第187話 新学期は厄介事を招く

 一ヶ月半の長い夏休みが終わり、日向達は聖天学園で二度目の二学期を迎えた。

『叛逆の礼拝』は日本でもそれなりに騒がれ、イギリスに行っていた面々もクラスメイトから無事の確認と質問の嵐を受けた。

 なんとか押し寄せるクラスメイト達をやり過ごし、始業式に出る。


 始業式でも『叛逆の礼拝』について語り、このことが皮切りに世界各国で魔導犯罪が活発化しているらしい。

 学園外にいる時は細心の注意を払って欲しいことと、外にいる間の自衛目的の魔法を推奨することがIMFから通達された。


 世間が物騒になるにつれて、魔導士への排斥活動も少しずつだが動き始めているとニュースで聞いたのを思い出し、前世で根付いた差別意識が今も続いている改めて痛感する。

 だが情報化社会になった現代、ニュースやインターネットで流れる情報の真偽など人それぞれだ。


 情報を鵜呑みにしている者もいれば、嘘だと思い込んでいる者もいる。

 だが現在進行形でその現実を目の当たりにしている日向達にとっては、いつ如何なる時でも備えが必要だと考え、魔法の腕を上げるために特訓をできる範囲で多くしようと考えた。


 そして、この学園――正確にいえば日向達のクラスが騒ぎ出す一大イベントが起きた。


「――本日からこのクラスの副担任になったジーク・ヴェスペルムだ。魔法学と魔法実践の補佐が主な仕事だが、今学期から現代魔法学科の担任となった。これからよろしく頼む」


 元『レベリス』の長であったジークのA組副担任の就任だ。

 前世を思い出し、かつてのアリナのように魔法の造詣が深くなった日向と比べ、ジークは魔法の操作力に秀でている。

 便利になっていく世の中だが、新たな魔法が登録されるたびに性能の高低差が激しいものも増える。


 ジークはそういった魔法を低消費かつ安定のある発動できる技術を持っている。

 昔から器用な男だと思っていたが、ここまで器用だと【起源の魔導士】の名に傷がつく。

 ……まあ、別に気にしてはいないが。


 陽とも引けを取らない美貌をしたジークの登場に、クラスの女子達が色めき立っている。あの遠野ですら頬を紅潮させて見惚れているほどだ。

 日向にとっては見慣れているが、よく考えるとジークは他の令息と比べて顔が整っている。タンザナイト色の瞳も光の角度で青にも紫にも変わり、軽く後ろで一束にした純白の髪も使っている黒いリボンとよく映え、服装も黒一色のラフな恰好だがそれさえも一種の芸術品に見える。


(……まあ、数百年前ならともかく現代なら普通に結婚してもおかしくないくらいのイケメンだよね)


 そう思いながら小さく手を振ると、目敏く見つけたジークは小さく微笑む。

 かつては主人と従者、今は生徒と教師。関係は変わっても、これまで築き上げた絆が変わるわけではない。そう思うとまだ気が楽だ。

 ジークの登場に未だ騒がしいクラスを静かにしたのは、三回手を叩いた担任である陽だった。


「はいはい、テンション上がるのは分かるけど少し落ち着きぃ。……それにしても、夏休みに十分に英気を養ったみたいやな。明日の授業は予定よりビシバシ行くから覚悟しぃ~?」


 陽の意地悪な笑みを見て、クラス中にブーイングが起きる。

 ケラケラと笑いながらHRを終えてさっさと教室を出る陽の後を、ジークは苦笑しながら追いかける。

 HR終了と共にまだ興奮冷めやまない様子に、悠護は声を潜めながら言った。


「ジーク、意外と人気だな」

「だねー。これはちょっと大変なことになるんじゃない?」


 日向の言葉にそんな未来の光景が浮かんだのか、悠護だけでなく樹も心菜もギルベルトも苦笑を浮かべた。



「…………疲れた……」


 数十分後。学習棟の部屋で昼食を食べていた日向達の元に、疲労困憊かつやつれた表情もしているジークが現れた。

 どうやらHR後にやった職員会議や道中で女性教師と女子生徒に囲まれ、あれこれ質問されたらしい。これには昼食をたかりに来た怜哉でさえジークに同情の眼差しを向けた。

 彼のズボンのポケットには名前と電話番号が書かれたお誘い目的のカードがぎゅうぎゅうに詰め込まれていれ、それを虚無の目かつ無言でシュレッダー(廃棄処分するのを樹が確保・修理したやつ)に入れていると、キッチンにいる日向が苦笑いのまま声をかける。


