第198話 デートの誘い
『おはようございます。一二月二二日、朝のニュースです。クリスマス・イヴに起きた大規模魔導犯罪事件『灰雪の聖夜』から残り二日となります。未だ活発化する魔導犯罪によって国民から不安の声が相次ぎますが、国際魔導士連盟日本支部は『今も多くの魔導士が事件解決に向けて尽力している』とコメントしており――』
朝一のニュースキャスターが語る内容を聞きながら、二人は朝食を摂っていた。
今日は終業式、冬休みの間は全生徒・教師は学園に居残ることは許されないため、荷造りはすでに済ませてある。
食材も賞味期限が近いものは全て使い切り、冷蔵庫の中は保存が効くもしくは賞味期限がまだ先の食材しかない。
今日食べているパンケーキもちょうどホットケーキミックスの賞味期限が近いからだ。カリカリのベーコンとスクランブルエッグを乗せているおかげで、しょっぱくも甘い味が口の中に広がる。
パンケーキと一緒にベーコンを食べていると、紅茶を飲んでいた心菜が口を開く。
「そういえば日向、冬休みはどうする予定なの?」
「んー、いつも通り家で過ごすよ。心菜は?」
「うーん、私はいつも通り親戚と過ごすよ。多分、樹くんも連れて」
「ああ、なるほど」
無事樹と恋仲になった日から数日後、日を改めた心菜が樹のことを神藤一家に紹介したのだ。
例の叔母は樹の出自などにしつこく文句を言っていたらしいが、心菜の母にこってり絞られたせいで、祖父から結婚前提としたお付き合いを許可について反対はしなかった。
今まで色恋沙汰のない心菜の婚約者となった樹の存在は、親戚中に伝わってしまい正月に顔を見に来るらしい。
すでに樹には伝えてあるらしく、彼も神藤一家の正月パーティーに参加する気だ。
告白をして一皮剥けた樹は今までより面構えが変わり、心菜と共に生きる覚悟すら感じられた。
(共に生きる覚悟、か)
他人同士が結婚し、死ぬまで一生添い遂げるのは難しい。
相手との相性はもちろんだが、仕事がなくなったり、たとえ子供ができたとしても不仲になったりと問題がある。
魔導士家系では政略結婚は当たり前、一般家庭でも離婚などもある中で、好きな人と共に生きるにはそれこそ覚悟が必要だ。
恋仲になって悠護から自分は去年の夏頃からすでに正式な婚約者扱いになっていると聞いた。推測だけれども、希美の件もその決定による影響もあったことも。
最初は驚いたけれど、徹一が約束通りに悠護の婚約者にしたことは素直に嬉しかった。前世の件もそうだが、やはり好きな人との未来が約束されていることは心の支えにもなる。
……そして、その幸せが未だ確実ではないことも。
(大丈夫……今世ではちゃんと幸せになるって決めたんだ。だから……怖がるな……)
数百年前とはいえ、一度幸せだけでなくまだ続く人生すら手放した記憶は呪いのように縛る。
生まれ変わってももう一度同じ過ちを起きるのではないか、という不安が日を追うごとに雪の様に降り積もる。
テーブルの下で太腿が震えるのを見て、拳を作った左手で強めに叩く。
強く叩き過ぎて逆に痛んだ太腿を擦りながら、日向はなるべく表情に出さないようにしながらパンケーキを平らげ、食器を片付けて学校に向かう。
冬らしい寒さに肩を震わせながら、日向達はなるべく急いで校舎に向かう。
校舎に入って暖房の恩恵を満足に受けた後、以前と変わらない終業式を終え、しっかり防寒した面々が荷物を持って自然と噴水広場に集まる。
今年の冬は寒波の影響により、都心でも例年より雪が軽く積もる程度には降るらしい。すでに雪が降り始めていて、その一つが手袋の上に落ちてゆっくりと溶けていく。
「今年は寒いなぁ~。つかギル、なんか荷物多くね?」
「今年はイギリスに帰るんだ。向こうでやる仕事があるからな」
「っかぁ~、大変だな王子サマは」
去年は都内のホテルで冬休みを過ごしていたギルベルトだが、やはり今の情勢が不安定というせいもあって宮殿側から戻ってくるよう言われたようだ。
怜哉も普段通り過ごすつもりだし、心菜と樹は言わずもがな。やはり冬になるとそれぞれ用事があるようだ。
(悠護も七色家のパーティーもあるし、陽兄は愛莉亜と一緒に過ごすみたいだし……今年はクリぼっちかぁ)
まさか一七歳でクリぼっちをする羽目になるとは、と他人事のように思っているとトントンと軽く肩を叩かれる。
振り向くと鼻先を赤くした悠護が、マフラーを口元に引き寄せながらじっと日向を見ていた。
「どうしたの、悠護?」
「なぁ……冬休み、何か予定あるか?」
「特にないけど……」
「じゃあさ、クリスマスに俺とデートしようぜ」
「え?」
突然のお誘いに日向は目を丸くする。
今年も七色家のクリスマスパーティーがあるはずだ。親戚一同が揃う場であるため、ほとんどが出席するとも聞いた。
それなのに、彼からのデートの誘いは予想外だった。
「クリスマスパーティーは別に強制じゃないし、怜哉だって気分で出る時と出ない時があるから抜けても別に問題ねぇよ」
