾げた。

 いくら本が高価なものだからといって、管理するとなると話が違ってくる。アリナの言葉の真意を問いただそうにも、彼女の見通すような目を見て言葉を呑み込んだ。


 ――何も聞くな。


 言葉にしない静かな圧が、ティレーネにのしかかる。

 何も言えずに黙り込む自分を余所に、アリナは椅子から立ち上がると支え柱に掛けられていた《スペラレ》を剣帯にかけるとそのまま天幕の外に出ようとしていた。


「あ、アリナ様! 一体どちらに!?」

「ジークと話したいことがあるの。護衛はいらないわ」

「ジークとって……待ってください、今会うのはさすがに軽率です! 私もお供を……」

「ティレーネ」


 アリナが、愛称ではない方で自分の名を呼んだ。

 初めて会った時にしか聞いたことのない名を耳にしたティレーネは動きを止めている間に、アリナはいつもの笑顔を浮かべながら言った。


「――この国をお願いね」


 笑顔のまま天幕を去るアリナを止めることはできなかった。

 いや……止められなかった。いつも見てきた真っ直ぐな背中が、ティレーネから止める意思を喪失させた。

 天幕の布がパタパタとはためく。自分しかいない天幕の中で、追いかけることも引き止めることもできなかったティレーネは、受け取った日記をただ抱きしめることしかできなかった。



☆★☆★☆



『レベリス』の隠れ家の一つである館で、ジークは聞き逃せない情報に顔を顰めていた。


「カロンが死んだ、だと?」

「そ、そうだよ! 偵察用に飛ばした魔法の紙鳥かみどりからの情報だから間違いない!」

「…………」

「仇の兄様が死んだ以上、俺はもう用済みだろ!? 早くこの呪いを解いてくれよッ!」


 必死に懇願する伝達人の元第二王子サンデスを無視しながら、ジークは思考を巡らせる。

 あの悪魔の国王を一矢報いる存在など、可能性があるとすれば四大魔導士だけだ。しかしローゼンは肉親である彼は殺せないし、ベネディクも確証がない限り手を出さない。

 そして、誰かを傷つけることすら厭うアリナも絶対にありえない。


 となれば、内部犯……もしくは混乱に乗じて潜入したフランス王国の密偵という可能性が高い。

 サンデスが国側から『裏切り者』と認定されてしまった以上、宮殿の情報を手に入れるのは不可能だ。

 なら、唯一の伝手を使うしかない。


(正直気乗りしないが……仕方がない。を含めて会うか)


 本当なら会いたくないのだが、大事な情報源である以上無視するわけにはいかない。

 ……本当に気乗りしないのだが。


「そ、それに、俺ってどう考えても不要なんだよね……全然魔法上手くないし、囮にしか……って、聞いてるのかッ!?」

「ああ。すまないが、急用ができた」

「はあ!? というか、絶対今の聞いてなかったろ! おい、待てって!!」


 ぎゃーぎゃーと騒ぐサンデスを完全無視しながら、ジークはこの館の地下にいる捕虜と会うべく、紅いローブを翻しながら部屋を出た。



 今隠れ家として使われているこの館は、つい先日までとある貴族が所有していた。

 その貴族は吐き気がするほどの好色家で、地下には買われた奴隷の女達が眠るためだけの寝台が二〇を超えるほど綺麗に並んで置かれていた。


 どうやら夜の営みの時だけは主人の寝室に呼ばれたらしいが、例の貴族を殺して女達を解放した時、全員の体が顔以外は生傷だらけだった。首や腕、足まで噛み痕や吸った痕があり、それ以外は普通に食べさせてもらっていたおかげで餓死にされてなかったようだ。

 一応人としてはいい人の分類に入るだろうが、男としては最低だった。


 ともかく、そんな男の館の地下は一台の寝台を残したせいでだだっ広い空間になっている。

 四方を石で囲まれたそこには、天井にも床にも壁にもジークの魔力を使って一体化した魔法陣が刻まれている。この魔法陣は指定された相手の魔力を封じる効果があるが、それでは心許ないので寝台の足には逃走防止のために右手首と左足首は枷を付けさせている。