「お疲れー、ジークの分のナポリタンもあるけど食べる?」

「食べる……というか、なんでこの部屋はやたら食料が充実してるんだ?」


 ジークは目の前に置かれたナポリタン、テーブルの上にガラスドームがかけられたクッキーの皿を見て首を傾げる。

 学習棟の部屋にはミニキッチンがあり、簡単な料理ならできることは知っているが、具材たっぷりのナポリタンを見るに明らかにかなりの量の食材があるようだ。


「オレ達は毎週土曜の午後、この部屋で食事を取ってから勉強をしたり、個別訓練場に行って特訓したりしている。平日の放課後も寮より近いから、ここで軽く勉強してから食事を済ませることも多くてな。ちょくちょく自室から食料を持ち込んでいったらこうなった」

「なるほどな」


 学習棟は校舎から近いのは確かだし、食事も済ませれば寮に帰っても余計な労働をしなくて済む。

 そう考えながら、ジークはまだ湯気の立つナポリタンを食べ始めた。

 ソーセージ、ピーマン、タマネギ、マッシュルームがたっぷり入り、隠し味のバターでまろやかなコクが酸味を飛ばしたケチャップの甘さとよく合う。パスタ自体もモチモチで、普通の喫茶店に出してもおかしくない出来映えに軽く目を瞠る。


「美味しい? 去年の夏にお手伝いした喫茶店で作り方教わったんだ」

「ああ……旨い」


 時折粉チーズやタバスコで味を変えながら黙々と食べるジークを微笑ましそうに見ながら、作り置きしていたレモンシャーベットも出す。

 まさかのデザートもついてきたことに驚きながらも、ナポリタンを完食したジークは口元をティッシュで拭い、シャーベットにも頂く。

 果汁だけでなくすりおろした皮も入っており、はちみつで甘さと酸味がちょうどいい。未だ熱い季節にはぴったりなデザートも堪能すると、紅茶を出した心菜がくすくすと笑う。


「ジークさん、甘いものお好きなんですね」

「? 何故そう思った」

「だって顔、緩んでしたよ」

「ああ。にこーってな」


 樹が口の端を両手の人差し指で持ち上げるのを見て、ジークは反射的に自分の口を覆った。

 ジークにとって甘いものは奴隷時代の頃は一生食べることのない高級品だったが、従者になった頃は果物の砂糖漬けを食べられるようになり、今では人並みに好きだ。

 それでも今まで甘いものを食べて顔が緩むなんてことがなかったから、今の自分の反応は予想外だった。


「ん、んんっ! ……私のことはいい。それよりも、今後について話すぞ」


 わざとらしい咳払いをしながら話題転換するジーク。

 ちゃっかりとレモンシャーベットを完食しているが、これ以上からかって拗ねられたら後々面倒だ。あえて乗っかる面々にジークは憮然としなからも話し始める。


「ここのところ魔導犯罪組織の活動が活発化しているのは知ってるな?」


 ジークの質問に全員が縦に頷く。


「私の推測だが……この件は恐らくカロンが絡んでいるとみて間違いないだろう」

「何故そう思う?」

「あいつは目的を達成するためならば手段は問わない男だ。あの悪魔の狡猾さは身をもって知っているだろ」


 ジークの説得力のある言葉に全員が押し黙ってしまう。

 カロン・アルマンディン。かつてイングランド王国を治めた国王であり、『落陽の血戦』の真の黒幕。日向の前世であるアリナを手に入れるためだけに、秘密裏に非人道的実験を行い、その罪をジークに着せた。

 最期は巨大魔導具『蒼球記憶装置アカシックレコード』によって、二七歳までしか生きられない『罰』と『贖罪』を背負った悪魔は、数百年の転生を経て烏羽志紀として生まれ変わった。


 彼の不審の行動に疑念を抱いた紺野と橙田が烏羽家に赴くも、カロンが都内に来る以前より前から皆殺しにしており、屋敷は見る影もないほど荒廃し遺骨もほとんどが灰になっていたと聞いた。

 そのカロンが『叛逆の礼拝』の際に現れ、『蒼球記憶装置アカシックレコード』の劣化版である『神話創造装置ミュトロギア』が設置された『レベリス』の居城がある異位相空間ごと奪われた。


