第145話 お茶会と夜の邂逅
朝になり、日向は広いベッドから起き上がってよそ行きのワンピースに着替えると、メイドが朝食と一緒にドレスの一式を持ってきた。
今日は夏らしい気候なので、ドレスはアメリカン・アームホールという袖の部分を首の付け根から脇の下までカットしたネックラインをしたピンク色のドレス。袖が扇のように広がっていて、取り外しできてきる。靴も踵は低めで、薔薇と真珠の髪飾りもついている。
第一王子の婚約者が主催のお茶会というのもあって、装いも豪華だ。
庶民である自分にとって一生を懸けても手が届きそうにない服やアクセサリーに戦々恐々していると、窓際のテーブルの上に料理が盛られたお皿を乗せられる。
朝食はイギリス定番のフル・ブレックファストだ。
マーマレードを塗ったパン、分厚いベーコン、サニーサイドアップの目玉焼き、ベイクドビーンズ、輪切りしたトマトのソテー。食後の紅茶も入れるとかなりの量だ。
どうやら食事は各自部屋で摂るようにしているらしい。恐らくは日向達が変な行動をしないための監視という意味もあるのだろう。
豆粒一つ最後まで食べるまで監視されながら朝食を済ませると、食器がメイドに片付けられて会釈をして去っていく。その時にも何か探るような目つきで見られ、さすがの日向の居心地の悪さを感じた。
メイドに手伝ってもらってドレスに着替え、化粧やヘアメイクもしてもらう。琥珀色の髪はツインテールにして、薔薇と真珠の髪飾りを付けてもらうと、準備を手伝ってくれたメイドがほうっと感嘆の息を漏らした。
その反応に首を傾げながらも、メイドの案内でお茶会が開かれる会場まで歩く。
「ほら見て、あの子が……」
「なんて美しい琥珀色の髪と瞳……本当にあの子がアイリス様を狙う刺客なの?」
「そもそも極東の島国の人間が無魔法を使えること自体おかしいんだ。ヴィルヘルム様が警戒するのも分かる」
疑念。困惑。敵意。
冷たい視線に隠された感情に気づいたら、か弱い少女なら誰もが怯える。もしかしたら、この視線の中には視線に怯える日向の姿を見て嘲笑うために来た暇人もいるだろう。
だけど、そういった視線には慣れっこかつこれまでの事件を通じて人並み外れた度胸がついた日向にはなんの効果もなかった。
逆にこっちから目を合わせ、わざとらしくニコッと微笑みかけると、小さく固まっていた集団はぎくりと肩を震わせると蜘蛛の子を散らすように走り去る。
思わずくすくす笑うと、ちょうど別の部屋にいた心菜が扉から出てきた。
心菜のドレスはティアード・スリーブというギャザーとフリルで横に何段かに切り替えた袖をしたスプリンググリーン色のドレスだ。スクエアネックの周りにはフリルがついていて、スカートも下にいくにつれて色が濃くなっていくようになっていてそのグラデーションが美しい。髪も両方のこめかみに三つ編みを三本作り、後頭部の中心に日向と少しデザインが違う薔薇と真珠の髪飾りがついている。
日向のドレスはそういったグラデーションはないが、薔薇の透かし模様の刺繍がされている。心菜のドレスも可愛いが、今着ているドレスも可愛いので特に問題はない。
「心菜、そのドレスすっごい似合ってるね。樹が見たら失神するんじゃない?」
「そんなことないよ。そのドレス姿を悠護くんに見せたら固まっちゃうかも」
「えー、それはないでしょー?」
くすくすと笑い合いながらドレスを褒め合う二人に、案内を任されているメイドには微笑ましいものに見えたのか小さく笑みを浮かべていた。
絨毯が敷かれた廊下を歩き続けると、ようやく会場となる部屋にたどり着く。
「ルナ・ヴァン・プリシア様、ヒナタ・トヨサキ様とココナ・シンドウ様、ご到着いたしました」
「入ってください」
扉の向こうから凛とした声が聞こえ、メイドに扉を開かれると同時にゆっくりと慎重に室内に入る。室内は小花を散らした壁紙が張られ、飾り棚には美しい模様をしたガラス製の皿や燭台、薔薇が生けられた花瓶が飾られている。
天蓋ベッドも綺麗に整えられていて、花瓶から香る薔薇が緊張で固くなった心を落ち着かせる。
部屋の中心にテーブルクロスが敷かれた丸テーブルがあり、四脚がある椅子の中で内二脚には先客がいた。
