第192話 ステップアップの道のりは険しい

『決闘』が終わってすぐ、日向達は市内にあるホテルに一泊することになった。

 あのまま黒鳶家にいたら向こうが『約束』を無効にしようと手を出す危険性があると踏んだ徹一による判断だが、日向自身もあの親子ならやってもおかしくないと思っていたため彼の判断は英断だ。


 急遽外泊することにあり、予約なしのまま近くにあったホテルでなんとか二部屋を取ることができた。

 ……が、ここで問題が起きた。

 取った部屋はダブルとツインしかなく、何故か朱美の手によって日向と悠護をダブルへ押し込んだのだ。


「これから夫婦になる二人だもの、今のうちに仲を深めないとね♪」


 茶目っ気溢れる笑みと共にドアを閉められ、慌てて追いかけるも朱美は徹一と鈴花と共に部屋にご丁寧に鍵までしっかりかけた。

 色々と言いたいことがあったのに、何度インターホンを押しても応答がないため仕方なく諦め部屋に戻る。

 用意されたダブルはダブルベッドが部屋の壁際中央に鎮座しており、悠護がつけたのか液晶薄型テレビはトーク番組が流れている。テーブルの下には小型冷蔵庫とゴミ箱、クローゼットには金庫と布製のスリッパとバスローブが入っていた。


 窓際の椅子でテレビを見ている悠護は平然としているが、ちらちらと窓ガラス越しに映る自分の姿を見つめている。

 いきなり二人きりになって、彼自身も困惑しているのだろう。やたらこちらを気にしている悠護の気を逸らすように、持ってきた荷物から替えの下着と寝間着を取り出した。


「先お風呂入るね」

「あ、ああ……お先にどうぞ」


 声をかけられた悠護の肩がビクリと震えるも、なんとか平静を取り繕って返事をした。

 特に気にしない風でユニットバスに入り、服を脱いでバスタブに入る。カーテンを内側に入れて適温になるまでシャワーを流し、ちょうどいい塩梅になった時に付属のシャンプーやボディーソープを使って髪や体を洗う。

 一通り綺麗になり泡を洗い流す間、日向はぎゅっと自分の体を抱きしめる。


(ど……どうしよう……、なんかすっごく緊張する……!!)


 二人きりになることは、これまで幾度もあった。

 周りから恋仲を疑われるほどの仲の良さは、『パートナー』という友達以上恋人未満の関係があったからこそ意識も緊張もしなくて済んだ。

 だけど、今の自分達は正式な恋人同士。つまりキス以上……前世では禁止にされていたが現代では緩くなった婚前交渉もできるということだ。


 以前の日向ならそうなのかと聞き流していたが、今ではすっかり顔が赤くなるほど意識してしまう。

 もちろん触れ合いたいという気持ちはあるし、ちゃんと節度を守ってお付き合いというのもしたい。

 ……だが、やはり自分の恋愛経験のなさのせいでそれ以上先を想像するだけで悶絶してしまう。


(ああああああ恨めしい! 恋愛感心ゼロだった自分が恨めしい!!)


 もう少し恋愛経験豊富だったら、落ち着いて対応もできたというのに。

 というか、お風呂入る前のあの会話すら意識しないように必死だったのに!

 前世だけでなく今世でも恋愛経験なしが障害になるなんて夢にも思わなかった!!


 ひとまず落ち着こうと水を出して頭を冷やすも、冷たすぎてくしゃみしたからすぐ温水に変えた。

 ホテルのバスタオルで体を拭い寝間着に着替えると、ドライヤー魔法で髪を乾かし歯を磨く。お風呂周りを綺麗にしてからバスルームに出ると、入る前と変わらず椅子に座ったままの悠護が窓ガラス越しに映る自分の姿を見てもう一回肩を震わせる。


