第290話 強敵

「ジークッ!!」


 カロンの足元で倒れるジークは、一目見ただけでも重傷だ。

 白を基調とした魔装のせいで、彼がどれほど血を流したのか火を見るよりも明らかだ。

 だけど、問題はそれだけじゃない。


(あのジークが……相手に傷一つ負わせられない!)


 元々ジークは、クロウよりも場数を踏んでいる。

 何度も魔法や剣で勝負を挑んでも、彼に勝てたことは手の指の数しかない。

 まだアリナと婚約関係になる前は完璧か彼に嫉妬し、アリナを奪われるんじゃないかと何度も冷や汗を流したけど、友人として、ライバルとして、彼に密かな憧憬を抱いていた。


 そんな彼が、あそこまでやられる姿は『叛逆の礼拝』で魔核マギアを破壊された時だけだ。

 自分の意思に反して立ち尽くす悠護達を見て、カロンはジークに目がけて蹴りを入れる。

 まるでサッカーボールのように転がされながら足元に来た彼を見て、全員の意識が現実に戻る。


「っ! 心菜、魔法は使つこえるか!?」

「や、やってみます!」


 陽の指示で心菜がジークに駆け寄り、急いで生魔法をかける。

 このメンバーの中で生魔法が得意な彼女の治癒は別格で、どの魔法も上級でも使えるジークですら舌を巻いたほど。

 先ほど合流した時は魔力切れに近い状態になっていたが、持ち直したのか生魔法をかけている。


「……その娘、神藤の家の者か。なるほど、『秘法』を習得していたのか。ならば『供儀の御柱』が破壊されるのは当然か」


 カロンの暗く淀んだ双眸に、心菜の姿が映し出される。

 遠慮のない視線を受けて心菜がびくりと体を震わすも、すぐさま樹が盾となって姿を隠す。

 その様子にカロンはつまらなそうに鼻を鳴らすと、完全に戦闘態勢に入っている陽に目を向ける。


「貴様も随分と見違えたな、ベネディクト。あの頃は他の貴族令息よりも面白みのない男だと思っていたが、そこまで男前な顔もできるとは思っていなかった」

「お世辞は結構や。はよ妹は返せ、カロン」


 陽の赤紫色の双眸が、強くカロンを睨み貫く。

 過去に何度か陽の剣呑な顔は見たことあるが、今回のはそれを上回るほどだ。

 それほどまでに、彼はカロンを憎んでいるのだ。


 自分達の掲げた夢を穢し、迎えるはずだった最愛の妹と友人達の未来を奪った、この邪知暴虐の悪王を。


「返す? ふざけたことを。ようやく手に入れたのだ。返すわけがなかろう」

「…………そか。なら、力尽くで奪い返すまでや!!」


 強化魔法で全身体能力を底上げさせた陽が、地面を蹴った直後カロンに肉薄する。

《銀翼》の穂先がカロンに突き刺さろうとするも、六角形の透明の盾によって防がれる。

 陽のかけた強化魔法は身体能力だけでなく、魔導具・魔法の威力も同時に底上げされているのに、一切の綻びもなく防いだその魔法は、悠護達は内容なら知っている。


 上級の中でも難易度が一番高い防御魔法『不屈の盾インヴィクトム』。

 数ある防御魔法の中で最高の強度を誇るも、魔力の消費が激しく二回使えれば御の字と呼ばれるほど習得が難しい。

 普通の魔導士なら一回の行使で魔力枯渇になり、初球魔法すら使えなくなる。なのに平然とした顔で髪先をいじるカロンの姿は、夢であって欲しいと願うほどの清々しさだ。


 陽が激しく舌打ちをすると、カロンは不敵に笑いながらさらに魔力の出力を上げる。

 カロンの持つ魔力は知らないが、仮に一般魔導士より上――つまり一万越えならばまだ納得はいく。しかし今の彼の魔力は明らかに悠護達より匹敵している。

 何故と疑問に思った直後、『神話創造装置ミュトロギア』の歯車が回転し、カロンに魔力を送っていた。その時、中にいる日向の体が淡く光るのを見て、陽は内心舌打ちをする。


(そうか! 『神話創造装置ミュトロギア』は『蒼球記憶装置アカシックレコード』の模造品。『神話創造装置ミュトロギア』日向を取り込むことで、使用制限のデメリットを強制的に解除しよった!)


