第53話 友と妹のために

 広大な敷地を有する聖天学園。お盆間近ということで普段より敷地内にいる生徒の数は少ないが、訓練場からは発砲音や破壊音がセミの鳴き声に混じって聴こえてくる。

 校舎への道のりを歩く途中、生徒から「豊崎先生、こんにちはー!」と声をかけられるたびに陽も笑顔で「こんにちは」と返す。

 ようやく校舎が見えてきたところで、道の端に置かれているベンチに寝っ転がり、顔の上にお子様の情操教育に悪いいかがわしい雑誌を乗せた男を発見した。


 通り過ぎる生徒は男が顔に乗せている雑誌を見ると、見ていないフリをして走り去るか軽蔑の視線を向けるかのどれかの反応を見せる。

 陽は自分の隣を慌ただしく走り去った女子生徒二人を横目に見送った後、深いため気を吐きながらベンチに近づく。

 そのままベンチをガンッと蹴ると、寝ていた男は体を上下に揺らしながら飛び起きた。


「おわぁっ!? な、なんだぁ?」

「なんだ、やない。こんな真っ昼間からそんなモン読むなや」

「んあ? ……なんだ陽じゃねぇか」


 ボサボサの銀髪を掻きながら起き上がる男――ヴェルフィス・グロッゼル、『ヴェル』という通称を持つ彼は呑気にあくびをしながら雑誌を閉じる。

 魔導具技師を目指す魔導具学コースの教師の一人である彼は、たとえ夏休みでも技術の腕を磨くために開いた特別授業の講師の一人として呼ばれているはずだ。

 少なくとも、こんなところで惰眠を貪る時間などこの男にはない。


「……あんた、またサボったな?」

「サボってませーん、ちょっと休憩していただけでーす」

「それを世間じゃ『サボってる』っていうんやアホッ!!」


 プピーと下手くそな口笛を吹く元先輩ヴェルにツッコみを入れる元後輩

 学生の頃からサボり癖があるのは知っていたが、まさか大人になった今でも改善していないことに頭が痛くなっていると、バタバタと校舎の方から何かが走ってくる音が聞こえてきた。


