第286話 愛を望まない女と生を望む男

 フィリエにとって、ベネディクト・エレクトゥルムは模範的な貴族令息だった。

 性格は他の貴族と比べて優しい方だが、父の言われた通りに家を継ぐための勉強に時間を費やし、領地のために身を粉にして尽くす。

 もちろん物腰柔らかでハンサムだったから、色んな家からやってくる求婚の手紙は山のようにあって、それを運ぶだけで同僚達がきゃあきゃあ騒いでいた。


 エレクトゥルム男爵家は、使用人だけでなく領民にも分け隔てなく接し、たとえ身分が低くても当主の許可があれば結婚できるという、当時では考えられないほどの人格者集団だった。

 それでも何度も領地を奪おうとする悪徳貴族には容赦がなく、逆に痛いしっぺ返しを食らわせて泣き寝入りした者は少なくない。


 フィリエにとって貴族というのは、金と権力があるだけで傲慢で高飛車になり、庶民を見下す醜い生き物という認識だった。

 少しでも猫撫で声を出してすり寄れば、相手は勝手に勘違いして、気前よく金や宝石をくれる。

 以前の路上生活なら考えられなかったが、メイドになってからはエレクトゥルム男爵家に招かれ、当主の懇意で一泊する貴族の相手を自主的に行った。


 これまで宿泊してきた貴族達の大半は既婚未婚問わずフィリエの誘いに乗ったが、一部の堅物は頑なに拒否した。

 もちろん自分のせいでエレクトゥルム男爵家に迷惑をかけるわけにはいかず、他言無用を条件にそのまま引き下がることも一度や二度ではない。

 それでも相手にした貴族は見事フィリエの虜となり、カロンの愛妾となった後でも手足となってよく働いてくれた。


 そんな貴族達を相手にしてきたこともあり、いつしかフィリエはベネディクトのことが苦手となっていった。

 貴族なのに貴族らしくなくて、魔法にのめり込んだ妹の理解者になろうと努力し、そして一メイドである自分にも気にかけてくれた優しい人。

 でもフィリエにとってその優しさは、浅ましい自分の本性を突きつけているようで、いつしかエレクトゥルム男爵家の温かさすら恐れるようになった。


 カロンの愛妾になったのは、自分を『人』ではなく『道具』として見てくれる彼のそばがひどく心地よかったから。

 たとえどれほど手酷く抱かれて、ボロボロになって捨てられても、あの人のためならばそれでもいいって思えた。

 だからこそ裏切り者ジークの従順な駒となり、非道な仕置きを受けても、必死に耐えて彼の帰還を待ち続けた。


 そして、ようやく彼の願いが成就する。

 カロンが望む理想の世界は、この世界よりはるかに美しく平和な世界になる。

 そのためならば、彼女は身も心も彼に尽くす。


 それが【狐の魔女】フィリエ・クリスティアの生きる意味であり、存在価値。

 だから――カロンへの愛など、望まないのだ。



「さあさあ、可愛い可愛い亡者達よ! わたくしの手足となってあの男を呪い殺しなさいッ!」


 フィリエの言葉に亡霊が言葉にならない叫びを上げながら迫る。

 どれもが原形を留めていない状態で、よく出てくる洋画のゾンビの方がいくらかマシだと内心思いながらも、陽は容赦なく魔力弾を放つ。

 魔法陣を展開して放たれる魔力弾は通常の倍以上の威力で、容赦なく亡霊達を撃ち抜く。


 呪魔法による亡霊操作は、基本的触媒となるモノがある。

 その触媒になるモノは思い入れのある物であったり、墓石の一部であったり、もしくは土地そのものであったりと種類は様々だ。


 魔力弾を放ちながら、陽は眼球を忙しなく動かしながら庭園を見渡す。

 今世では日本人である陽ですら見事と言える庭園だが、その一つ一つがどこか古いことに気付く。

 松の木は樹齢がかなり立っているし、敷かれた砂利はよく見ると灰色だ。灯籠も元は別の石材で作った痕跡がある上に、朱塗りの橋の下に敷き詰められた石は数えきれないほどの大小様々な頭蓋骨。


