第279話 排除

 空中要塞カエレムの城内。

 お気に入りの着物ドレスを着たフィリエは、王の間の扉を開く。

 王の間に配置された『神話創造装置ミュトロギア』がガチガチと歯車を回しながら稼働しており、その前にはサンデスとリンジーが揃っていた。


「あら、あなたがちゃんといるなんて珍しいわね」

「こ、これくらいはしないとダメだからな……というか。俺よりあっちの方が問題だろ」


 あっち、と言いながらサンデスが指さしたのはリンジーだ。

神話創造装置ミュトロギア』による魔力増幅による弊害で、今のリンジーは顔以外が老人のように痩せ細り、記憶だけでなく人格もほとんど失っている。

 喃語か支離滅裂な言語しか話せないが、それでも殺人兵器としては未だ役に立っている。


「……まだ死んではないのですから、利用できるまで酷使しましょう。その方が彼にとっては幸せでしょう」

「あっそ……ほんと、俺らってクズだよね。仲間の身じゃなくて利用価値の心配なんて」

「今更ですわ」


 そうだ。自分達がどうしようもないクズなには今更だ。

 そもそも、弊害の話を聞いた上で使用を決めたのはリンジー本人だ。そのことで責められる者などこの場にはいない。

 互いに自嘲の笑みを浮かべていると、再び扉が開かれる。


 扉を開けたのは、『ノヴァエ・テッラエ』のボスであり、三人の主人であるカロンだ。

 今の彼は簡素なシャツと黒いズボンというラフな格好をしており、脇に控える自分達に一瞥しないまま『神話創造装置ミュトロギア』の前に立つ。


「……さて。お前達、ついに今日がやってきた。彼女らはもうすぐこの城へやってくるが……私はその前にやることがある」

「や、やることって……?」


 サンデスが思わず問いかけると、カロンは無言でシャツを脱いだ。

 ぱさりと絨毯の上に落ちたそれをそのまま目で追った直後、サンデスはひゅっと息を呑み、フィリエは痛みを堪えるように目を細めた。

 かつて彫刻のように鍛えられ整えられた白い裸体は、すでに呪いの浸食によって逆に白い部分がないほど黒紫色の痣で埋め尽くされている。


「もうすぐ、この呪いが牙を剥き、私の生を終わらせようとする。……だが、私はこの『神話創造装置ミュトロギア』の力を使って、呪いの進行を遅らせる」

「え、で、でも、そのガラクタで伸ばせる時間なんて、どうせ数時間だけでしょ? そんなのやったって意味は……」

「構わない。どうせただの時間稼ぎだ。呪いの解呪は、日向を手に入れたからすればいい」


 あっさりとそう言ったカロンは、言葉を失うサンデスから視線を離すと、そのまま『神話創造装置ミュトロギア』に手を伸ばす。

神話創造装置ミュトロギア』に触れる直前で空間が波紋のように広がり、彼の指先が沈んでいった。


「……では、少し行ってくる。お前達、この城の防衛を任せる」

「「仰せのままに」」

「……あ、あ……」


 頭を垂れたフィリエとサンデス、そして返事の代わりに声を出したリンジーを見て、カロンは静かに波紋の中へ入って行く。

 目が眩むほどの光を浴びたと思ったら、今度は真っ黒な空間にいた。

 足元には細長い白い道ができており、カロンはそのままゆっくりと歩く。


 静かに靴音を響かせながら、道を歩きながら脇で何かが蠢くのを見つける。

 もぞり、もぞりと芋虫のように動いたのは、人の形をしたモノ。

 塗り潰したような真っ白な目を向け、呻き声を上げながら手を伸ばしてきた。


『カロン……我ラノ王……』

『愚カナ王ヨリ、聡明デ気高イ御方』

