第144話 晩餐会の夜はオルゴールの音色と共に過ぎる

 案内された王座室は赤い壁紙に金のレリーフや金が施された白い柱や同色の壁材の一部がある。床全体には赤い絨毯が敷き詰められていて、その目の前にある赤いビロードの天蓋の下には壇があり、その上に赤と金の椅子が二脚置かれている。

 その椅子の上には黒のシングルスーツ姿の男性と薔薇が刺繍された総レースの白いワンピース姿の女性が座っている。その二人が国王夫妻であることくらい、日向達はすぐに察した。


 オールバックにした金髪とカーネリアン色の瞳をした精悍な顔つきをした男性が、レオンハルト・ユン・アルマンディン国王陛下。

 色素の薄い金髪を三つ編みの編み込みを混ぜたお団子にして、マラカイト色の瞳をした女性が、オリヴィア・ユン・アルマンディン女王陛下。

 この国を統べる、正統なる統治者。


「わざわざこの国にまで足を運んでもらいありがたい」

「いいえ、お気に召さらず。私達は王命に従っただけですので」


 カチコチに緊張している教え子の代わりに答えるのは陽だ。

 王星祭レクスではスポンサーである各国の要人も会場まで赴いて鑑賞することもあり、後夜祭として開かれる晩餐会では何度も顔を見合わせるらしい。

 その時から培った処世術をフル活用している。


「クリスティーナから説明は受けたと思うが、【月の姫巫女】の予言と『始祖信仰』の件で貴殿らには多大な迷惑がかかるだろう。数日後、四大魔導士の縁のある土地でアイリスの【起源の魔導士】の生まれ変わりとしての目覚めを促す儀式を行う予定だ。その儀式には貴殿らにも同行し、もし何も問題がなければ『始祖信仰』の暴動も沈静化しすぐに帰国の手配もできるだろう」

「父上、まさか『継承の儀』にこの女も同行するのですか? 彼女はアイリスを狙っている刺客なのかもしれないのですよっ!?」


 ヴィルヘルムが日向の方に指をさして言うのを見て、レオンハルトは軽く眉を顰めた。


「ヴィルヘルム。なんの確証もない相手を疑うのはやめろと何度も申したはずだ。それに『継承の儀』には【紅天使】だけでなく『時計塔の聖翼』も総動員で警備する。それでは不服か?」

「……………………いえ、出過ぎた真似を」


 父からの鋭い眼光に委縮したヴィルヘルムは、深く頭を垂れた。

 少しだけ張り詰めた空気に、オリヴィアがにこりと微笑んだ。


「『継承の儀』まではまだ日があります。このご時世ですので王宮の外には出れませんが、ぜひゆっくりしてください。夕方には晩餐会を開きますので、楽しんでね」


 マラカイト色の瞳を細めて微笑むその姿に思わず感嘆の息を漏らす。

 母親としての母性と女王の威厳を併せ持った彼女は、日向にとってあまりに見ない女性だ。隣の心菜も自分と同じくオリヴィアの姿に見惚れていた。

 その後、王座室で待機していたクリスティーナに案内され、各自用意されたスイートルームに入った。


「うわぁ……やっぱり豪華だ……」


 自分の部屋より六倍ある室内は、壁は金箔の文様が張られた白い壁紙で統一されていて、広いベッドは紗のカーテンがついた天蓋ベッド。鏡台とクローゼットも縁に細やかな細工が施されている。浴室は猫足のバスタブと洗面所が一緒になっていて、ヨーロッパでは珍しくトイレは別だ。

 ひとまずスーツケースから衣服や旅行グッズを取り出して片付ける。今年は去年と同じ冷夏で、上着を一枚羽織らなければ肌寒い。よそ行きの靴や服だけでなく半袖の服の上から羽織れるカーディガンも持ってきた。


