第299話 悪の終わり、その後の話
目を開ける。
ボロボロになった廊下の真ん中で倒れていたカロンは、目だけをきょろりと動かす。
動かない全身に、先ほどまでの記憶が思い浮かんだ。
「…………ああ、そうか……私は、もう終わるのか…………」
望んだものではないけど、ずっと待ち続けていた終焉。
この呪いが消えるが、代わりにカロン・アルマンディンが転生を繰り返した記録は抹消され、この魂はやがて一点の汚れのないほど真っ白になって、新たな命としてこの星で生きる。
なんと皮肉で、喜劇のように笑える終わりなのだろうか。
声を出さないまま空笑いするカロンに、何かが擦る音が聞こえてくる。
それは、下駄が床を削る音。カロンの目の前で、煌めく金の髪がカーテンのように降りてきた。
「カロン様……っ」
「フィリエ……か……」
現れたのは、顔が真っ青になるほど血を流し、お気に入りの着物ドレスを汚したフィリス。
今のカロンの状態を見て、彼女は唇を噛みしめるもそのまま彼の傍で正座する。
そのままゆっくりと頭を持ち上げ、そのまま膝の上に乗せる。
「……なんのつもりだ?」
「ただの、気まぐれです。……最期くらいなので、これくらいはお許しください」
「そうか……」
フィリエの申し出に、カロンはそれ以上何も言わなかった。
それは、今まで自分に付き合った報酬としてはあまりにもささやかで、正直に言うと割に合わない。
後頭部から感じる柔らかさに、ふと思い出す。
(そういえば……膝枕なんて久しぶりかもしれない)
一番古い記憶では、温かい部屋で
あれは、一体何時からしなくなったのだろうか。それすらもう思い出せない。
日が昇り、青くなる空の眩しさに目を閉じそうになっていると、フィリエはそっとカロンの髪を撫でる。
「…………これで、よかったのですか?」
「何が?」
「こんな終わり方……
「…………………構わない」
「ですが……っ」
「これは、私が最初の前世で支払ったツケが回ってきただけだ。…………本当なら、さっさと諦めればよかったんだ。アリナのことを。そうすれば、こんなことにはならなかった」
もしあの時、アリナを見つけていなければ。
もしあの時、玉砕覚悟で想いを告げていれば。
もしあの時、カロンがアリナへの想いを捨てていれば。
色んなたらればが浮かぶも、それは全部終わったことだ。
どれだけ後悔しても、過去は戻らない。
それくらい、もう分かっているというのに。
(なんて、未練がましい)
昔からそうだ。
カロンが本当に欲しいものは、全て誰かが手にした後。
地位を利用して手に入れても、ひどい虚しさが心を支配し、結局数ヶ月も経たず捨ててしまう。
だからこそ、悪行に手を染めても手に入らなかったアリナに、あれほどまでの執着を見せた。
それが数百年も続く因縁となったのは、さすがのカロンも想定外だった。
自嘲気味に微笑む彼を見て、フィリエの萌黄色の双眸に寂寥を宿した。
「それより…………お前も、逃げろ………この城は、やがて崩壊する……」
「いいえ。おそばにおります。
見た目もそうだが、フィリエの体は治癒魔法では追いつけないほどボロボロになっている。
陽の魔法を受けたこともそうだが、理由はもう一つある。
彼女が使った呪魔法の反動だ。
呪魔法は他者を呪う魔法だが、フィリエがしたように、悪霊を操る魔法もある。
しかしそれは術者の力が強いが故に行えるもので、今のフィリエには操った悪霊を抑え込む力はなく、むしろ報復として操った悪霊の怨念が彼女の体を蝕んでいる。
悪霊達の怨念はフィリエの命を容赦なく喰らい、美しき肢体は赤黒く変色している。
傾国の美女と謳われた容貌が醜くなっているのも関わらず、優しく自分の髪を撫でる魔女を見て、カロンはふと口を開く。
「そういえば……お前は何故、私についていった」
「?」
「お前は……私にとって、ただの道具で、慰み者だ…………それなのに、何故……お前は…………」
最初、カロンがフィリエに手を出したのは彼女を内通者として仕立て上げるためだった。
元から貴族の愛人希望だったフィリエは、国王のお手付きとなったことで、彼女は王宮内でもそれなりの権力を持てるようになった。
しかし、それは全部仕組まれた計画。計画が無事完遂すれば、フィリエは捨て駒として、そしてあらゆる冤罪を押しつけるはずだった。
その
なのに、彼女は上手くジークに取り入り、裏切りに裏切りを重ね、自分のそばに居続けた。
それだけは、カロンにすら理解できなかった。