「あ、ヴェル先生いた!」

「もう授業の時間ですよー! 今日こそ教えてもらいますからねー!」

「げっ、もう来やがった」


 制服姿の男子生徒二人を見て、ヴェルは嫌そうに顔を歪めるとベンチから立ち上がるとそのまま走り出した。

 もしこれが陸上選手ならコーチがべた褒めすること間違いなしの、美しいフォームとスプリントだろう。


「ハッハー! 捕まえられるんモンなら捕まえてみやがれっ! 俺は絶対に授業なんかしねーからなー!」


 教師としてはあるまじき発言をしながら走るヴェルの後ろ姿に、まだ彼との距離が空いている男子生徒は半分諦めた顔で走っている。

 これにはさすがの陽も生徒が気の毒になり、本日二回目のため息を吐く。


「……ったく、しゃあないな」


 そう言った直後、陽の姿は忽然と姿を消した――かと思いきや、笑顔で入るヴェルの目の前に現れる。

 ぎょっと目を見開くヴェルの襟元を掴むと、そのまま背負い投げの応用で投げ飛ばす。

 石畳に叩きつけられて目を回すヴェルの襟元を離すと、陽はふぅっと一息つく。目の前の出来事に目を丸くしていた生徒は、すぐに我に返ると慌てて頭を下げる。


「豊崎先生! ほんっとにありがとうございます!」

「かまへんで、全部コイツが悪いんやからな。お前らも苦労すんな」


 陽の同情の眼差しに男子生徒は苦笑しながら「慣れました」と言ったと、二人はまだ気絶しているヴェルの左右に移動するとそのまま両脇に抱える。

 傍から見ると人間に捕縛された宇宙人そのもので、これにはさすがの陽も軽く吹き出してしまう。


「それじゃ先生、失礼します!」

「します!」

「おー、気ぃつけてな」


 ズルズルと生徒に引きずられながら校舎に入るヴェルを見送った後、陽も校舎へ入る。

 教員用の昇降口から入り、一階と二階に繋がる階段の脇に立つと、目の前の壁がぐにゃりと歪むと鉄製のドアが現れる。

 このドアも魔導具の一種で、ドアが登録した人間が目の前に立つと姿を現すという仕組みになっている。


 ドアを開くと二畳ほどの空間にぽつんと目の前にエレベーターがあり、下のボタンを押すとエレベーターのドアが開かれる。

 エレベーターに乗り込み、『B5』のボタンを押すと、エレベーターはゆっくりと降下。チン、と軽い音と共にドアが開かれると、すぐさま長い廊下を歩く。

 教師に転職してからもはや歩き慣れた道を歩くこと数分、目的地である『セキュリティルーム』に辿り着く。


「おっはよー、豊崎くーん。アイス食べるー?」

「いらんわ」


 リクライニングチェアに座って、コンビニで売っている安いカップアイス(バニラ味)を冷房がキンキンに効いた部屋で平然と食べている男――聖天学園の防衛システムをで守護している重要人物『管理者』を名乗る魔導士は、やってきた陽にニコニコと笑いかける。

 陽は管理者が持っている別のカップアイス(チョコ味)を受け取らず、そのまま視線を丸テーブルに映すと、上に置かれているカップ麺の残骸とアイスを見て顔を顰める。


「……お前、まさかカップ麺とアイスしか食ってへんのか?」

「んー? あー昨日と今日はね。君に心配しなくてもちゃんと栄養バランス考えて食事摂ってるから大丈夫だよー」

「年中毎食コンビニ飯とジャンクフードで済ませとるヤツがどの口ほざいとんねん」


 いくら魔法で体調管理を自在にできるからといって、さすがにこの男の食事事情は無視できない。

 確かに豊崎家でもカップ麺で食事を済ませることはあるが、大抵どちらかが風邪か家に不在の時だけだ。

 

 今陽が耳にタコができるほど言い聞かせても、この年齢不詳引きこもり野郎の食生活が改善させる未来は恐らく来ないだろう。

 ひとまずこの件は置いていて、陽はさっそく本題に入ることにした。


「……で、今日はどんな仕事や。なるべく早く済ませたいんやけど」

「あーそうだったそうだった。今回の君の仕事なんだけどさ、IMF直々のものなんだよね」


 IMF。その単語の陽の眉がピクリと動く。

 国際魔導士連盟には、聖天学園を卒業し決して簡単とは言えない高難度の試験に受かった職員が、個人の能力に合うもしくは希望した各部署に配属されている。

 一般役所のような戸籍管理や保険申請から、魔導犯罪の鎮圧など魔導士関連のプロフェッショナルとして日夜汗水流して働いているはずだ。


 もちろん陽もIMFの職員全員が無能だと思っているわけではない。

 七色家の誕生やIMFの日本支部長が黒宮家に任せられて以降、IMFの質は徐々にだが右肩上がりしている。今年の魔導犯罪鎮圧成功率と職員採用率は昨年と比べて八パーセント上昇しているし、わざわざ一教師である自分に仕事を頼むほど切羽詰まっているはずがない。

 だがもし、陽にしか仕事を頼めない理由があるとしたら、心当たりは一つしかない。


「……もしかして、日向関連のことか?」

「さっすが豊崎くん、感心するほどのシスコンぶりだね♪」


 陽の答えに管理者はにっこりと笑うと、右手出来ボードのキーを押す。

 巨大ディスプレイに表示されたのは、『犯行声明』と大文字で書かれた一通の手紙と封筒だ。しかもよく見るとチラシや新聞紙を切り取って作られており、昔みた刑事ドラマでこんなのあったなー、と場違いな感想を抱いた。


『     犯 行 声 明


 我ラは魔導士界の秩序ニ抗う者ナリ

 12日の早朝、魔ノ力に抗えル者を頂戴スル

                    裁きの狗ヨリ』


「『裁きの狗』か……。またメンドな連中が現れたな……」

「まあね。でもこれは君にしか頼めない仕事なのは分かるでしょ?」

「……せやな」


 管理者が表示してくれた文面を読んで、陽はこの犯行声明を送った魔導犯罪組織のことを思い出す。

『裁きの狗』は、魔導士界に反感を持つ魔導士と魔導士崩れ、そして魔導士差別主義者で構成された魔導犯罪組織だ。

 当初は現在の二〇三条約や聖天学園の入学システムの改定の他に、年々増加の傾向になる魔導士崩れの立場改善を書面で送ったり直談判をしたりと比較的穏健な組織だったが、魔導大国イギリスのような特別措置が取れずまともに相手にしなかった結果、その行動が徐々に過激になっていった。