「……お風呂、上がったよ」

「分かった」


 素っ気ない返事と共に着替えを持ってバスルームに入る悠護。

 前髪で顔が隠れていたが、耳が僅かに赤くなっていた。どうやらこの状況に緊張しているのはお互い様のようだ。

 それはそれで嬉しいような恥ずかしいような、複雑な気分になる。


「はぁ……」


 かつての関係に戻ったのはいいが、どうやって夜を過ごせばいいのか。

 火照る頬を冷やしながら、日向は深いため息を吐いた。



 結局、悠護がお風呂から上がるまで手持ち無沙汰だった日向は先に布団に入ることにした。

 早く寝てしまえば気にしなくて済むという逃げでもあったが、それでもやはり中々寝付けない。せめてものの抵抗で寝たふりを決め込んだ。

 瞼を閉じて熟睡スタイルのままでいると、バスルームのドアが開く。同じように寝間着姿の悠護が背を向いて寝ている日向を見て、小さくため息を吐いた。


 そのまま悠護が布団に潜ると、スプリングがぎしぎしと鳴りながら上下に動く。

 背中越しから伝わる体温に一瞬息を呑むも、平静を装って寝たふりを決め込む。

 だが、それはスプリングを軋ませながら寝返りした悠護の言葉で呆気なく破れる。


「……おい、起きてるだろ」

「すやすや……」

「いや起きてんだろ一〇〇パー、つかなんだその典型的な寝たふりは。ほらこっち向けって」

「うひゃあ!?」


 おもむろに肩を掴まれたかと思うと、強制的に寝返りさせられる。

 悲鳴を上げて目を開くと、至近距離に悠護の顔がドアップになる。息を呑んで固まる日向に、悠護はくつくつと喉を鳴らしながら笑う。


「やっぱ寝たふりか」

「い、いきなりこんなことしないでよ! びっくりするじゃん!」

「悪い悪い」


 シャーッと毛を逆立てた猫のように威嚇する日向の抗議に、悠護はただ平然と笑うだけ。

 さっきまで耳を赤くしていたのにすでに余裕綽々な彼にイラッとするも、せめてものお返しに抱き着いてみた。

 体のラインが分かる薄い生地の寝間着姿の日向に抱き着かれた直後、柔らかい部分が悠護の体に襲い掛かり硬直する。


 一度は風呂場で裸のまま抱き合ったあることを思い出しながら理性を取り戻すついでに悶絶する羽目になった悠護だったが、日向はお構いなく恋人に抱き着く。

 昔は同衾すらもできなかったというのに、今では情操教育が緩くなっている。時代は変わったなと変な老婆心を芽生えさせていると、するりと悠護の腕が日向の体を抱きしめた。


「悠護?」

「お前さ……いくら昔と違うからって、そう簡単に抱き着くなよ……」

「あ、ごめん。嫌だった?」

「い……嫌じゃねぇけど……」


 問いかけるとそっぽを向きながら抱きしめる腕の力を強くする悠護。

 再び感じるぬくもりに、日向は彼の胸元に頬を寄せてすりすりと擦り寄せる。上下に動く柔らかな頬の感触に悠護はビクリと体を震わせた。


「あたし、こうやって抱きしめられてるの好き。なんだか全身で守られて……それでいて愛されてるんだなぁって思えるの」

「……そっか」


 日向の言葉に悠護が小さく微笑む気配を感じて上を向くと、二人の顔が近くなる。

 互い双眸を見つめ合いながら、自然と唇を重ねる。

 小さく啄むようなバードキス。何度も唇に触れ合うも次第に物足りなくなり、口付けは深くなる。


 舌同士を絡め合い、唾液を交換するように呑み込む。

 呼吸も上手くできなくなって背中にしがみつくように抱き着くと、さらに腕の力を強くしてきた。

