第143話 二人の王子と救世主の少女

「ここがバッキンガム宮殿です。本来ですとこの時期は一般公開されていますが、で今年は中止させています。それと、滞在期間中はスイートルームで寝泊まりすることになっています」


 クリスティーナが先頭に立って説明をしていると、扉の前で待機していたメイド達が日向達のスーツケースを持つ。一人につき荷物一個というのを見ると、とりあえずは賓客として扱われているようだ。


「敷地内では刃傷沙汰は当然のこと器物破損も『決闘』も禁じられています。魔法の特訓がしたいのでしたら、王宮の地下にある訓練場をお使いください」


 案内されながら近衛兵が扉を開ける。ギギィィィと重々しい音を立てて開かれると、足は自然と中に入る。

 シャンデリアの水晶の光が眩しく輝くエントランスホール。床は毛足の長い臙脂色の絨毯が敷かれ、壁面には豪華な金色のレリーフが施されている。繊細な絵が描かれた花瓶や絵画も素人の目から見ても高価なもので、正面の螺旋階段の踊り場の壁に飾られている現国王夫妻の肖像画は圧巻だ。


「ヒャッホ――――!」


 誰もが異国の雰囲気に呑まれようとした瞬間、どこからか陽気なかけ声を聞こえてきた。声をした方を見ると、一人の少年が螺旋階段の手すりにのって滑り降りようとしていた。楽しそうな顔をしていた少年も日向達を見るとぎょっと目を見開き、慌て始めた。


「うわわわっ、『浮遊ナタレ』!」


 詠唱を唱えるとレッドスピネル色の魔力が可視化され、手すりから床へと滑落する前に少年の体が浮く。滑り落ちてきた時の姿勢のまま宙で体の向きを変えて、そのまま足を床につける。


「いや~、危なかった~。もう少しでとんでもない格好になりそうだったよ」

「今の時点でオレはとても恥ずかしいぞアホ!!」


 呑気に笑う少年の頭を、ギルベルトがパシンッ! といい音を出しながら叩いた。

 強化魔法を使っているのか、彼の右手は僅かに金色の魔力を纏っている。


「いった~!? ギル、久しぶりの再会なのにひどくない!?」

「ひどいのはお前のその頭だ。またエントランスの手すりを滑りおって、いい加減にしないか! ……まあいい。それよりも、ちゃんと挨拶をしろ。客人の前だ」

「あ、そっかそっか」


 ギルベルトからの指摘を受けて少年は日向達の前に立つと、右足を引き、右手を体に添え、左手を横方向へ水平に差し出す。ボウアンドスクレイプという、男性のお辞儀だ。

 さっきまでの子供っぽさが消えた様子に、誰もが思わず息を呑んだ。


「初めまして、極東の国の魔導士達。俺はアレックス・フォン・アルマンディン、この国の第三王子です。先ほどは見苦しいところをお見せしてしまい申し訳ありませんでした」


 すらすらと挨拶する少年――アレックスの姿に、日向は注意深く観察する。

 明るい金髪とレッドスピネル色の瞳、顔立ちは年相応というよりはやや幼い。深緑色のベストの下のシャツは襟を上に立たせ、第二ボタンまで外し、裾を腕半分まで捲り上げている上に裾を外に出している。黒い半ズボンは付いているはずのサスペンダーを掛けないで外に出していて、ガーターベルト付きの黒い靴下の上には白い編み上げブーツを履いている。


 王子というより育ちの良い学生という恰好をしている。そんな日向の視線に気づいたのか、アレックスはお辞儀を解くとにこやかに話す。


「ああ、この恰好は単純に俺の好みだよ。俺、堅苦しい恰好嫌いなんだよね。式典の時は仕方なく着るけどさ」

「そうだな。オレも式典の恰好はあまり好まん」


 弟の言葉に兄が同意していると、アレックスはおもむろに日向に近づいて髪を一房掬い取った。


「え、あの……」

「ごめんごめん、ちょっと気になってさ。……うーん、見事な琥珀色だ。【起源の魔導士】もちょうどこんな感じの髪色と瞳をしてたって話らしいけどさ、あれってどこまで真実だろうね。肝心の肖像画は『落陽の血戦』で【紅天使】が所有してるの以外は全部焼失しちゃったぽいし。あ、そういえば君、無魔法使えるんだよね? よかったら俺にも――」