 さらに『現在の魔導士界を平等にしよう』というスローガンが、『魔導士界の革命』に変わってしまい、魔導士差別主義者のデモの手助けまでし始めた。

 だが『裁きの狗』の行動は魔導犯罪課でも十分に対応できるものだったが、こと日向が関わると話が別だ。

 今の日向の処遇は、先月の『七色会議』で他の生徒と同じ魔導士候補生扱いにするようになった。いくら無魔法を使えるからといって、魔導犯罪者でもない限りIMFが厳しく監視する理由はない。


 しかし、どういうわけか日向の存在を『裁きの狗』が知っている。

 恐らく五月の合宿の事件で騒ぎを起こした『獅子団』と同じように、裏社会の情報屋から日向の情報を入手した可能性が高い。それに封筒の左端の切手の消印を見るに、郵便が出されたのは三日前だ。

 もしこの手紙が昨日のうちにIMFに届き、日本支部長の黒宮徹一が日向を狙っていると気づいたのなら、兄であり【五星】の異名を持つ陽しか適任者はいない。


(はぁ……まったく、ウチの妹は大変人気者やなぁ)


 もしこれが純粋なファンだったなら陽はそこまで気にしないが、相手が魔導犯罪組織なら見過ごせない。

 日向にとって陽が大切な唯一の肉親であると同時に、陽にとって日向は大切な妹だ。妹の生活を、人生を、幸せを潰そうとする輩がいるのなら、それを守るのも『兄』の務めだ。


「……で、あんたのことだから『裁きの狗』の潜伏場所知っとるやろ?」

「もっちろん。僕はその辺抜かりないからね☆」


 そう言って管理者はキーボードをまるでピアノの鍵盤のように軽やかな指使いで叩くと、巨大ディスプレイに東京の地図が表示されたかと思うと、徐々に拡大されていき、赤い丸マークがある場所で画像の拡大が止まる。


「東京都新宿区西新宿の繁華街にある雑居ビル。昔どっかのヤクザが事務所に使っていたんだけど、警察の一斉取り締まりで今は空きビルになってるよ。でもここ数日、『裁きの狗』の構成員が出入りしているのをビル内の監視カメラで確認済みだから、仕掛けるならココをおススメするよ」


 すでにビルとしての機能がなくなって等しいのに、遠隔操作で監視カメラを起動させて証拠を掴むなど警察どころかIMFさえも喉から手が出るほどの有能ぶりだ。

 管理者を手に入れるためなら、警察もIMFも破格の好条件で彼を勧誘するだろう。


(――まあ、それが無理やからコイツはここにおるからな)


 何故なら管理者は学園――というより、このセキュリティルームから頑何出ようとしない。

 理由は知らない。だがなら陽は一つだけある。だがたとえその心当たりを言っても、この男はいつもの笑顔ではぐらかすだけだろう。

 これ以上は考えても仕方がないと早々に諦めると、陽は踵を返す。


「そか。じゃあワイは準備するから、時間になったらサポートよろしくな」

「オッケー、ばっちりやってあげるから安心してね」


 管理者は陽に渡せなかったカップアイスを開けながら、右袖を揺らしながら手を振る。

 陽はそれを見ないまま、セキュリティルームを後にした。



☆★☆★☆



 普段たまに素行不良の生徒を呼び出す以外あまり使われず、夏休みのせいで今は誰もいない生徒指導室。

 その部屋で陽はパイプ椅子に腰かけながら、自身が愛用している鉄製の棒――正確には陽の専用魔導具《銀翼》を磨いていた。

 この《銀翼》は陽が王星祭に出場したのを決めた日に作られたもので、本来は槍の姿をしている。だが、陽の希望で穂先を外せるようにしているため、今はただの棒にしか見えない。


 当時、何故穂先を着脱可能にしたのか分からないが、きっと心のどこかで自分は王星祭を長く続けるつもりはなかったのだと思っていたのだろう。

 専用のワックスを布につけて磨くと、《銀翼》の名に相応しい色が姿を出す。だがよく見ると細かい傷がたくさんついており、それを見ると八年近くもこれを使っているのだと改めて実感する。


「明日支部に行ってメンテに出すかー」


 専用魔導具は全てIMFに登録されており、支部まで持って行けばIMFお抱えの魔導具技師によって一万円弱で修理・メンテナンスを行ってくれる。

 もちろん個人でメンテナンスはできるが、資格を有していない素人が弄った結果修理不可能になることもあるため、専用魔導具を持つ魔導士は時間の都合がある時には支部に足を運ぶのだ。


