第287話 『無限天恵』
『供儀の御柱』の『本体』は、巨大な水晶柱を中心にし、その周囲を大小様々な大きさの水晶で覆われていた。
水晶に吸収されていく光の粒は全て『端末』が奪った魔力と生命力。あまりの多さと輝きに、魔導具を持つ手が震えた。
(精霊眼使わなくてもわかるくらいの魔力……! あの野郎、本気で全人類皆殺しにする気か!?)
この三年間、様々な事件に関わってきたこともあり、人を殺すことに躊躇いのない人間をたくさん見てきた。
もちろん人としての生理的嫌悪感で『殺し』を忌避するものだと理解しているし、一時期は『殺し』をして慣れようとするも、怜哉の鋭すぎる一言で『傷つける』ことに慣れるだけに専念することにした。
だからこそ、カロンという男の躊躇のなさは樹でも絶句するほどだった。
正直、数百年の前の因縁は自分には関係ないが、だからといって愛する世界を支配しようとする彼が気に入らない。それに親友達が死ぬ気で戦おうとしているのだから、協力しないわけにはいかない。
そのために日向の無魔法にも耐えられる魔導具を造ったというのに……。
(ふざんけんなよ! 魔力がこんなに高いんじゃ、俺が撃つまでもなく魔導具が根負けするに決まってる!)
マスケット銃型魔導具《ディミディス》。
『解放』の名を冠したこの魔導具は、日向の
『
最初に試した時は目玉が飛び出るほど驚いたし、イアンはバラバラになった魔導具と直立不動の樹を見てひどく戸惑っていた。
それから試行錯誤を続けて、ようやく完成させたのがこの《ディミディス》だ。
日向の無魔法は
しかし、目の前の『供儀の御柱』を見る限りでは、破壊する前に自分の魔力が枯渇する未来しか視えない。
(どうする? どうする? どうする? 俺と心菜が力を合わせても、こいつを壊す威力は出ない! 一体どうすれば……!?)
未だ魔力を吸収していく『供儀の御柱』。
これを壊さなければ多くの人間の命を奪われる。しかし破壊のために必要な魔力が足りない。
多数の死か自身の死。天秤に乗せられた命懸けの選択に、樹の手が震える。
「――樹くん」
冷や汗を流し、動揺を一切隠さないその手を、そっと優しく触れるもう一つの手。
心菜だ。彼女のペリドット色の瞳が自分の顔を映しており、その顔が恐怖で歪んでいるのが見えた。
それを見て、自分がこんなにもひどい顔をしているのだと初めて知った。
「私にできることなら力になれるよ。だから、言って。何をして欲しいのか」
微笑みながら、そう言われてようやく気付く。
そうだ、今の自分は一人じゃない。焦りで視界が狭まっていた樹の意識を取り戻し、ゆっくりと息を吐きながら言った。
「…………日向の
「うん。分かった」
あまりにも負担が多いことを言ったのに、心菜は笑顔で答える。
それを見てやっぱり断ろうとした直後、彼女は手を合わせて詠唱を唱えた。
「大地を巡る脈 生命を生む筋 龍が
いや、これは詠唱に似た『何か』。
聖歌のように、詩吟のように紡がれる、美しき歌。
「草が生え 果実が実り 香しき花々が咲く」
歌が紡がれると、心菜の顔に血管のような淡い緑色に光る線が白い肌に浮かび上がる。
「豊穣の恵みよ 天の慈悲よ 我が身にその御力を貸し与えたまえ」
歌が紡がれるたびに、心菜を中心に広がる巨大な花びらの形をした魔力が現れる。
「――『無限天恵』」
その花びらが樹の体を包み込んだ直後、膨大な魔力が流れてきた。
「うおお……っ!?」
己の
恐らく、魔力を消費した後に次の魔力が補填される、いわゆる継ぎ足しのような機能を備わっているのだろう。
「……これで、大丈夫かな?」
「ああ……サンキュ」
脂汗を滲ませながら問いかける心菜に、樹は頷き答える。