 そして、その地下を独占している捕虜の名前は――。


「おい、起きているか? お前に訊きたいことがある。包み隠さず答えろ――

「……ふふっ、捕虜である私に拒否権なんてあるわけないわ」


 フィリエ・クリスティア。

 表向きはローゼンの補佐を務める魔導士、裏では国王の愛人として今回の悲劇に加担した稀代の悪女。

 寝台に座る彼女の身に纏っているのは、丈が短い袖なしの寝着だ。ところどころに噛み痕や吸った痕があるのは、恐らく……いや、確実にここにいる男達の相手をしたからだ。


 男というものはある事に集中する時間が長くなればなるほど、憤りと不満が相まって己の性欲を我慢できなくなる傾向にある。

 ジークももちろんそうなったことは何度があり、非戦闘員の女性に頼んで欲の発散を手伝わせたことがある。


 もちろん毎日付き合っては彼女達の身が持たないが、フィリエはこちらが捕らえた捕虜であり、殺さない限り何をしても許される絶好の獲物。

 飢えた男達がこの地下に入り、好き勝手に彼女を凌辱しているが、それはフィリエも同じだ。

 彼女自身も己の欲を発散させたいがために、部屋に入り込んだ男達の相手を受けいれている。要は利害の一致だ。


 それはいいのだが、こうも地下をここまで男の精と汗の匂いで充満させるのは頂けない。

 とりあえず、後で換気機能を付けた魔法も付与しようと心の中で決めた。


「……それで、訊きたいこととは?」

「カロンが死んだ。お前なら何か知ってるんじゃないか?」

「あら、随分と直球に訊くわね」

「生憎と、お前相手に言葉遊びする気はない。早く言え、言わなければ反抗の意思があるとみて、次からは全身を拘束させてもらうぞ」

「つれないわね。……ま、別にいいけど」


 ジークの言葉に軽く唇を尖らせるも、フィリエは寝台の縁に腰を掛け直すとぶらぶらと両足を振る。


「いいわ、答えてあげる。国王が死んだ件よね? もちろん、知ってるわ。あの時は監視として相手にバレない魔力で作った紙鳥を使って一部始終見てたの」


 紙鳥とは、文字通り魔法で作った紙の鳥だ。

 長短距離の偵察にうってつけの魔法だが、その代わり視覚しか使えないため情報を聴く機能はない。その場合、読唇術で相手の唇の動きを呼んで内容を把握する。


「私は読唇術なんてものはできないから、何を喋っていたのか分からなかったけど……国王を殺した相手なら知ってるわ」

「それは、誰だ?」


 ジークの威圧感のある問いに、フィリエはくすくすと酷薄な笑みを浮かべる。

 まるで、これから語っていく内に目の前の男がどういう反応になるか楽しみで仕方がないと言わんばかりに。


「国王を殺したのは――アリナよ」

「…………………………………………………………………は?」


 フィリエの言葉に、ジークの目が大きく瞠目し、口からは間抜けな声が出た。

 恐らく今の彼の姿は、誰が見ても間抜けなものだろう。

 だけど、それ以上にジークの頭の中は絡まった糸のようにぐちゃぐちゃになっていた。


 アリナが、国王を、殺した?

 虫一匹すら殺せず、外に追い出すのに必死だった彼女が?

 あの、悪魔を……殺した?


「バカな……ありえない! 彼女が国王を……殺したなど!」

「信じたくないでしょうけど、事実よ。彼女が国王に短剣で刺してのだけど、そこから何か会話をしていたわ。どんな内容なのか知らないけど」

「そんな……ウソだ、彼女がそんなことするなんて……!」


 信じたくない。信じられない。信じてはいけない。

 否定する気持ちが胸の中で暴れまわるが、頭の中は冷静に思考を巡らせている。

 アリナは虫一匹すら殺せない性格だ。だけどもし、彼女を殺人に駆り立てる理由があった場合、自分と同じように復讐に走る可能性はある。


 彼女は聖書に出てくる聖人や聖女のような人ができた存在ではない。

 全ての罪を赦すことすら、彼女は理由次第では冷静に罰を下す。なら、彼女が国王を殺す理由は――一つしかない。


(恐らくあいつは、クロウの死に国王が関わっていると考えた。そして、その証拠を手に入れたのなら、辻褄が合う……!!)


 ジークが助けることができなかった、彼女の愛しい人。

 恋人の敵討ちといえば美談に聞こえるだろうが、ジークにとっては恐れていた事態だ。

 アリナが手を汚して国王を殺した。本来ならば、この役目を受けるのは自分だった。


(……これは、一度アリナに会って話すしかないな)


 堂々巡りの考えをしても答えにはたどり着けないし、埒が明かない。

 クロウが自分の身を顧みず対話を望んだように、自分も同じことをしなければ割に合わない。


「……話は分かった。邪魔したな」

「そう。頑張ってね」


 踵を返して地下に出るジークの思考を呼んだのか、フィリエは面白そうに笑いながらその背を見送る。

 再び一人になった部屋で、フィリエは寝台に倒れると魔法陣と一体化した天井を見つめる。


「さて……私、これからどうなるのかしら? このままここで餓死か、もしくは腹上死か……どっちにしろ、死ぬのは確定ね」


 この状況は自分が作ったものだが、自分が思った以上に悲観になっていない。

 形はどうあれ、時の権力者の愛人になれたのだから、フィリエの野望はすでに叶っている。


「ま、いいわ。もし生き残る可能性があったら、その時はこの世界を玩具にして遊ぼうかしら。きっと楽しいはずだもの……うふふっ」


 頬を紅潮させながら笑う魔女の声は、冷たい石の部屋に小さく響いた。

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