 窒息してしまいそうなほどの濃厚な口付けは、二人を酩酊にも似た症状を引き起こす。


「んっ……はぁ……っ」

「……ん……」


 甘い吐息にくらりと意識が揺れるも、これ以上は歯止めが利かなくなる。

 名残惜しそうに唇を離すと、頬を紅潮させたまま拗ねた表情を見せる日向を見て、悠護は小さく苦笑しながら彼女の頭を優しく撫でた。


「これ以上はダメ、分かるだろ?」

「うー……」

「可愛く呻いてもダメだからな?」


 色々と我慢していた枷が外れかけているのか、上目遣いで無言の抗議をしてくる日向が夜の雰囲気効果で破壊力が凄まじい。

 理性総動員でなんとか押し止め、「ダメなものはダメ!」と小さく声を張り上げながら言い聞かせる。


「それとも……に行きたいのか?」

「~~~~~~~~ッッッ!!」

「っでぇ!? おいヘディングはやめろ!?」


 ダメ押しの一撃を入れると照れ隠しのヘディングを喰らって運悪く顎に直撃、痛みに悶絶しながら結構手加減なしでぽこすか殴ってくる日向をなんとか宥める。

 今の日向の行動は悠護ですら読み取ることが難しい。『女心と秋の空』とは言ったものだと内心ため息を吐いた。


「…………悠護は………あたしと……、シたいの……?」

「っ……!?」

「もちろんあたしも経験ゼロだから分からないけど……でも、もっと触れたいって思うよ……悠護は違うの……?」


 恋人からの反撃に絶句するも、あながち間違いではないせいで反論できない。

 クロウだった時はあんな別れ方をして、そのまま自分の後を追うようにアリナを死なせてしまった後悔は今もある。

 だからこそ今世では幸せになりたいし、できなかったことをたくさんしてあげたい。


 そして、今までは前世の貞操観念のせいでそれ以上進めなかったが、愛しい彼女にもっと触れたいという欲求もある。

 雄吾は結婚する日まで待つことができるほど聖人君子ではないし、できることなら今より先に進んで触れ合いたい。

 ……でも、カタカタと無意識に小さく震える日向の肩を見て、無理に先に進むことはできない。


「……そうだな、俺だってもっと触れたいよ。全身あますことなく口付けて、中も全部俺の色に染め上げたい」

「っ……」

「でも……今はダメだ。用意もしてないし、何より俺の心の準備もまだだ。……だから、その時まで待ってくれるか?」

「……うん、待ってる」

「よし! いい子だな~偉いぞ~」


 わしゃわしゃと愛犬と戯れるように髪を撫でると、「やめて」と制止をかけられる。

 手櫛で軽く髪を整えた日向は、そのまま悠護の胸元に顔を埋める。しばらくすると小さな寝息が聞こえ、ようやく寝付いた様子を見て悠護は掛け布団をかぶり直した。

 腕の中にあるぬくもりを優しく抱きしめ、真っ白な額に唇を落とす。


 昔の関係に戻っても、進み具合は自分達のペースでやればいい。

 数百年の時を経て再会し、遠回りしながらようやく結ばれたのだ。

 身も心も結ばれるその時まで、今はこの関係を続けたい。


(さて……色恋のあれこれはイアンに相談するかな……)


 仲間の中で一番恋愛経験豊富な赤髪の元補佐の顔を思い浮かべながら、悠護も眠りの世界へ足を踏み入れた。



☆★☆★☆



 翌日、予定より早く学園に戻った日向達に待っていたのは黒鳶一家の変化だった。

 あの傲慢な態度を取っていた彼らが、どういうわけが一夜にして人格が変わったらしい。徹一が『約束』の件について話そうとした時、純昌は今までの性格が激変しかつての当主達と同じ温厚で従順な性格に変わっていた。


