第141話 王命

 七月一三日、その日は日向と兄の陽にとって、忘れたくても忘れられない両親の命日だ。

 今年はたまたま休日ということもあってその日に来られたが、一一年の間に命日当日に来られたのは片手の指の本数しかない。この日は普段はクローゼットに仕舞ってある喪服を取り出すのだ。

 

 水桶を使って墓石を綺麗にして、周囲の雑草を抜いて、仏花を飾る。

 時々個人で来ることもあるが、やはり二人だと仕事が早い。


「お父さん、お母さん、あたし達今年もなんとかやっていけてるよ」


 墓石に手を合わせながら、日向は最近起きた出来事を報告する。

 このお墓に来る時に今まであったことを話すのが当たり前のようになっていた。


「そうそう聞いて。陽兄ってば、また愛莉亜さんからの結婚話を誤魔化したんだよ? 妹としてはそろそろ結婚してほしいのにさ、ほんと変なところで優柔不断だよね」

「コラコラコラ何言わんでええこと言っとるんや」


 余計なことを言った妹の頭を軽く叩くと、陽はネクタイを緩めた。

 年に一回しか着ない喪服に慣れてないのか息苦しそうだ。


「言っとけど、結婚する気はこれでもあるんやで?」

「え、そうなのっ?」


 初めての兄からの告白に日向は目を丸くした。

 陽の恋人である高城愛莉亜は、世界魔導士武闘大会・王星祭レクスで三連覇を達成している魔導士で、【毒水の舞姫】の二つ名を持っている女性だ。

 かつて五連覇を達成した陽も【五星】の二つ名を持つ魔導士で、年も日向より一〇も年上。既に結婚適齢期になっている。


 魔導士は早婚が奨励されている。

 大体の魔導士が成典学園卒業後に結婚をしており、両親もその例には漏れなかった。もちろん法律には「魔導士はなるべく早く結婚する」なんてものはないが、血統を重んじる魔導士家系が築いたコミュニティから爪弾きに遭うのだ。


 両親はどちらも一般家庭でそんな面倒とは無関係だったが、母の晴の実家が魔導士差別主義者だったせいで、卒業と同時に絶縁を申し出されて家を追い出された。父の暁人はそんな母を見捨てることはせず、IMFの援助を受けながら二人で小さなアパートで暮らしたと陽から聞いたことがある。今の家は日向が生まれる前に父が購入したらしい。

 両親の記憶があまりない日向にとって、唯一の身内である兄から語られる両親の話はとても貴重なのだ。


「それよりもさ、本当に行くの? イギリス」

「当たり前やろ。もうパスポート用意してるんやで? それに、イギリス王室からの頼みじゃ断れんやろ」

「そりゃ……そうだけどさぁ」


 何を言ってるのかといわんばかりに肩を竦める陽を横目に、日向はその時のことを思い出す。



☆★☆★☆



 話は七月に入った頃まで遡る。

 フランスの第一級魔導犯罪組織『サングラン・ドルチェ』による誘拐事件後、日向達はいつも通りの日常を送っていた。

 去年から度重なる事件に巻き込まれていたせいなのか、日向達の魔法の腕は二年生どころか三年生でさえ凌ぐほどの実力を身に付けていた。


 実技の授業で使われる武器を持った魔導人形を無傷で倒し、奇襲や罠にも臨機応変に対応する。実に実戦向きな戦い方だった。

 ちょうど他のクラスとの合同授業だったため、日向達の戦闘スキルと魔法の腕はそのクラスの担任さえも訝しんでしまうほどのものだったらしく、授業が終わると他の教師が陽を問い詰めた。


 学校のカリキュラムにない内容をしているのではないか?

 もしやあの生徒達だけ依怙贔屓えこひいきしたのではないか?