『コノ国ヲ導ク者ナリ』


 人の形をしたモノが言ってくる。

 かつて飽きるほど浴び続けてきた、カロン・アルマンディン王としての称賛。

 だけど。


『許サナイ、王国ノ悪魔』

『赦サナイ、民ヲ殺シタ王』

『オ前ノセイダ! オ前ノセイダ!』


 称賛が怨嗟の声に変わり、カロンは冷淡に見下ろしながら先に進む。

 しかし、突如背後がずっしりと重たくなった。

 振り返ると、人の形をしたモノ――過去の亡霊共がのしかかっていて、真っ黒な手を自分の首に添えた。氷のように冷たいそれに、ぞくりと背中が粟立つ。


『モウ諦メロ。オ前ハ生キテモ意味ガナイ』

『コノママ戻レ。ソウスレバマダ楽ニ死ネル』

『ココマデ多クノ命ヲ奪ッテオイテ、生ニシガミツクノハアマリニモ惨メダ』


 亡霊共の言葉は、きっと周りから見れば正しいのだろう。

 もはや命半ばの自分が、こうして悪足掻きのように寿命を延ばして、己の願いを叶えようとするのは、きっと醜い行為に映るのだろう。

 だが。それでも、諦めきれない。


「―――失せろ。なんと言われようが、私は私の道を往く」


 全身から魔力を放出させる。

 ガーネット色の魔力が空間を凶暴に遅い、亡霊共は断末魔を上げながら消えていく。

 かつて父と同じであるというだけで忌み嫌った色の光は、バキバキと音を立てながら闇を剥がしていく。


神話創造装置ミュトロギア』に入った時と同じように、真っ白な光がカロンを包んだと思った直後、ふと頭上で何かが通った気配がした。

 ゆっくりと目を開けると、そこには淡い色の羽を持った蝶が優雅に飛んでいた。

 そうして眼前の光景を目の当たりにして、カロンは静かに息を呑む。


 カロンがいたのは、雲一つない青い空の下。壮大に広がる花畑は色鮮やかで、先ほど見た蝶達はまるでワルツを踊るように飛び交う。

 荒々しく削られたいくつもの岩を見ていると、目の前で白い光の粒が集まり、それは人の形を取った。


 現れたのは、白と赤を基調とし、金の装飾が施されたドレスと修道服を合わせたような恰好をした女性。

 真っ白な肌に負けないほどの白い髪は踵に届くほど長く、頭には立派な金冠を被っている。そして、自分を見つめる双眸は金に近い琥珀色。

 女神のように美しい女性を前に、カロンは静かな眼差しで見つめる。


(――なるほど。これが『神話創造装置ミュトロギア』の機能を制御する管理個体か)


 これだけ巨大かつ強力な魔導具だ。悪用されないよう制御を司るプログラムが施されてもおかしくはないと思っていたが、まさかそれが人間の形をしているとは思っていなかった。

 思わず興味深く見ていると、管理個体は無機質なガラス玉のような目を向けてきた。

 その目は無遠慮なくカロンの全身を見つめると、静かに口を開く。


『――ようこそ、『神話創造装置ミュトロギア』へ。あなたは何を望みますか?』


 鈴のように可憐で、抑揚のない声で訊ねられる。

 カロンの望み。それは、もちろん決まっている。


「【起源の魔導士】アリナ・エレクトゥルムにかけられた呪いを、一時的に効果を延長させてほしい」

『……呪いを消し去る、ではなく?』

「本音を言えばそうしたい。だが……『神話創造装置ミュトロギア』では限度がある。そうだろ?」

『はい。いくら『神話創造装置ミュトロギア』の力が強大でも、所詮は『蒼球記憶装置アカシックレコード』の模造品。『蒼球記憶装置アカシックレコード』を経由してかけられた呪いの完全解呪は困難です』