 式典として着ていくものが分からず、陽とギルベルトと助言を借りて聖天学園の制服も用意した。

 一通り片付け終えて息を吐くと、ドアがノックされる。


「どうぞ」

「失礼します。【月の姫巫女】ルナ・ヴァン・プリシア様から伝言をお預かりしました」

「伝言……ですか?」


 許可を得て入ってきたメイドの言葉に日向は首を傾げる。

【月の姫巫女】のことはクリスティーナから聞かされたが、何故そんな人物が自分を呼んだのか理由が分からない。

 ひとまず金箔押しのメッセージカードを受け取り、二つ折りにされているそれを開く。


『明日の午後三時、中央庭園で女の子限定のお茶会をしましょう

                   【月の姫巫女】ルナ・ヴァン・プリシア』


 ご丁寧に日本語で書かれた簡素なメッセージに、日向は思考を巡らせる。

【月の姫巫女】ならば日向の身辺についても知っているだろうし、もしかしたら無魔法を使える謎に一歩近づくヒントになるかもしれない。

 それに『女の子限定』と書かれているのを見るに、心菜にも同じメッセージカードが贈られているのだろう。


「確認しました。【月の姫巫女】様からのお誘いをお受けしますとお伝えください」


 日向の言葉にメイドが無言で頷くと、「失礼しました」と言って室内を出て行く。

 再び一人になった日向は、晩餐会までやることがない。本当ならみんなと一緒に観光しようと思ったが、例の件で無闇に外出ができない。

 結局、晩餐会が始まるまで学校からの宿題で時間を潰すことにした。



 あの後、たった半日でテキストを終えるという快挙を成し遂げた日向は、持ってきた聖天学園の制服を身に付けて晩餐会の会場となる食堂に来た。

 メイドの一人に案内されている途中、たまに通りかかる使用人達が日向の顔を見てひそひそと話していたが、何を話していたのかは分からなかった。


 自己防衛として専用魔導具《アウローラ》は持ってきたが、ボディチェックがあると思って持ってきていない。そしてその勘は見事に当たり、メイドによるボディチェックをクリアした。

 やはりというべきか、日向達生徒組は全員制服姿で、教師である陽は入学式と卒業式の時しか着ないスーツ姿だった。


 シャンデリアが連なる食堂の壁には数名のメイドが背筋を伸ばした姿勢で待機しており、テーブルクロスが敷かれた長机には銀食器と花器が並べられていて、すでに王家全員とその血縁に当たる者が数名ほど着席している。

 執事に椅子を引かれた場所に各々が座ると、サービスワゴンから運ばれた料理が目の前に置かれる。


 晩餐会の食事はフルコースになっているのか、チーズや野菜、ペーストが盛り付けられたカナッペが前菜として出された。ペーストは鶏のレバーを使っているが、臭みがなくこってりした旨味だけが詰まっている。

 なるべく音を立てないで食べることに集中していると、親族が何かの会話をしている声が聞こえてきた。


「【起源の魔導士】の生まれ変わりが現れて我が国も安定したと思ったのに、非信仰派の活動は日に日に目に余りますわ」

「全くだ。かの四大魔導士は我ら魔導士にとっては神同然の存在、その存在を否定するなど嘆かわしい」

「ですが、そのアイリス様もヴィルヘルム様に守っていただくなんて幸運なんでしょうね」


 壮年の女性の言葉にヴィルヘルムが軽く微笑む。身内同士の会話に入る勇気はない日向達はなるべく無関心で料理を食べ続ける。

 スープはトウモロコシのポタージュ、魚料理はタラのハーブソテー、サラダは半熟卵のシーザーサラダ、肉料理はローストビーフ、デザートはヴィクトリアサンドイッチケーキだ。

 どれも一流の料理人によって作られているおかげで日本人の舌にも合う料理だったが、会話がずっとお家自慢やアイリスの話ばかりだった。


 アイリスの話題が出ると、ヴィルヘルムが頬を赤く染めながらアイリスが如何に愛らしく至高の存在なのかを長々と語り、親族や家族の意識が逸らされている時はしきりに日向の方を軽く睨みつけていた。

