第142話 バッキンガム宮殿までの道のりで

 日本の羽田空港からイギリスのロンドン・ヒースロー空港まで片道一二時間。一日の半分を費やす航路は、飛行機初体験の日向や樹にとっては半端ない興奮を与えた。

 離陸と着陸にかかった重力もそうだが、自分が空の上にいる事実はよくバラエティー番組で観る墜落事故が起きないかと不安を抱いた。だがよくよく考えると、飛行機も魔導具の導入によって安全性が高まったこともあって無駄な思い過ごしだった。


 ギルベルトのコネをフル活用したおかげで、人数分のファーストクラスを取ってくれた。

 革張りのソファーのような客席とプライバシースペースが一人用として用意されていて、アラカルトから選べる機内食はどれも本当に機内食なのかと疑うほどの美味しさ。リラクシングウェアはオーガニックコットン一〇〇%で作られたため、夜はぐっすり眠れた。

 朝食も日本人の舌にあった和食を食べて、飛行機は目的地であるロンドン・ヒースロー空港に着陸した。


「さあ、着いたぞ。ここが我が国、イギリスだ」


 黄色いスーツケースをゴロゴロと引きながら、ギルベルトは空港の入り口にあるタクシー乗り場の前で両腕を広げた。

 黒塗りのロンドンタクシーが待機している乗り場越しから遠目で見える赤茶色の屋根の家々、空港ということで日本よりも自然が多い。空気も日本と違って清涼感がある。

 同じ日本からの観光客だけでなく、黒人も白人も入り乱れており、聞き慣れない外国語で会話している。


「いや~、来ちまったぜ海外……」

「うん……ちょっと感動してる……」

「そうだ、忘れない内にこれを渡しておくぞ」


 海外初体験組の二人が目を輝かせて感動に浸っているのを、海外体験済み組は微笑ましそうな顔で見ていると、ギルベルトがズボンのポケットから金色に輝く徽章を取り出した。

 円形のトップにはイギリスの国章とロンドンがある連合王国の国花である薔薇が刻まれている。


「これ何?」

「これは王族の賓客という証だ。この徽章の中にはICチップが仕込まれていて、チップにはすでにお前達の情報が入っている。これさえあればセキュリティには引っかからない。なるべくなくすなよ」


 ギルベルトの説明を聞いて各々が服の襟に徽章を付けていると、コツッと靴音と響く。

 靴音をした方を振り返ると、そこには一人の女性が立っていた。濃い目の茶色い髪を真っ直ぐ伸ばし、緑色のワンピースがよく似合っている。女性は柔らかそうな笑みを浮かべると、綺麗なお辞儀をする。


「お帰りなさいませ、坊ちゃま」

「……坊ちゃまはやめろ」


 女性の言葉にギルベルトが嫌そうに顔を歪めると、樹が小さく噴き出した。

 確かにギルベルトを「坊ちゃま」呼びなんてあまりにも新鮮で、樹が笑ってしまうのは少し共感できた。笑った本人はギルベルトからの制裁を受けている。


「初めまして、私はギルベルト様のお付きの侍女を務めさせているクリスティーナと申します。こちらが用意しましたリムジンに乗ってバッキンガム宮殿までお送りします」


 賑やかな空気に影響されたのか、柔らかな笑みを浮かべるクリスティーナに促されて日向達は彼女の後を追った。



☆★☆★☆



 クリスティーナが案内された黒塗装のリムジンに乗り込むと、ピラミッドのような形をしたオブジェと薔薇が生けられた花瓶も置かれているテーブルには、イギリス文化の象徴ともいえるティーセットが完璧に整えられている。