 そんな質問に、陽は笑顔で答えた。


「ワイはどの生徒も平等に見ておりますから、依怙贔屓はしていません。もしあの子達の腕が教師であるあなた方から見て上だと判断したということは、彼女達の努力の賜物です。憶測で彼女達の尊厳を傷つけないでください」


 あまりにも爽やかな笑顔かつ『ウチの可愛い教え子をいじめんなボケカス』の心の声が聞こえる発言に、申し立てた教師もそれ以上は何も言わなかった。

 だが兄の証言だけでは充分な証拠にならないと申し、妥協案として日向達の魔力値を改めて測ることになった。


「スマンなぁ、面倒なことになってもうて」

「いや別にいいっすけど……魔力値ってそう簡単に変わるんすか?」


 簡易の魔力測定機能がついた紙を渡された樹の質問に、心菜は思い出すような顔で答えた。


「たまにだけど魔力値が変動することはあるみたいだよ。魔導犯罪課とかは結構な場数を踏んだ人の魔力値が一〇万越えしたって聞いたことある」

「一〇万!? そんなに上がんのか!?」

「当たり前だ。魔力は心身共に成長するごとにその質を変えていく。逆に怠慢ばかりで己を磨かぬ者は魔力の質を低下させる。どの世界においても努力や才能が結果の実を結ぶ」


 曖昧に答えた心菜の代わりにはっきりと答えたギルベルトの横で、悠護は魔法陣が描かれた紙をじっと見ていた。


「こんなのがあるなんて知らなかったな。あの大袈裟な盤はないのか?」

「ああ、あの最新型か? 意外とレンタル料が高くてなぁ。あれ、いくらか知っとるか? 一つ一〇〇万やで、壊して弁償したくないやろ」


 陽の言葉に以前その最新型を壊したことのある日向にとってはあまり聞きたくない話だった。

 悠護もその現場を目撃したことがあるせいで、「そうっすね……」と生返事するしかなかった。


「ほんじゃ、軽くその紙に血を垂らしつけて、四つ折りにしぃ。あとはこっちの魔法で魔力値を表示させるから」


 陽の指示通りに動きながら、日向は自身の親指の端を歯で噛み切って血を出す。そのまま紙に血を沁み込ませて四つ折りにする。

 それぞれが四つ折りにした紙を机の上に置いた。


「『解明インスティトゥティオニ』」


 詠唱と共に赤紫色の魔力が集められた紙の周りをぐるぐると渦を巻き、一点に集まると花火のように弾けた。


「もうええで、開いて見てみぃ」


 陽に促されて、やや緊張した手つきで自分の紙を取る。

 そのままゆっくりと開いた瞬間、誰もが自分の魔力値に息を呑んだ。


 豊崎日向 三五〇〇〇〇〇マギカ

 黒宮悠護 一九九〇〇〇〇マギカ

 真村樹 八七〇〇〇〇マギカ

 神藤心菜 七三〇〇〇〇マギカ

 ギルベルト・フォン・アルマンディン 二二〇〇〇〇〇マギカ


 紙に書かれている「マギカ」は魔力の質量の単位だというのは分かっているが、この数字はあまりにも異常だ。

 一〇万を超えればIMFの幹部クラスになれる数値だと聞かされている日向達にとって、自分の魔力値がおかしいのは嫌でも理解できる。


「おまっ、なんでそんなにバカ高いんだよ!」

「し、知らないよ」

「俺と心菜は一〇〇万は超えてねぇけどさ……これもう完全に普通じゃねぇだろ」

「ちなみに先生と白石先輩はどのくらいでしらか?」

「ワイは二六〇万くらいで、白石は一二〇万くらいやったで」

「なるほど……」


 心菜の質問に陽が衝撃的な内容で答える横で、ギルベルトは何やら考え込む素振りを見せた。

 どうやら彼自身は自分の魔力値についてはなんの疑問も抱いていないようだ。


「お前、なんでそんなに冷静なんだろ。同じ一〇〇万越えのくせに」

「さっきも言っただろう。魔力は心身の成長と共に変化する。オレ達は一年を通してIMFの連中が経験したものより濃い場数を踏んだ。RPGで低レベルのまま大ボスを倒すと経験値がたくさんもらえるだろ? それと同じだ」