「ったく、悪趣味な収集しよって!」


 この庭園が全て目の前の亡霊達の墓や家から盗んだモノで作ったと理解した陽は、激しく舌打ちしながら、袖に隠していた金属矢を取り出し、それを壁に向かって打ち込む。

 それを見て、フィリエがさらに亡霊を新たに呼び出す。

 召喚魔法と違い、亡霊は強制的にフィリエの駒になっている状態だ。操り人形のように使われており、たとえ肉体がない存在でも見ていて気分がいいものではない。


 亡霊達が雄叫びを上げて襲い掛かる。

 一見彼らは攻撃できないと思うが、魔法で操られている場合は違う。

 ちゃんと物理ダメージが入るし、亡霊の中に魔導士がいれば魔法を使うこともある。


 フィリエは魔導士の亡霊を選別しており、亡霊から放たれる魔法は初級から上級までと多種多様だ。

 ここまでの数の魔導士の亡霊を集めるには、それなりに骨が折れる作業だ。

 今日まで息を潜ませていたのは、全てこの日のためだったのだろう。


 陽は強化魔法で身体能力を上げたまま亡霊の攻撃を躱し、また別の金属矢を打ち込む。

 空間干渉魔法は便利に見えるが魔力消費量が激しい。ただ威力や距離などの細やかな調整が可能なため、陽はその調整を繰り返しながら少しでも魔力消費量を抑えるようにした。

 現代の魔導士ではその調整すら高度の技術なため上手く使えないのがほとんどだが、前世の記憶で一番興味を惹かれた空間干渉魔法について調べまくったこともあったため、陽にはその調整を脳内で軌道修正するという離れ業をやってのける。


 亡霊達がゾンビのような動きで陽に迫る。

 振り払うように魔力弾で撃ち抜くと、彼らは苦痛に喘ぐひどい声を上げた。まるでこちらが罪悪感を抱かせるような気分になるが、それも全部フィリエは織り込み済みだ。

 彼女ほど人間の心をかき乱す術を持っている者もいないことを十分知っている。


 フィリエが得意とするのは呪魔法のみ。干渉魔法と生魔法が苦手で、それ以外は人並み。

 しかし亡霊を操る腕は現代の魔導士の中では群を抜いている。

 それ以前に、彼女にはある特徴がある。


 かつては精霊眼のように肉体に魔法に近い性質を宿す者がいたが、現代ではその性質が徐々に失われるか弱体化の一途を辿っている。

 むしろ樹の精霊眼が未だ生きていたことは素直に驚いたし、今世においてかなり強力な武器になる。

 そして、フィリエにもその魔的体質を持っていた。


 その名は、美神体質ヴィーノス

 彼女の声を聞き、あの目に入った者は心を奪われ、やがて身を捧げるようになる、決して抗うことすらできない『美』の力。

 精神魔法にも似たようなものはあるが、あれはどちらかというと催眠に近い。しかしこの力は本人の力量次第によって、たった一人で国を簡単に傾けさせるほどの威力を発揮する。