「ウーッス、陽。元気か~? テメーよくも俺に授業やらさせたなコノヤロー」

「たとえ特別授業でも選ばれたからには参加しなアカンのは常識やろ。それより、ワイはまだあの捕まり方が通用したことがビックリなんやけど」


 生徒指導室のドアを開けた直後恨み言を言ったヴェルに、陽は間髪入れずに一刀両断。

 元後輩の冷たい反応にヴェルは不貞腐れた顔をしながら、陽の右隣のパイプ椅子に腰かけると折りたたみテーブルの上に置かれているワックスと予備の布を一瞥する。


「《銀翼ソレ》磨いてるってことは……仕事か」

「まあな」

「ふぅん……」


 陽の答えに生返事で返したヴェルは、ズボンの後ろポケットから煙草を一本取り出すと口に咥え、そのままライターを使って火を点ける。

 生徒指導室で喫煙など本当ならやってはいけないのだが、この煙草の匂いは学園時代から嗅ぎ慣れている陽にとっては特に気にしない。


「それにしても、お前と付き合うようになってもう一〇年か……早いなぁ」

「付き合うって……あんたが一歩的に絡んで来ただけやろ?」


 しみじみと呟くヴェルを見て、陽は《銀翼》を磨く手を止めて昔を思い出す。

 忘れもしない一〇年前、聖天学園に入学したばかりの陽は、同級生だけでなく上級生からも色んな意味で注目されていた。

 女子が見惚れるほどの美貌と卓越した魔法の才能は当時在籍していた学園生全員の嫉妬と羨望の的で、特に陽を気に入らなかった一部の同級生と上級生は彼を呼び出しては体育館や訓練場の裏でリンチにさせた。


 だがその頃の陽は周囲から誹謗中傷を言われ、リンチに遭っても無関心で、とにかく妹のために早く自立することだけに専念していた。

 入学して一ヶ月が経った頃、何度目になるか分からないリンチに遭う陽を救った――というより横入りしたのは当時三年生だったヴェルだった。


『お前ら、屋上ここでんなくだらねーことすんなよ。せっかくの昼寝スポットなんだからよー』


 彼が横入りしたのは陽のリンチを止めたのではなく、せっかくの睡眠を邪魔されたからというくだらない理由だった。

 その一言で気が削がれた連中は、口から血を流す陽を放ってそのまま立ち去った。その後も陽は無言で屋上に立ち去って、横入りした変わり者のことなど忘れようとした。

 だが翌日、その変わり者はその日を境に陽に絡んで来た。ある時は昼休み、ある時は放課後、さらに休日になると寮の部屋にまでやってきて無理矢理街へと連れ出された。


 そしていつの間にかサボるヴェルを捕縛する面倒まで引き受けていて、さすがの陽も我慢の限界が来てしまい、ある日の放課後に言った。何故、自分にそこまで構うのか? と。

 その時のヴェルの答えは至極シンプルだった。


『だってお前、面白い奴だと思ったからよ。こいつといれば楽しいことがあるんじゃないかってな』


 自分といて楽しいと、面白い奴だと言ったのは後にも先にもヴェルだけで、陽はあの時ほど衝撃を受けた日はなかった。

 だからこそ、その数日後に陽を気に入らない連中が腹いせでヴェルをリンチしたところを見た時は許せなかった。目の前が真っ赤になって、気がつくと陽は連中全員を地面に沈んでいた。


 それをきっかけに陽のリンチ行為が表沙汰になり、連中は全員『罰則』を受けた。陽もヴェルも被害者側だったが、連中を懲らしめた陽はこれまでの経緯のおかげで『罰則』は逃れたが、その代わりに一週間の停学処分になった。

 今まで優等生として過ごしていた自分の殻を剥がされた気分だったが、心の中のつっかえが取れたヴェルに内心感謝した。最も、そんなことは本人の前では口が裂いても言わないが。


「ま、それでもこうして付き合いが長いんだ。お前も今の関係が嫌じゃないってことでいいだろ?」

「さあ? どないやろな」


 にやにやと腹立つ笑みを浮かべるヴェルを一蹴し、陽は磨き終えた《銀翼》と道具を異空間収納機能を備えた魔法陣に入れると、パイプ椅子から立ち上がる。


「んじゃ、行ってくるわ」

「気ぃつけろよ」


 まるで軽い挨拶で見送る元先輩現悪友の言葉に微かに笑いながら、陽は廊下を歩き出す。

 自身の帰還を疑わない友人達と、大切な妹のために。

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