神話創造装置ミュトロギア』がどれほどのものか詳細は知らないが、それでも『蒼球記憶装置アカシックレコード』の代用品として利用できる以上脅威しかない。


「さらに各国と比べて、魔導犯罪発生率が日本の方が高い。これは明らかに七色家を狙った犯行だ」

「……つまり、僕達は喧嘩を売られてるってことでいいの?」

「ああ。そもそも日向が魔導士候補生としてこの日本にいる以上、IMF日本支部と七色家の庇護を受けていることは間違いではない。あいつのことだ、これを機に日本側の国力を減らす魂胆だろう」


 ジークが手持ちのタブレットに表示されたグラフを見ても、やはり他の国と比べて日本の発生率が高い。

 七色家は日本を守護する最強魔導士集団だ。個々の力量は通常の魔導士と比べて上とはいえ、あのカロンがそれより上の戦力を用意するのは想像に容易い。


「だが、今の動きは普通より少し騒がしい程度だ。本格的に潰すタイミグはまだ先だが、警戒に越したことはない」

「戦力強化とかはしなくていいの?」

「しなくていい……とは断言できないが、念のため特訓は欠かさずやってくれ。ノエル達には力を貸すよう伝えてあるしな」


 魔導具のスペシャリストのイアン、召喚魔法の使い手のヘレン、一流の生魔法使いのノエル。前世から培った知識と技術を持つ彼らの腕は日向も信用している。

 中でもイアンは本名のまま東京魔導具開発センターの職員として就職しているし、ノエルも聖天学園が開発した魔導医療の知識を着々と蓄えている。

 良き師としてみるなら、彼らの腕は陽以外の教師よりも上だ。


「樹、イアンに頼めば東京魔導具開発センターの中を見せてくれるはずだ。どうする?」

「えっ、いいのか!? 俺があの日本の魔導具技師の聖地に入っても!?」

「あ、ああ……あそこの警備は厳重だが、職員からの入場許可があれば入れる。まあ、機密事項を破れば許可は帳消しになって再入場はダメになるが」

「それでもいいって! やったー超ウレシー!!」


 諸手を上げて喜ぶ樹の姿に誰もが引きつった笑みを浮かべるも、彼の興奮は当然の反応だ。

 東京魔導具開発センターは、その名の通り東京都内にある魔導具開発・研究を主にする施設だ。魔導具技師は魔導具製の製造を業種とする企業に就職するか、センターで様々な事業に携わるかのどちらかである。


 どちらに就職するかは個人の自由だが、九割が企業に就職する。

 開発センターへの就職は困難で、たとえ魔導具技師の免許を持っていても、その後は厳しい試験をいくつも突破しなければならない。

 学園以上のセキュリティーを敷いているため、魔導具技師にとってはまさに聖地なのだ。


「他の連中も、頼めば稽古くらいはつけてくれるはずだ。その時は私に言うがいい。……もうこんな時間か、私はそろそろ失礼する」

「あれ、もう帰るの?」

「ああ。明日の授業の準備があるからな」


 副担任の仕事は主に担任の補助で、授業に必要な教材だけでなく現代魔法学の仕事もある。他の教師と同じくらいの仕事量なのに、彼の顔は従者の頃と同じ生き生きとしている。

『レベリス』の時の彼は今まで感じなかった倦怠感のようなものがあり、幽霊っぽさなら怜哉と並んだ。

 今は楽しそうでよかった、と思いながら部屋を出ようとするジークの背に向かって声をかけた。


「職員寮に戻る時、どっかで野草取ったりしないでねー」


 半分からかいで言った忠告だったが、ドアノブに手をかけようとした時に動きを止めた従者を見て日向の目が徐々に据わっていった。

 奴隷時代の名残で空腹を紛らわすために野草を食べていたと聞いた時、日向もといアリナはティレーネと一緒になって美味しいご飯をいっぱい、それこそお腹がはち切れそうなほど食べさせた。