 やはりというべきか、管理個体の答えを聞いてカロンは小さくため息を吐く。


「なら逆に、呪いの効果を緩和もしくはタイムリミットを伸ばすことはできるということだな?」

『はい。もし完全解呪を望むならば、『蒼球記憶装置アカシックレコード』と接続したアリナ・エレクトゥルムの転生体をご用意しなければなりません』

「心配には及ばない。すぐにこちらに連れてこさせるさ」


神話創造装置ミュトロギア』といえど、さすがに管理個体には日向に対する配慮や心配は皆無だ。

 元々が機能の制御・管理を目的としているためとはいえ、カロンにとっては好都合であることには間違いない。


『それでは、『蒼球記憶装置アカシックレコード』の呪いの効果緩和を行います。準備はよろしいでしょうか?』

「ああ、やってくれ」

『――では、始めます』


 管理個体の手の平がカロンの左胸、ちょうど心臓のある位置に添えられる。

 姿は半透明なのにぬくもりがある感触に、少しだけ肌が震え、吐き気に襲われる。これには覚えがある。カロンの体に誰かの肌が触れた時に現れる不快感だ。

 最初の前世では慣れ親しんでいたそれを感じながら、カロンの体は白い光に包まれていった。



☆★☆★☆



「――くそっ!! なんてことだ!」


 イギリス郊外にあるとある屋敷。

 円卓を囲みながら項垂れているのは、かつて王室内で強い発言権を持っていた者達。

 手元にあるタブレットには同じ目的を持った同志達の報告が入り、苛立ちをぶつけるようにテーブルを叩いた。


「何故あの『サングラン・ドルチェ』が出てくる!? いや、そもそもどこで作戦内容が漏れたんだ!」

「今はそんなことを気にしている場合じゃない! 問題は我らの計画が達成できなくなったことだ!」

「ああ、もう少しで始祖様を手に入れられると思ったのに……!」


 頭を抱え、嘆く男達。

 彼らは一年前、【起源の魔導士】の生まれ変わりとしてアイリスを王宮へ招き、その後己の失脚を恐れ偽者と判明した彼女を戦地へ放り捨てた、かつての重臣達だ。

 先の件で王の怒りを買い失脚した彼らは、権力も、莫大な財産も、豪華な屋敷も別荘を奪われ、果てには妻子に愛想を尽かされて捨てられた。


 残されたのはわずかな個人財産と郊外で唯一残った古ぼけた屋敷、そして密かに裏で通じた者達とのつながり。

 今回の事態に紛れて日向と『神話創造装置ミュトロギア』を手に入れ、復権を企てていたが、リリアーヌの介入によって失敗に終わりかけていた。


「とにかく、早急に新しい回収部隊を用意しろ! この際魔導犯罪者クズどもを使うのもやぶさかではない!」

「あ、ああそうだな。始祖様を手に入れればこっちのものだ。あの愚かな国王に一泡を吹かせなければ……!」


 それでも、一度手にした権力と贅沢の味を覚えてしまった彼らにとって、この作戦が失敗に終わることだけは避けたかった。

 成功しなければ、今度こそ自分達の命は遠くない未来で根本から消されてしまう。

 しかし、〝神〟は救いようのない者達に、もう一度その味を取り返す機会を与えなかった。


「――あらあら、こんなところにいらっしゃいましたか」


 ギィィィ……と音を立てて開かれる扉。暗闇の向こうから、血塗れの男が白目を剥きながら倒れる。

 絨毯よりも赤い血が広がっていくそれを、ベチャリと赤いエナメルのヒールで踏みながら、男を殺した者が現れる。


 紅を基調としたドレスを身に纏う、美しく残酷無慈悲な天使――ティレーネ・アンジュ・クリスティアが。


「く、【紅天使】……!」

「何故ここが!」

「あら、随分と侮っていたようですわね。『時計塔の聖翼せいよく』の情報網は、イギリス国内ではない。その周辺諸国にまで及んでいます。たかが郊外に出た程度で、わたくし達の翼から逃れられるわけないじゃありませんか」


 血で染まり、真っ白だった手袋に包まれた手で口元を隠し、くすくすと嗤う紅き天使。

 しかし、男達にとっては彼女の存在は己の死から逃れられることはできないという、最低最悪の象徴である。

 現に、ティレーネがこれまで粛清してきた者達は悉く殺されており、彼女を前にして生きた者など奇跡以外の何物でもないと言われるくらいだ。


「さて……話はこれまでにして、そろそろあの世へご案内いたしましょう」


 ゆっくりと、死を呼ぶ天使が近付いてくる。

 逃げたくてもこの部屋は三階で、自分達は魔法を使えないただの一般人。逃げることも抗うこともできない、なんとも無力な存在。

 だからこそ、魔導士達の思い通りに好き勝手されぬよう、必死に権力を手にしてきた。


 国王以外に指図できず、弱者に侮られず、多少悪事を働いても見逃してもらえる、そんな無敵な力を。

 だけどその力は砂上の楼閣で、一年前に全てを失った。

 そして時間をかけて返り咲こうとしても、こうして一瞬で命までも奪われる。


 ああ、この世界はなんて理不尽なのだろうか。

 一見すると平和な世界だろうが、裏側まで見ると血統主義の魔導士や政府の在り方を憎む魔導士崩れによる暴虐が蔓延り、力なき者はその力の前に泣くことになる。

 たとえ正義がいようとも、悪が存在する限り、この世界は永遠に変わらない。


「…………精々……この汚い世界で、醜く生きて死ね……」


 最後の悪足掻きのように告げられた罵倒に、ティレーネは顔色一つ変えないままその手を軽く振る。

 紅き天使が下ろした慈悲の手は、苦痛もないまま、その命を刈り取った。

 バタバタと倒れていく男達……いや排除した悪の亡骸達を一瞥した後、ティレーネは無言のまま踵を返して部屋を去ったのだった。

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