 もちろんギルベルトがすぐに気づき、机の下で彼の足を踏んだのかヴィルヘルムの顔が少しだけ歪んだ。


 食事が終わり、各々がスイートルームへと帰ろうとすると、学園の制服姿のギルベルトが声をかけた。


「急な晩餐会に参加させてすまなかったな」

「気にしなくてええで。こっちもイギリス本場の料理を堪能できたしな」

「そうそう。イギリス料理ってマズいイメージがすごいあったから逆に驚いた」


 陽と樹が特に気にしていない様子で話すのを見て、ギルベルトはほっと胸を下ろした。

 ふと夕食前のことを思い出して、日向が軽く挙手をしながら言った。


「あ、そうだ。ギル、あたしのところに【月の姫巫女】からのお茶会に誘われたんだけど……オッケーしてもよかったよね?」

「……なんだと?」


 日向の言葉にギルベルトの体が固まる。しかもダラダラと冷や汗を流して。

 そんな彼を余所に日向は心菜に「お誘い来たよね?」と問いかけると「うん」と返事が返ってきた。

【月の姫巫女】による女子二人へのお誘いを聞いて、彼は目を逸らしながら訊いた。


「あー……それはオレも参加できないのか?」

「女子限定って書いてあったから、多分無理だと思う」

「そうか……」

「随分と歯切れの悪い返事だね。君と【月の姫巫女】に何かあるの?」


 いつもと様子の違うギルベルトに怜哉が突っ込むと、彼は両手で頭を抱えてしまう。

 あまり見ない狼狽えっぷりに誰もが息を呑むと、ギルベルトは観念したかのようにため息を吐いた。


「…………【月の姫巫女】ルナ・ヴァン・プリシアは、オレの婚約者だ」


 答えた瞬間、誰もが非難じみた目をギルベルトに向けた。

 ここにいる全員はギルベルトが日向にプロポーズしたことを知っている。つまり彼は、婚約者がいなから他の女を口説いたことになる。いくら王子でもやっていいことと悪いことがあるだろう。

 その目にさすがの第一王子も見過ごせなかった。


「なんだその目は! オレだってその辺りはちゃんと解決しないといけないと思っているんだぞ!? 今回の帰国もそのためだ!」

「いや、だからって婚約者をほっぽり出して豊崎さんにプロポーズしたのは問題でしょ。その話が広まってるせいなのか一部の使用人の冷たい目が彼女に向いてたの知ってた?」


 怜哉の指摘に、日向は食堂に来るまでの道のりで使用人から向けられた目のことを思い出す。

 ギルベルトの件も漏れているなら、その原因である日向に向ける視線が冷たいのは当然だろう。


「君のプロポーズだけじゃない。【起源の魔導士】の生まれ変わりの件といい、無魔法の件といい、この国は豊崎さんにとっては針のむしろ。護衛したくても僕らでも限度だってある。その辺りはどうするつもり? まさかずっと部屋の中に閉じ込めておくわけ?」

「……それは……」

「俺が協力するよ」


 ギルベルトが何かを言おうとした瞬間、第三者の声が入る。

 驚いて振り向くと廊下に飾られている甲冑の影からアレックスがひょっこりと現れた。


「アレン、今なんと言った?」

「だから、ヒナタのことは俺も協力するって言ってるの。ちょうどベロニカもルナのお茶会に誘われたみたいだし、交友関係として利用できると思うよ?」

「ベロニカ?」

「俺の婚約者♪」


 樹の疑問にアレンが嬉しそうに答える。

 こんな奇天烈な少年に婚約者がいることに驚いていると、ギルベルトが納得の表情を浮かべる。


「ああ、なるほどな……確かにこの二人なら良き友人になるだろう」

「でしょ? それを口実にしちゃえばさすがに王宮内じゃ誰も手だしできないって。存分に俺達を利用してよ」

「そうか、じゃあ存分に使ってやろう」


 ベロニカについて何か事情を知っているのか、何も知らない日向達は二人の会話に入ることができない。


「うん、そうしてよ。……最近のヴィルはアイリスに付きっきりだけど、色々とギスギスしてるからね。これであの子の心も落ち着かせることができるよ」


 そう言うアレックスの言葉には、安堵と思慕の情が宿っている。彼もその婚約者のことを大切にしている気持ちがとても伝わってくる。

 正直に言うと明日のお茶会は少しだけ気が重かったが、そこまで親しくないのに自分の身の回りのことを協力してくれる人がいると分かっただけでも気が楽になる。


(あたし、恵まれてるな……こんないい人達と出会えて)


 自分の周りにいる仲間達の人柄の良さに、日向は一人、嬉し笑いを浮かべた。



☆★☆★☆



 晩餐会から戻ったギルベルトは、着慣れた制服をベッドに向けて投げるように放ると、簡素なシャツと黒のスキニーパンツに着替える。一見シンプルに見える恰好だが、どの服も王宮お抱えの職人が作った高級品だ。

 このシャツ一枚でも日本円で一万円以上もするのだ。シャツと比べてランクが劣るも着心地のいい制服をクローゼットに戻しながら、ギルベルトは部屋を見渡す。


 自室は王座室と同じ金箔の文様が描かれた赤い壁紙が貼られており、天蓋ベッドの赤いカーテンの裾には金色の房飾りが付けられている。ビロード生地の赤いマットがかけられたヨーロピアンなチェストには、これまで撮った家族写真が飾られ、小さな箱も置かれている。