「ならいいけど……どこに行くの?」
クリスマスデートというのは嬉しい提案だし、心躍るものだ。
肝心の行き先がどこであれ、悠護と一緒に楽しめるのならどこでもいい。
問いかけた日向を見て、悠護はどこか懐かしそうに目を細めながら言った。
「それは来てからのお楽しみだ」
高橋が運転するリムジンで黒宮家に戻った悠護は、玄関ホールでちょうど帰宅した徹一と遭遇した。
「親父、帰ってたのか」
「ああ。ここ最近支部長室でカンヅメになっていたが、しばらくはゆっくりできる」
魔導犯罪が多発したせいで、IMF日本支部では急速な人手不足が相次いでいた。研修が終わった半人前の新人達が悪戦苦闘する先輩達についてくるのがやっとで、過労で倒れることも少なくない。
支部長である徹一は職員のケアや人員補充などの通常業務に加えて残業しなくてはならないほどの仕事に追われていた。
今までは月に二回ほど家に帰っていたが、八月下旬から今日まで徹一は一度も家に戻っていない。
魔導犯罪の活発化の原因を知っている悠護にとっては、父に苦労を負わせてしまっていることに罪悪感を抱いてしまう。
「そうだ。親父、俺今年のパーティーに出席しないから」
「ん? ああ、なるほど。デートか」
悠護の言葉に一瞬眉を顰めるも、すぐに察したのか納得の表情を浮かべる。
見破った父が意味深げに笑みを浮かべるのを見て、これ以上詮索されない内にそそくさと部屋に戻る。相変わらずシンプルな室内だが持ってきた荷物を適当に床に置くと、黒猫ククが鳴き声を上げながらすり寄ってくる。
「久しぶりだな、クク。ちょっと見てない間デカくなりやがって」
「みゃおん」
喉元を掻くと嬉しそうに鳴くククをひとしきり撫でると、満足したのか窓側に設置された勉強机の上で丸くなる。
ちょうど日差しが入っているのもあって、日向ぼっこしている黒猫の姿を微笑ましそうに見つめながら天蓋ベッドに倒れ込む。
部屋の主がいない間もしっかり掃除はしていたらしく、ベッドも終業式を見計らってメイキングされている。
洗剤のいい匂いを嗅ぎながら、悠護は首から下げている黒い十字架のペンダントを取り出す。
(あいつ……なんか最近元気なかったな)
これとは色違いのペンダントを持つ恋人の顔を思い返してみても、今日だけでなくここ最近の日向はどこか元気がなかった。
最初は季節の変わり目による体調不良だと疑ったが、日本に戻ってから彼女が図書館に何度も出入りして本を貸出冊数ギリギリまで借りている姿も見たし、借りた本はどれも魔法関連で、毎日部屋で何かを書いていると心菜が零していた。
(心菜の証言が真実なら、きっと昔みたいに魔法の研究してるはずだ)
人一倍魔法の研究に勤しんでいたアリナは、昼夜問わず新魔法の開発や効率的な発動方法などを調べていた。
時々寝食を忘れて、ティレーネとジークが部屋から引きずりだしで食事と風呂を用意させる場面は何度も目撃したし、身綺麗になって空腹も満たされた後に満足げな表情で眠るアリナの顔は可愛かった。
今は今世での生活に加えて学園に通っていたこともあって、きちんと寝食を取っている。
しかし、それでもやはり彼女が何をしているのか気になる。
「ま、それも今度のデートで分かるか」
日向の元気のなさも、例の秘密の研究も、全てはクリスマスに分かる。
いつの間にか外が分厚い灰色の雲で覆われ、日差しがなくなって日向ぼっこできなくなったククが悠護の胸元にすり寄ってきた。
小さくも大きくもないぬくもりを感じている内に眠気が襲い、悠護はククを一撫でするとそのまま瞼を閉じた。
☆★☆★☆
「クリスマスデート、かぁ……」
自宅に帰って軽く掃除を終えた日向は、リビングの縁側の窓の外を見ていた。
さっきまで止んでいた雪は再び降り始め、今度は屋根に軽い白化粧ができるほど積もり始めている。北海道みたいな大雪にはならないだろうが、それでもクリスマスを彩るにはちょうどいい。
今日は陽も戻ってくるし、奮発してすき焼きにすることにした。
食卓にはコンロとすき焼き用の鍋、薄切りにした牛肉の他に白菜や豆腐などの具材、そして割り下と牛脂、生卵の準備もしてある。
豊崎家の三大贅沢料理の一つを準備し終え、リビングのソファーに寝転びながら悠護のことを思い出す。
デートらしいことは何度もしたし、今までの時間を埋めるように甘いひと時を過ごしたこともある。
誘う時もどちらかが先だってこともあった。だから、悠護がデートに誘うのは別段おかしくない。
(なのに……なんでこんなにドキドキしてるんだろう)
クリスマスデートは現代のカップルにとっては定番で、一部では『リア充の日』と呼ばれている。そんな日に誘われるのは嬉しいし、一種の憧れもあった。
クリスマスになるのは待ち遠しく感じるのも当然だ。
だが、それ以上に何かを期待している自分もいる。
(期待? 何を? ……もしかして……あの夜の続き……?)