一人は、金髪を日向と同じでツインテールにして、眼鏡をかけた少女。瞳と同じ藍色のドレスが似合うほど可愛らしいが、どこかオドオドとしている。
もう一人は、背中まで伸ばした銀髪と海色をした少女。こちらは金髪の少女と違ってクールな顔立ちをしていて、三日月型の髪留めがよく似合う。フリルやギャザーがたっぷり入れた紺色のドレスを着ているのに、神聖な空気を彼女は全身に纏っていた。
二人はアイコンタクトをすると椅子から立ち上がり、ドレスの裾を持ち上げてお辞儀をした。
「初めまして。私はルナ・ヴァン・プリシア、当代の【月の姫巫女】であり第一王子ギルベルト・フォン・アルマンディンの婚約者です」
「わ、私はベロニカ・ヴァレンティアです。恐れ多くも第三王子アレックス・フォン・アルマンディンの婚約者をしています。ど、どうかお見知りおきにょ!?」
途中で舌を噛んでしまったらしく「あうう」と呻くベロニカに、ルナは「大丈夫よ」と励ましながら頭を撫でる。
髪の色は違うのに姉妹に見える二人を前に、日向達も一緒にお辞儀をする。
「初めまして、あたしは豊崎日向です。あたしのことは気軽に『日向』とお呼びください」
「私は神藤心菜です。この度はお茶会にお誘いしていただきありがとうございます」
二人の挨拶を聞いて、ルナとベロニカはにこりと微笑んだ。
「今日はベロニカの自慢のパティシエが作ったタルトがあるの。お口に合うと嬉しいわ」
案内された丸テーブルに座ると、ティーポットとカップが用意されていて、メイドが丁寧な仕草でカップに紅茶を注ぐ。
ティースタンドにはハムサンド、チーズサンド、スコーンと昨日見たのと同じだが、三段目には可愛らしいタルトが盛り付けられている。
一口サイズのタルトカップの中にピンクとオレンジのクリームがたっぷりと詰め込まれ、真っ赤なイチゴが星の形に模られている。可愛らしい色合いにじっと見ていたのか、ベロニカが小さく笑いながら言った。
「それは私もお気に入りのタルトです。クリームはオレンジとザクロの果汁が入ったホイップクリームで、ちょっと酸味を強くしてますけど夏場でも食べられるように作ってあります」
ベロニカの説明を聞きながら、せっかくだからとタルトを摘まんでそのまま口の中に入れる。
彼女の言った通り、オレンジとザクロの酸味が強く感じるも、クリームの甘味で見事に調和している。タルトもサクサクで、食べ終えてもその甘味が舌に残る。
「……これ、ほんとに美味しいです……」
「うん……私もこんなの作れないよ」
「よかった……」
二人の感想にベロニカがほっと安堵の息をつくと、ふと彼女の細い左手首に金色に輝く腕輪をしていた。精緻な装飾が施されており、だけど日向もお世話になったこともあるそれに軽く目を見開いた。
(あれって……魔力抑制具?)
魔力が不安定な魔導士には、魔力の放出を抑えるための魔導具を装着されることがある。
魔力を上手く操作できない魔導士は周囲に被害を出さないため、一見おしゃれなアクセサリーの形をした魔力抑制具を渡し装着する義務がある。
だけど、ごく稀に
その症状の名は、マルム症候群。
魔力が回復しやすい反面簡単な魔法を使うだけで通常より何倍も消費してしまう、魔力熱と同じ魔導士にしか罹らない病気だ。一三歳に発症し、二二歳まで完治するもので、確実な治療法がないため自然治療に任せているが、通常より早く発症し中々治らない魔導士は、完治の兆しを見せない限り少しでも魔力の消費量を減らすために、魔力抑制具で症状を抑えている、と授業で習ったことがある。
分かりやすいほど見ていたせいなのか、ベロニカは苦笑を浮かばせると指先をそっと魔力抑制具に触れた。
「す、すみません……お目を汚してしまって」
「いえ、こちらこそジロジロ見てしまってすみません。あの……ベロニカ様は、その……」
「ベロニカで結構です。私は……家の厄介者なので様付けで呼ばれる立場じゃないんです……」
ぎゅっとスカートを握り占める彼女は、紅茶に映る自分の顔を見つめながら言った。
「私の母はヴァレンティア家の当主……つまり父の愛人でした。母は一人でパティスリーで働いていて、父のことを話さないまま私を育ててくれました」
上級魔導士家系当主の愛人。
