第54話 【五星】の誓い
新宿の繁華街は、ネオンの光が目に痛いほど煌びやかに輝いている。
バーやキャバクラ、居酒屋が集中している区画は呼び込みや酔っ払いの大声、時には夜遊びに興じる若者の笑い声が街中を響かせる。
そこから少し先を行くと、寂れたというよりむしろ危険のある区画がある。
二〇年前の『
陽の鎮圧対象である『裁きの狗』が隠れ家にしている雑居ビルもあるが、数年前の一斉取り締まりの際に中で暴動が起きた影響で窓ガラスが一部割れ、壁の所々ヒビが入っている。
陽は向かいのビルの屋上に立ち、一〇階から薄っすらと漏れているブルーライトを見て目を細めると、右耳に装着したインカムがガガガッと鳴ると管理者の声が聞こえてきた。
『もしもーし、聞こえてるー?』
「聞こえとるで。建物の中に連中はどれくらいおるん?」
『監視カメラの映像を分析した結果、八階に二〇人くらい集中してるね。まあ『裁きの狗』は元々規則も拘束力のないデモ集団みたいなものだからね、正規の構成員は五〇人くらいしかいないからこの数は当然だね』
「ほんなら残りの三〇人はどこ行ったん?」
管理者の言う通り、『裁きの狗』の構成員がそれほどの数ならば、ビル内にいる人数はその半分近くしかいない。
もし残った構成員が自宅に押し入り、日向を誘拐するのではないのではないかと考えるだけで背筋が凍ってしまう。
だがそんな陽の心配を察したのか、管理者は呆れながら答えた。
『安心しなくても、残りの構成員は現在魔導犯罪課が捕縛しているよ。連中、ちょうど東京湾で海外のブローカーから密輸武器の取引真っ最中だったみたい』
「なるほどな」
管理者の話によると、以前『裁きの狗』が起こしたデモで彼らが所持していた武器が密輸品であることが判明し、魔導犯罪課は武器の輸入先や取引現場を調べていたらしく、今日ようやくその現場を見つけることができたようだ。
恐らく今八階に集まっている構成員は、その連絡を受けて緊急会議を開いているのだろう。
「なら、叩くなら今ってことやな」
『そういうことだねー。多いけど君なら一瞬でしょ。終わったら連絡してねー』
そう言ってインカムがブチッと切れ、管理者の声が聞こえなくなる。
いつもこっちからの質問がないと判断して通信を切る癖も相変わらずだが、実際管理者の通信が切られても特に質問することがないため恐らく意識してやっているのだろう。
管理者の思考をこれ以上考えるのをやめると、陽は魔法陣を出現させると《銀翼》を取り出す。
行く前に隅々まで磨かれた《銀翼》は、ネオンの光を浴びて銀色に輝いている。
もはや自分の一部のように馴染むそれを手に、陽は目の前の雑居ビルを見据えた。
「――ほな、行くか」
「IMFの連中に現場を取り押さえられただと!?」
「どうすんだよ! あれがなきゃ計画が上手くいかねぇぞ!」
「結局、連中にとって俺達なんてそこの犯罪者と一緒ってことかよクソったれッ!」
コンクリートの破片と埃に混じって空き缶やコンビニのゴミが散乱する一室で、『裁きの狗』の構成員はノートパソコンから送られたメールに頭を抱え、罵声を上げていた。
メールの内容は魔導犯罪課が現場に現れ、取引失敗の旨が書かれており、早朝に行うはずの計画が六割ほど実行不可能になったことは確実になってしまった。
(だが、この計画を諦めたら今までの苦労が全部水の泡だ! それだけはなんとしても避けたい)
計画――とある魔導士候補生の誘拐は一週間前、『裁きの狗』が情報集として愛用している地下バーで入手したものだ。
この区画には裏社会に生きる悪党のたまり場である地下バーや居酒屋が二〇箇所あり、『裁きの狗』もその一つをたまり場として使っていた。
ある日、新たな計画を実行しようと構成員で模索していた時、一人の青年が声をかけてきたのだ。
膝裏まで丈がある黒の背広を羽織り、紅いリボンタイを結んだ青年で、左頬に悪魔の翼を模した刺青という一目見ると忘れられない特徴をしていた。
青年は赤ワインが入ったグラスを片手ににこやかに自分達のスペースに入り込んだかと思うと、グラスを揺らし、妖艶な笑みを浮かべながら言ったのだ。
――もはや伝説の魔法と呼ばれている『無魔法』を使える魔導士候補生のことを。