 つまり、今の『神話創造装置ミュトロギア』は『蒼球記憶装置アカシックレコード』と同等の力を持った巨大魔導具になってしまった。

 ならば、その核を引き剥がすしか方法がないのだが、カロンの様子から見るに、その手段は一番難しいだろう。


「どうした? 取り返さないのか? それとも……前世あのときのように、黙って奪われるのを見ているだけか?」

「――黙れッ!!」


 カロンの言葉に、陽は怒鳴り声で遮った。

 聡明な彼にはその言葉が見え梳いた挑発だと理解している。だが、それをよりにもよって憎い男の口から出るのは耐え難い屈辱だ。

 激情のままカロンに吶喊する陽を悠護が止めようとするも、遅かった。


「――『魔殺の槍マギカ・ハスタ』」


 直後、陽の全身から血飛沫が上がった。

 何が起きたのか分からなかった。ただ、カロンが詠唱した直後に全身血だるまになった。

 それしか分からなかった。分からな過ぎて――我に返ったのはすぐだった。


「ッ!! 心菜!!」

「う、うん!」

「俺が運ぶ! 心菜は治療に専念してくれ!」


 悠護が叫びながら心菜を呼ぶと、彼女は慌てて陽の元へ駆け寄る。

 樹によって悠護達の背後まで運ばれた陽はゴホッと口から血を吐き出し、か細い呼吸をしながらカロンを睨んだ。


「あんにゃろ……こんな、隠し玉持っとったとはなぁ…………!」

「喋らないでください! 出血がひどいんですから……!」


 魔導医学を専門とした心菜の目から見て、陽の状態は異常だ。

 本来外部からの攻撃を防ぐ魔装を着用しているにも関わらず、これほどの負傷を負うこと自体ありえない。

 試しに魔装を軽くはだけさせると、細身に合わない筋肉質な胸板から細かい傷口から血が流れていた。


(これは……!)


 傷口というのは分かりやすい。

 外側ならば皮膚が逆向きで剥がれ、肉は内側にめり込む。しかし内側の場合、皮膚は同じ逆向きだが、肉は外側に飛び出る。

 つまり、先ほどカロンが詠唱した魔法は、魔装を纏っていようと内側から魔導士を攻撃する魔法――呪魔法の一種だと推測する。


「くっそ、どうやら敵さんメンドくせー魔法を作ったみたいだな」

「そうみたいだね。……ま、相手としては不足ないよ」


 樹が《鴉丸》を指先まで嵌めこむように引っ張り、怜哉が《白鷹》を鞘から抜いて刃を向ける。

 緊張と警戒の面立ちをする樹とは反対に、怜哉の顔は嬉々としている。さすが戦闘狂だ。

 その後ろでギルベルトが右手を竜の腕にし、悠護は《ノクティス》を双剣モードにする。


「油断はするな。今のカロンは未知数だ」

「ああ。……分かってる」


 前世のカロンは、今世のカロンと明らかに違う。

 それは自分達と違い何回も転生したことによる知識なのか、それとも『烏羽志紀』として魔導士の英才教育を受けた結果なのか。

 どちらにせよ、彼の力は未知数。今までの敵とは別格なことは、誰もが察する。


 武器を手に取り、自分と対峙する四人の少年を見て、カロンは好戦的な笑みを浮かべる。


「来い、その手で私を殺してみせろ」



☆★☆★☆



 真っ暗な闇に放り込まれた日向は、目の前にいる自分そっくりの少女に話しかける。


「あ、あなたは……?」

『私はあなたよ。ここにいてはいけない、早く戻らないと』

「戻る? どこに戻るの?」


 ここは平和で、争いもなく血を流さない優しい世界。

 戻る場所なんて、自分にはない――――ない?


(本当に?)


 どうして戻る場所がないなんて思ったのだろう?

 どうしてここからいなくなるのが嫌なのだろう?