 ――そしてこの体質の最大の特徴は、


「――さぁ、私の可愛い亡霊達ぃ。あの男を殺しておしまいなさいな」


 妖艶な仕草で扇子を扇ぎ、酷薄な微笑を浮かべながら亡霊を従える美しき狐の魔女。

 その『美』と正反対な醜悪な存在が迫りくるのを見ながら、陽は嫌悪感を惜しげもなく顔に出しながら吐き捨てた。


「――こんのクソったれが!」



☆★☆★☆



 サンデス・アルマンディンにとって、ローゼン・アルマンディンはいけ好かない弟だった。

 同じ親から生まれたとは思えないほどの美貌と知性を兼ね備えていて、カロンの次に王に相応しいと持て囃された。


『なんて素晴らしい洞察力なんだろうか』

『あの年で旧グローリザ伯爵領の飢饉問題を解決するとは。ローゼン様には先視さきみの才がありますな』

『カロン様の後はもしかすればローゼン様かもしれまんなぁ!』


 臣下達が弟を褒めちぎるのに対して、自分に対しての言葉は全部正反対だった。


『サンデス様の頭の出来はあまりよろしくないですな』

『馬術も剣術も平凡。あれ以上の成長は望めまい』

『まぁ、あんなのでも一応は王族の血を引く者。種馬としての役目だけは果たせばよろしいでしょう』


 誰もが言った。

 サンデスは何をしても平凡で、兄と弟にも劣ると。

 兄ならまだいい。だけど、あの生意気な弟に負けるのが何よりも悔しかった。


 だけど才能というのはあまりにも不公平で、どれほど努力をしてもその差は埋められず、逆に自分の努力が馬鹿馬鹿しく思い始めた。

 努力しても認められないなら何をしても無駄で、周りが小言を言ってきても全部無視して、せめてどの家の婿となってもいいように最低限の教養を身につけることだけはした。


 出来が良すぎる弟を嫌い、毎日死を望む言葉を吐くようになったサンデスに〝神〟もついに見放したのか、そこから先は逆に面白いほど出来過ぎるような転落人生だった。

 弟と同じく嫌う女の従者に魔法で命を握られ、兄の復讐のための道具として利用され、行きたくもない抗争に無理矢理駆り出され、そして見知らぬ国民や顔見知りの兵士から命を狙われる。


『サンデス・アルマンディンは王家の恥さらし!』

『実兄を裏切った汚点!』

『あの男を殺せ! もはや生きる価値もない!』


 自分を蔑む言葉には慣れたが、あの時の罵詈雑言はひどかった。

 誰もが目を血走らせ、鍬や斧を持って探す姿はまさに悪魔のようで、たとえ腕や足がなくなろうが殺すまで諦めないと伝わってくる憎悪に、サンデスは初めて自分のしたいことを見付けた。


 ――死にたくない。

 ――こんなクソみたいな人生で終わりたくない。

 ――俺はまだ生きたい。


 そんな泥臭い執念によって、サンデスは『落陽の血戦』を生き延び、そのまま国外へ逃亡。

 静かな土地で暮らして余生を過ごそうと日銭を稼いでいた矢先に、運悪くジークに見つかり、そのまま魔導犯罪組織の仲間入りになった。

 やっていることは主に雑用ばかりだが、現代で言うブラック企業のような過酷なノルマはなく、むしろ時間があり余っていたこともあり、それなりにのんびりと過ごせた。


 魂集めも基本はリンジーやイアンがやってくれたし、たまに玩具としていじめられることはあったが、それでも宮殿の頃と比べたらそれなりに過ごしやすかった……と思う。

 だけど一年前の夏にカロンが現れ、サンデスの扱いはほとんどいないものにされた。

 イアンが抱えていた魔導具関係はその分野に強い下部組織に任され、雑用すら何もしなくなり、さすがに何もしないのはダメだと思って兄に進言したら、返されたのは無味乾燥な言葉だった。


『お前に仕事などやっても意味はない。英気を養うのがお前の仕事だと思えばいい。くだらないことに私の時間を割かせるな』


 まるでロボットが事前に入力したような言葉。

 だけど、それだけでサンデスの中にあった兄への憧憬は、その日によってひび割れて消えた。


 カロンは、当の昔にサンデスを見放していた。

 裏切り者にされた時に? 魔法を忌み嫌っていた時に?