「――アレン! 貴様、そこで何をしている!?」


 矢継ぎ早に出されるアレックスの質問に戸惑っていると、神経質そうな声がエントランスホールに響く。

 例の螺旋階段から降りてくるのは、ベージュに近い金髪をうなじで一つにまとめた少年だ。いかにも王子様というキラキラな雰囲気を出しているが、怒りを前面に出しているせいでせっかくの美貌を台無しにする。


 裾に金糸で刺繍された裾が長めの黒い上着を羽織り、ロイヤルブルー色のベストの下は黒のシャツを着てベストと同じ色のネクタイをしている。黒いズボンと磨かれた黒い革靴を履いている少年を見て、アレックスはにこやかに手を振る。


「あ、ヴィル。久しぶりに顔見たね。アイリスの方はいいの?」

「アイリスは今勉強中だ。その間優雅に茶を楽しもうとしたのに、貴様の声を聞いて駆けつけたのだ。今度は何をやらかしたっ!?」

「えー、別に変なことはしてないよ。ただちょっと手すりに乗って滑ってただけだって」

「またか! 貴様という奴は王族という立場をちゃんと認識してるのか!? 私達は国民の顔なんだぞ、貴様のような奴は王家にとっては恥さらしだ! こんなのが私の弟なんで信じられないぞ!」

「そんなの二ヶ月前に会ったばかりの女の子にお熱になっているヴィル兄さんも同じじゃないか。今まで近寄ってきた女の子達には愛想笑いで追っ払ってたくせに、彼女のことはメロメロな笑みを見せるなんて天変地異もびっくりな変わり様だよ」

「貴様っ、私とアイリスを侮辱する気か!?」


 いつの間にかヒートアップし始めた喧嘩に誰もが口を挟めないと思った瞬間、雷音らいおんと共に可視化されたガーネット色の魔力を出すギルベルトに気づいた。

 彼のこめかみには青筋を浮かばせ、がっつり眉間にシワを寄せている彼の姿に、二人ははっと息を呑んで青い顔をして恐る恐る目線だけそちらに移動させる。


 直後、完璧に堪忍袋の緒が切れているギルベルトは、竜の鱗で覆われている両腕をバカ二人に目掛けて振り下ろした。


「――いい加減にしないか貴様らああああああああああああ!!」


 第一王子の怒声と共に、人体からは絶対に出ないはずの音と雷音がバッキンガム宮殿に響いた。




☆★☆★☆



「ほんっとうに、こんな愚弟共で申し訳ない」

「……いや、いいよ。お前も結構苦労してんだなってのが分かったから」


 クリスティーナに案内された応接間では、ソファーに座るギルベルトが深々と頭を下げていた。彼の右隣にいるアレックスともう一人の少年はたんこぶができた頭を押さえながら悶絶している。

 疲労感を出す親友の姿に、さすがの悠護も苦笑いのまま言った。


「で、今オレが殴ったバカその二はヴィルヘルム・フォン・アルマンディンだ」

「ひ、ひぃる……ばはほのはんっへ、ほれのころ……?」

「当然だ」


 殴られた瞬間に『雷竜』の力を使ったせいで軽く麻痺しているため、アレックスの口調は舌足らずになっている。

 弟の言葉にギルベルトが鼻で笑いながら答えると、ようやく痛みと麻痺から解放されたヴィルヘルムが口を開く。


「……自己紹介が遅れたな。私がヴィルヘルム・フォン・アルマンディンだ。わざわざ遠い国からよくお越し下さった」


 座りながらお辞儀をするヴィルヘルムだったが、彼のルベライト色の瞳には交友の色は一切なく、敵意の色しか宿っていない。

 しかもその敵意が日向に集中的に向けられているのを見て、すかさず悠護がパートナーを隠すように前に出る。


「自己紹介感謝する。俺は黒宮悠護、七色家が一つ『黒宮家』の次期当主だ。こちらは豊崎日向、俺のパートナーだ」

「ああ、知っているぞ。そっちの女はアイリスに危害を加えようとする要注意人物だ」


 ヴィルヘルムの辛辣な言葉に日向が目を見開いて硬直させていると、他の面々が嫌悪感を露わにした。アレックスは「あちゃー」と肩を竦め、ギルベルトは頭痛を堪えるように手で頭を押さえた。

 悠護もわずかに目を眇めると、はっと鼻で笑う。


「仮にも一国の王子がなんの罪のない少女に濡れ衣を着せるなんて世も末だな。そもそも、こっちはお宅の都合で巻き込まれたもんだ。謝罪こそすれ恨まれる筋はないと思うが?」

