第193話 望まぬ見合い

 四大魔導士の誕生から早数百年、世界各国は新たな魔導士の確保を最優先事項としていた。

 魔導士の出生率は五分五分、新たな魔導士を確保するために政府が取った行動は魔導士達への早婚だ。

 次世代の未来を担う魔導士達は、なるべく多くの子を残すことも必要な責務と捉え、政府から通達された早婚を推奨とした。


 しかし、必ずしも望み通りの結果が得られるとは限らない。

 非魔導士として生まれた場合、血統主義の魔導士家系ならば次の新しい魔導士を産む存在として利用され。

 魔導士として生まれた場合、魔導士差別主義の家ならばいない者同然として扱われ、聖天学園入学したら絶縁される。


 この世で一番の幸せは、家族に愛され、愛する人と結婚すること。

 生まれた環境と家を選べない以上、そういった不幸な出来事が起こってしまう。


 その中でも一番の不幸こそ、すなわち家側による見合い。

 そして、家が勝手に用意した面識のない婚約者である。



☆★☆★☆



「はあ……」


 一〇月に入り、秋の空気が濃くなり始めた頃。

 暖房が効いた寮の部屋で、心菜はリビングのソファーに腰掛けながらため息を吐いていた。

 手にはパステルグリーンのスマホが握られており、画面はメールアプリが開いたまま。もう一度画面に目を落とすと、再びため息を吐く。


『一〇月一七日午前10時30分、鳩山ホテルでお見合いをします。必ず出席するように』


 簡潔な本文に書かれた文字は何度見ても変わらず、心菜を憂鬱な気分にさせるには充分で、今度は大きなため息を吐く。

 メールアプリを閉じてスマホをスリープモードにすると、気分を入れ替えるためにお手製のハーブティーを淹れることにした。

 お湯を沸かしている間、心菜は画面が真っ暗になっているスマホを見下ろしながら差出人である叔母のことを思い浮かべる。


 心菜の母方の叔母である文恵は、育児の傍ら神藤メディカルコーポレーションの魔導医療開発部門の主任として働き、鋭い舌鋒と辣腕な教養力を持って魔導医療界で働く優秀な人材を生み出し続け、今も輝かしいキャリアを築き上げているバリバリのキャリアウーマンだ。

 上昇志向のある文恵は二人の子供にエリートコースへと進ませ、素晴らしい結果を残すだけでは満足せず、今度は姪であり神藤家の後継者である心菜にもエリートコースを進ませようとした。