 どうしてこの人の言葉を受けられないのだろう?


 必死に頭を考えようも、ズキンッとした痛みが頭に走った。

 考えようとするたびに痛みが増すそれに、少女は日向の頭をそっと両手で添える。

 すると痛みが和らぎ、目を丸くする。


『ここは、カロンが作った偽物の世界。あなたの生きる世界は、大事な家族や友達……そして愛しい人が今も傷つき、戦っている』

「家族……? 友達……?」


 初めて聞く言葉なのに、とても懐かしい。

 いや……そもそも初めてなのか? もしかして、自分はとんでもない勘違いをしているのではないか?

 再び頭痛が襲う前に、少女はパチンッと指を鳴らす。日向の前に現れたのは、鏡の形をした光だ。


『では、その目で見てください。あなたの大事な存在を』


 光の向こうで、この世界にはない武器を持つ者達が映し出されていた。



(……………ここは、どこだ……?)


 瞼を開けると、ジークは暗闇の中にいた。

 右手には《デスペラト》を握り、足元には向こうに続くように光の道があり、まるで『こちらに来い』と言っているかのようだ。


(とりあえず、まだ死んではいないな)


 ここが天国でも地獄でもないくらい、ジークは本能で察する。

 もしこれが天国なら趣味が悪いし、地獄だとしてもあまりにもなさすぎる。

 そう思いながら道を歩き始め、道の終わりを目指すことにする。


 一歩一歩ゆっくり歩く。いつものように、靴音をあまり出さないように。

『レベリス』の時はボスとしての演出のためにわざと鳴らしていたが、従者時代は靴音を鳴らさないよう訓練されていた。

 自分の靴音で屋敷の主人を起こすようなことにしてはならない、と言われていたが、毛足の長い絨毯が敷かれていたあの廊下で靴音もなにもないだろうと思ったが、それでも命令として従った。


 しかしこの技術は意外と役に立ち、なんなら暗殺者並の気配の消し方さえマスターした。

 もっともアリナに『ただの従者なのに、そんなとんでもない技術身につけてどうするの?』と言われた時は、本気で使いどころについて悩んだものだ。


(だが……ここは一体どこなんだ?)


 昔を思い出したのはいいが、何故自分がここにいるのか分からない。

 カロンの攻撃を受けて気を失ったところまでは覚えているが、こんな場所に来た経緯を知らない。

 ひとまず歩いたものの、これで合っているのか? と思った直後、道の先に一際輝く光を見付ける。


 無意識に足がそちらに向かい、靴音を気にせず走る。

 何故だか分からない。だが自分はあの光に向かわなければならないという思いが駆り立てる。

 そうして光に飛び込んで、強く瞑った目を開けた瞬間、ジークの視界に入ったのは緑溢れる森だ。


(この森……どこかで見覚えが……)


 年数の経った木々や足元の川のせせらぎ、さらにどこかから聞こえる小鳥のさえずりは全て覚えがある。

 踵を返して森を歩き始めようとしたジークは、ふと落葉樹のそばに茂った木苺を見てはっと息を呑む。


(そうだ……ここは、私の故郷の森だ!)


 まだジークがアリナの従者になる前――正確にはそのきかっけになる野党襲撃が起こる前に遊んでいた森だ。

 この木苺は小腹が空く時によく食べていて、この木も村に帰るために幹にバツ印を刻んだことがある。


(だが、これにはその印がない……。ということは、この森は私が遊ぶ前の森なのか……?)


 では、何故今になってこの光景を見ているのだろうか? と思った直後、ジークの背後で枝を踏む音が聞こえた。

 長年の経験で些細な音を逃さないようになったジークは、《デスペラト》を構える。

 しかし、その視線の向こうにいた人物を見てひゅっと息を呑む。


 背中まで伸ばした金髪。どんくり眼の碧眼。

 年齢の割には幼い顔立ちをしているのに、腹部は大きく膨らんだ女性。

 目の前にいるジークの存在に気付かず、ゆっくりとした足取りで森を歩く女性を見て、ジークは震えた声で言った。


「か……かあ、さん……?」

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