 従者として過ごしていた間、彼が草むしりのついでに野草を摘んだ回数は片手の指で足りるほどだが、今になってそれが再発してないが心配だった。

 だからこそ、そんな懸念を抱いたが故の確認だったのだが、こちらを振り返らず無言でいるジークの様子が気になっていく。


「……ジーク、もしかしてもうやったの……?」

「そ、そんなわけがないだろう。私はもう立派な大人だ、山菜採りでもないのに野草を取るような真似はしない」

「とかいってぇ! 顔は見えないけど目泳がせながら弁明してることくらいこっちはお見通しなんだから! ってコラァ待ちなさぁい!!」


 無言で立ち去ったジークに向かって怒鳴るも、後を追おうとドアを開けるも視界の端で純白色の魔力が一瞬で煌めいたのを確認する。

 ジークが日向から逃れるために、わざわざ空間干渉魔法を使って立ち去ったのだと理解できた。


「もう~~なんで逃げるのよー!」

「はは……どんなに時が経っても、あいつも日向の小言には敵わねぇみたいだな」


 ドアの前で地団駄を踏む日向の姿を、悠護は愉快そうに笑っていた。



☆★☆★☆



「はぁ……」


 国際魔導士連盟日本支部。その最上階にある支部長室で、徹一は深いため息を吐いていた。

 いつも隣にいる秘書は別件で外しているため、この部屋には徹一しかいない。そのおかげで、周囲から『鉄仮面』と呼ばれる彼の疲れている様子を見せられる。


 墨守家、桃瀬家、そして烏羽家と黒宮家の分家筋の不祥事は彼の頭を痛めさせた。

 墨守家は七色家への謀反、桃瀬家は娘の希美が『灰雪の聖夜』を起こし、烏羽家はすでに一族皆殺し。

 地方に暮らす他の分家も情報提供しろとうるさく、このところ頻繁に発生している魔導犯罪の件で疲労が溜まり始めている。


 手元のマグカップには秘書が出る前に淹れてくれたコーヒーがあるも、退室してから数十分は経っている。

 冷めて苦みの強いコーヒーを飲んでいると、デスクの上の固定電話が鳴る。

 規則的な着信音に、徹一の眉間が徐々に寄っていく。無言で受話器を取り、そのまま耳に当てると機械的な返事をする。


「……もしもし」

『やあ、徹一くん。ご機嫌は如何かな?』

「普段通りですよ、黒鳶純昌くろとびすみまさ殿」


 聞き覚えのある声に、徹一は思わず舌打ちしそうになるもなんとか耐える。受話器の向こうで勝ち誇った笑みを零す声すら、今の徹一の頭痛をひどくした。

 黒鳶家は黒宮家の分家で、桃瀬家と同じく黒宮家の血筋が近い家だ。彼らの仕事は主に魔導士専用の児童養護施設の運営・援助で、子宝に恵まれない魔導士家系への養子縁組なども彼らの仕事だ。


『そうか? どうやら最近、分家筋の不祥事がやたら多いようだ。……これは、黒宮家はそろそろ魔導士界を退く日が近いようだな?』

「黒鳶殿。いくら身内同士の通話といえ、これ以上の発言は我々への侮辱だ」


 ほのかに怒気を含ませると、純昌は苦笑染みた声を漏らす。

 いくら血が濃いとはいえ、地位では徹一の方が上だ。上下関係が全て、実力こそが正義であるこの魔導士界において、いくら四歳上の純昌でも礼儀というものがある。


『失礼、少しからかい過ぎた』

「……それで、何か用があるのでは?」

『ああ、そうだった! 実は今度、私の屋敷でパーティーを開こうと思っている。そこで徹一くんを含むご家族とご子息の婚約者を連れて来てほしいんだ』


 純昌からの要求に、徹一の眉間のシワが深くなる。

 黒鳶家は三鷹市にあり、八王子市にある黒宮家と近い敷地を有している。そこでパーティーを開くことは可能だろうが、今まで必要以上に関わろうとしなかった黒鳶家の動きは不審なものだ。


「何故、そのようなことを?」

『二年というのは高校生活において、一番充実する時期だ。だが、これまで事件続きで心身共に疲れているはず。これは私の純然たる労いだよ』


 ぺらぺらと舞台役者のようにセリフを吐く純昌だが、声色を聞く限りでは嘘は言っていない。

 本来なら仕事を理由に断るのだが、向こうの動きが怪しいと睨んだ以上、無視することもできない。


「……わかった。今月の連休にそちらへ赴こう」

『感謝する。……では、当日に』


 通話の最後に意味深な物言いをした純昌の電話が切れ、徹一は無言で受話器を置く。

 革張りの椅子にもたれかかりながら、あの電話が新たに舞い込んだ厄介事の気配を感じ、徹一はさっきよりも深いため息を吐いた。

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