それがどういう意味をしているのか、日向も心菜もそこまでお子様じゃない。
「三年前、母は肺炎で亡くなり、私は父の命令でヴァレンティア家に引き取られました。でも……その時に本妻の方に頬を叩かれたのは少し驚きました。『この泥棒猫の娘が! わたくしは一生、あなたみたいな薄汚い子をこの家の人間なんて認めないから!!』って罵倒されて……お母さんもひどいですよね、少しくらい話してくれたらあそこまで混乱しなかったのに」
あはは、と軽く笑うベロニカだったが、日向達は誰も笑わなかった。
「それで、魔導士としての適性もあったから家の家庭教師に魔法を教わったんですが……中々上達しない上に魔力切れを何度も起こして……。さすがに不審に思った父が病院で検査したところ、私はマルム症候群に罹っていると診断されました。幸いにも二二歳で症状が治るものでしたが……その間の私は役立たずで、家では元々なかった居場所がさらになくなって……、私は毎日のようにお
「もういい。それ以上はいいよ、あなたが辛くなるだけ」
徐々に涙声になるベロニカに気づいて制止しようとするも、彼女は首を横に振る。
藍色の瞳に涙を浮かばせながらも、彼女はまた語る。
「でも……その時アレンが現れて、私を婚約者にしたいと頼み込んだんです。これには父も含めて家族全員が驚きました。アレンはたまに宮殿を抜け出して、よく母の店でケーキやパンを買っていた常連で、店の人に私の話を聞いた彼は、国王陛下に頼み込んだらしいんです。私も状況が理解できないままアレンの婚約者になって、宮殿で暮らせるように取り計らってくれました。
……もちろん、最初は同情で私を婚約者にしたんだと思ってました。彼とは店でよく会って世間話をする仲でしたから。……だから私、彼に訊いたんです。『どうして私と婚約したんですか? 私はマルム症候群で役に立たない女なのに』って。そしたら……」
ベロニカは白い頬を薔薇色に染めて微笑んだ。
「『俺、店で出会った時から君のことがずっと好きだったんだ。庶民との結婚は家臣がうるさいからできないって諦めてたけど……いい家の子ならどんな訳ありでも婚約できるって思ったんだ。俺は、君と婚約したことは一生後悔しないよ。だって、俺とこんなに気が合う子は君しかいないんだから!』って、そう言ってくれました……。嬉しくて大泣きしてしまった私は、その後すぐに彼との婚約を承諾しました。……私は今、とても幸せです。だからそんなに気に病むことはないですよ」
微笑むベロニカの顔は本物だ。彼女は辛い境遇にいながらも、幸せを掴み取った。
そんな彼女が望むのは謝罪ではない。話をしてくれたことに対する感謝だけだ。
「……そうですね。貴重な話をしてくれて、ありがとうございます」
「私の方からも感謝します」
「……はい」
日向と心菜からの感謝にベロニカが頷くと、ルナはパンパンッと軽く手を叩く。
「さあ、お茶会はまだ始まったばかりです。次はあなた達の話を聞かせてください」
ルナに促されて、日向と心菜は学園でのことを話した。
授業中に魔法を失敗したこと、美味しい学食を食べたこと、樹が面白い魔導具を作ったこと。どれもが二人にとってはいい思い出で、ルナとベロニカは笑いながらその話に耳を傾ける。
その後は、日が暮れるまでお茶会を楽しんだ。
☆★☆★☆
「ふう」
お茶会を終えて自室で夕食を摂った後、日向はバスルームから出て一息ついた。
スクエアネックの周りにレースがついていて、真ん中に細いリボンが結ばれているネグリジェ姿の日向はタオルで長い髪を乾かしながらベッドに腰を下ろす。
今日は楽しい一日だったが、やはりこうも静かだと嫌な予感がして仕方がない。
(今日は悠護だけじゃなくて陽兄とも会わなかったな……一応連絡してみようかな)
スマホを手にしようとすると、突然ノックしないまま扉が開かれる。
侵入者だと思い込んで枕下に隠していた《アウローラ》を取り出して銃口を向けるも、現れたのはラフなドレス姿のルナだ。
「る、ルナさん!?」
「ルナでいいわ。こんな夜遅くにごめんなさい」
慌てて《アウローラ》を仕舞う日向にルナは苦笑を浮かべると、そのまま彼女の隣に座る。
予想外の来客に混乱する日向を余所に、ルナは口を開く。