 おもむろにチェストに近づいて箱の蓋を開けると、小さなメロディが流れる。


 まだ婚約者になる前だった頃のルナから贈られたオルゴールは、今のギルベルトにとっても大切な宝物だ。

 ゆっくりと流れる可愛らしい音に小さく笑みを浮かべると、


「へぇ、結構いい音色だね」

「うおっ!?」


 突然聞こえた声に驚いて、ギルベルトは慌てて振り返る。

 立っていたのは制服姿のままの怜哉で、今回は両親の前というのもあって普段着ないブレザー姿は新鮮さを与えた。


「怜哉、いつ入ってきた」

「さっき。君に話したいことがあってね」

「話?」

「とぼけないでよ。豊崎さんと婚約者さんのことだよ」


 腕を組んだ怜哉は、気怠い雰囲気を出しながら壁にもたれかかる。


「最初、君は本気で豊崎さんを未来の妃にしようとしていた。けど最近の君は豊崎さんのことを友人のように接している。もちろん恋愛感情は少なからずあるだろうけど……正直なところ、君の気持ちは婚約者である【月の姫巫女】の方に傾いてるんじゃない?」


 その言葉にギルベルトは沈黙する。

 怜哉の言ったことは全部推測だ。だけど『灰雪の聖夜』以降、日向と悠護は互いに惹かれ合っている。それがこの王子が気づいていないはずがない。

 沈黙を保っていたギルベルトは、怜哉のアイスブルー色の瞳を見つめるとため息を吐いた。


「……日向にプロポーズを申し込んだのは。本当に一目惚れをしたからだ。だが、過ごしていく内に次第に〝妃〟として幸せにすることよりも〝一人の少女〟として幸せにすることを望んだ。その幸せをする者が悠護ならばオレは喜んで祝福するつもりだ」

「……? どういう意味?」


〝妃〟として幸せにする。〝一人の少女〟として幸せにする。

 同じ意味として捉えることもできるけれど、怜哉にとってはこの二つの言葉には自分が考えているよりも別の意味が込められていると察することができた。


「それに、ルナは昔からずっとそばにいた。そのあいつがオレの考えていることくらい予想している」

「じゃあ、君は婚約者を捨てて豊崎さんを選ぶの?」

「どちらを選んでも、オレは結局彼女らに重責を背負わせる。ならばオレは、片方にフラれたら後腐れなくもう片方のことを愛する。もしそのどっちもなければ――オレは二人を平等に愛そう」


 第一王子の宣言に、白の剣士は呆れた表情になった。

 イギリスでは重婚は違反だが、魔導士同士――特に王族や上級魔導士家系ならば話は別だ。魔導士の確保に取り組む国にとって、優秀な魔導士の血を引く子供は多い方がいい。

 わずかな可能性を手に入れるため、外国の王族と上級魔導士家系は特例として一夫多妻制もしくは多夫一妻制を許可している。


 もちろん魔導大国イギリスはその制度を許可しており、現に上級魔導士家系には妻を数人持つ家が存在する。

 今の国王夫妻はその制度を利用していないが、ギルベルトにその気があるならば二人を妃に迎えることも可能だろう。


「……あっそ。精々頑張りなよね」

「ああ、おやすみ」


 知りたいことを知れてすっきりした怜哉は、速足で部屋を出ようとする。

 だけど、


「そういえば、白石。お前こそ日向のことをどう思ってるんだ」


 扉のノブに触れようとした瞬間に投げられた質問に動きが止まる。

 ざわつく心を落ち着かせながら、怜哉はギルベルトの方へ振り返る。


「……どうって、別に。僕はただ男女の痴話喧嘩に興味はないけど、巻き込まれたくはないからね。そこに僕の気持ちどうこうは関係ない」


 そう言い捨てて部屋を去る怜哉を見送る。

 残されたギルベルトは、いつの間にか止まっていたオルゴールの箱の中にあるぜんまいを巻いた。


「関係ない、か。……をしといて、何をほざいているんだ」


 ――あんな、叶わない恋をしている男の顔を。


 部屋を出て行く前の白の剣士の顔を見た王子のぜんまいを巻く手を止めると、オルゴールは再び曲を奏でた。

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