 照美も福政も例外ではなく、使用人達は一夜で変わってしまった夫妻と息子の様子にひどく困惑していた。

 ひとまず彼らの変わり様は魔導士によくある精神的ショックによるものだと説明したが、もちろんそんなものはない。

 黒鳶一家の変貌した理由を考えるのなら、一番高い可能性としては精神魔法による人格構築だ。


 精神魔法は人を操ることや幻を見せることだけでなく、人格を書き換えるもしくは元の性格を削除して新しい人格を生み出すことができる。

 もちろん人格構築魔法は難しい魔法だし、IMFによって特別な許可を得た魔導士にしか使用を許されていない。

 ……そして、日向と悠護はその魔法を使った下手人に心当たりしかない。


「――それで、何か弁護はある? ジーク、ノエル」


 実習棟の部屋に呼び出した二人は、素知らぬ顔で用意された紅茶を飲んだりお茶菓子をつまんでいた。

 こういう時ばかり息がぴったりなことに腹が立つも、なんとか気を落ち着かせながら話を続ける。


「なんで人格構築魔法なんてしたの? というか、誰に頼まれた?」

「その件は私の独断だ。ノエルは失敗した時の保険のために呼んだだけだ」

「簡単に言ってくれるな……」

「ほんとだよ……」


 平然と言い放つジークに、日向とノエルは頭を抱えた。

 人格構築魔法は高度な魔法な上に一度失敗したら廃人になる可能性が高い魔法だ。いくらノエルが生魔法の使い手だからといって、失敗したらバッドエンドまっしぐらな魔法の保険にするにはさすがに心許ない。

 それ以前に、失敗した前提にノエルを呼ぶんじゃない。


「それよりも日向、カロンが七色家に大打撃を受けさせている中、この時に黒宮家が降りたらどうなると思う?」

「……まあ、一気に瓦解するよね。明らかに弱いところを突いてそのまま」

「その通りだ。あの黒鳶家は分家代表とはいえ実力が黒宮家より下、情勢が不安定な時に連中を上に挿げ替えたらあっという間に終わる」


 あの『決闘』で黒鳶家には大した戦力がないのは明らかになったし、人間として最悪な性根腐った性格と金遣いの荒さを考えると、彼らが七色家の役割を果たすことはできない。

 そもそも、分家の不祥事は全部黒宮家のせいだと言っていたが、どちらかというと彼らに目を向けなった黒鳶家にも責任がある気がする。


 悠護の話では分家代表には他の分家の状況報告や、本家への叛逆心があるか見定めるために月に一度の顔合わせがある。黒鳶家は分家代表の仕事はこなしていたようだが、あくまで表面上のものだ。

 黒鳶家がもう少し仕事に勤勉だったなら、墨守家、桃瀬家、烏羽家の不祥事を未然に防げたはず。


「はあ……やっちゃったことは仕方ないし、ひとまずお咎めなしにしてあげる」

「それはありがたい」

「その代わり、今度からは事前に話してよね。同じことが何度も起きたらあたしじゃ庇えないから」

「分かっている」


 返事を返すも、日向は少しだけむっすりと顔を歪めながら部屋を出て行く。

 不機嫌そうな彼女の後ろ姿を見送った二人は、自然と視線をキッチンに向ける。コーヒーを淹れていた悠護が苦笑しながらキッチンから出てくると、日向が座っていた椅子に座る。


「多分、あいつはお前らが汚れ仕事やったのが嫌みたいだな」

「やはりそうか……頭では理解しているが、どうしても悪い手段を取ってしまう」


 日向は自分達が汚れ仕事紛いの手段を使ってほしくないと思ってくれている。

 それは今まで『レベリス』として悪事を染めたこともあるが、今は自由の身。大事な仲間が汚れ仕事をさせるような真似は、主人である日向はあまり許容したくないのだろう。


「あいつだって清濁を拘る場合もないってことは分かってるんだよ。でも……ちゃんと話して欲しかったんだよ、どんな手段を使おうと言ってくれれば許すくらいの心の広さはあいつにはある。ま、時と場合によるがな」

「……そうだな。話をしないまま勝手に行動した結果、あのクソったれな結末だったんだ。同じ過ちは繰り返してはならない」

「同感だ。また同じことをしたら、俺は今度こそお前を見捨てるからな。死にたい時は勝手に死ね」


 ジークの言葉にノエルがやや苛立たしげに吐き捨てると、悠護も無言で頷いて同意する。自分の前科が原因とはいえ、ここまで信用されていないと考えると少し心が痛い。

 ため息を吐いたジークはカップの中の紅茶を飲み干しながら、明日の授業を考えるついでに次は上手くやるようにしようと心に決めた。

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