それを聞いた直後、『裁きの狗』の構成員の全身に衝撃と歓喜が電流のように走った。
誰もが会得出来ず最早夢物語のようなさ産物を使える魔導士がいることに驚いたのもそうだが、それ以上に流れ星のように降って来た希望を見つけたことの喜びが大きかった。
その力さえあれば、たとえ七色家やIMFお抱えの魔導士が来ようとも太刀打ちできる。しかも無魔法を使える例の魔導士候補生は、弱者の気持ちを思いやれる人柄をしているとも聞いた。
少しだけ憐みを込めて事情を話し懐柔させれば、例の魔導士候補生も自分達の味方につくことも可能になると思い至った。
そこからの『裁きの狗』の行動は早かった。
これまで足がつかないように密輸武器の購入の数は最低限に抑えていたが、今回の計画によって密輸武器の購入数を倍に増やすことにした。
国内の武器の性能はそれなりに満足できるものだったが、平和国家である日本と軍事力が強い外国とではその差は歴然だ。
今回の計画は『裁きの狗』にとっても失敗は許されないものである以上、迅速かつ的確、そして隠密に準備を進めていた。
自分達のサポーターから多額の金を貰い、性能を重視した武器を選別し、そして集った仲間達の力で、この弱者を踏み躙り、強者だけを生かす魔導士界を変える。
そう誓い合っていた。今の状況が訪れる、ほんの数時間前までは。
(クソ、どうすればいい!? 今の手持ちの武器だけで行くか? もしそれで失敗したら次はこない。忌々しいIMFのせいで……ッ!)
相変わらずIMFの迅速な動きには敵ながら感服するが、今回ばかりは苛立ちと憎しみしか感じない。
自分達には力ある者達にとって物事がうマークいく理想郷を作り、力ない者達にはまるでゴミのように見捨てる世界を変えるという崇高な目的がある。
それを切り捨て、己の幸福しか考えないIMFは『裁きの狗』にとっては憎悪そのものだ。
一刻も早くIMFを無力化させ、自分達の行動をより円滑にするためには、やはり計画を進めるほかない。
幾分か混乱が収まり、残っているメンバーにその旨を伝えようとした直後だった。
目の前のビルの窓ガラスを突き破って、一人の人間が侵入してきた。
「な、なんだぁ!?」
仲間の一人の悲鳴と共に、構成員達は一斉に武器を持ちそれを侵入者に向ける。侵入者は跪いた姿勢から立ち上がると、顔を上げ自分達を見据えた。
侵入者の正体は、長身の男。外からのネオンの光で半分だけ見える顔は整っており、焦げ茶色の髪を後ろで高い位置で一つに結い上げている。持っている鉄製の棒は光の反射で銀色に輝き、その輝きが翼のように見えた。
自分達を見つめる赤紫色の瞳から視線を逸らさずにいると、後方にいた仲間が震えた声で叫ぶ。
「お、おい……コイツ、【五星】豊崎陽じゃねぇか!?」
魔導士だけでなく一般人すら知っているビックネームに、『裁きの狗』は目を見開く。
だが陽は驚愕の視線を無視しながらため息を吐くと、《銀翼》の先を彼らに向けた。
「――せや。ワイは、【五星】の豊崎陽や。スマンけど、大切な妹の平穏のために捕まってもらうで」
☆★☆★☆
国際魔導士武闘大会『
自身の魔法の腕に自信がある世界中の魔導士が覇を競い合うこの大会の原点は、第二次世界大戦後に世界各国の魔導士の実力を知らしめる『代理戦争』として活用されたのが最初とされている。
母国の実力を披露し、時には敵対国への牽制、時には同盟関係の催促などそれぞれ国の安全と防衛を証明するという政治的目的のために行われた。
だが数年後に国家間でのいざこざ問題が解消され、それまで国同士の腹の探り合いに近かった王星祭は、純粋な武闘大会に変わっていった。
王星祭に出場する魔導士は己の腕に限界が来るまで戦い続け、引退後はその華々しい経歴を買われてIMFなどの魔法関連の職場で高いポストに就くことが多い。
故に、『王星祭ではどんなに強い魔導士でも連勝を勝ち取れない』という常識を見事壊した世界最強の魔導士の一角である【五星】豊崎陽が、引退し聖天学園の教師に転職したことは誰もが予想外のことだった。
彼が何故頑何教師に就くことを考え直さなかったのか本人しか知らないが、魔導犯罪者達は安堵の息を漏らした。