 いいや、違う。最初からだ。


 ――サンデス・アルマンディンは、生まれた時からすでに兄に見放されていた。


 それが何故なのかわからない。

 だけど、これだけはわかる。

 あの男のために自分が死ぬ義理はないのだと。



 ギルベルトの雷撃は、どれも天災レベルだ。

 天に向けて撃てば、全て強烈な雷となって落とされ。

 地に向けて放てば、地震より上の振動と衝撃を与える。


 自分の生まれ変わりであるローゼンは、この力を制御することを第一に考えていたせいで、実力の半分も出せなかった。

 当然だ。使いすぎれば元に戻れないというデメリットがあるのだから、それを知って好き勝手に使うことなど誰にもできない。


「『粛清の針葉エクスプルガテ・フォリウム』!」


 サンデスが詠唱した直後、自分の命を狩り取ろうと無数の葉が襲いかかる。

 しかしそれを雷撃で全て撃ち落とし、真っ黒になった葉はまるで雪のように降り落ちた。


「ああもう、いやだ。俺はこんなところで死にたくないんだよ……!」


 もう半泣きで弱音を吐きながらも、必死に魔法を繰り出す前世の兄。

 誰よりも平凡で、努力をしても称賛を貰えず、全てが嫌になりじぶんに呪いを呟いていた。

 だけど、本当は誰よりも誠実で、優しいことを知っている。現にほとんど捨て駒扱いされていると分かっていても、こうして自分に戦いを挑むのだから無自覚にも程がある。


(だからこそ、オレはお前が嫌いだった)


 誠実のくせに優柔不断で、優しいくせに臆病で。

 そんなところ嫌いだけど、死んでは欲しくない。

 自分達のせいで、平穏から離れてしまったこの兄に。


(せめてもの贖罪だ。一気に終わらせる)


 雷撃を止めたギルベルトは、その場に立ち尽くすと静かに息を吐く。

 そして魔力を高めると、ベキベキッ!! と背中から音を出す。

 バキボキメキャッと生々しい音と共に出てきたのは、一対の翼。黄金に輝くそれを見て、サンデスはひゅっと息を呑む。


「それは雷竜の翼!? まさか……人獣型を物にしたのか!?」


 人獣型。『概念』そのものである獣型と人間そのものである人型の間にある、三つの形態のひとつ。

 人獣型は形態の維持が難しく、コントロールを誤ると獣型になり、そのまま暴走する。

 昔ならばできない形態だが、今のギルベルトには日向の魔石ラピスを加工したピアスがある。これがあるからこそ、ギルベルトはこの力を物にできた。


「今日ここで、全てを終わらせるぞ。サンデス」

「!」


 ギルベルトの双眸の瞳孔が縦長に伸びる。それが本気の合図と察したサンデスが防御魔法を張ろうとするも時すでに遅い。

 音速を超えたスピードで急接近したギルベルトは、雷を纏わせた拳をそのままサンデスの鳩尾にめり込ませる。

 バリバリバリッ!! と雷撃が全身に襲い掛かり、サンデスは声なき悲鳴を上げる。


「~~~~~~~~~~~~ッ!?」


 雷撃はたった数秒しか撃ち込まれなかったが、サンデスには数分以上の時間を感じた。

 口だけでなく全身から黒煙を出し、白目を剥きながらサンデスは床に倒れる。カラァン……と槍が落ちて転がるのを見ながら、ギルベルトは人型に戻るとそっと首筋に指をやる。

 脈はドクドクと辛うじて動いており、命までは奪っていないことを確認する。


「……サンデス、お前は今日この日をもって自由になる。どこへでも行って、そのまま好きなように過ごせ。……それが、からの償いです。サンデス兄様」


 前世で言えなかった言葉を言って、ギルベルトはそのまま部屋を出ていく。

 雷撃や魔法であちこちが壊れた部屋に残されたサンデスは、僅かに残っていた意識をなんとか保ち、扉を閉じて出て行ったかつての弟に向けて言った。


「………………だから俺は、お前の……そういう、ところが、嫌いなんだよ…………ローゼン……」

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