「…………そんなの、決まっています。
「―――――――」
愛している。
それは、カロンにとって上辺だけで、なんの信用のない言葉。
信じていると同じくらい、意味のないモノ。
だけど……何故だろうか。
アリナに抱いていた感情を理解した今、その言葉が嘘ではないと素直に信じられる。
散々弄んで、傷つけて、利用したのに。
「…………………………ははっ………お前は、本当に馬鹿な、女だ、な…………」
最期の最期で、この魔女の隠された『愛』にようやく気付いた悪魔は、静かに息を引き取る。
フィリエの膝の上で、体は一瞬にして黒い砂となる。
あの恐ろしいほどの美貌も、怖いくらい綺麗だったガーネット色の瞳も、全て。
あまりにも静かな最期に、フィリエは静かに笑う。
萌黄色の双眸から、ぽろぼろと真珠のような涙を零しながら。
「………………ええ。本当に、私は愚かな女です」
たったその一言告げると、フィリエの体は対抗もなく冷たい床に倒れる。
それが、彼女が必死で保っていた命の糸が切れた証。
報われない恋をした二人の魔導士は、崩壊を始めた城の中で、ゆっくりとその姿を消した。
☆★☆★☆
「ほんと、馬鹿だよ。どいつもこいつも」
太平洋のど真ん中、サンデスはカエレムに隠していた小型船の上で一人呟く。
所有者の魔力を燃料とする魔導エンジンを搭載したその船は、数ヶ月の食料や衣服を詰め込んでいる。
この日のために、サンデスがコツコツと集めたものだ。
「くだらない目的のために身を滅ぼして。どうして普通の人生を過ごそうとか思わないのかな? ほんっと、あいつらに関わるとロクなことがない」
誰もいないのをいいことに、好き勝手に心の中で溜まっていた言葉を吐く。
いつもなら誰かしらが頭を殴ってくるけれど、それはもう二度と訪れない。
『やっと見つけたー! 今日もいじめてやるから、感謝してよね!』
生意気な死神小僧がいじめてくることも。
『またいじめられたのか。……ほら、早く来い。治療してやる』
口数少ない顔見知りの医者が手当てしてくれることも。
『これ、作り過ぎたの。余ったからあなたが処理してちょうだい』
無愛想な眼帯女が適当な理由で料理をくれることも。
『ああ、お前か。今手が離せないというか足りない。悪いが手伝ってくれ』
真面目な魔導具技師と一緒に魔導具を造ることも。
『ねえ、ちょっと着付けを手伝ってくれないかしらぁ?』
妖艶な狐の魔女が着替えを手伝えと言ってくることも。
『……そうか。お前は真面目だから仕事が速い。お疲れ様』
自分を利用した元従者がいつも労いの言葉をかけてくれることも。
『サンデス。貴様は私にとって不要だ。生きたいなら好きに生きろ』
かつては憧れ、今は畏怖となった兄の声を聞くことも。
全部、全部なくなった。
こういう時、本当なら清々したと笑うところなのに。
なんで。なんで。
「なんで……涙が、出てくるんだよぉ……!」
薄荷色の双眸から流れてくるのは、滂沱の涙。
それは、サンデスにとって彼らの過ごした時間は価値があったという証。
同時に死んでも認めたくない、忘れたいのに忘れられない呪いそのもの。
そんなことを一切気付かないサンデスは、大海原に放り出された船の上で泣き崩れる。
喉が痛むほどの大声で泣き叫び。
目が溶けそうなほど涙を流し。
周りから見ればみっともない姿で。
動力を失ったカエレムが東京湾付近に墜落するまで。
海上自衛隊が領海周辺を訪れるまで。
サンデスは、ずっとずっと泣き続けた。
その後、特一級魔導犯罪組織『ノヴァエ・テッラエ』の唯一の生存者であるサンデス・アルマンディンの行方は誰も知らない。
彼は歴史書に名を乗せてはいるが、華々しい活躍をしなかったため、サンデスについては名前とちょっとした出生だけしか書かれていなかった。
だからこそ。
どこか遠い国の、高山の村の外れにサンデスに似た男が住むという情報を手に入れても、魔導大国の新たな国王となった彼の前世の弟は何もせず、ただ見て見ぬふりした。
それは他者に利用され、捨てられ、ようやく自由になった前世の兄へのせめてもの償いか。
どちらにせよ、サンデス・アルマンディンの物語はここで終わる。
その終わりの先にあるのは、決して誰にも語れることのない、ずっと追い求めた自由を得たただの男の話。
ただ、それだけだ。
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