 心菜の両親は文恵と反対にのんびりとした性格で、エリートコースに進まなくても心菜が健やかに育つことを純粋に願う、まさに親の鑑のような人だ。

 だがその両親の性格に不安を抱いたのか、文恵は家柄が良くて将来有望になる男性を見合い相手として紹介させた。

 中学生の頃になるとその行為が激化し、最後には一方的に婚約を結ばせようとまでした。


 これには祖父・総介も見逃せず、今後は心菜の意志のない婚約を禁止にし、さらに聖天学園入学した暁は見合いの回数も今より減らすことを約束させた。

 文恵もさすがに総介の意向に従う他なく渋々了承するも、その後も隠れて見合いをさせられた時はさすがの心菜も文恵の行為に心底呆れたものだ。


 文恵も心菜のことを思って見合い話を持ってきてくれると理解していたからこそ、堅苦しい振袖姿で初対面の男性との見合いもしてきた。

 だが、今の心菜には『真村樹』というパートナーであり片想い相手がいる。

 いくら文恵の頼みだろうと好きな人がいる以上、もう以前のように見合いをすることはできない。


 お湯が沸き、カップとティープレスにお湯を注いでしばらく暖める。中のお湯を捨て、ティープレスに茶葉を入れたら、もう一度お湯を注いで蓋をして蒸らす。

 ジャンピングを確認し、蒸らし時間が終了したらフィルターをゆっくりと押し下げ、少し隙間を開けた状態にしたままティーカップに紅茶を注ぐ。

 透き通った茶色い液体から柑橘類やハーブ特有の香りが漂い、憂鬱な気分を和らげる。


 カップとティープレスを持ってソファーに戻り、ティープレスをソファー前のテーブルに置いてカップはそのまま口付ける。

 ベランデでハーブを育てたおかげで、家と同じハーブティーが飲めることに許可をくれた日向に感謝しながら、半分ほど飲んで一息吐く。

 肝心の日向はすでに眠っているが、就寝前まで何か調べ物をしていたことを思い出す。学習机に広げた蔵書はどれも高度なもので、中には英語で書かれたものもあった。


「【起源の魔導士】アリナ・エレクトゥルム、か……」


 イギリスで日向の前世を知り、心菜は少なからず動揺した。

 この世界に魔導士を生み出し、魔法を広めたかの英雄の生まれ変わりが親友である事実は心菜だけでなく樹や怜哉さえも驚愕するも、『叛逆の礼拝』で前世を思い出してもいつもの親友達の姿を見て、心菜も樹達と同じで以前と変わらない態度で接した。


 だが、前世の関係は想像以上に根深く、今もかつての因縁と戦う羽目になっている。

 日向達は無関係であるはずの心菜達を巻き込んだことに対し罪悪感を抱いていたが、心菜も樹もそして怜哉も気にしてなく、むしろ日向達よりも無関係な人々すらも己の野心のためだけに巻き込もうとするカロンに少なからず憤りを抱いていた。


 今の情勢も彼が一枚噛んでいる以上、次に何をするか分からない。むしろ見合いよりも重要だ。

 ハーブティーを淹れる前まで見合いの件を断る旨を送ったが、今も返信がないのを見るに多忙もしくは必死に怒りを抑えているのだろう。

 ぬるくなったハーブティーを飲み干すと、真っ暗だったスマホの画面が光る。文恵からの返事からだと思い身構えるも、差出人を見て顔を綻ばせた。


『明日、二人きりで遊ばねぇか?』


 隣にいる樹からのメールに、心菜は『いいよ』と素早く返信した。



「よっしゃあ!! 今日も約束できたぜヤッフー!!」

「うるせぇ! 今何時だと思ってやがる!?」


 心菜から遊びの誘いの返事をもらい、ベッドの上でガッツポーズした樹だったが、隣で寝ていた悠護を起こしてしまい怒鳴られた。

 だが今の樹はルームメイトの怒声なんてもろともせず、ベッドから降りるとやや目が据わっている悠護に向けてスマホを突き出した。


「見ろよ! 心菜からの返事、『いいよ』だって!」

「あーそうだな、そいつはよかったな。つか、お前らあれから何度も二人で出かけてるだろ。毎回よく喜べるな」

「はあ? お前だって日向と出かける日になると幸せオーラ振りまいてるくせに何言ってんだよ」

「少なくとも安眠妨害してくるお前よりマシだろ」


 毎回毎回お誘いオッケーが出るたびに喜ぶ樹が安眠妨害してくるせいで、眠りの沼に半身を浸からせていた悠護の目は完全に据わっている。

 あと一度でも騒ぎ立てれば気絶させる勢いの悠護を見て、真っ青な顔をした樹が「スンマセンデシタ」と片言で謝る。


「……つか、お前らまだ付き合ってなかったのか?」

「んー? あー……言おうとは思ってるけど、な……」


 ふとした疑問を投げかけた途端に言葉を濁す樹。その様子を見た悠護は小さくため息を吐いた。

 心菜は神藤メディカルコーポレーションの社長令嬢、樹は片親の一般組。

 身分や家柄でいえば釣り合っていないだろうが、心菜の相手として相応しくないとは思えない。それ以前に心菜も樹が気になっている様子だし、なるべく後押しすれば上手くいくはずなのだが……。


(問題は神藤家だよなぁ)


 四月のパーティーが顔合わせしたが、総介を含む神藤一家は心菜と同じ優しい心を持っている人格者達ばかりだ。樹との関係も話せば、交際も許してくれるはずだ。

 だが、その中でも厳しい目つきで樹を睨んでいた女性……恐らく叔母であろう彼女は認めないだろう。

 さすがに神藤一家が束になったら敵わないだろうが、もしそうなる前に手を打ってしまえば彼らの反論は無意味になる。


(……頼むから余計なことするなよ~)