理由は分からないが、どうやらこの魔法は生命エネルギーとは別のエネルギーを魔力に変換し、それを他者に分け与える魔法だ。
こんな魔法は樹も知らないから、きっと神藤家の『秘法』なのだろう。
特定の血筋にしか現れない『秘法』。
その恩恵は凄まじいと思う反面、術者への負担が強いそれを見て、樹は《ディミディス》
の銃口を『供儀の御柱』に向けた。
銃口を向けられたと同時に内蔵されていた観測システムが起動し、ホログラム画面が目の前に表示される。
「――目標、『供儀の御柱』。魔力規模数値……1000……3000……7000で停止。魔力の装填、完了」
黒い砲身をした《ディミディス》が、琥珀色の光で包まれる。
この三年で見慣れてしまった光。夕日のように淡くなれば、黄金のように強くなる輝き。
普通では考えられない非日常を歩き、日常でも傍に居続けた。
あの入学式の日に、大衆の目の前で毅然と啖呵を切った彼女を『面白い奴』だと思い、声をかけた自分の行動は間違ってなかった。
もしあの一歩の行動を踏み出さなかったら、悩んで、苦しんで、それをバネに成長できなかった。
だから。
だからこそ。
真村樹は、この世界を守ることができるのだ。
「魔力、充填完了。――『
樹の骨ばった指が、静かに引き金を引く。
銃口から琥珀色の光を収束させた光線が放たれ、『供儀の御柱』に直撃する。
膨大な魔力による魔法の行使で吹き飛びそうになる体を必死に支えるが、やはりとんでもない負担がかかっているせいで砲身にヒビが入り始める。
それでも、この踏ん張りを見せなければ、今までやってきたことが水の泡になる。
そうなってしまったら、この世界はカロンの思うがままになってしまう。
「絶対に、そうはさせるかぁぁぁぁっ!」
樹の言葉に呼応するように、彼の魔力と『無限天恵』の恩恵がガチリと歯車のように噛み合う。
瞬間、樹の魔力がさらに増幅し、砲身のヒビが大きくなるも、決してそれから手を離さない。
「うおおおおおおおおおおおっ!!」
雄叫びと共に強まる光線を浴び、『供儀の御柱』に亀裂が走る。
パキパキメキメキッ!! と鉱物特有の音が響き渡り、『本体』へと集まっていた魔力が霧散していく。
そして、バキィィィィィンッ! と甲高い音と共に『供儀の御柱』が砕かれる。
同時に《ディミディス》も砕かれ、その反動で樹の体は仰向けに倒れる。
受け身も取れずそのまま倒れた樹に、心菜は顔色を青くしながらも駆け寄り、その場で膝をつく。
「樹くん、大丈夫!?」
「あ、ああ……大丈夫だ。むしろ打った背中が超痛ぇ……!」
ひとまず元気そうな恋人を見て安堵の息を吐くと、心菜は『供儀の御柱』を見る。
あんなにも巨大で輝いていた水晶は無残なまでに壊れ、塵となって消えている。まるで虹の雨が降っているようで、場違いながらも幻想的に見えた。
「…………やったな」
「うん。お疲れ様、樹くん」
力のない笑みを浮かべた樹の頭を、心菜は優しく微笑みながら撫でる。
その光景を破壊した魔導具から飛び散った油を、返り血のように頬や服で汚した怜哉がため息を吐きながら見ていた。
☆★☆★☆
玉座で眠る日向の頬をひと撫でしたカロンは、指を鳴らす。
その音に反応し『
シュルシュルと優しく巻き付けていく線は、そのまま『
すぐに数回ほど発光を繰り返すと、球体から日向の姿が浮かび上がり、まるで標本のように収められる。
するとカロンの全身がじくじくと疼き始め、おもむろに手袋を取った。指先まで呪いで浸食されていた肌は、かつての白さを取り戻していた。
(あの管理個体の言う通り、日向を取り込めば呪いが解呪されたようだ)
これで今日死ぬという運命は消え去った。