「……今回、私の予言のせいで随分と迷惑をかけたわ。ごめんなさい」
「い、いいですよ! その予言がアイリス様のことだって証明されればお役目御免ですから」
今回日向達がイギリスに来たのは、アイリスが予言の相手だという証明のためだ。それさえ分かってしまえば日向達は無事に日本に帰れる。
だけど、ルナの顔は陰っている。
「そうね……誰もがアイリスを【起源の魔導士】の生まれ変わりだと思っているけど、私はあの予言の相手が彼女だと思えない」
「それは……予言自体が間違っているということ?」
「いいえ、月を介した未来予知魔法は一度も外れたことはない。だからこそ【月の姫巫女】なんてものがいるの」
日向の言葉にルナが否定すると、彼女は自分の両手の平を見つめる。
「予言は言葉をそのまま受け入れるんじゃなくて、予言の言葉を解釈しなくてはならない。私は何度もあの予言を解釈したけれど、やはりその相手がアイリスじゃないと思い至るの」
「……じゃあ、もしそのアイリス様じゃなかったから、一体誰が……?」
「そこまでは私も分からない。だけど、これだけは覚えといて。予言がもたらす結末は、必ずあなたさえも巻き込むことを」
あまりにも重々しい言葉に日向が息を呑むと、ルナは苦笑を浮かべて「そろそろお暇するわね。夜分にごめんなさい」と言ってベッドから立ち上がる。そのまま扉に向かう彼女の後姿を見て、日向はベッドから立ち上がる。
「あ、あの! 明日、また話しましょう! 今度はあたしが作ったお菓子を持ってきますから!」
突然のお誘いにルナはきょとんと目を丸くするも、くすりと笑いながら言った。
「はい、喜んで」
その日の夜、悠護は宮殿の周りを歩いていた。
監視されるように食事を見られ、気分転換に図書館や宮殿周囲を回るもメイドや使用人の目があって息苦しさを感じた。夕食は樹の部屋で一緒に済ませて、ベッドに潜って深夜を待った。
さすがに近衛兵はいるも、日中より人は少ない。宮殿の裏側までくると、近くの木の下に座り込むと息を吐いた。
「やっと一人になれた……。ったく、しつこいくらいに監視しやがって。俺達が何もするわけねーだろうが」
いくら今が緊迫した状況でも、誰彼構わず目を付けるのはやめて欲しい。あんなんじゃさすがにバレるだろう。
「あー……くっそ、日向に会いてぇ……いや、贅沢は言わないから声だけ聴きたい……」
今日は例の【月の姫巫女】のお茶会に呼ばれたせいで会えずじまいだったが、監視のせいで精神を擦り減らした悠護にとって好きな少女の声を聞ければ幾分か心が楽になるかもしれない。
「でももうこんな時間だしな……どうすっか」
スマホを片手に悩む悠護の耳に、パキッと枝が折れる音がした。
すぐに警戒心を上げて後ろを振り向くが、そこには誰もいない。だけど、目には見えない気配だけは感じられた。
「……誰だよ。出てこい」
いつもより低い声で呼びかけると、くすくすと鈴が転がるような笑い声が響く。
「えへへ、失敗しちゃった」
すぅっと蜃気楼のように姿を現したのは、栗色のショートボブと瞳をした可愛らしい一人の少女。
水色のワンピースの上に白いストールをかけている少女の細い肩には、ぬいぐるみサイズの白い竜がお行儀よく乗っかっている。
「初めまして、わたしはアイリス・ミール。こっちはわたしが契約した魔物のエヴェだよ。よろしくね」
「……【起源の魔導士】の生まれ変わり様がこんなところになんの用だよ」
何度も聞いた名に悠護は眉間にシワを寄せながら問いかけると、アイリスはくすくすと笑う。
男なら一度は見惚れてしまう可愛らしい笑みだが、悠護の目にはドロリとした嫌悪感と寒気が襲い掛かる。
「わたしはちょっと夜の散歩してたんだけど、こんなところであなたに会えるなんてラッキーだな」
徐々に距離を縮めるアイリスに悠護は思わず後ずさろうとするも、それよりも早くアイリスが自分の腕を掴んだ。
そのままぐっと顔を近づけると、アイリスは頬を紅潮させながら囁く。
「やっと見つけた。わたしを守る、わたしだけの王子様――」
直後、アイリスの唇が悠護の唇に触れた。
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