 キュウリだけを挟んだサンドイッチ、きつね色に焼かれたスコーン、プチサイズのパイとケーキが金色のティースタンドに盛られている。


「本日の紅茶はロイヤルブレンドをご用意いたしました。ストレートでも充分ですが、ミルクを入れることをおすすめします」


 王室御用達の老舗百貨店人気の紅茶がカップに注がれる。濃い目の褐色のお茶を一口飲むと、深いコクと蜂蜜のような味わいが口に広がる。

 おすすめ通りにミルクも入れると、さっきとは違う味わいになる。


「すごく美味しいね、この紅茶」

「さすが王室御用達の紅茶だな、味が他のより全然違う」

「んぐ、こっちのサンドイッチもウマいぜ。食ってみろよ」


 すでに手をつけていた樹に勧められてサンドイッチを食べると、ぱりぱりした食感ときゅうりの瑞々しさが口の中で広がる。

 きゅうりには塩コショウで下味をつけただけでなく白ワインビネガーのふりかけたのか多めに塗ったバターのコクがビネガーの酸味とよく合う。それでいてキュウリの味も負けていない。シンプルだけど色々と挟まっているサンドイッチより美味しく感じられる。


「きゅうりだけなのにこんなに美味しいんだね」

「昔は温室で育ったきゅうりは裕福さの証とし、自らの財力を誇示するためにサンドイッチにして出していたっちゅー話があるからな。今じゃ世界一栄養のない野菜として有名やからな」

「美味しけりゃ栄養のありなしなんて関係なくない?」

「……それゆうたら元の子もないで……」


 怜哉の言葉に陽が何とも言えない顔をするが、当の本人はサンドイッチをぱりぱり食べることに集中している。

 空港から高速道路に出ると、日向達が乗っているリムジンの他に普通の自動車や大型トラック、ロンドンタクシーが走っている。昔は黒塗装がほとんどだったロンドンタクシーだが、新型車に変わってからさ様々な塗装をしたロンドンタクシーが増えているらしく、ラッピング広告が貼られたロンドンタクシーも走っていた。


「……クリス、父上がオレだけでなく皆まで呼んだ理由はなんだ? 国に来るようにしか言われていないぞ」

「はい。実は二ヶ月ほど前、【月の姫巫女】の予言によって【起源の魔導士】の生まれ変わりと思しき少女が現れました」


 クリスティーナの言葉に、ギルベルトと陽が硬い表情になる。可視化されていない程度に魔力を放っているせいで、肌がピリピリと痛む。

 二人の反応についていけない他の面々だったが、樹が思い出すように言った。


「【起源の魔導士】って……四大魔導士の一人だろ? その生まれ変わりっているのか?」

「はい。イギリス本国では過去に二回ほどそれらしき人物を確認しましたが、結局は偽者だったとい記述があります。ですが、【月の姫巫女】は的中率が一〇〇%の未来予知の魔法を操る魔導士。彼女が下した予言は一度も外れたことはないのです」

「でもなんでその女の子が生まれ変わりだって断言したんですか? 確実な証拠とかないんですよね?」

「件の少女が【起源の魔導士】と血の繋がりがある遠縁の一族であると、DNA鑑定で判明しました。たとえ血が薄くても【起源の魔導士】の血を引いていることに変わりない、そうIMF本部と政府は判断しました」


 樹に続いてきた心菜の質問に、クリスティーナはすらすらと答える。その答えを聞きながらほとんどが納得の表情を浮かべた。

【月の姫巫女】と呼ばれる凄腕の魔導士とDNA鑑定、魔法と科学の両者を使った証明は確固たるものだ。その少女がどんな相手なのかは知らないが、『【起源の魔導士】の生まれ変わり』という証拠が出たならば国は諸手を上げて喜ぶだろう。


「浅慮すぎる。予言とDNA鑑定ではそう出たかもしれないが、当の本人が本当に生まれ変わりとしての素質を持っているかが問題だ」

「ですが、アイリス様……【起源の魔導士】の生まれ変わりの少女は、すでに王宮お抱えの魔導士の指導を受け、白竜の魔物を使役しています。それに魔力値も一〇万越えですし……」