 ギルベルトの言い分はなんとなく分かる。

 身分登録上魔導士候補生であるはずの日向達が、この一年と数ヶ月で特一級魔導犯罪組織『レベリス』が関わった事件に巻き込まれている。たとえるなら、まだ生まれたてのひよこを飢えたライオンの群れに放り込まれたような、それこそ生死を左右するものばかりだった。

 この魔力値の高さも半分は納得するが、もう半分は納得できない。


 当初の日向の魔力値は三〇〇〇ちょいと、一般の魔導士と同じくらいの数値だった。

 それが一体どうすれば一〇〇〇倍以上も上がるのか。色々と探ってみると、ふとあることを思い出す。


(そういえばあたし……桃瀬さんの時に疑似魔核プセウド・マギアしたから?)


 疑似魔核プセウド・マギアは魔力を生産する機能である魔核マギアとは別に、人体の器官のどれかを魔核マギアと誤認させて魔力を生産する荒業。

 かつて今は亡き同級生・桃瀬希美を止めるためだけに日向はこの業を使った。もしかしたらこの時のことが影響で魔力値が上がったのかもしれない。

 あくまで推測の域だが、そう考えるほうが自然だ。


「とにかく、この魔力値のことはあまり秘密にな。下手に話すと悪趣味な噂が出るからな。もちろん向こうさんにもちゃんと口止めしとくで」

「では、次はオレだな」


 陽が日向達の魔力値が表示された紙を回収すると、ギルベルトが重々しい顔立ちで前に出た。


「実は母国から連絡があってな、白石を含むこの場にいる者全員をイギリスに呼ぶよう達しが来た」


 ギルベルトの口から出る言葉に、日向達は最初理解できなかった。けど意味を吟味して頭の中で変換すると、悠護は訝しげな表情を浮かべた。


「イギリスに来いだと? イギリスのIMFが?」

「いや、父上からだ。理由はまだ分からんが、恐らく『レベリス』関連だろう」


 悠護の質問にギルベルトはあくまで冷静な様子で答えた。

 ギルベルトの父であるレオンハルト・ユン・アルマンディンは、現イギリス国王陛下だ。日向達にとって雲の上の存在である王様からの命令ならば断われないが、あまりにもタイミングが良すぎる。


(もしかして、あの人はこれを見越してあんなのことを言ったの?)


 日向の脳裏に『レベリス』のボスである男――通称『主』からの言葉を思い出す。

『サングラン・ドルチェ』の本拠地から逃げた日向達に向かって、彼は「イギリスへ来い」と言った。そのタイミングでの国王からの命令は、まるでこうなることを予知しているかのようだ。


「王様の命令なら行くしかねぇけどよ……なーんかきな臭いよなぁ」

「……言いたいことは分かる。だが父上の達しが来た以上、不本意だろうが共に来てもらう他ない」


 ギルベルトのこの命令には何か思うところがあるのか、歯切れの悪い返事を返す。

 普段がどんな爆弾発言をも落とすこともあって、この反応はあまり見ない。

 結局その日、各々に多種多様な疑問を抱きながら解散した。



☆★☆★☆



 その後、パスポートの申請や試験や支度にと色々と目まぐるしい準備で時間を費やして、なんとか時間を作って今日の墓参りに来られた。

 両親が生存していた頃は国内だが有名な温泉地や遊園地に連れて行ってもらったことがあるが、海外は初めてだ。


(新幹線しか乗ったことないから飛行機も初めてだよねー。はあ、これが普通の旅行だったらよかったのに……)