「ただでさえ微妙な情勢だというのに、無魔法使いが日本にいるという事実があること自体おかしいんだ。きっとそこの女がアイリスから無魔法の力を奪ったに違いない!」

「いやいやそんなのただのこじつけでしょ。そもそもアイリスが生まれ変わりだって予言されたのは二ヶ月前で、彼女が魔導士に目覚めたのは一年前以上も前なんだよ? 時系列的にそっちの方がおかしいって」

「そんなもの、魔法でどうとでもなる」


 麻痺から解放されて口調が戻った弟からの指摘を笑い飛ばすヴィルヘルムの態度は、温厚なはずの心菜すら顔を歪めるほどのものだった。陽も薄っすらと笑みを浮かべていると、目が完全に笑っていない。恐らく脳内で想像することすら恐ろしい所業を彼にしているのだろう。

 樹も怜哉も第二王子の人柄に肩を竦めており、彼らの中でヴィルヘルムはカースト最下位に位置づけられる人物だと判断したらしい。


 悠護も嫌悪と敵意を滲ませながら睨んでおり、日向もさすがに証拠もなく犯人扱いされて心中穏やかではない。

 応接間にぴりぴりとした空気が漂い始めた頃、クリスティーナがヴィルヘルムの前に来ると口を開いた。


「ヴィルヘルム様、いくらあなた様でもそれ以上の暴言は看過できません」

「なんだと……?」

「あなた様がアイリス様のことを気にかけているのはご存知です。ですが、推測だけでミス・ヒナタを犯人と決めつけるのは王族としてはあるまじき浅慮さです。先ほど、アレックス様を王族の恥さらしと仰いましたが、私の目から見てあなた様の方が王族の恥さらしです」

「クリスティーナッ! 貴様、私を侮辱するのか!?  もしそうなら貴様を不敬罪で牢に放り込むぞ!!」


 クリスティーナの言葉にかっとしたのか、ヴィルヘルムがソファーから立ち上がる。

 確かに彼女の発言は王族にとっては不敬罪として罰せられるおかしくない。だが彼女は第二王子の怒りの形相を前にしても、あくまで平静に答える。


「ええ、構いません。ですが、あなた様のその態度で誰かのお心が傷つくたび、アイリス様のお心も傷つくのです」

「な、何っ?」


 アイリスの話を出すと、ヴィルヘルムの顔色が変わる。

 まるで知られたくないことを知られたような顔だ。


「アイリス様はヴィルヘルム様が自分を守るために色んな方々に冷たい態度を取ることをあまり喜ばしく思っていないと仰いました。あの方の身が大切なら、これ以上の態度はおやめください」

「う、うむ……そうだな。私もアイリスに嫌われたくはないからな……」


 ヴィルヘルムの怒りが鎮火しソファーに座り直すのを見て、日向達は顔を見合わせる。

 どうやらアイリスに過剰なまでに過保護なっているのは、【起源の魔導士】の生まれ変わりとしてではなく、一人の少女として彼女の身を心の底から案じているのだ。


(多分……ううん、きっとこの人はアイリス様のことが好きなんだ)


 アイリスの名を出した時といい、彼の反応はあまりにも分かりやすい。

 それは他の兄弟も分かっているのか、やれやれと首を横に振っている。

 幾分か空気が和らいだところに、扉がノックされる。


「どうぞ」

「失礼します。皆様、国王陛下と女王陛下が王座室でお待ちです」


 クリスティーナの許可と共に入ってきたのは、髭を生やした白髪の老人だ。仕立てのいい燕尾服をきっちり着こなし、背筋もピンとしている。悠護の家にいた高橋より年は上みたいだが、それとは負けない貫禄がある人物だ。

 老執事の指示に従い、日向達は一斉に王座室へ向かった。



 アイリスは退屈していた。

【起源の魔導士】の生まれ変わりとして予言されて王宮で生活するようになったが、信仰派の非信仰派の対立が過激化し、以前は護衛ありで外に出ていたが最近では王宮の外すら歩くことすらままならなくなった。

 以前は目を輝かせていた部屋もドレスも今では当たり前のようになり、昔のように外で遊びまわった記憶が懐かしく感じる。


「ねぇ、メリッサ。わたし……」

「ダメです」


 カウチに腰かけるアイリスが何か言いかけようとするも、近くにいるメイドが一蹴されて頬を膨らませた。

 メリッサはアイリスに宛がわれたメイドで、顔は女性にしては少し強面だ。頬には傷があり、これは以前自分を狙う刺客から庇った時にできたものだ。


 年は三〇代後半と第一王子付きのメイドであるクリスティーナより年上だが、王家に仕える家の人間として生まれ、幼少期から王家のメイドとして仕え、さらに二年前に王家とゆかりのある上級魔導士家系の男性と結婚したこともあってクリスティーナの方が地位は上だ。