「魔法の腕も魔力値も問題ではないっ! オレが言いたいのは、その娘が【起源の魔導士】しか使えない無魔法を使えるか聞きたいのだ!」


 ガチャン! と荒々しくカップをソーサーに置いたギルベルトの怒声に日向と心菜だけでなく悠護も樹もびくりと肩を震わせる。平静だったのは陽と怜哉だけだ。

 だけど、日向も魔法に関するもの全てを無効、もしくは消失させる無魔法が【起源の魔導士】しか使えないということくらい、授業ですでに習っている。そのせいで自分が何故無魔法を使えるのか、今も世界各国の研究所が頭を抱えながら真相を判明しようとしていることも。


「……いいえ、残念ながらアイリス様が無魔法を使える兆候はありません。だからこそ、彼女達をこの国にお呼びしたのです」


 クリスティーナの言葉にギルベルトは舌打ちした。


「そういうことか……要は日向が本当に無魔法を使えるかの事実確認をするために呼んだのか。そして、運が良ければ無魔法をアイリスとやらに覚えさせようと」

「はい。それもありますが、王宮内に『始祖信仰』の者が紛れていて、アイリス様の存在が噂程度ですが知られています。そのせいで今ロンドンでは信仰派と非信仰派の対立が活発化してします」

「『始祖信仰』?」


 あまり聞き慣れない単語に日向が首を傾げると、ジャムとクロテッドクリームを塗ったスコーンを食べていた怜哉が答えた。


「『始祖信仰』ってのは、四大魔導士を『神』として信仰している新宗教みたいなものだよ。他国だと砂粒程度のものだけど、イギリスだとかなりの信者がいるんじゃない?」

「その通りです。ですが近代においての科学の発展や魔導士差別主義者の増加によって、『始祖信仰』では四大魔導士を崇拝する信仰派と、『始祖信仰』を潰そうと企む非信仰派の二つが対立しています。今までは水面下で争っていましたが、今回の件で徐々に表でも争うようになりました」

「つまり、さっさとその娘の無魔法を覚えさせて、信仰派の力を確固たるものにしようとする魂胆か」

「……まあそれは別に問題はないわ。問題なのは、日向の方や」

「あ、あたしっ?」


 厳しい顔をする陽の言葉に日向が上擦った声を上げると、悠護は何かに気づいたのかクリスティーナを睨みつける。


「そういうことかっ……。お前ら、日向から無魔法をパクってそのまま消そうって魂胆か?」


 悠護の不穏な言葉に樹と心菜がはっと息を呑むと、怜哉は《白鷹》を仕舞っている竹刀袋の紐を解いた。そして日向も陽と悠護が言いたいことに気づく。

【起源の魔導士】の生まれ変わりと予言されたアイリスと、【起源の魔導士】しか使えないはずの無魔法が使える日向。

 もしどちらかが本物であるかと問われれば、それは日向の方だ。


 無魔法を使える魔導士は、歴代の魔導士の中では【起源の魔導士】アリナ・エレクトゥルムしかいない。たとえDNA鑑定で【起源の魔導士】の血族と判断されても、その魔法が使えなければ〝本物〟としては認められない。

 ならば、今回を機に日向から無魔法の術を盗み、アイリスに教えて使えれば彼女の存在は〝本物〟になる。


 ――そして、まんまと利用された日向が待つのは、口封じのための死のみだ。


「いいえ、そんなわけがありません。ですが王宮ではミス・ヒナタが『【起源の魔導士】の生まれ変わりを騙る偽者』だと思い込んでいる方がいます。彼女だけでなくあなた方は日本に保護される魔導士です、もしミス・ヒナタに何かあればそれこそ国際問題に発展します。そうならないために『レベリス』とも渡り合える実力を持つ他の方々もお呼びしたのです」

「ああ、なるほど。つまり僕達は王子様の友人としてだけじゃなくて、豊崎さんの護衛として呼ばれたわけだ」


 クリスティーナの弁明に怜哉は納得の表情を浮かべる。

 まだ学生の身ではあるが、ここにいるみんなは『レベリス』とやり合えるほどの力を身に付けた実力者だ。

 強い魔物と契約している心菜、『精霊眼』を持っている樹、七色家の一つ『白石家』の次期当主の怜哉、【五星】の二つ名を持つ陽、そして同じ七色家の一つ『黒宮家』の次期当主の悠護。