 王命だから仕方ないが、やはり海外旅行というのは憧れる。

 陽は王星祭レクスの関係で海外を飛び回った経験があるため、彼のパスポートには出入国のスタンプがたくさん押されていた。当然、日向のパスポートは真っ白だ。


「さ、これくらいにしてそろそろ帰るで」

「はーい。今日の晩御飯どうしよっか?」

「ふっふっふ……実は昨日、ワイが昨日仕込んどいた唐揚げがあるから今日は唐揚げやで! ついでに星型にんじん入りのポテサラもあるで~」

「やった~♪」


 久しぶりに食べる兄の料理を楽しみにしながら、日向は陽と共に帰途へついた。



 バッキンガム宮殿は、一般公開されている場所もあるが非公開されている場所もある。

 その中でもバッキンガム宮殿の王族の住居に近くには屋根がガラスでできた屋上がある。周りを白薔薇が咲き誇る花壇が設置されており、その中心には大理石の円柱で囲まれた同じ素材でできた円形の舞台がある。

 舞台の上には花壇に植えられた同じ薔薇の花びらが敷き詰められていて、その中心には一人の少女が立っている。


 真珠やガラス玉のアクセサリーを身に付け、真っ白なシャンタンドレスを着ている。髪は月にも負けないほどの輝きを放つ白銀色で、瞳は宝石よりも勝る海色。金色の光を放つ三日月型の髪留めも彼女の美しさを引き立たせている。

 少女の名前は、ルナ・ヴァン・プリシア。【月の姫巫女】の二つ名を持つ魔導士であり、第一王子ギルベルト・フォン・アルマンディンの婚約者だ。


 元々ルナは五歳の頃に魔導士家系同士と王族の顔合わせの時に出会った幼馴染みだったが、【月の姫巫女】としての素質を持っているのを『時計塔の聖翼』の目に留まったのだ。

【月の姫巫女】は、代々月を介した未来予知による的中率が高い魔導士が選ばれる。

【月の姫巫女】候補は国が管理する聖地『白の聖園せいえん』で育てられ、他の魔導士とは違う教育を受ける。魔法はもちろん教養や淑女としてのマナーを学び、その中で特に優秀かつ王室に関連のある予言をした者が【月の姫巫女】になり、王宮に仕えることができるのだ。


 一年前、ルナは選定の儀で『新たな年を迎えた日の夜明けと共に、柘榴の瞳を持つ子供が現れる。その子供はかの始祖と同じ雷の竜の加護を持ち、半世紀の時に平穏をもたらす』と予言した。

 その相手がまさかギルベルトのことだったとは思ってもよらず、【月の姫巫女】になったと同時に彼の婚約者として選ばれ、あまりに違う王宮生活には随分と戸惑ったものだ。

 それでもギルベルトの助力もあって、少しずつ王宮での生活も慣れてきた。


「……あともう少しでギルが帰ってくるのか」


 月に二回ある責務を終えたルナは敷き詰められた花びらの上に座り、右手で軽く救い上げる。そのままふっと息を吹き込むと、手の平の上の花びらが舞う。

 その光景を見ながらはぁっとため息を吐いた。


 肝心の婚約者が一人の少女に一目惚れしたと言って聖天学園に行って以来、王宮の一部から彼への反感が生まれてしまった。

 王室は政略結婚や見合い結婚ではなく恋愛結婚を尊重しており、現女王陛下であるエレイン・ユン・アルマンディンは結婚する前は下級魔導士家系の令嬢だった。

 だが、その相手が一般家庭出身の日本人となると話が違う。王族の人間が学園に入学すること自体ないため、外国籍の人間との結婚が問題になったことはない。


 いくら恋愛結婚が尊重されているからといって、彼のわがままが通じるとは思えない。

 それ以前に、【月の姫巫女】としてそしてギルベルトの婚約者として選ばれたルナの立場も面目もない。

 その件で一時期、社交界ではルナのことを『ギルベルトに捨てられた可哀そうな姫巫女』として扱われたことがある。


 もちろんギルベルトがその日本人の少女に一目惚れしたのは事実だろう。

 だけど、幼馴染みだった時期と婚約者として過ごした一年の間に生まれた絆があることは確かだ。

 そして、ルナはそんなことで簡単に手を引く甘い女ではない。


「帰ってきたらいっぱい文句を言ってやるわ。覚悟しなさい、ギルベルト」


 くすくすと意地悪そうな笑みを浮かべながら、ルナは屋上を後にした。

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