「ちょっと気分転換で外に出たいだけだよ。それくらいいいでしょ?」

「ダメです。それに本日から日本からの賓客も来ています。あなたの存在はあまり知られてはいけません」

「日本の?」


 日本。極東にあり、安全性の面で聖天学園が建てられる土地として選ばれた国。

 昔は黄金の国・ジパングと言われ、多くの国々がその国へ憧れを抱いた。その国の人間がここにいる。国を一歩も出たことのないアイリスにとって、その賓客の存在は興味の対象だ。


「ねえメリッサ、わたしその賓客を見たい」

「いけません。王宮内にも刺客がいる可能性があります。アイリス様、御身がいかに大事なのかご存知でしょう?」

「分かってるよ、メリッサ。わたしは特別な存在なんだよね」


 メリッサの言葉にアイリスはにこりと笑って頷く。

 ここに来た時からずっと、言われ続けた。自分は特別だと、この国だけでなくこの世界を導く救世主なのだと。

 現にアイリスは何度も刺客に狙われた。王宮では暗闇の中に紛れてたり、食事に毒を盛られたり。外では他人さえも巻き込む大きな事故を装ったことさえあった。


 それでも、今の生活は退屈だ。ヴィルヘルムが無害と認めた一部の上級魔導士家系の令嬢からのお茶会に参加しても、あまり面白くはなかった。

 それ以外は淑女の教養を学んだり、慣れた刺繍をして暇を潰したけれど限界だ。


「お願いメリッサ、少しだけでいいの。ちゃんと魔法で姿を消すし、部屋の前の廊下から覗くくらいいいでしょ?」

「…………仕方ありませんね、一分だけあげます。ちょうど廊下の窓から王座室に続く廊下の窓がありますから」


 やっと折れたメイドにアイリスはぱぁっと花咲く笑みを浮かべると、さっそく魔法をかけて姿を消す。

 メリッサが外を出て窓掃除をするフリをしている横で、アイリスはこっそりと窓を覗き込む。


 王座室までの廊下を歩く、色の違う集団。見慣れたヴィルヘルムとアレックス、それと一度も会ったことはないが第一王子のギルベルトもいる。

 誰もが容姿が整っていて目立つけれど、その中でもアイリスの目が引いたのは二人の少年少女だ。


 少女の方は光の角度で色合いが変わる琥珀色の髪と瞳をしていて、痩せっぽちだけどすらっとした体型で自分と比べて可愛らしくも大人っぽい。以前、ヴィルヘルムが自分に危害を加えるだろう無魔法使いの少女がいると言っていたが、恐らく彼女のことだろう。


「そっか……あの子がわたしの敵キャラなんだね」


【起源の魔導士】の生まれ変わりが持っていなければならない無魔法を持っている少女。国がその魔法を自分に覚えさせようとしているのは知っているが、裏では何かをしようと企んでいる。

 でも、それは自分のためだ。そのせいで彼女がどうなるかなんてアイリスにとっては知ったことではない。


 そう考えて、アイリスは少年の方を見る。

 夜空のような黒髪とジト目になっている瞳はルビーのような真紅色をしている。幼さが残っているもクールな顔立ちは、昔から抱くアイリスの好みだ。

 少年の容姿を見て、ふとあることを思い出す。


「そういえば、【起源の魔導士】の恋人だった【創作の魔導士】って、さっきの彼と同じ容姿をしてたって話だよね」


からす』の名前を持ったかの【創作の魔導士】は、窓から見たあの少年と酷似した容姿をしていると宮殿の書庫で見つけた書物にそう書いてあった。

 王宮の中でアイリスの伴侶に相応しい男性を探しているらしいが、彼女にとってはいい迷惑だ。

 自分のお婿さんになる相手くらい、自分で選びたい。


「ヴィルには悪いけど、きっとあの人がわたしの永遠の王子様なんだ。絶対そうだよ」


 ヴィルヘルムもこの国の王子で、自分のことを大切にしてくれている。だけど、どれだけ容姿がよくて身分もよくても、残念ながらアイリスの好みではない。

 好きになる相手は自分で選びたい。ならば、アイリスがすることはたった一つだ。


「あの人を、わたしの王子様にする」


 小さく呟いたアイリスの目には、あの少年――悠護しか映っていなかった。

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