 日向の護衛としてならば、これほどまでに頼りがいのある者はいないだろう。


「はい。彼女と同じ国籍を持ち、さらに『レベリス』と互角に戦えるあなた方ならば、王宮にいる魔導士よりは信頼できると思います」

「今の状況が微妙だからね、一体誰が白なのか黒なのか分からない。ならば僕らを護衛にすればその心配がない。うん、実に合理的な判断だ」


 嫌味全開で言う怜哉の言葉にクリスティーナの顔が僅かに歪んだのを見て、樹が彼の脛に蹴りを入れた。戦闘経験豊富な怜哉は脛を蹴られても痛みで顔が歪むことはなかった。……若干眉間にシワが寄ったが。


「話は分かった。だから正直に答えろ。日向のことをそんな風に言ったのは誰だ?」

「それは……その……ヴィルヘルム様です」

「あの分からず屋かっ……一々問題を起こさないと気が済まないのか!?」


 気まずい顔で答えたクリスティーナの言葉に、ギルベルトはイライラしながら頭を掻いた。


「ヴィルヘルムって……誰だ?」

「オレの愚弟だ。天性の疑り深さを持った、プライドの高い分からず屋。あいつのあの性格はどんな名医でも治せん。バカと同じだ」


 あまりにも辛辣な評価を下したギルベルトに他の面々は微妙なリアクションを取った。


「それともう一人、第三王子のアレックス様がいます。あの方は誰もが予想しない魔法を使い、さらには王宮魔導士の高度な結界を一度で破る腕の持ち主です。……王宮の地下訓練場を何度破壊したか分かりませんが」

「よく分からんがすげー個性の持ち主ってことは分かった」


 目を逸らしながら無気力な笑みを浮かべる侍女を見て、悠護は微妙な顔をしながらそう締めくくった。

 これ以上は聞いてはいけない、と空気で伝わってきた。


「とにかく、アレンはともかくヴィルに何か言ってきたら無視しろ。あれと会話するのは時間の無駄だ」

「辛辣だなー、兄貴ってのは大変そうだ」

「やかましい」


 樹の軽口をギルベルトが一蹴すると、高速道路を走っていたリムジンはロンドンに入っていた。

 日本のように鉄筋コンクリート造りの建物は少なく、レンガや石を中心とした建物が多い。土地を最大限に使っているのか密集していて、ロンドンタクシーだけでなく二頭立ての馬車も走っている。イギリスでは未だ馬車文化がしつこく生き残っているようだ。


 馬車の他にも日本と同じ色をした赤いポスト、LEDが使われているヨーロピアンな街灯、二階建てのロンドンバス、フィッシュアンドチップスを売る屋台など日本と似ているが日本では見られない光景は、日向にとっては新鮮そのものだ。

 他の面々も同じなのが、外の景色をガン見する日向達を見て陽とギルベルト、クリスティーナも微笑ましそうに見つめる。


「――おい、景色を見るのはその辺にしろ。宮殿が見えたぞ」


 ギルベルトの呼び声に気づき、日向達はリムジンの前の窓からそれを見た。

 荘厳な白い建物、四角い形をした建物の天辺には赤地に金色の薔薇の花輪によって囲まれた王冠を戴く金色の竜が刺繍されている。

 これがイギリス国王レオンハルト・ユン・アルマンディンの王旗。あの旗があるということは、王族の在宅を意味する。


 黒い大きな帽子と赤い警官服を着た男性は、イギリスの近衛兵。手に持っている銃剣は鈍い光を放っていて、本物であることを伝えている。

 豪奢な門が音を立てて左右に開かれ、リムジンが敷地内へと入る。リムジンはゆっくりと正面入口の前で止まり、運転手が運転席から出るとそのまま後部座席のドアを開ける。

 先を促されて降りると、靴の上から石の固い感触を味わいながら、日向達は息を呑む。


(ここが、バッキンガム宮殿)


 初めて見る宮殿の雰囲気に押され、日向の心臓が緊張で大きく高鳴った。

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