 スマホの画面を寂しげに見つめる樹の姿を横目に、悠護は心の中で心菜の叔母が何もしないことを必死に祈った。



☆★☆★☆



 久しぶりのお出かけは、無意識に心菜の気分を上昇させた。

 お気に入りのワンピース姿になった心菜は、化粧施し秋らしいオレンジや赤の模造石がついたカチューシャをつけ、買ったばかりの秋物のコートを身に纏う。

 好きな人と出かけるといつも胸が躍るのは、いつの時代でも同じなのだと近くで見ていた日向は老婆心でしみじみと思った。


「それじゃあ、行ってくるね」

「いってらっしゃい。楽しんできなよ」


 図書館で借りてきた本を読む日向が手を振る姿を見た後、玄関を出た心菜はエレベーター前で待っている樹を見つける。

 彼も今時の少年らしい恰好をしており、シンプルだけど彼のカッコよさを損なわせないスタイルだ。


「んじゃ行くか」

「うん」


 肩を並べながら学園を出た二人は、最寄り駅のモノレールに揺られながら市街地に入った。

 段々寒くなってきているが、やはり休日となると人が多い。一〇月ということでハロウィン用グッズやコスプレ衣装を売っていたり、まだ先であるクリスマス用グッズも並んでいる店もある。


 秋限定でかぼちゃや栗を使ったお菓子が売られていて、帰りにお土産として買おうと思い相談すると、樹もちょうど同じことを考えていたらしく、同じ内容を言うと二人してきょとんとした顔になるもすぐに笑みが零れた。

 こんな小さなことで嬉しくなって、幸せな気持ちになる。

 樹も優しい微笑みを浮かべ、いつの間にか握られていた手を強く握った。


 行きつけのジャンクショップで樹が欲しかった部品を買い、途中で心菜の希望で本屋に寄って新しいお菓子や料理のレシピ本を買った。

 お昼は世界中でチェーン展開しているファーストフード店に入り、定番のハンバーガーMセットを頼んだ。席を選ぼうとした時、今日は秋なのに小春日和といってもおかしくないくらい暖かく、せっかくだからとテラス席を取る。


 幼稚園から中学校までエスカレーター式のお嬢様学校だった心菜にとって、ハンバーガーは未知の食べ物だった。

 文恵はジャンクフードを嫌っていたこともあり、聖天学園に入る前まで一切食べたことがなかったが、初めて四人と出かけて食べた時は栄養学的に計算し調理させた我が家の料理もどこにでもあるジャンクフードが一番おいしく感じられた。


 標準的なサイズのハンバーガーを頼んだ心菜に対し、樹のハンバーガーは三段重ねのビッグサイズだ。海外でも一番人気の商品であるが、手の平サイズの小箱と同じくらい分厚い。そんなハンバーガーを零さないで器用に食べられる樹は純粋にすごいと思えた。