もし、陽がIMF職員として自分達の前に立ちはだかったら、たとえいつく命があっても足りないほどの恐怖を与えられただろう、と。陽の教師への転職は、彼らにとっては命拾いに相当するものだった。
――だからこそ信じられなかった。完全ではないとはいえ、IMFとの関りが薄いはずの彼が、何故自分達の前に現れたことが。
「う――撃てぇ! 今はなんも考えんな! とにかくソイツを撃ち殺せぇぇぇッ!!」
その叫びに思考が停止していた『裁きの狗』達は我に返ると、手にしたサブマシンガンを陽に向け引き金を引く。
激しい銃声と共に弾丸が銃口から一斉に発射される。今ここにいる構成員の半数は一般人、魔導士崩れもいるが一般家庭出身者ばかりのせいでロクな魔法は使えない。
ならば先手必勝、今手持ちにある武器で相手を倒せばいい。あまりにも安直な作戦だが、今の彼らにできるのはそれしかない。
銃口から火花が飛び散り、床に空の薬莢が転がり落ちる。放たれた銃弾は窓ガラスが割れ、壁を抉る。ビルの外にいる通行人は銃声を聴いて悲鳴を上げながら逃げるか、好奇心によってスマホで動画を撮っている。
やがて持っていた銃の弾が切れ、辺りは静寂に包まれる。
大して広くない部屋は硝煙が充満し、呼吸するたびに咳き込むが目の前の敵のことが気がかりだった。
徐々に硝煙が外へ漏れ、視界が晴れていくにつれて、『裁きの狗』は言葉を失う。
《銀翼》を片手に持った陽は、依然と変わらずその場に立っていた。ただ一つ違う点があるとすれば、彼らが絶句した原因であるものだろう。
陽から数十センチ離れた場所で、
他者の命を奪う鉛玉は透明な壁で阻まれたまま空中で停まり、どの弾も全て陽の元へは届かなかった。
カランカラン、と甲高い音を立てて銃弾は床に落ちる。顔色一つ変えず散らばる銃弾を見つめ、視線を『裁きの狗』に向けると彼らは青い顔をしながら後ずさる。
その目に宿っているのは恐怖だけ。陽はそれを見て悲しげに目を伏せる、《銀翼》を両手で構えた瞬間、陽の姿が消えた。
その時右横で銀色の線が数回ほど宙で描いたと思った直後、その場にいた構成員達が倒れた。
「…………は?」
思わず呆けた声が出る。床に倒れた仲間達は全員意識を刈り取られているだけで大した傷はない。だが、それだけで相手の実力を思い知らされた。
恐怖で顔が歪むのを感じていると、後ろで仲間の一人が詠唱を唱えた。
「『
初級自然魔法が発動すると、陽の足元周辺が炎で包まれる。
普通の炎ではなく魔法の炎は、たとえ初級レベルのものでも消すのは数分の時間を要する。足止めとしては十分なものだ。
一方、陽は一瞬だけ考える素振りを見せると、ズボンのポケットから琥珀色に輝く石――
陽の体から薄らと赤紫色の魔力が溢れると、魔石は魔力に反応して琥珀色に輝く。すると一瞬にして炎が消えさり、魔石は呆気なく砕かれた。
「なっ、き、消えた……だと……!?」
「どうして……」
信じられない光景に逃げることを忘れた『裁きの狗』。
それを見て、陽は《銀翼》を担ぐように肩の上に置きながら言った。
「それがオタクらの求めていた無魔法の力や。そして、この魔法を使える魔導士候補生は――ワイの実の妹や」
陽の口から伝えられる言葉に、『裁きの狗』達の瞳孔が小さくなるほど見開く。
もちろん最初は信じられなかった。『豊崎』の姓は日本では約三六九〇人にしかおらず、それが東京都内に限定するとそれなりの数がいる。
ただの偶然だと思いたかったが、同時に納得もいった。何故、教師であるはずの彼がこの場に現れ、自分達を捕まえにきたのか。
全てはただ一つ、大切な家族を守るためなのだと。
けど、それでも、自分達にはあの力が欲しかった。
何度も改善案の書類を突き返され、犯罪者として取り押さえられても、この腐った世界を変えたかった。
たとえ代償に失うものと奪うものがあっても、希望を捨てることができない。
「……あんたがここにいる理由は分かった。だけど、私達はどうしてもあの力が欲しいんだ。誰もが理不尽で傷つき、涙を流さない世界のために! だから頼む、あんたの妹を貸してくれ! ほんのわずかな時間でいい、役目を終わったら無傷で返すことも約束する! 頼む……!」