数百年もの間苦しめていた呪いがこうもあっさり消えてしまうと、何故か物悲しく感じた。
しかし、これでやっと本来の目的が果たせると思うと、その感傷すら些末なことだ。
(……ああ、長かった。やっと彼女を手に入れた)
微動だにせず眠る日向は、まるで美術館に飾られている絵画のよう。
一生笑いかけることも、話しかけることもないが、それでも彼女の視界に自分以外の人間が入らないというだけでひどく安堵する。
これを聞いたら大勢の人間は狂っていると言うだろうが、それでも構わなかった。
カロンにとって、女は弱く醜く小賢しい生き物という認識だった。
母親が正妃であるにも関わらず、気弱で精神が脆い性格のせいでただの後継者を生む道具としてしか扱われず、多くの令嬢を侍らせた父親に邪険にされていた。
父親が死んでからは監禁同然で余生を離宮で過ごさせたこともあり、母親の葬式の日まで一度も会うことはなかった。
両親の死後も愛人の令嬢を追い出して、王宮内を綺麗に掃除した後、今度は臣下達が自分達兄弟の伴侶候補の令嬢達を王宮に住まわせた。
表向きは行儀見習いらしいが、王宮に来た令嬢が全員臣下達の実子もしくは親戚ばかりで、この時は下心を隠すどころか見せびらかすその度胸にひどく呆れたものだ。
令嬢達を何人かに分けて、カロン、サンデス、ローゼンの伴侶候補として妃教育を受けながら王宮で過ごすことになったが、やはりというべきかサンデスの伴侶候補になった令嬢達は早々に弟を捨て、自分やローゼンに媚びる姿勢を見せた。
時には偶然を装ってお茶に誘ったり、時にはわざと目の前で転んで気をひかせたり、時には自室にまでやってきた夜這いしたりと、その行動力と小賢しさは呆れを通り越して内心称賛した。
結局、自分の不興を買ったということで、その令嬢達は全員実家に帰し、妃は自分で見付けるということで話を落ち着かせた。
その経緯もあり、元々人間嫌いだったカロンは他者の接触・会話を最低限に留めていた。
しかし、その考えもアリナに出会ったことで変わった。
他の令嬢と違い、ドレスや宝石よりも魔法に興味を抱き、男が好む武器や甲冑を見てそれを魔法で活かせないが考え、さらには図書館に入り浸って魔法の参考になりそうな蔵書を探す。
時には自分が近くにいるにも関わらず、素通りもしくは気付かないでそのまま読書などを始めるという本当なら不敬罪に当たることをしても、カロンはちっとも気にならなかった。
むしろ、面白いとさえ思った。
今まで王族だから自分に媚びを売り、胸焼けがする甘ったるい声でべたべたとくっついてきた令嬢とは違う。
一つのことに夢中になって、前を向いて歩く彼女の生き様に、カロンは少なからず惹かれていた。
――だからこそ、そんな彼女が他の男の物になったことが許せなかった。
(『落陽の血戦』は、そんな私の身勝手な嫉妬によって生み出した争い。しかし、そこに後悔はない)
あるとすれば、己を過信し過ぎてアリナに呪いをかけれてしまったことだけ。
その間に犠牲になった無辜の民の命など、カロンには興味がないし知りたくもない。
自分は、アリナ――日向さえいてくれてばいい。
「…………最初に着いたのはやはり貴様か」
背後で扉越しに聞こえる靴音が、ピタリと止まる。
黒檀の扉が重々しい音を立てながら開き、再び靴音を鳴らしながら王の間へ入ってきた男。
「――久しぶりだな、カロン」
「――ああ、久しぶりだ。ジーク」
ジーク・ヴェスペルム。
かつてアリナに仕えた従者であり、『レベリス』の首領。
そして、カロンが二番目に殺したい男の名であった。
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