一瞬、自分自身が何を求めているのか分からなくなったが、黒鳶家でのことを思い出して顔だけでなく首まで真っ赤になる。
確かにあの時、悠護は『心の準備ができたら』と言っていた。もしこのデートの誘いがあの夜の続きならば、とてもじゃないが正気ではいられない。
あまりの羞恥に耐え切れずクッションに顔を埋め、足をジタバタしているとちょうどいいタイミングで陽が帰ってきた。
「ただいまー……って、何しとるんやっ?」
ソファーの上で一人悶絶している妹に、目撃した兄はドン引いた顔をする。
陽の声に気づい慌てて起き上がり、悶絶していた間乱れた髪を軽く直す。
「な、なんでもないよ! おかえり陽兄!」
「お、おお、ただいま。あ、もう支度終わってたんか。今日は肉多めやなぁ」
「うん。肉屋のおじさんが賞味期限の近いお肉を安く売ってくれたんだ」
「そりゃよかった。んじゃ、さっそくすき焼きパーティーしよか」
「うん!」
二人分どころか四人分もありそうな量を見て嬉しそうにする陽に同意しながら、日向は二人きりの晩餐を楽しんだ。
「ふぅ……さっぱりした」
お風呂から上がり、暖房が効いた部屋に戻るとすぐにクローゼットを開ける。
中に入っている服は悠護のことを意識してから少しずつ女の子らしいものかつ自分好みのものを増やしたこともあり、着なくなった服をリサイクルに出したこともあった。
クリスマスデートに相応しい服を何着か見繕い、それをベッドの上に置いた。
それなりに多い服の中から選ばれたのは白いニットセーター、赤チェック柄のミニカート、そしてキャラメル色のチェスターコートだ。
厳選したコーデの中ではこれが一番だと決め、分かりやすいように別のハンガーにかけておく。
デート服が決まってすっきりするも、やはり悠護のことを思い出して頬が紅潮する。
「やっぱり緊張するなぁ……前世じゃそういうのは禁止だったし」
前世でも今世でも婚約者同士になったが、昔は婚前交渉すること自体ありえない時代だった。生きるために体を売る娼婦達は仕方ないとして、貴族の令嬢令息の間では婚前交渉する者は汚らわしいものという目で見られた。
貞操観念が強い時代だったこともあり、当時はキスしか愛情を伝える方法がなかった。
それも時代が移り変わると徐々に変質し、婚前交渉していない方が珍しい時代になった。
あまりの激変ぶりに前世を思い出した直後はすごく動揺したし、もし可能ならばキスより先に進みたいという気持ちがないとは言えない。
それでも……やはり恐怖心というのはある。
そもそも、日向にとって悠護は自分の初恋だ。
恋愛経験も前世を思い返しても子供っぽい逢瀬ばかりで、今世ではボランティアや家事に費やしたせいで皆無。化粧もおしゃれすらも高校に入ってから意識し始めた。
そんな自分に恋人らしいことができるのだろうか?
「……でも、一時だけでもいいから、幸せを感じたい」
ただでさえカロンが未だ動かないせいで、今の幸せが壊れるのが何時になるのか怯えている。
もちろん死ぬ気もないし、利用される気もないが、それでもたとえ仮初でも幸せな時間というものを作りたい。
「……………………ああもう! これ以上考えたら頭痛くなってきたッ! 気分転換にココア淹れよう」
気分が沈んだり嫌なことがあった時は、豊崎家流ココアを飲めば気分が入れ替わった。
思い出したら口の中がココアになり、ブランケットを羽織るとすぐに部屋を出る。リビングの電気をつけると、外は屋根だけでなく小さな庭も白に染まっている。
今も降り続ける雪を見て、日向は今年の冬は絶好のホワイトクリスマスになるだろうと思った。
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