 時折セットで頼んだポテトとつまんでいると、ふと視線を感じた。


 テラス席ということもあり、人目があるのは仕方がない。

 だが、それにしては視線が強く感じる。どこからなのかときょろきょろと首を動かさす心菜に不審に思ったのか、紙ナプキンで指に垂れたソースを拭っていた樹が首を傾げる。


「どうした? きょろきょろして」

「うん……ちょっと視線を感じて……」

「視線? んー……よく分かんねぇけど、悪いやつか?」

「そうじゃないけど……でも、ちょっと気になるかな……?」


 今も向けられている視線には害意はないが、それでも自分の全身を舐め回しているようで気分が悪くなる。

 徐々に顔色を悪くする心菜に、樹はすっと目を細めるとすでに食べ終わったトレーを持って立ち上がった。


「なら、土産買ったらもう帰ろうぜ。これ以上付きまとわれても面倒だ」

「あ……そ、そうだね……」


 せっかくのお出かけ日和だったのに、自分の軽率な発言で台無しにしてしまった。

 申しわけなさと罪悪感で項垂れる心菜の頭を、樹は優しい手で撫でてくれる。彼の気遣いが嬉しくて、小さく微笑むと無言で手を差し伸べてきた。

 意図を察してぎゅっと彼の手を握ると、樹は「行くか」と声をかけて歩き出す。


 手から伝わるぬくもりを感じながら、心菜は好きな人と共に人ごみの中へ紛れていく。

 その背後で小さなシャッター音がしたことに気づかないまま。



 あの後、お土産を買って部屋に戻ると日向は自分のベッドで昼寝をしていた。

 日に日に増えていく蔵書量に日向が一体何をしているのか気になったが、それでも話すまでは待つことはできる心菜は中途半端にかけられたブランケットをかけ直しあげた。

 お土産に買った大きなマロングラッセが乗ったモンブランと自分用のタルトタタンが入ったケーキボックスを冷蔵庫に入れると、スカートのポケットが震える。


 スマホを入れていたことを思い出し取り出すと、『叔母様』という表示を見て表情が険しくなる。

 用件があの見合いについてだと気づき、電話に出た。


「……もしもし」

『心菜さん、昨夜の返事はなんですか? せっかくあなたにお似合いな方を見つけたというのに』


 開口一番に苦言を呈する文恵に、心菜は痛み始めた頭痛に耐えながら話始める。


「言葉通りです。叔母様、私はもうこれ以上お見合いはしたくありません。私が結婚したい人は自分で見つけます」

『ダメです。いくらお父さんや姉さん達が許しても、私は許しません。あなたはいずれ神藤家の当主でなり会社を継ぐことを自覚していますか? 私はあなたのために相手を用意しているのですよ』

「私のためって……私だけじゃなく両親もそんなこと一度も頼んでいません。無理矢理婚約を結ぼうとした件をお忘れですか?」


 あの時、鬼気迫る勢いで婚約を了承しようとした文恵は恐ろしかった。

 まるで自分は良い家柄の人間と結婚するのだと言われているようで、あの時ばかりは心菜も必死に抵抗した。

 全く反省していない文恵に、さすがの心菜も呆れてしまう。


『その件はともかく、結婚はキャリアの一部よ。今ちゃんとした家の人と結婚しないと、一〇年先後悔するわ。あんな…………あんな素養のなってない、母子家庭の子なんかはね』


 文恵の発言に、心菜は呼吸を忘れた。

 母子家庭の子。それは、今の心菜にとって一人しか思い当たらない人物を指している。


「…………まさか、樹くんのこと調べたんですか……?」

『分かってちょうだい。私はただあなたを立派な当主として、そして一人の女性として幸せになって欲しいのよ』


 文恵の言い分は、神藤家の未来を考える者としては正しいのだろう。

 だが、今の心菜にとってはその言い分すら身勝手なものと捉えてしまう。

 勝手に樹のことを調べ、勝手に自分を幸せにできないと決めつける実の叔母に、初めて怒りを抱いた。


「…………です」

『えっ?』

「叔母様は最低です! 勝手に私の生き方を決めて、勝手に樹くんを侮辱して! 叔母様にはそんなことする権利なんてないのに!」

『ちょ、ちょっと心菜? 落ち着きなさいっ!』

「もう叔母様のことなんて知りません! このことはお祖父様に報告しますから!!」


 何か言おうとした叔母の声を遮って、電話を切った心菜は手にあるスマホの電源を切るとそのままフローリングに叩きつける。

 保護性に優れた手帳タイプのカバーに入れていたおかげで、叩きつけても画面にヒビが入ることはなかった。冷蔵庫にもたれながらずるずると座り込む心菜を、突然現れたぬくもりが包んでくれた。


「心菜」


 あの騒ぎで目を覚ました日向が心菜の体を優しく抱きしめる。

 よしよしと子供をあやすように頭を撫でる手の暖かさに、次第に目から涙が零れ始める。

 子供のように声を上げて泣きじゃくる心菜を、日向は泣き止むまでずっと抱きしめてくれた。

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