一人の構成員が埃だらけの床に膝をつき、額を打ちつける勢いで土下座をする。
唾を吐き散らかしながら叫びに近い嘆願を聴いた陽は、静かに答える。
「正直言ったて、ワイもあんたらの考えは共感できるで。IMFは今の情勢を見直す必要はある。でないと『乱鴉事件』と同じ事件が起きる可能性が高いからな」
「ならっ!」
「けどな、それとこれとは話が別や」
陽が自分達の考えを肯定したことで『イケる』と思ったのか、床から顔を上げて目を輝かせながら陽を見た直後、構成員の顔は恐怖で凍る。
陽はこのビルに現れた時と変わらず無表情だが、赤紫色の瞳には怒りの炎を宿していた。今はまだ焚火程度のものだか、いつ全てを燃やす業火になるか分からないものだった。
「妹はワイにとって大切な肉親、かけがえのない家族や。あの魔法のせいでいろんな連中から狙われ、本当なら平穏に送るはずの生活さえも脅かされている。……ワイは、妹には幸せになって欲しいんや。今度こそ、絶対に。そのためならワイは、たとえ相手がどっかのお偉いさんでも妹を守る。そう、決めたんや」
紡がれる言葉は真摯で、どこか哀しみを宿していた。
だが『裁きの狗』にとって、その言葉だけで交渉は拒絶されたと思い知らされる。
構成員は床から立ち上がると、腰とズボンの間に隠していたサバイバルナイフを取り出し、陽に刃先を向ける。それを合図に、他の構成員もナイフやバットを取り出して構え始める。
「それがあんたの言い分か。……なら、私達はあんたを殺す。この世界を変えるためにな!」
構成員がサバイバルナイフを持って陽に向かって駆け出すと同時に、後ろにいた仲間達も雄叫びをあげながら一緒に床を蹴る。
確実な敵意を持って襲い掛かる『裁きの狗』を見て、陽は《銀翼》を両手で構えながら小さく呟いた。
「――スマンな」
直後、陽は床を蹴り上げ、目の前の敵の懐へと潜りこんだ。
突然響いた銃声を聴いた通行人の通報によって、雑居ビル周辺にはパトカー数台とIMFの人員輸送車と指揮情報車が二台ずつ配置されていた。
完全武装された警官と魔力を注ぐだけで様々な効果を得られる戦闘服を身に包む魔導士が固唾を呑んで指示を待つ中、ビルから一人分の足音が聞こえてきた。
それぞれ武器を手に入り口から現れる人物に狙いを定めなから静かに待つと、その入り口から出て来た人物にその場にいた全員が目を見開いた。
【五星】豊崎陽。魔導士も一般人も知っている有名人は、ズボンのポケットに両手を突っ込んで歩いており、自身に向けられる視線に特に反応せずその場を去ろうとする。
だがその一歩手前で立ち止まると、近くにいた魔導士に声をかける。
「『裁きの狗』なら全員一〇階の部屋で寝とるで。これでワイがIMFから引き受けた仕事は終了や。それでええな?」
「は、はいっ! 問題ありません! ご協力ありがとうございました!」
事前に陽が『裁きの狗』の鎮圧依頼を受けているのを聞かされていたのか、声をかけた魔導士が敬礼を取ると、他の魔導士と警官達が次々と雑居ビルの中へ入っていく。
その後ろ姿を最後まで見ないまま現場から遠ざかると、インカムから管理者の声が聞こえてきた。
『もっしもーし、終わったー?』
「終わったで」
『おつかれー、やっぱり君がやると早いねぇ。今日はもうそのまま帰りなよ、疲れたでしょ?』
「……せやな、さすがに休みたいわ」
そう言って肩の骨をゴキゴキと鳴らすと、管理者はインカム越しでビニール袋を漁る。
『寄り道しないでさっさと家に帰りなよー、依頼完了メールとかはこっちで適当にやっとくからさあ』
「助かる、今度なんか奢るわ。何がええ?」
『横浜中華街の小籠包と桃饅頭! あ、あと豚まんも! できれば出来立てがいいなぁ!』
「はいはい、お盆明けに用意してやるわ」
『やったー! 早くお盆開けないかなー♪』と子供のようにはしゃぐ管理者の声を聞きながら、陽はインカムを取り外す。
電源を切ったそれをポケットに突っ込みながら、陽は人がごった返す雑踏の中にその姿を消した。
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